ドリトル先生の水族館
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第十一幕その九
「僕がそこから調べたことじゃないからね」
「それじゃあなんだ」
「実際に先生自身が調べないと駄目なんだね」
「グソクムシさんがどうして何年も食べなくて平気なのか」
「その理由を」
「だからまた行くよ」
グソクムシさんのところにというのです。
「御飯を食べたらね」
「そのスパゲティを食べたら」
「そうしたらなのね」
「またグソクムシさんのところに行って」
「それで調べるのね」
「そうするよ、午後のお茶の時間も挟んで」
三時のそれもというのです。
「閉館の時間まで調べたいね」
「じっくりとね」
「そうしてだね」
「グソクムシさんが食べないで平気な理由」
「それを論文に書くんだね」
「そうするよ、グソクムシ君をじっくりと観て」
そしてというのです。
「飼育日記なんかもね」
「それもなんだ」
「観て、なんだ」
「そしてそのうえで」
「調べるんだ」
「そうするよ」
こう言うのでした。
「係の人が毎日つけてくれている飼育日記もね」
「そうしたものも調べて」
「そしてだね」
「全部確かめてから」
「そのうえで」
「僕は動物の言葉についても調べて書いているけれど」
それでもというのです。
「グソクムシ君の言葉についても書くつもりだけれど」
「それでも直接聞いたことは」
「自分自身で言っていることだから」
「そのまま書けない」
「鵜呑みには出来ないんだね」
「証言は重要だよ、けれどね」
それでもというのです。
「それだけを鵜呑みにせずに実際かどうか検証する」
「それが、なのね」
「重要なんだね」
「事実を確認するには」
「それが学者さんのお仕事だね」
「そう、若し当人の証言だけで論文、マスコミだと記事だね」
先生はマスコミのこともお話しました。
「そこに事実じゃないことも入るかも知れないんだ」
「つまり論文や記事に嘘を書いちゃうんだ」
「そうしたことになってしまうんだ」
「それは学者としてもマスコミ関係者としてもあってはならないことだからね」
そのことは絶対だというのです、先生はスパゲティを丁寧に左手に持っているスプーンに上に右手に持っているフォークに巻きつけたパスタを置いてから奇麗に食べています。
「だからね」
「そのことはだね」
「気をつけて」
「そして書かないといけないんだね」
「嘘を書いたら学者じゃないよ」
先生は断言しました。
「絶対にね」
「そして新聞記者でもない」
「そうなんだね」
「どうも日本では違うみたいだけれどね」
「学者さんや新聞記者がなんだ」
「嘘書くんだ」
「特に新聞記者、テレビの報道番組を作っている人達はそうだね」
こうした人達はとりわけというのです。
「証言を検証せずに報道したり時には証言の内容を変えていたりするね」
「それ変えたら駄目じゃない」
「もうわざと嘘吐いてるじゃない」
「嘘を世間に流してるの!?」
「日本じゃそんなことが許されてるの!?」
「インターネットが普及するまでマスコミはそうしたことを思うがままに出来たんだ」
そうした嘘を報道することがというのです。
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