噂につられ
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1部分:第一章
第一章
噂につられ
よくある話だが今この街では所謂都市伝説が流行っている。皆顔を合わせればその話をしてばかりだ。そのせいで何か学業まで忘れられているふしさえある。
「今度はあいつが見たのかよ」
「ああ、そうらしいな」
噂話だが誰が見たのか誰が会ったとかそういう話になっている。こういう話の常で実際に見た人間はいないのだがそれでも話題でもちきりだった。
このクラスでもそうだった。皆教室のあちこちで話をしている。
「昨日も出たらしいわ」
茶髪を上で束ねた少し肌の焼けた女の子が言う。グレーのブレザーとスカートをかなりラフに着ている。この娘の名前を新条朝香という。クラスのムードメーカーと言っていい。
「それも学校に」
「それは嘘でしょ」
彼女の向かいの席に座る黒い髪を長く伸ばして濃い黒のアイシャドーをつけた女の子がそれを聞いて笑う。朝香の友人で名前を樋山玲子という。所謂悪友だ。
「幾ら何でも」
「いえ、本当に出たらしいのよこれが」
朝香はその玲子に真顔で言う。
「校庭にね。真夜中に」
「本当に!?」
「見たって人もいるし」
よく出る言葉だ。実際に見たのは誰かというとはっきりしない。こうした話はそもそも最初に誰が言ったのかすらわからないのだが今回もそうであった。
「本当よ」
「そうなの」
「そうなのよ。それでね」
朝香は真顔で玲子に話す。彼女は本気で信じているようである。
「十二時にいたらしいのよ」
「十二時にねえ」
玲子も信じるようになった。朝香が嘘を言っているのではないということはわかるからだ。少なくとも朝香本人は本当のことを言っているつもりなのである。
「それでにたにた笑っていたらしいわ」
「うわっ」
玲子はそれを聞いて思わず身体を引いた。同じく心も引いていた。
「それはまた」
「どう?これでわかったでしょ」
あらためて玲子に問う。
「出たって」
「ええ。本当に何処にでも出るのね、あいつ」
「妖怪だからね」
朝香は言う。
「何でもずっと昔からこの街にいるらしい」
「それも本当なの?」
「ああ、そうらしいな」
朝香の右手、玲子の左手から男の子の声がした。そこには一人のすらりとした長身の男の子が立っていた。青い詰襟のこの学校の制服をきちんと着ている。彼の名を浜中賢治という。
「浜中君」
「御爺ちゃんから聞いたんだ」
賢治は玲子の声に応える形で述べた。
「御爺ちゃんが子供の頃から出ていたって」
「そうだったの」
「ねっ、本当だったでしょ」
朝香はここぞとばかりに玲子に対して言う。
「昔からいるのよ。これが」
「何か夜出るのが恐くなったわ」
夜に出ると聞いて身震いする玲子であった。
「バイトがあるのに」
「逃げればいいじゃない」
朝香は軽い調子で彼女に言った。
「会ったら」
「無理よ」
玲子は顔を顰めさせてそれを否定した。
「だってあれでしょ?」
「あれって?」
「あいつ百メートルを三秒で走るのよね」
「ええ」
こうした都市伝説ではつきものであるが相手は異常に動きが速い。バイクよりも速い速度で追い掛けてくるという話もざらなのだ。この時もそうだった。
「絶対追いつかれるわよ。そうして」
「頭からバリバリとね」
「冗談じゃないわよ」
玲子はその整った口を尖らせて言った。
「まだ食べられたくないわよ」
「あたしはずっとよ、そんなの」
朝香もまた口を尖らせて述べた。
「食べられたい人間なんてそもそもいないわよ」
「そりゃそうだ」
賢治は朝香のその言葉を聞いて思わず笑った。
「僕だってそうだし」
「そうよね。けれど出るんだ」
「そこよ」
朝香は玲子の言葉に突っ込みを入れた。
「出るのよ。見たいような見たくないような」
「ちょっと朝香」
玲子は今の朝香の言葉に顔を露骨に曇らせてきた。
「あんた今何て言ったのよ」
「だから見たいような見たくないようなって」
朝香はしれっとして答える。
(そう言ったんだけれど」
「ちょっと、冗談じゃないわよ」
玲子はまた口を尖らせた。それでまた言うのだった。
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