至誠一貫
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第一部
第二章 ~幽州戦記~
七 ~酒宴~
前書き
2017/8/20 全面改訂
翌朝。
私は愛紗を連れ、董卓の陣へと向かった。
「まだ、ご主人様が私の中におられるようで……」
ふむ、かなり歩き辛そうだ。
「無理をするな。返事をするだけなのだから、私だけでも良い」
「いえ、これしきの事でご主人様のそばを離れる訳には参りませぬ。それに、董卓という人物も見ておきたいのです」
「そうか。だが、董卓の前でその歩き方は好ましくないぞ?」
「それは、何とか致します。ご懸念には及びません」
愛紗は、変わろうとしている。
ならば、無理に押しとどめる事もあるまい。
「それならいい。行くぞ」
「はっ!」
……だいぶ、硬さが取れてきたやも知れぬ、な。
「おはようございます、土方さん」
「はっ。董卓殿にも、お変わりなく」
今日は、見慣れぬ将も一人、加わっていた。
張遼とは違うが、胸当てと腰周りだけの鎧という出で立ち。
本人にそのつもりがあるのかどうかは知らぬが、何とも扇情的ではある。
鋭い目つきと華奢な体格に似合わぬ大きな斧が、只者でない事を物語っている。
皆そういう訳ではないのかも知れぬが、どうやらこの世界は女子が上に立つのが当たり前らしい。
……さぞや私は奇異に映る事であろうな。
そんな私の思いを悟ったのか、当人が名乗った。
「私は董卓麾下の将、華雄だ」
華雄?
咄嗟に、私は愛紗の顔を見た。
「ご主人様? 私の顔に、何か?」
「……いや」
……ふむ、あの華雄か。
しかし、因果なものだ。
いずれ、遣り合うやも知れぬ二人が、こんな形で対面する事になるとはな。
「私は関羽、字を雲長と申します。よろしくお願い致します」
凛としていて、それでいて硬さを感じさせない挨拶だ。
確実に、良い傾向が出ていると言えるな。
「はい、こちらこそ」
それから、董卓は私を見据える。
「それで、土方さん。お返事の方をお聞かせ願えますか?」
「はい。董卓殿の申し出、お受け致す」
そう答えると、董卓は柔らかな笑みを浮かべる。
「そうですか。ありがとうございます」
「いや、お礼を述べるのは拙者の方でござる。よしなに、お頼み申す」
「それで、糧秣の方だけど。ボク達で一旦、預かる形にさせて貰うわ」
「うむ、それで結構。昨日参った郭嘉が量を確かめております故、打ち合わせを願いたい」
「わかったわ。兵の方は、霞と華雄で協力して」
「よっしゃ。ほな、この後で土方はんの陣に邪魔するわ」
「わかった」
張遼は一軍の将として、風格を漂わせている。
愛紗達も、きっと得るところが大きいだろう。
「では、細かい事は追々詰めていくとして。一度、軍議を開きたいと思います。如何でしょうか?」
「拙者に異存はござらぬ」
「わかりました。それではまた今晩、お越し下さい。他の将の方も含めて」
「はっ!」
見た目は可憐だが、やはり毅然としている。
間違いなく、董卓も傑物なのだろう。
陣に戻ると、廖化が出迎えた。
「御大将!」
「どうした?」
「へい。程遠志のところにいた連中なんですが、御大将について行きたい、って奴が存外いやして」
「数はどのぐらいだ?」
「ざっと、五千ってとこで」
そうなると、元韓忠麾下と合わせると、八千か。
「流石に多すぎますね、ご主人様」
「そうだな。よし、選り分けの為の鍛錬を始めるか。皆を集めてくれ」
「はっ!」
天幕に、皆が顔を揃えた。
廖化には、元黄巾党の兵を集めておくように指示しておいた。
「正式に、董卓軍と行動を共にする事になった。まずは、それを伝えておく」
「はっ!」
「糧秣も十分にある。今のうちに、篩にかけて兵を選抜したい。稟、私は五千が妥当だと考えているが、どうか?」
「はい。歳三様に私も賛成です。ただ、五千に拘る必要はありませんが」
「無論だ。兵として見込みがあれば、より増えても構わぬ。逆に、五千を割り込む事もありそうだがな」
「それでお兄さん、選抜の方法なのですが」
「うむ。それについては」
「失礼致します。張遼将軍がお越しです」
と、兵士が告げた。
「丁度良い、ここに案内してくれ」
「はっ!」
入れ替わりに、姿を見せる張遼。
「軍議中やったら、ウチ遠慮した方がええんちゃうか?」
「いや、むしろ加わって欲しい」
「そうか? ほな、邪魔するで。あ、ウチは張遼、字は文遠。董卓軍の武官や、よろしゅうな」
そう言って、座に加わる。
「紹介しておこう。そちらが軍師の郭嘉、こちらは張飛だ」
「初めまして。よろしくお願いしますね」
「よろしくなのだ」
「さて。早速なのだが張遼、降伏してきた黄巾党の事について話していたのだ。稟、進めてくれ」
「はい。先だって討ち取った韓忠の麾下から三千、そして程遠志の麾下から五千が、我が軍への加入を志願しているのです」
「へぇ、併せて八千かいな。下手な郡太守の私兵より、数おるんちゃうか?」
「勿論、全員を受け入れるのは不可能です。それに、質の問題もあります」
「せやなぁ。賊ちゅうても、元は食い詰めた農民が大半やろうからな」
「ですから、選抜のためにこれから調練を行おうとしているのですよー」
「そこでなのだがな、張遼。一つ、協力して貰えないだろうか?」
「ウチに?」
「そうだ。見ての通り、我が軍は義勇軍。ここにいる者達も、大規模な軍を指揮した経験がないのだ」
「せやけど、土方はん。アンタは?」
「……些か、勝手が違っていてな。やはり、ここまでの規模となると正直、心許ないのだ」
私は、嘘偽りを言っているつもりはない。
新撰組は少数精鋭であったし、蝦夷共和国軍はそれなりの数が合ったとは言え、所詮は寄せ集め。
それに、私に全権があった訳ではなく、上位指揮官は大鳥殿であった。
仮に、私の手法に誤りがあっても、今の麾下ではそれを正せる者がいない、それが現実だ。
「けど、ウチかて騎兵の扱いやったら自信持てるけど、歩兵は専門外やで?」
「だが、少なくともこの大陸で、正規の軍を動かしている。その経験を、貸して欲しいのだ」
「せやなぁ……」
張遼は、頭をかいて、
「ウチだけで即答は無理や。一度、月達に相談してからでええか?」
「勿論だ。それは持ち帰って貰うとして、来て貰った用件だが」
「ああ、せや。アンタんとこの兵を、見せて貰おうって事やったな」
「稟、星、鈴々。案内と、現状説明を頼む」
「御意です」
「はっ!」
「わかったのだ!」
三人が出て行った後で、
「風。廖化は、誰かの下につけて副将として考えているのだが、どう思う?」
「悪くないと思いますよー。そのまま、黄巾党から選抜した兵をつければ、つけられた方も従いやすいでしょうから」
「うむ。それで愛紗、お前の下に廖化をつける」
「わ、私ですか?」
「そうだ。お前なら、きっと使いこなせる筈だ。やれるな?」
愛紗は、ジッと私を見て、
「畏まりました。ご主人様の期待に添うよう、努力します」
きっぱりと、言い切った。
「おやおやー? 愛紗ちゃん、廖化さんの事、避けてませんでしたっけ?」
「そうだったかな? だが、ご主人様の指示とあれば、それに従うまでだ。それが、臣下たるものの務め」
「そういう事でしたかー」
と、風は口に手を当ててニヤリ、と笑う。
「何が言いたい、風?」
「いえいえー。愛紗ちゃんも、女になるとこうも変わるのかなー、と」
「な、何をそのような!」
真っ赤になって反論しているが、あれでは白状しているようなものだ。
尤も、風相手では分が悪すぎるとも言えるが。
「今朝からどうも、愛紗ちゃんの様子がおかしいと思ったんですが。お兄さんの手にかかってしまった訳ですね」
「風、人聞きの悪い事を言うな。私は、そのような気持ちで愛紗を抱いたのではない」
「ご、ご主人様!」
「何を慌てている? それとも、愛紗は何か悔いているのか?」
「い、いえっ! 決してそのような」
「おうおう。兄ちゃん、やっぱり女泣かせか、やるじゃねえか」
風の頭上の人形が、喋った?
……いや、腹話術か。
「泣かせるつもりなどない。それははっきりと言っておく」
「ご主人様……」
惚けたような愛紗を見て、風が大げさにため息をつく。
「やれやれ、完全に惚気てますねー。でも、仕方ないのです。お兄さんはそういうお方ですから」
そして、私の前にやって来て、
「では、風もお兄さんに、同じ事をして欲しい、と言ったらどうしますか?」
「風。戯れは止せ」
「むー。戯れとは酷いのですよ、風はこれでも、愛紗ちゃんとはあまり歳が変わらないのですよ?」
「いい加減にしろ、風! ご主人様が困っておられるではないか!」
「愛紗ちゃん、焼きもちですか?」
「二人とも、止さんか。それよりも、愛紗。廖化の事、任せたぞ」
「御意!」
「風も、愛紗を手伝ってやれ。二人とも、無用な諍いは起こすなよ?」
「上手く誤魔化したつもりでしょうけど、風はしつこいですからねー」
……全く、女子の扱いは、いつになっても難しいものだ。
その日の夜。
皆打ち揃って、董卓のところを訪れた。
軍議を、という事だったが、
「その前に、一度交流を深めておこうと思ったんです。それで、ささやかですが」
と、ちょっとした酒宴の場となった。
「流石は月やで、話がわかるわ」
「うむ。わかり合うには、何よりも酒でござるな」
張遼と星は、早くも意気投合したようだ。
二人共酒好き、
「土方さんは?」
「私は、多少は過ごせますが」
「では、一献どうぞ」
「忝い」
注がれた酒は、無色透明。
日本酒や焼酎とは違うようだが……ふむ。
一口、含んでみる。
「む。なかなかに強い酒ですな、これは?」
「はい、白酒です」
「焼酎に似てはいるが……また異なるもののようですな」
「あの、焼酎とは?」
「米や麦、芋などから作る酒でござる。拙者の国では、消毒薬にも用います」
「これも、米や麦、エンドウ豆などが原料です。でも、違うんですよね?」
と言いながら、杯を干す董卓。
見かけによらず、酒豪のようだな。
「おい、お前も将なのか? まだ子供のようだが」
「鈴々は子供じゃないのだ!」
「だが、ここは戦場だ。面白半分では、命を落とすぞ?」
「へへーん、鈴々は強いから平気なのだ♪」
「ほう。自信があるようだが、ならばその実力、確かめてやろう」
「何だとー! お前なんか、けちょんけちょんにしてやるのだ!」
華雄と鈴々が、言い争いを始めてしまったようだ。
「鈴々、止しなさい。失礼ですよ」
「華雄も止めなさいよ。折角の酒宴が台無しじゃない」
稟と賈駆が止めるが、酒の入った二人は聞く耳を持たぬようだ。
「ならばその腕とやら、見せてみよ!」
「お前こそ、後で後悔しても知らないのだ!」
「あ、あの……。土方さん、どうしましょう?」
心配そうな董卓。
……いや、これはいい機会だろう。
「やりたいようにさせましょう。死に至らなければ良いだけの話です」
「ご、ご主人様。良いのですか?」
「ああ。鈴々、仕合は構わぬが、殺したり、大怪我を負わせてはならん。わかったな?」
「応なのだ!」
「ほう、これは格好の余興だな」
「せやな。華雄、油断したらあかんで?」
「誰に言っている、霞。私はこのようなチビに負けたりなどしない!」
「にゃにおーっ! 思い知らせてやるのだ!」
……華雄には悪いが、勝負は見えているだろうな。
「ちょ、ちょっと! アンタの臣下なんでしょ? 止めさせなさいよ!」
「いや、賈駆殿。見たところ、どちらもこのままでは収まりがつかぬと見ました。とことんやらせるが宜しいかと存ずる」
「し、知らないわよ! うちの華雄は、猪なんだから」
「にゃははー。お前、猪なのだ」
「え、詠! 余計な事を言うな! おい、土方とやら、このチビに勝ったら何とする?」
華雄は、ずいと身を乗り出してきた。
「華雄さん、失礼ですよ?」
「月は黙っていてくれ! さぁ、答えて貰おうか?」
「ふむ。では、この差し料を差し上げようか」
と、和泉守兼定を叩いて見せた。
「何っ? その得物をか?」
「然様。では貴殿はどうするのだ?」
「どう、とは?」
「賭をするのに、まさか一方的に、とは申しますまい? 貴殿も、何か出さねば、賭として成り立たぬかと」
「クッ。まさか、この金剛爆斧を寄越せと言うのか?」
華雄は、手にした斧を顧みた。
「いやいや。では、拙者の頼みを一つ聞いて戴く、というのは如何でござる?」
「頼み、だと?」
「然様。もちろん、命を戴こうとか、そういった類ではありませぬ」
「……し、しかし。お前のその得物は、命に等しいのではないか?」
「当然でござる。従って、拙者の頼みも、それに等しきもの、そう心得られよ」
「……わかった。その賭、受けるぞ!」
そして、対峙する二人。
華雄は、金剛爆斧と称する大きな斧を。
鈴々は、身長の数倍もの長さを誇る蛇矛を。
それぞれが、構えた。
「愛紗。どう見る?」
「はっ。華雄殿もなかなかの遣い手のようですが、鈴々に分がありましょう」
「星はどうだ?」
「ふふっ、主もお人が悪い。鈴々が負けぬとわかって、賭に乗られたのでは?」
「せやなぁ。土方はん、アンタもなかなか意地悪いで?」
張遼も、流石に二人の力量差を見抜いているようだな。
「だが、賭を申し出たのは華雄殿。拙者ではござらぬ」
「ま、ええけどな。ウチは、酒の余興に楽しませて貰うで」
「私もお付き合いしますぞ、張遼殿?」
この二人に付き合っては、自分が潰されてしまう。
愛紗と共に、鈴々を見守る事にする。
「行くぞ、チビ!」
「鈴々はチビじゃないのだ!」
「黙れ! はぁぁぁぁっ!」
唸りを上げて、大斧が振り下ろされる。
刃を潰した演習用のものではないから、当たれば無論、只では済むまい。
……尤も、鈴々の方は心配無用だろう。
「へへーん、そんな攻撃、見え見えなのだ!」
ひょいと、身軽にそれを躱す。
「おのれ、ちょこまかと!」
「逃げてばかりじゃないのだ! 行くぞーっ!」
蛇矛を構えた鈴々の表情が、一変する。
「うりゃりゃりゃりゃーっ!」
鋭く繰り出されるそれは、まさに怒濤の如し。
「な、何っ?」
辛うじて、華雄はそれを受け止める。
受け止めるだけ、大したもの……だが。
「勝負あったな」
「はい」
「ですな、主」
「なんやー、華雄もこの程度かいな」
皆が、そう言った瞬間。
地響きを立てて、華雄の大斧の先端が折れ、地面に落ちた。
「な、わ、私の金剛爆斧が……」
「だから言ったのだ。鈴々は、お前なんかに負けないのだ♪」
「くっ……」
ガクリ、と華雄は膝を突いた。
「土方……。約束だ、好きにするがいい」
「華雄殿。拙者は、貴殿とそのようなつもりで、約定をした訳ではありませぬぞ」
「し、しかし。私は、お前との賭に敗れたのだ……」
「そうですな。ですが、それは別の形でいただきます故」
「そうか……。では、私はこれで失礼させて貰う」
そう言うと、華雄は立ち上がり、ふらつきながら立ち去っていった。
「お兄ちゃん、鈴々、やったのだ!」
「ああ、見事であったぞ、鈴々」
何となく、その頭を撫でてやる。
「にゃー♪ お兄ちゃん、もっとやって欲しいのだ」
「撫でて欲しいのか? 構わんぞ」
「へへー」
……ふと、背後に寒気を感じた。
「お兄さん、いくら何でも、見境がないのです」
「主。私というものがおりますのに」
「ご主人様……。どういうおつもりですか?」
「歳三様が、幼い鈴々に手管を尽くして……ぶはっ」
「お主ら、何か勘違いしておらぬか? 私は、そんなつもりはないぞ」
「お兄ちゃん、もっと撫でて欲しいのだ!」
動き回って酔いが回ったらしく、鈴々は私に抱き付いてきた。
しかも、振り払おうにも……何という力だ。
……やむを得まい。
「鈴々、済まん」
「にゃ?」
手刀を、鈴々の首筋に当てる。
本来、この方法は相手に対して危険を伴うらしいのだが……やむを得ぬ。
「ふにゃ~」
どうにか、大人しくなってくれた。
尤も、無警戒だからこそ出来るのであって、普段の鈴々に対して通じるとも思えぬが。
「さて、そろそろお暇致そう。董卓殿、また明日お目にかかりましょう」
「え? あ、あの……ですが」
「この者を、寝かせつけなければなりませぬ故。では、御免」
私はそう言って、董卓に一礼し、踵を返した。
「ご、ご主人様。お待ち下さいませ」
「主。まだ酒が……」
「はーい、稟ちゃん。とんとんしましょうねー」
「ふがふが」
何とも締まらぬ、酒宴の終わりであった。
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