執務室の新人提督
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前書き
注意。艦隊これくしょん二次創作でありながら、艦娘が今回出ません。
おっさんと青年の無駄話です。
「はぁ、結婚、でありますか」
「そうですそうです」
片桐中尉は焼酎の入ったコップを傾けながら眼前に居る白いシャツとジーパン姿の青年、私服の提督を見つめた。場所は片桐中尉が勤める鎮守府近くにある普通の居酒屋である。
「僕もこっちで――あぁいえ、ここでもう決めてしまおうかと思っておりまして、それでまぁ、伴侶というか、妻というか、お嫁さんというか、そういうのをどうしたもんかと」
「ははぁ……」
片桐中尉は私服の、それこそ普通の青年にしか見えない提督をまじまじと見ながらなんとなく頷いた。片桐中尉も、町の居酒屋に出るにあたって服装は普通のネズミ色のスーツだ。端から見れば会社の先輩社員と後輩アルバイト、といった感じだろう。実際、店に居る客達はその様に見ていたし、興味も惹かれなかった。偶に注文されたメニューをテーブルに運んでくる店員などは、あぁ先輩に女性の事で相談しているのだなぁ、と思う程度で、それも明日には忘れてしまうような日常の一風景であった。
さて、そんな事を相談された片桐中尉は大いに困っていた。今彼の目の前に居る提督は、現在片桐中尉が仕える少年提督の友人であり、広義で捉えるなら同僚であり上司でもある。無碍に扱いたくは無かったが、なにせ彼からすれば提督の発言は不明瞭かつ意味不明だ。
「その、お恥ずかしい話ですが、出会いがとんとないものでして」
「ははぁ……」
ここがもう片桐中尉には分からなかった。出会いがないも何も、彼が過日鎮守府に赴いた際には、門前に百以上の艦娘がいたのである。それで出会いがないとは如何なる事であるのか、それが片桐中尉にはさっぱり分からないのである。
ただ、次の提督の言葉である程度は氷解した。
「僕もまぁ、あの鎮守府を確固たる物にするには、多少自分の縁も利用したいと思っておりますので、片桐中尉、誰か幹部将官などの娘さんで年頃の、相手の容姿とか能力に無頓着ないい人はいないものでしょうか?」
「あぁー……なるほど」
自身の膝を叩いて、片桐中尉はコップに残っていた焼酎を飲み干した。コップを静かにテーブルに戻して、年若い上官に片桐中尉は優しい笑みを向けて応じた。
「提督は、上級将官との婚姻などは事実上無駄ですが、宜しいですか?」
「え、無駄なんですか?」
「えぇ、無駄なんですよ」
片桐中尉は目を剥いた提督の相を眼に映して頷いた。横を通りかかった店員にもう一つ焼酎を頼んでから、彼は提督へ続けた。
「私の前の……まぁ、坊ちゃんの親父さんの話ですが、あの人も昔自分の鎮守府の為にそういった事をしようとしていた頃があったんですがね」
「ほほう」
「言いにくい言葉ですが……艦娘を配下における提督という存在は、軍閥の中にあって非常に厄介な存在でもあるんですよ」
「……あぁ」
片桐中尉の言わんとすることを察したのだろう。提督は、しまった、と言った相で頭をかき始めた。その姿を見つめながら、片桐中尉は口を動かした。
「軍医と同じ扱い、と言えばご理解頂けますかね?」
「待遇階級、ですね?」
「はい」
下級の士官や兵卒に危害を加えられないよう軍医などに用意された階級の事だ。貴重な専門職を優遇する為の措置である一方、この待遇を受けた者は軍閥において無用の長物と扱われる。
旨みをもっていない、またはデメリットを抱えているからだ。
軍医は戦後、または退役後大抵軍から離れて市井に戻り医者に戻る。元々一般の医者に対して軍が優遇処置を用意した招致だ。役目が終われば去る者が多く、彼らは軍の中で一定の権力を得る為の派閥を作れず、また必要ともしていなかった。
同様、現在の提督、つまり艦娘に指示を出せる存在も一種の専門職だ。それも天賦の才に頼るしかない脆い物である。手繰り寄せた縁を無駄にしない為、軍は提督の為ある程度の餌を用意しなければならなかった。それが、少佐待遇からのスタートだ。
ただし、それは見せ掛けだ。大将になろうと、元帥になろうと、艦娘を率いる提督と言う立場にある限り、提督は階級待遇を受けられても軍閥政治の中で権力を得られない。
当然だ。彼ら提督の有する戦力が馬鹿げているからだ。それを受け入れる派閥がもし存在してしまえば、あとは泥仕合だ。互いが互いを牽制する為に提督の奪い合いになり、自身の価値を理解した提督が暴発しかねない自体に陥る。それを未然に防ぐ為、提督には待遇階級しか用意されないのだ。ちなみにこれは、長く軍にいると徐々に見えてくる不文律で、大抵の提督が若いうちに一度は足をすくわれる物事でもある。
「しかし、そうなると上に行こうとする野心家には受けがわるいのでは?」
「その場合、艦娘と縁を切って普通の士官になるしかありませんよ」
「……そういった人物が、過去に?」
「いいえ、自分が知る限りでは、皆最後まで提督でしたなぁ」
例えば、片桐中尉のかつての上官の様に。片桐中尉などは、口に出したことは無いが常々思っている事があった。
「貴方は、どうされますか?」
「やめませんよ、提督は。上に行くのは艦娘達のためなのに、そのために提督を辞めちゃあ本末転倒じゃあありませんか」
だろうともさ、と片桐中尉は頷いた。常々、彼は思っていたのだ。
艦娘を指示する才能を天が与えたと人はいうが、艦娘達が提督を選んでいるだけではないのか、と。効率を求める提督の下に効率を求める艦娘が集まり、戦いを求める提督の下に戦いを求める艦娘が集まる。そうではなく、そういった人材を艦娘達が選別しているとするなら、今現在の様々な鎮守府や泊地の在り方に説明がつくのである。ただ、それらから漏れる鎮守府なども在るにはあるが、少数だ。片桐中尉は、案外自分の考えは妄想や夢物語りの類ではなく、当たりではないのだろうかと胸中で苦笑を零しつつ、皿に盛られたから揚げを口に放り込んだ。
「じゃあ、僕らって結婚どうするんでしょう……?」
「……まぁ、普通はうちの元上官の様に、艦娘と結婚ですな」
世界が変われど、変わらぬ物がある。職場結婚などどこにでも転がっている至極当然と世にある物だ。提督にとっての職場とはつまり艦娘達の職場でもあり、自然そうなってしまうのだ。
それを恵まれた楽園と思うか、閉じられた箱庭と思うかは、人それぞれだろう。
「……」
「まぁまぁ、貴方の様な若い提督なら、まだケッコンカリもしておられないでしょうから、考える時間はまだありますよ」
「…………」
「……」
「……」
「え、もしかして?」
提督は黙って頷いた。着任一ヶ月ほどで艦娘とケッコンカッコカリ済みというのは、片桐中尉が知る限り快挙……であるが、何故か片桐中尉はその情報をさほど重い物として受け取れなかった。受け取れなかったどころか、いつの間にかそんな物かと受け入れていた。何か無理やり修正された様な物であったが、それは片桐中尉には分からぬ事である。
「子供が産めるのは前に知りましたけど……まさか結婚も可とか……」
いつぞや、大淀がこういった会話の後執務室から慌てて退室していった事を思い出しながら提督は重い溜息を吐いた。ちなみに、提督はその後も特に説明を受けていない上に、最近では各艦娘の左手薬指のサイズを記した書類を渡されたばかりである。外堀はじわじわと埋められていた。
「あの、ケッコンカッコカリって、こっちだと――あぁいえ、艦娘と提督的には、どういった意味が……?」
「……事実婚、です」
提督はもう何も言わず、テーブルに突っ伏した。彼にとっては、ケッコンカッコカリの相手である山城は確かに嫁は嫁であった。ただしそれは二次嫁という奴だ。挙句彼は申し込んだ際お断りされている。格別思いが無いとは言わないが、色々と考えてしまう相手でもあった。
「艦娘の人権――扱いはまぁ、難しいところでして。法律上の結婚は無理ですが、あの指輪を送る事で事実婚としている状態でありますよ。うちの元上官なども、最終的には全員と結んでおりましたし」
「うぼぁー……まじかー……まじですかクマー」
何かに浸食され始めた提督を放って、片桐中尉は年若い提督を肴に次の焼酎を飲み始めた。
この提督は見ていて実に面白いのだ。提督ほどの年頃なら事実婚もそう珍しい物ではない。戦場が常に傍にある人種と言うのは、死が近い分血を残す、または家族を作ると言う事が早まる傾向にある。
まして海軍となれば、その源流にあるのは薩摩の血だ。
明治維新後権力を手中に収めた薩長は土州を排除し陸軍と海軍を二分して掌握した。特に海軍はあの元勲西郷隆盛の弟、西郷従道を頭においたのだ。
そのためだろう、海軍男児というあり方はどうしても薩摩男児に近くなってしまった。南の男特有の懐の深さを持ちながらも、好戦的で生き恥を晒す事を恐れ、自らの艦と運命を共にしたがる。勿論昔の事で今はそんなことはないのだが、大本営を含む多くの人々の記憶にある海軍男児とは、快活とした薩摩男児なのである。
為に、人々の理想にそい、或いは海軍男児らしく生きようとすると、どうしても海軍の男は太く短い人生になりやすい。特に戦中となれば顕著だ。艦娘との間に子が出来ぬと知っていながら、それでも結んでしまうのは、情の深さと生の短さに原因がある。
「で……どの艦娘とケッコンカッコカリを?」
「……山城さんです」
「あぁ、あぁあああああー……」
提督の返した名前に、片桐中尉は顔を覆った。今度は片桐中尉が、しまった、といった相だ。
航空戦艦娘山城という艦娘は、個体差もあるが殆どが潔癖気味で情の深い艦娘だ。姉である扶桑に向けられていた想いを提督にも向けた場合、その愛は片桐中尉が知る限りでは相当に深くなる。その反面、というべきかどうか、実に嫉妬深くもあるのだ。
正直、ケッコンカッコカリ艦にもっとも向かない艦娘である。
戦力を求めるなら、複数とのケッコンカッコカリは必要な処置でもある。ただし、山城の愛情に応える為には、他の艦娘とのケッコンカッコカリは、そこに愛は無いと断言しなければならない。
感情を持つ、乙女相手に、だ。指輪を送っておきながら、だ。
ただ、これは山城だけに限った話ではない。大井でも金剛でも白雪でも同じだ。
それをどう裁くかも、提督の手腕の一つである。しかし、それでもやはり山城は不向きだ。と片桐中尉は思った。殊女性経験も浅そうな、というか無さそうな眼前の提督には、もっとも不向きな相手であったと彼は素直に思った。その思いがぽろりとこぼれた。
「これは……やってしまいましたなぁ」
「……片桐さん」
「はい?」
名を呼ばれた片桐は、おや、と首をひねりながら提督を見た。顔を上げた提督の目には、常にない何かが宿っていた。
「僕の山城さんを、やってしまいました、は止めてください」
「……失礼」
付き合いは短いが、片桐中尉はこの提督が好きだった。好きだからこそ、彼は頭を下げた。一個人、片桐としてだ。
「……いえ、僕もかっとしまして……申し訳ありません」
提督もまた、頭を下げた。待遇とはいえ少佐にある者が、中尉の片桐にだ。片桐は提督のこういう所が好ましく思えるのだ。階級を感じさせないように私服に着替え、気軽にと居酒屋に腰をおろし、まるで自身を先輩の様にしたい、だからこそこういった相談をよせてきた提督を。
「しかし……話が結構反れてしまいましたなぁ」
「あぁー……ですねー」
常に戻った様子の提督に、片桐中尉はにやりと笑う。その顔に何か見たのだろう。提督は首を叩きながら少しばかり身を正して片桐中尉の次の言葉を待った。
「女性と出会いがない、ですか。これはちょっとそちらの艦娘達と相談したほうが良いかもしれません」
「やめてくださいお願いします」
片桐中尉の言葉に、提督は本気で頭を下げた。発言の意味を、女扱いしていない、として理解したら幾らなんでも提督の艦娘達でも怒り狂うだろう。いや、提督の艦娘だからこそ、と言うべきか。兎に角そうなるに決まっているのだ。女性関係に疎い提督でもその程度は理解できる。
先ほど片桐中尉が発した言葉は、提督としては決して外に漏らしてはならぬ機密だ。
提督は慌てて店員を呼び、片桐中尉に言った。
「もうなんでも頼んでいいんで、お願いします」
「ほほーう……それじゃあ、お言葉に甘えますかな?」
とはいっても、片桐中尉ももう若くない。今でも健啖ではあるが食は衰えだした頃だ。彼は軽いものとビールを頼んでこれで手打ちとしたのである。
ほっと息を吐いた提督は、話題を変えようとして二人の共通の人物の名を出した。
「で、彼はその辺り如何するんでしょう?」
「坊ちゃんは……家庭がそもそもそういう物だったから、問題ないとは思いますが。ただ……ちょいと親父さんとは毛色の違う家庭を築きそうな気は……するんですがね?」
「あぁー……」
提督は姿を見たことがないが、片桐中尉から聞いてはいる。少年提督の父親は海軍男児らしいがっしりとした男であったらしい。となると、それとは正反対の少年提督の家庭となれば、確かに父とはまた違った物が出来上がるはずだ。
それにしても、片桐中尉の言い方は、何か先が見えているような言い方であった。
「えー……その、最近彼に何か?」
「……最近、建造で愛宕が着任したんですが」
「いえ、分かりました。それ以上はやめましょう」
「……助かります」
お互い頭を下げた。ただ、片桐中尉がどこか可笑しそうな顔をしているので、提督は首をかしげて少しばかり目で促してみた。すると、片桐中尉は頷いて応じた。
「けどまぁ、男女の差はありますし、愛宕はそうがっちりもしてないんですが……こう、昔の、提督と白雪が一緒に並んでた頃を思い出したりもして……逆なんですがね、絵面も。でも……どうしようもなく楽しみでもあるんですよ、坊ちゃんのこれからが」
片桐中尉は少年提督の部下であり、父親ではない。それでも、年の離れた兄の様なつもりなのだろう。弟分の姿に、元上官の姿が重なるのがたまらなく嬉しいらしい片桐中尉の相に、提督は何も言えなくなった。
だから彼は、片桐中尉が追加注文したビールを、空になった彼のコップに注いだ。片桐中尉は潮に焼けた顔に男くさい笑みを浮かべ、提督も生白い顔に腑抜けた笑みを浮かべ、意味もないのにお互い声を上げて笑った。
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