影男
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
5部分:第五章
第五章
「その黒い男の正体がわかったよ」
「えっ、わかったんですか」
「それでいるんだよな」
「いることは間違いない」
これは事実だと言う。
「しかしこの世界にはいないんだ」
「それは一体」
「どういうことなんだ!?」
「彼は。そのストーカーは」
「そのストーカーは」
「それで何処に」
「君達の中にいるんだよ」
こう二人に言ったのである。
「君達のね。その中にね」
「私達の中って」
「どういうことなんだ、そりゃ」
「つまりだね。君達は思い込んでいるだけなんだよ」
それだというのである。
「そのストーカーがいるってね。二人でね」
「私達が二人共そいつがいるって」
「思ってたってのかよ」
「最初はどっちが先に言い出したのかはわからないよ」
アーサーはそのことは調べなかった。それに調べるつもりもなかった。それよりもその二人だけが見えているという事実を考えたのである。
「けれど見えているのは」
「私は確かに」
「俺も」
「君達だけだったからね」
このことを指摘した。今度はそれであった。
「他の誰も見ていないし」
「それもあって」
「そうだってのか」
「まあね。考えてみればおかしな話だけれどね」
こうも言いはした。
「けれどね。君達は真剣に愛し合っている」
「ええ、それはね」
「その通りさ」
二人の表情がここでは明るいものになった。二人の仲について話すとこのこと自体はとてもはっきりとして話をすることができたのである。
「だって私達って」
「何もかもがぴったりと合うしな」
「そう、実に仲がいい」
アーサーはその仲についても言及した。
「仲がいい。まさにおとぎ話の王子様とお姫様みたいに」
「それは言い過ぎよ」
「王子様とお姫様って柄じゃないぜ」
二人は笑ってそれは否定した。
「ただの喫茶店の娘だし」
「修理工場をやってるだけだって。ハイスクールを出てすぐにな」
「いや、これは例えだよ」
だがアーサーはこう話すのだった。
「これはね。例えなんだよ」
「例え」
「そうなのかよ」
「そう、童話では王子様とお姫様は幸せになる」
アーサーは今度は童話の基本的な話の流れについて述べた。
「けれどそれまでには」
「それまでには?」
「障害があるね」
話が戻ってきていた。語るアーサーのその表情がそのことを二人に教えていた。
「例えば魔女とかね」
「魔女」
「ってことは」
「そう、君達は無意識のうちにその魔女を欲しがっていたんだ」
そうだったというのである。
「そしてその魔女が」
「あの黒い男だった」
「ストーカーだったのか」
「そういうことだったんだ。愛は障害がある方が燃える」
このことについても述べた。
「だからだよ。君達は無意識のうちにストーカーがいるって思ったんだよ」
「それでだったの」
「あれが出て来たってのか」
「そうさ。これで話はわかったね」
「いえ、ちょっとそれは」
「わかれって言う方が無理じゃねえのか?」
二人はいぶかしむ顔でこうアーサーに返した。
「私達がそんな奴がいることを望んでいたって」
「それは」
「その証拠に君達だけが見えていた」
しかしアーサーはその事実を述べる。
「それが何よりの証拠というわけなんだよ」
「そういうものなのかしら」
「それであんな奴が見えたのか」
「けれど君達はそれの正体がわかった」
アーサーはこんなことも言った。
「いないということもね。だからもうあの黒い男は見ないよ」
「そうなの。もう」
「いなくなったっていうのかよ」
「完全にね。幻は幻だってわかった時に幻じゃなくなる」
こんな言葉も出て来た。
「だからだよ。これで私の治療は終わったよ」
その言葉通り二人はもうその黒い男は見なくなった。そして二人はやがて結婚して仲良く過ごした。だがそれまでには確かにそうした障害があったのである。いなかったにしてもだ。
影男 完
2009・12・29
ページ上へ戻る