銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第四話 敵の正体
ハインツは俺を一人にするのは心配だったのだろう。自分の家に連れて行こうとしたのだが、俺は断った。俺は一人になりたかった。誰にもそばにいて欲しくなかった。そして家に帰りたかった。俺が家に戻ってきたのは夜7時を過ぎていたと思う。食事は途中でとった。お互い一言もしゃべらず、ただ黙々と料理を食べた。
「エーリッヒ、私は帰るよ。本当に一人で大丈夫かい?」
「おじさん、父さんと母さんを殺したのは貴族なんだね」
ハインツの顔は引き攣っていた。遺体安置所ではハインツも警察も犯人のことは何も言わなかった。でも俺にはわかった。犯人が捕まったのなら警察は胸を張ってそういうだろう。犯人が判らなかったのなら、必ず捕まえるというだろう。何も言わなかったのは、知っているが捕まえられないということだ。すなわち、貴族。それもかなりの大貴族だろう。
「おじさん、僕には知る権利があるはずだ。僕の父さんと母さんのことなんだよ」
隠し切れないと思ったのだろう。疲れた表情でハインツは静かに話し始めた……。
カール・フォン・リメス男爵という人物がいる。そこそこ裕福な貴族だった。年齢は84歳。ここ半年ほど前から体の具合が良くなくベッドに横たわることが多くなっている。息子は10年前に死去するという親不孝をしていたが、孫息子が2人おり相続の心配は無かった。長男のテオドールは跡継ぎとして祖父とともに暮らしており、次男のアウグストは軍に入っていた。長男は跡を継ぎ、相続権の無い次男は自分の力で身を立てるのは貴族社会の常であるから、リメス男爵家もごく普通の貴族と言っていいだろう。
ところが1ヵ月ほど前、テオドールが死んだ。事故だった。乗馬中に障害を飛び損ねて落馬、首の骨を折って即死だった。老人にとってはショックだっただろう。しかし孫息子はもう一人いる。リメス男爵はイゼルローン要塞に配属されていた次男のアウグストに対し、葬式に出席しリメス男爵家の跡継ぎになるようにと連絡をした。
連絡を受けたアウグストは喜んだ。いつ戦死するかわからない軍人などより、男爵家の跡取りの方がどれほど良いか。俺もその気持ちは判らないではない。しかし、彼は喜びすぎた。連絡を受けた日の夜、アウグストは酒場で祝い酒を飲んだ。周りにも奢り大騒ぎをしたらしい。しかし、同じ酒場にアウグストと仲の悪い人間がいた。
その男がアウグストを皮肉った。「自分の兄の死がそんなにもうれしいか? 卿が殺したと思われるぞ」。アウグストは心外だったろう。彼は男爵家の跡継ぎになれたことを喜んだのであって、兄テオドールの死を喜んだのではなかった。たちまち殴り合いが始まった。両者ともかなり飲んでいたらしい。周りの制止も振り切って殴りあったという。
翌朝、アウグストは起きてこなかった。最初は二日酔いかと周囲は思ったが、昼過ぎても起きてこない。彼の部屋に連絡を入れても通じない。心配した同僚が彼の部屋に行くと、アウグストは冷たくなって横たわっていた。急性頭蓋内血腫だった。リメス男爵家の跡継ぎになる喜びを抱えたまま死んだのだ。幸福だったのか、不幸だったのか。
1ヵ月の間に跡継ぎがいなくなり当主が病弱な老人となれば、男爵家の継承を狙ってハイエナどもが動き出すには十分だった。この場合ハイエナというのはリメス男爵家の親族だ。リメス男爵には妹が三人いた。それぞれヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家に嫁いでいたが、みなハイエナになった。陰惨な相続争いが発生したのだ。
自分が男爵家を手に入れるために使用人を取り込む、自家を推薦させる、他家を貶める、リメス男爵の考えを知ろうと盗聴する、日記を盗み見る。リメス男爵家の執事は男爵とは70年以上の主従関係にあった。主従というよりは親友であっただろう。使用人たちを厳しく監視し、男爵家のためにならないと見れば容赦なく叩き出した。
そしてある日、死体となって発見された。男爵が殺されなかったのは皮肉にも彼らの貪欲さのおかげだった。リメス男爵が後継者を決めずに死ねば、男爵家の財産は三等分され、爵位は返上される。リメス男爵家はそこそこ裕福な家ではあったが三分の一ではあまりにもうまみが少なかった。彼らはすべてを欲したのだ。
こうした状況はリメス男爵にとって地獄だったろう。孫息子二人を無くし、親友である執事まで失い、周りには信用できない使用人が溢れている。彼は自分を地獄に落とした親族を呪い、復讐を誓った。彼ができる唯一の復讐は爵位及び財産の国家への返上だった。ここで俺の両親が登場する。俺の父はリメス男爵家の顧問弁護士をしていた。有力貴族の顧問弁護士というのはそれなりに評価される。ハインツと父の法律事務所がそれなりに繁盛していたのもリメス男爵家のように顧問弁護士をしている家が他にも何家かあったからだった。
当然ハイエナどもは父に対して色々と見返りを提示して協力を依頼したが、父はリメス男爵の意向に従うと返答し相手にしなかったようだ。それもリメス男爵が殺されずにすんだ一因だろう。顧問弁護士が見返りに目が眩んで勝手に養子縁組の手続きをすることだってありえたのだ。
リメス男爵にとって父は信頼できる人間だった。男爵は父に典礼省へ爵位、財産の返上の手続きを取ってくれと依頼した。もちろん極秘でだ。そしてハイエナどもが気付いたときにはすべての手続きが完了していた。彼らはリメス男爵の判断を呪い、自分たちの相続の正当性を訴え、父を憎悪した。平民風情が我々の正当性を否定するのかと。
「それで父さんと母さんを殺したの?」
「多分、いや間違いなくそうだ」
「どこの家がやったの」
「それは……判らない。一番怪しいのはヴァルデック男爵家だと思うが……」
「何故」
「ヴァルデック男爵家は先年事業に失敗し、かなり負債を負ったらしい。それに、あそこが一番リメス男爵家に執着していたのは事実だ」
「エーリッヒ。悔しいだろうけど復讐は諦めなさい。貴族を敵に回すのは危険だ。コンラートもヘレーネもお前の幸せを祈っているだろう。最高の復讐は幸せになることだ、という言葉もある。いいね」
「……うん。ありがとう、おじさん」
「明日、また来るよ。これからのことも考えないといけないからね」
「そうだね。これからのこと考えないとね……」
ハインツは安心した表情をして帰っていった。話すことでほっとしたということもあるのだろう。ハインツの言うとおり、これからのことを考えなければいけない。あいつらを没落させ、俺自身が幸せになる方法を。
「ローエングラム体制が発足し、門閥貴族どもが没落するまであと11年か……」
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