座敷牢
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6部分:第六章
第六章
「もう蔵なんて家の中にはありませんしね」
「全部なくなりましたね」
「一つも。ただ」
「ただ?」
「親父から聞いた話ですがね」
こう前置きしての話だった。
「端の蔵には出るって聞いてました」
「幽霊がですか」
「はい、出るって聞いてました」
そうだったというのである。
「それはね」
「幽霊ですか」
「古い家にはつき物ですね」
また笑っての言葉になっている。
「そうした話も」
「確かに。ただ」
「ただ?」
「噂ですしね。実際には幽霊も何もいなかったと思いますよ」
「何もですか」
「親父も何も聞いてませんし」
父の話もするのだった。
「全然」
「そうですか、全くですか」
「何もね。ただ」
「ただ?」
「そうした噂が出るには何かがあったんでしょうね」
こう客に話すのだった。
「そう思ったりもします」
「成程」
「さて、それでなんですが」
主はここでだ。笑ってまた話してきた。
「今日は何を買いますか?」
「ワインを」
それをだというのだ。
「それを下さい」
「ワインですか」
「それと燻製を」
肴はそれだった。
「それを下さい」
「わかりました。それじゃあそれを」
「ワインは何本で」
「ボトル二本で」
それだけだという。
「それだけ下さい」
「それじゃあ」
「そういえばここは造り酒屋ですが」
客は注文をしたうえでまた言ってきた。
「ワインもよく売ってますね」
「その婿入りしたひい爺様が好きだったんですよ」
「その人がですか」
「ひいひい爺様に飲ませてもらったのを随分と気に入りまして」
だからだというのである。
「それでなんですよ」
「成程、それでなのですね」
「そうです。そこからうちの店ではワインをよく扱うことになりました」
「そういうわけですか」
「今ではワインもかなり売れてますよ」
主の顔はにこにことしていた。
「我が家の主力商品の一つです」
「そうですね。よく売れてますね」
「ひい爺様あってですよ」
彼はその先祖について笑顔で話す。
「僕が生まれる随分前に死んでますけれどね」
「そうですか」
「さて、それじゃあ」
そのワイン二本とだ。肉の燻製を出したのだった。
「どうぞ」
「有り難うございます。今夜はこれを」
「飲まれますね」
「ええ、食べて」
そうするというのである。
「そうしますから」
「はい、じゃあそういうことで」
「酒はいいものですよ」
客は笑って話す。
「どんどん飲みますからね」
「それがうちの売り上げになりますね」
「そちらのひいお爺さん様様ですね」
「全くです」
二人は笑顔で話をしていた。彼等はその曽祖父を褒めるだけである。
しかしその時何があったのかは全く知らないのだった。それも全くである。知る筈もないことであった。
蔵もそこにあったものも今はない。何一つとして。そこにあったものは忘れられてしまっていた。完全にだ。
あの蔵があった場所にあるのはだ。公園だった。そこで子供達が遊んでいる。
「次はブランコに乗ろう」
「うん、そうしよう」
そこには明るい笑顔があった。だがそこにかつてあったものも誰がいたのかも子供達は知らないのだった。全ては遠い果てに消えてしまっていた。
座敷牢 完
2010・6・9
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