真田十勇士
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巻ノ二十一 浜松での出会いその十二
「あの御仁に相模のことを話したが」
「小田原にですな」
「行かれる様に」
「そして箱根にも」
「そう仰言いましたか」
「そうであったが東国には一人高僧がおられる」
浪人の今度の話はこうしたものだった。
「天海という方がな」
「南光坊天海殿ですか」
「お話は少し聞いたことがあります」
「五十近くで相当な学識があり」
「法力もあるとか」
「うむ、生まれは確か陸奥で蘆名家の方だったか」
浪人の言葉はこれまでとは違い今一つ歯切れのよくないものになっていた。
「その辺りははっきりせぬが」
「その学識と法力はですな」
「相当なもので」
「しかもその御心はですな」
「慈悲深く優しい方と聞いておる」
天海はそうした者だというのだ。
「決して悪しき方ではない」
「そうなのですな」
「天海殿は」
「近頃都の南禅寺にじゃ」
浪人は今度はその顔を曇らせた、整っているその顔をそうさせて言ったのである。
「学識はおありじゃがな」
「はい、その心根は非常に剣呑で」
「陰謀を好むと聞いております」
「以心崇伝殿ですな」
「あの方ですな」
「あの御仁とは違う様じゃな」
それが天海だというのだ。
「曲学阿世でもないという」
「そうですな、近頃徳川家でも」
「おおっぴらには言えませぬが」
「あの親子じゃな」
あえてだった、浪人は名を出さなかった。こう言っただけだった。
「お二人共、特にご子息殿はな」
「非常にです」
「陰湿で剣呑な方です」
「崇伝殿と同じく」
「奸があります」
「徳川家に謀反は企てぬが」
それでもというのだ。
「あの御仁はな」
「決して、ですな」
「家康様のお傍におらぬ方がいい」
「そうですな」
「わしはそう思う、謀も必要じゃ」
戦国の世だ、そうしたものも使わねば生きていくことは出来ない。それは徳川家にしても同じなのだ。
だがそれでもとだ、浪人は言うのだ。
「しかしな」
「それでもですな」
「崇伝殿やあのお二人の様な謀は」
「それにしても汚い」
「棟梁はそう仰るのですな」
「そうじゃ、我等忍は影」
この世の、とだ。浪人は言った。
「しかしじゃ」
「その影の者達でも」
「矜持があります」
「誇りが」
「しかしあの方々にはそれがない」
矜持や誇り、そういったものがというのだ。
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