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至誠一貫

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第一部
第二章 ~幽州戦記~
  四 ~誘(いざな)い~

 
前書き
2017/8/20 全面改訂 

 
 翌朝。
 稟と愛紗を連れ、朱儁の陣に出向いた。

「止まれ! 何者か!」

 入口にいた兵が、誰何(すいか)する。

「義勇軍指揮官の土方と申す。朱儁将軍にお取り次ぎ願いたい」
「義勇軍だと?」

 (いぶか)しげに、そして僅かに蔑むような眼。

然様(さよう)。貴軍が対峙していた黄巾党について、お話がある……と」
「わかった。そこで待つがよい」

 そう言って、兵士は陣の中へ入っていく。
 その姿が見えなくなったところで、愛紗は憤慨した。

「なんだ、あの態度は」
「愛紗。我らは規模も小さい上、正規軍ではありません。侮られても仕方ないでしょう」
「し、しかしな。我らがご主人様はただの御方ではない。あのような、取るに足りない者にまで蔑まれるとは」
「止せ、愛紗。稟の申す通りだ」

 私の言葉に、愛紗は拳を握りしめながらも、

「……ご主人様の仰せならば」

 どうにか、堪えてくれた。

「待たせたな、朱儁将軍がお会いなさる。くれぐれも、粗相のないようにな」

 どうやら、目通りが叶ったようだ。
 屈辱に肩を震わせる愛紗の肩を、軽く叩いた。
 忠義に篤いのはいいのだが、少々度が過ぎるな。
 一度、改めて諭しておかねばなるまい。
 稟は眼鏡をクイクイと上げるだけ、冷静なものだ。
 と思いきや、小声で私達に囁いた。

「……私とて、無念とは思います。それ故、いかに見返してやろうか、そう考えるまでです」

 どうやら、稟なりに怒っているらしい。
 冷静に見えて、案外激情家なのかも知れぬな。



「私が朱儁だ」

 通された天幕の中央にいたのは、やはり女子(おなご)
 愛紗や稟には劣るが、なかなかの美形だ。
 ……が、共に入った愛紗と稟を見て、少し落ち込んだような表情を見せた。
 視線の先は……胸か。

「初めてお目にかかる。拙者は義勇軍指揮官、土方。こちらは関羽と郭嘉にござる」

 初対面と言う事もあり、こちらが礼を取る。

「うむ。それで、黄巾党の事で話があるそうだな」
「はい。昨日、将軍は奴等と一進一退の攻防をなさっておられた御様子」
「貴様、無礼であろう! 雑軍の分際で!」

 隣にいた、副官らしき男が怒鳴る。

「止せ」
「し、しかし将軍!」
「止せと言っている。それに、この男の言う事は事実だ」

 そして、朱儁は私を見据えて、

「確かにそうだ。今日こそ、奴等を叩かねばならん。今、斥候を出しているところだ」
「その儀なら、無用かと存じます」
「ほう、何故かな?」
「はい。我らが今朝、討ち破りました故」
「何だと、出鱈目を言うな! 貴様らごとき雑軍に、何が出来る!」
「そうだそうだ! 官軍の我らですら手を焼く多勢だぞ!」
「恩賞欲しさにでっち上げとは見下げた奴等だ! 引っ捕らえい!」

 周囲の将達が口々に騒ぎ立てる。
 そして数名の兵士が、槍や剣を手に向かってきた。

「ご主人様!」
「愛紗。構わんが、殺すなよ!」
「御意!」
「無駄な抵抗は止せ!」
「黙れ!」

 我慢していたせいか、ちと愛紗は手荒い。
 繰り出された槍を掴むと、そのまま兵士を放り投げた。

「うわわわっ!」
「おのれ、抵抗するかっ!」

 他の兵がかかってきたが……勝負になどなる筈もなく。
 得物がなくとも、一兵卒ごときに遅れを取る訳がない。

「き、貴様っ! 狼藉者だ、出会え、出会えっ!」

 一人の将が叫び、数十名の兵が雪崩れ込んできた。

「皆の者、静まれっ!」

 その一喝に、騒然としていた天幕の中が静かになった。

「私は、この男と二人で話がしたい。皆、下がっておれ」
「将軍、何を仰せられますか! 危険です!」
「このような得体の知れない男となど。せめて、我らだけでも」

 側近が、食い下がる。

「私は皆下がれ、と言ったのだぞ? これは、命令だ」
「……わかりました」

 不承不承と言った風情で、朱儁配下の者が天幕を出ていく。

「愛紗、稟。お前達も下がっておれ」
「ご主人様。しかし」
「下がりましょう、愛紗。ご主人様がどのような御方か、わかっているでしょう?」
「……わかった、稟。では。何かありましたら、すぐにお呼び下さい」

 全員が出ていったところで、朱儁が頭を下げてきた。

「済まぬ。あの程度でも将と呼ばれるのが、今の官軍でな」

 どうやら、私の知識にある朱儁とは、人物が違っているらしいな。

「いえ、お気になさらず」
「そうか、ありがたい。ところで黄巾党の件だが、まことか?」
「斥候を出されたのであれば、遠からず事実とおわかりになるかと」
「なんと。しかし、貴殿は義勇軍と聞いたが。我が軍よりも人数が揃っているとも思えぬが、どう戦ったのだ?」
「さしたる事はしておりませぬ。未明を以て夜襲をかけ、敵を混乱させたまで。そして、敵将を討ち取り、残りは降伏させました」
「ふむ……。貴殿が言われた通りかどうかは、斥候から確かめるとして」

 朱儁は、私を見て、

「貴殿、何処の出だ? いかに義勇軍とは言え、これ程の将が、今まで私の耳に聞こえて来ないというのは、どうにも解せない。それに、あの二人の配下も、ただ者ではないようだが」

 なるほど、伊達に高官にまで上り詰めた訳ではないようだ。

「私は、ここより遥か東、海の向こうにある島国の出です」
「では、蓬莱の国か? かつて、始皇帝が不老不死の妙薬を探す為に、徐福なる者を派遣したと聞き及んでいるが」

 蓬莱、か。
 昔話にあった『蓬莱の玉の枝』……恐らくはその蓬莱に違いあるまい。
 朱儁の言う国とは、間違いなく日の本の事であろう。

「徐福の件、私は寡聞にして知りませぬが、恐らくは我が国の事でありましょう」
「そうか。それならば合点が行く。では、先程の二人も貴殿の国の者か? 片方はかなりの腕前、眼鏡をかけた方も切れ者の軍師と見たが?」

 ふむ、賄賂や血縁だけで将になった者とは流石に違うか。

「いえ、どちらもこの大陸の住人。私につき従う事を約定し、義兄弟の杯を交わした仲でござる」
「いや、私の知る限り、官軍にもあれだけの者は数える程でな。それを配下に持つ貴殿もただ者ではないようだ」
「はて、私はさほどの者ではござらぬ。買い被りでございましょう」
「ふふ、そういう事にしておくか。さて、まずは礼を述べねばなるまい。韓忠の首級(しるし)を挙げ、黄巾党討伐の功、少なからず。この事は、必ずや陛下に上奏しよう」
「お言葉、忝なく」
「本来なら、この場にて恩賞を……と言いたいのだが、それもままならぬのが今の官軍の有り様だ。許せ」
「……は」

 どうやら、私の知る人物とは違うようだ。
 少なくとも、信じるに足りる、とは言えるだろう。

「ところで、これから貴殿はどうするのだ?」
「このまま兵を募りつつ、独自に動くつもりにござる」
「ならば、我が軍に加わらぬか? 貴殿ならば、一軍を任せる器量と見た。今の我が軍には、まともに部隊を任せられる将がおらぬのだ。気位ばかり高いくせに腕も頭もからっきし、という輩ばかりでな」

 朱儁は、吐き捨てるように言う。

「それに、我が軍の一員となれば、武器も食糧も回せるし、俸給も考えるぞ。その程度であれば、私の権限でもどうにかなる」

 なかなか、悪くない提案ではある。
 鈴々は勿論だが、愛紗と星も一軍を率いる将としては経験不足が否めない。
 稟と風も、軍師としての資質は疑うまでもないが、机上の学問から抜け出せているかは、まだ未知数。
 それに、一番の問題は兵の錬度。
 つい数日前までは、手に鍬や鋤を手にしていた農民ばかりなのだ。
 戦は、場数が物を言う。
 その点、正規軍は戦闘が生業なだけに、一人一人の強さだけでなく、組織戦になった時に圧倒的な差がある。
 本来負ける筈のなかった幕軍が、政府軍に敗れた原因。
 泰平の世に慣れ過ぎて旗本八万騎が役立たずになっていた事、未だに刀剣中心で、近代戦への切り替えが出来ていなかった事が大きかった。
 だが、今の我が軍と幕府軍とは、事情が異なる。
 ……さて、どうするべきか。



「主。お帰りなさい」
「愛紗ちゃんも稟ちゃんも、お疲れなのですよー」
「お兄ちゃん、特に異常はないのだ」
「うむ、三人もご苦労だった」

 朱儁の陣を辞し、私達は皆の処へ戻った。

「歳三様。皆揃った事ですし、朱儁将軍との話、お聞かせ下さい」
「随分と話も弾んだようですからな。さぞ、上首尾であった事でしょう」

 愛紗が、白い眼で私を見る。

「愛紗、焼きもちなのだ?」
「な……。ち、違う!」
「おやおや。朱儁将軍は美しい方だったようでー」
「聞けば、二人きりでのひとときを過ごしたとか。そこで、きっと濃密なやり取りがあったのでは? 如何ですかな、主?」
「……星。見てきたように言うではないか?」
「おや。否定せぬのですかな? もっとも、主はかなり女を泣かせてきたようですがな」
「歳三様と朱儁将軍が二人きり……。どちらからともなく伸ばされる腕……。絡み合う視線……。そして触れ合う肌……。そして、そして……」

 む?
 稟の様子がおかしい。

「あー。お兄さんも他の人も、ちょっと離れた方がいいですねー」
「どういう意味なのだ、風?」
「すぐにわかる。さ、主も愛紗もこちらへ」

 何故か、にやつく星。

「恥じらう朱儁殿。だが、歳三様の魅力に抗しきれず、その手中に抱かれて、身体をまさぐられ……。あまつさえ、鎧を脱いで二人は……ああ、そんな……っ」
「風、星。稟は一体、どうしたのだ?」
「そうだ。離れろとは一体なんだ?」
「そして、乙女の柔肌に、歳三様の手が……。嫌がる朱儁殿の手を払い除け、そしてついに……ああっ!」

 盛大に、鼻血を吹き出す稟。

「り、稟?」
「はーい、とんとんしますよー」

 落ち着いて、風が稟の首を叩く。

「星! これは一体どういう事だ!」
「落ち着け、愛紗。稟はな、ちと妄想癖があってな」
「妄想癖って、何の事だ?」

 鈴々が頬を膨らます。

「……もしかして、先ほどの風と星が私を揶揄した事だけで、ここまで妄想をしたというのか?」
「そうですねー。稟ちゃん、想像力が豊かなのですよ。特に、こうした艶事になるとですね」
「このように、盛大に鼻血を伴う事になるのです。幸い、私も事前に風から聞いていたので、この衣装が朱に染まる事はございませんでしたが」

 あの白い衣服では、そもそも戦場で返り血を浴びるのではないか?
 いかに得物が槍とは言え、不可思議な事だ。

「はいはーい、稟ちゃん。詰め物しましょうねー」
「ふがふが」

 貴重品の筈の紙を、鼻に詰められる稟。

「手慣れているな」
「いつもの事ですしねー」
「いつもの事と言うが、この量は尋常ではないぞ、風? いつか、死に至るぞ」
「いくら風でも、稟ちゃんの病気を治す策は思いつかないのですよ、愛紗ちゃん」

 とは言え、いつもこの調子では、愛紗の言う通り、危険だろう。
 何か、よい手立てはないものか……。

「そんな事より、ちゃんと朱儁との話について、聞かせて欲しいのだ」
「おお、そうでしたな。それでは主、改めて」
「稟。もう、良いのか?」
「は、はい……。お見苦しいところをご覧に入れてしまい、申し訳ありません」

 本人がそう言うのなら、大丈夫なのであろう。

「では、話そう。まず、朱儁だが、我らの働きを認めた上で、彼女の軍への加入を打診された」
「おおー、それは重畳なのです」
「当然なのだ!」
「そうだな。自身の軍であれだけ苦戦した敵を、一夜にして討ち破ったのは事実」

 留守居の三人は、素直に喜んだ。

「……ですが、その割にはご主人様の雰囲気が、少し重かった気がします」
「愛紗もそう思いましたか。歳三様、一体何があったのですか?」
「うむ。……少し考えた末に、断った」

 私の言葉に、全員が一瞬、固まった。

「な、何故ですかご主人様! 朱儁軍は、歴とした官軍ではありませんか!」
「うむ。我らは兵も弱く、糧秣にも限りがある。その点、何かご不満でもありましたか?」
「いや。功は上奏を約束されたし、補給どころか俸給も考慮する、との事であった」
「破格の条件ですねー。稟ちゃんはどう思いますか?」
「確かに、悪くない話かと。素性の知れない義勇軍を、たった一戦でそこまで認めたのですから」
「お兄ちゃん、何故断ったのだ? 鈴々にはわからないのだ」
「そうだな。まず、朱儁自身の器量は大したものだが、周囲にいる将が悪すぎる。まず、あのまま我らが加われば、朱儁軍そのものの空気を悪くする懸念がある」
「……それは、ご主人様の仰せの通りでしょう」
「……ですね」

 同行した二人が、頷く。

「それに、朱儁軍の質に問題がある」
「質、ですか」
「うむ。正規軍とは言え、率いる朱儁の意に反して、士気は高いとは言えず、練度も今ひとつのようだ」
「…………」
「そこに、我らが加入すればどうなるか。恐らく、今までにない戦果を挙げる事だろう。皆がいる故にな」
「つまり、彼らの手柄を横取りする格好になる、そう仰るのですか? 歳三様」
「そう受け取られかねないのではないか?」
「鈴々達は、そんなつもりはないのだ。ただ、黄巾党をやっつけて、困ってる人達を救いたいだけなのだ……」

 鈴々の率直な言葉。
 それは、皆の気持ちを代弁したものであろう。

「だが、それをわかって貰えるような状況にはない。そう仰るのですな、主?」
「そうだ。これは、朱儁軍だけではない、恐らくは他の官軍も、似たり寄ったりだろう」
「むー。官軍の腐敗は、根深いものですからねー」
「そうなると、歳三様の判断は、正しいと言わざるを得ませんね」
「官匪か……。そのようなもの、早く打破せねばならんな」

 ままならぬものだな、物事というものは。
 理想を掲げ、それ故に失敗と転落の連続だった劉備。
 私が、その轍を踏む訳にはいかぬな。



 その日の深夜。

「ご主人様」
「愛紗か? このような夜更けに、どうした?」
「はっ、お休みのところ申し訳ございません。ご足労願えませぬか」
「どうしたというのだ、一体?」
「……朱儁将軍が、密かにお見えになりました」

 朱儁が?
 しかし、彼女は仮にも高官、密かでなくても、呼びつけられれば出向くしかないのだが。

「わかった。すぐに参る」

 私は寝所から身を起こし、手早く身支度を調えた。
 愛紗に付き添われ、陣の外まで出向く。

「土方殿。このような夜分に、済まぬな」

 紛れもなく、朱儁がそこにいた。

「如何なされました? 将軍ともあろうお方が」
「いや……。貴殿に、今一度問いたいと思ってな」
「何でしょうか?」
「決心は変わらぬか? 貴殿程の人物、やはり手放すのは惜しい。ただの将ではなく、副官として迎えたいのだが」

 副官、か。
 ……私の脳裏に、新撰組時代の事が浮かんだ。
 だが、あの時とは違う。

「そこまでのお気持ちは、誠に忝い。ただ、答えは同じでござる」
「……そうか。残念だな」
「申し訳ござらぬ。ですが、お察し下され」
「いや、私の方こそ、無理強いするつもりはない。……これを、受け取って欲しい」

 と、革袋を私に手渡してきた。
 ずしりと重い手応え。

「これは、金?」
「そうだ。少ないが、私からの志だ。今の私に出来るのは、この程度だ」
「……では、遠慮なく頂戴仕る」
「それでは、達者でな。またいつの日か、再会を楽しみにしているぞ」

 そう言い残し、朱儁は踵を返した。

「宜しいのですか、ご主人様」
「……言ったであろう、私の決意の訳は」
「……そうでしたね」

 何故か、愛紗は微笑んでいる。

「どうかしたのか?」
「いえ。ではご主人様、戻りましょう」
「うむ。この金は、朝になったら稟と風に相談致そう」
「はっ」

 ふと見上げた空には、無数の星が、瞬いている。
 ……寝る前に、一句捻るか。 
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