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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十六章 ド・オルニエールの安穏
  第二話 悲喜劇

 
前書き
 さて、今月中にどれだけ更新できるだろうか……? 

 
 ロシュローの森を過ぎた一角。
 トリステイン王国首都トリスタニアの郊外に位置するそこで、一人の男が立ち尽くしていた。
 彼はトリスタニアで貴族や裕福な商家を相手に不動産業を営むヴェイユという男であった。男が取り扱う不動産は、爵位が付いた“領地”ではなく、資金があれば誰でも購入する事が出来る“土地”であった。とは言え、土地は土地である。小さな土地であっても、購入するにはかなりの金額が必要である。そのためそうそう購入者が現れるわけではない。
 そんな男の下に、本日一組の客がふらりと現れた。
 女三人と男一人の良くわからない組み合わせの客であった。
 別に客がどんな者であっても構わないヴェイユであったが、客の一人の正体を知った時、彼は思わず小躍りしてしまいそうであった。何故ならその客というのが、この国でも三本の指に入る程の大貴族であったからだ。
 もし、こんな大貴族を客に持ったとなれば、その評判だけでも客を呼べる。
 ヴェイユは並々ならぬ意気込みで色々と物件を紹介した―――のだが……。
 
「……全然駄目ね。次は何処?」
「ちょっとあなたまともに見なさいよっ!! あんた全く屋敷を見てないじゃないっ! もう少し時間を掛けて判断したらどうなのよっ!」
「あ、あの~ミス・トオサカ。何故ここが駄目なんですか? ここ、今までで一番良いと思うのですが……その、キッチンも広くて綺麗ですし」

 ルイズとシエスタが口々に言うが、凛は全く聞く耳を持たない様子でヴェイユに向かって歩いていく。
 近づいてくる凛の姿に、ヴェイユは冷汗を流しながら何もかも投げ出して座り込みたくなっていた。最初は大貴族であるラ・ヴァリエール家の三女が相手かと思ったが、蓋を開ければ実は赤いトレンチコートを着た黒髪の女が相手だと判明した。それでも大貴族と一緒に来たとなれば、それなりの地位にあるものと考えこれまで色々と物件を紹介したのはいいが、紹介する度に大貴族の三女と口喧嘩をする始末。その何時爆発するかわからない殺気の嵐の只中で平然と出来るほど、ヴェイユは修羅場には慣れてはいなかった。
 ヴェイユがこの現状から抜け出したいと思うのは遅くはなかった。
 一刻も早く終わらせよう。
 その一心でヴェイユは秘蔵の物件を紹介したのだが、どれもこれも屋敷をまともに見ることなく切り捨てられる始末であった。
 そして、今もまた、ヴェイユが持つ物件の中でも最上級の屋敷を赤いトレンチコートを着た女―――凛が切り捨てた。

「はあ、最初から言ってるでしょ。重要なのは土地よ。家なんて後からどうとでもなるわ」
「土地って言うけど、土地としてもあなたさっきから景色なんてまともに見てないじゃないっ!」
「そこじゃないわよ……っていうか、何であなたついてきてるの? ついてくるのは士郎だけでいいって言った筈なんだけど」
「それはこっちのセリフよっ!! って言うか何であなたが家を買うのにシロウが必要なのよっ!?」
「士郎にはそこ(購入する家)で色々と手伝ってもらう予定だから、一応あいつの意見も聞いておこうかという親切心からよ」
「だから何でそうなるのよっ!!」

 髪を振り乱しながら叫ぶルイズを宥めながら、シエスタが助けを求めるように一同から離れた位置で一人黄昏ている男に顔を向けた。
 シエスタの視線の先には、肩を落とし何やら虚ろな表情で空を見上げる男―――士郎の姿があった。

「……はぁ……凛。トリスタニアはそれなりに広い。今日はもうこれくらいにして、また日を改めて見に来ないか?」
「何よ士郎まで、まだ日は高いじゃない。まだあと二、三件は見れるでしょ」
「ああ、だが効率が悪すぎる。凛も自分で言っているだろ。家じゃなく土地が重要だと。なら、まずは土地を探した後、その土地の所有者と交渉して購入した方が早いんじゃないか」
「……はいはい、わかったわよ。全く、少しはこっちの気持ちを察しなさいっての……」

 何やら口を尖らせて小さくぶつぶつ言う凛の姿に首を傾げながらも、士郎はやっとこの現状から抜けられると安堵の息を吐いた。その時、遠くでこちらの様子を伺っていたヴェイユと視線があうと、どちらともなく苦笑いを交わしあった。
 





「へぇ~、じゃ、一旦家探しは休みってわけなんだぁ」
「ああ、と言っても、問題は家ではなく土地なんだがな」
「ん? それってどういうことぉ? 住む家を探しているのよねぇ?」
「あ~……そこがちょっとな……」
「ん?」

 スカロン店長と士郎の会話を横で聞いていた凛は、傾けていたティーカップをゆっくりとテーブルに戻した。

「実の所、一応は目処が立っているんだけど。その土地が問題なのよ」
「あらそうなの? で、その問題って何かしら?」

 ずいっと顔を寄せてくるスカロン店長の濃い顔が間近に迫ってくる。凛は冷静な顔のまま気付かれない程度の巧みな動きで椅子に座った状態で後ずさった。

「……その土地の所有者が大物なのよ。それと、お替わりを頂いても良いかしら? 流石士郎が勧めただけあって、料理だけでなくてお茶も良いわね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。今入れてあげるから待っててね」

 ルンルンと鼻歌を歌いながらキッチンへと向かうスカロン店長の後ろ姿を何処か疲れた顔で見ていた凛は、隣の席に座るシエスタへと疑いの視線を向けた。

「やっぱりあの店長とあなたが親戚だなんて信じられないわね」
「そ、そうですか?」

 「あはは……」と笑いながらシエスタが離れた位置からでもハッキリとわかる後ろ姿―――スカロン店長の鍛えられた広背筋を見てタラリと額に汗を流した。
 家探しを一旦終了した士郎たち一行は、丁度昼時ということからトリスタニアにある『魅惑の妖精』亭へとやってきた。
 最初、店に入るなり濃い顔に皿に濃い化粧を施したスカロン店長とエンカウントした凛が、思わず崩拳を打ち込みそうになるなどのトラブルが起きたが、それ以降は特に問題が起きる事はなかった。とは言え、何時もの外面の良さを発揮し、店員から以前ルイズがこの店で働いている事を聞いた凛がルイズを揶揄うというトラブルが起きたが……。
 
「まあ、似たような事はあたしも言われるけど、親戚なのは間違いないわよ」
「誰?」
「始めまして、かな? トオサカリン」

 お盆で自身の肩を叩きながら挑戦的な目で凛をジェシカが見下ろす。
 
「へ~……あなたがシエスタの従姉妹のジェシカさん、ね。始めまして遠坂凛よ。あなたの事は色々と聞かせてもらっているわ。でも、あなたもシエスタと同じように学院でメイドをしてるんじゃなかったかしら?」
「今日はメイドは休みなのよ。で、家に帰ったついで店の手伝いを、ね」
「仕事熱心―――いえ、家族想いなのね」

 凛の言葉にひらひらとお盆を振る事で応えながら、ジェシカはにっこりと笑うと、テーブルの隅で小さくなって紅茶を飲んでいた士郎へ顔を寄せ―――。

「最近ご無沙汰なんだし、今度相手をしてよね」

 周囲の他の客には聞こえないが、同じテーブルに座る者には聞こえる程度の絶妙な声でジェシカが士郎の耳元で囁いた。更におまけとばかりに士郎の頬にキスをしたジェシカは、小悪魔のように艶を帯びた笑みを凛へ向けると軽やかな足取りで一気に空気が鉛のように重くなった空気を纏い始めたテーブルから離れていく。

「…………お、俺も紅茶のお替りをもらおうか、な……」
「「「で、相手するの?」」」

 示し合わせたように鼻を鳴らし、ジロリと睨みつけてくる凛たちの姿に、士郎はますます身体を小さくすると溜め息をつきポツリと呟いた。

「……仲が良いな」





 食事を終え、食後のお茶も終わらせた士郎たちが、そろそろ店を辞そうかとすると、スカロン店長が困った様子で近付いて来た。
 
「今出るのは難しいかもしれないわよ。どうやらあなたがここに居るのがバレちゃったみたい」
「は? 誰にだ? 別に誰にここに居るのがバレても問題はないはずだが」

 困惑の声を上げる士郎に、スカロン店長はチラリと店の外へと視線を向けた。士郎たちがスカロン店長の後を追うように顔を店の外へと向けると、そこには店を取り囲むかのように何やら見物客がずらりと並んでいた。空いてる席があるにも関わらず、店の中に入ってこない点からも客―――ではないようである。鈴なりに店の外から中を覗き込む見物客の目はただ一点に向けられていた。
 ルイズや凛たちがその視線を追っていくと、一人の人物に行き当たった。

「士郎、あんた何やらかしたのよ?」
「何でそこで俺に話を向ける?」
「あんたには色々と前科があるからね。で、身に覚えは?」
「ない」
「あんたねぇ―――」

 きっぱりと言い切る士郎を物凄く疑わしい目で見ていた凛が何やら言おうと口を開いたが、不意に見物客の中から子供を抱えた一人の中年女性が飛び出してくるのを見て口を閉じた。

「その、何か?」
「あ、あの……あなた様はその、もしや陛下直属の水精霊騎士隊(オンディーヌ)隊長のシェロウさまではないでしょうか?」
「シェロウ……は、はぁ……確かに水精霊騎士隊の隊長はしていますが、名前はシェロウではなく―――」
 
 士郎がそう口にすると、店の外で壁のように集まっていた見物客から響めきが上がった。そのどよめきは想像以上に大きく、ルイズたちは思わず腰を浮かしかけたほどであった。
 
「あ、握手―――握手をしてください。あなたにお会い出来て光栄です。それと、ぜひ、この子の名付け親に―――」
 
 その女性を切っ掛けに、遠巻きに見ていた群衆が一気に士郎へと押し寄せてきた。
 それこそ老若男女問わず様々な年齢職業の者たちが、士郎の傍へと駆け寄り口々に士郎の活躍ぶりをまるで自分で見てきたかのように誉めそやしだす。

「アルビオンでの退却戦っ! 何万もの兵にたった一人で立ち向かうなんてっ!!」
「リネン川の百人抜き感動しましたっ! 魔法を使わずたった一本の剣で貴族を倒すなんてっ!」
「あなた様の活躍を知らぬものは、このトリステインにいませんよっ!」

 突然の出来事に困惑し立ち尽くす士郎は、雲霞の如く押し寄せる人の群れに取り込まれ身動きが取れないでいた。集まってきた人の多くは女子供であり、無理に離れようとすれば怪我をさせてしまうかもしれないことから、掻き分けて脱出することも憚れ、士郎はどうすることもできなかった。士郎が抵抗しない事にヒートアップした群衆は、話すだけでは飽き足りなくなったのか、手を伸ばし指先だけでもと触れようと手を伸ばし始める。ついには士郎の腕を誰かが掴み、若い女の集団の中に引っ張り込まれてしまった。
 そして……。

「す、凄く硬い……」
「わっ、まるで鉄ね」
「ちょ―――ま、やめ―――」
「まっ!? 流石英雄ね。ここも立派」
「本当……旦那とは比べものにならないわ……」
「な―――ッ?! どっ、何処を触って―――っ!?」

 肉の海に沈んでいく士郎。
 溺れるように伸ばした腕が暴れているが、取り囲む女衆を止める事は無理である。

「……一体どういう状況なのよ?」
「これは、何がどうして……」
「すごい……人気、です、ね」

 儚く女の群れに沈んでいく士郎の姿を、取り残された凛たち一行が呆然と見つめていると、傍に寄ってきたスカロンが小さく咳払いをした。のろのろと凛たちの視線が向けられると、スカロンは食堂の壁のあちこちに貼られた広告の中で、特に大きく目立つ一枚を指差した。
 スカロンが指差す広告は、タニアリージュ・ロワイヤル座で公演されている演劇のポスターであった。どうやら随分人気の演目らしく、延長決定等とでかでかと記載されている。
 その演目を見て、ルイズの目と口を丸く大きく開く。

「……アルビオンの剣士って―――え? まさかっ!?」

 ポスターには、剣を持った男が何やら見るからに悪と思わせるような格好をした兵士を相手に立ち向かっている姿が描かれている。描かれている男は何処をどう見ても似てはいないが、何やら浅黒い肌に、白い髪をしているため、多分間違いなくこれは……。

「この様子じゃ、もう今日は仕事にならなそうだし。どう? これから見に行ってみない?」

 もはや獣の宴の場と化し、荒れ果てた『魅惑の妖精』亭の中を見渡したスカロンが困った顔をしながら提案した言葉を、女の群れから突き出た震える腕が沈んでいく姿を見つめていた凛たちは頷いた。










「例え七万の軍が相手であっても、私は決して逃げる事は致しません」
「ああ、勇者様。何故? どうしてそこまでしてあなたは……」
「私はこのトリステインを守りたいのです」
「死んでしまいます。それなのにどうしても戦うと言うのですか……何故、どうしてですか……」
「決まっています。トリステインには、あなたがいらっしゃるからです」

 士郎は目の前が暗くなるのを感じていた。
 眼前で繰り広げられる歌劇。
 その内の一幕を、一組の役者が演じていた。
 どうやらこの一幕はラブシーンであるようだが、この演目の主人公と思わしき男の役者が、何やらドレスと王冠(・・)を被った女の役者の手を取り見つめ合っている。士郎の心労を他所に、話はどんどんと進んでいく。場面は代わり、今度は剣を握った男が、竜の着ぐるみや、貴族の格好をした役者たち相手に立ち回り始めた。

「この我がいる限りっ! トリステインは負けることはないっ! さあっ! 我を倒せる者は何処にいるっ! 我こそは女王陛下の剣たる騎士っ! エーミヤ・シェロウであるぞッ!!」
 
 エーミヤって、と全身から力が抜け、膝を着きそうになる士郎の視界の隅で、腹を抱え歯を食いしばり笑いを堪えている女の姿が映る。
 必死に我慢しようと顔を伏せ身体を抱きしめているが、長い黒髪の隙間から見える口元は歪み、目尻に涙が滲んでいるのが見える。時折痙攣を起こすように身体をびくつかせるだけでなく、「ひっ、ぅ、っく、えーみや、えーみやってっ―――! ぶくふっ!」と喉の奥から悲鳴じみた声が漏れ聞こえてもくる。
 全く堪えきれていない。
 その姿からは何処にも優雅さは見つけられない。
 今こそ家訓を実践すべきだろうと叫びたいが、そんな気力も沸きはしない
 士郎はそんな隣りの人物の姿にますます目の前が暗くなるのを他所に、周囲の観客のボルテージは上がっていく。舞台で黒く肌を塗り、髪を白く染めた役者が剣を振るう度に敵が倒れ観客席からは猛烈な歓声が沸く。周囲を見れば、ほぼ全てが平民であり、更にいえば女性客の姿が目立った。
 士郎が現実逃避気味に周囲の観察をしている間にも、勿論舞台は続く。
 なにやらクライマックスが近いのか、舞台の上から歌姫を乗せた籠が下りてきた。
 嫌な予感を感じる士郎。
 耳を塞ぐための力も、もはやない。
 光の灯らない瞳で見上げると、歌姫が歌い始めた。
 剣士を称える(士郎に止めをさす)歌を。

 トリステインのゆうしゃ~~~


 わたしのゆうしゃ~~~


 どっと歓声が沸く中で、士郎は確かに聞いた。
 「ぐふっ!! も、もうダメ!! ひぃ~ひぃ~ゆ、ゆうしゃ、わたしのゆうしゃってっ!!」と吹き出す女の声を。
 歌が始まり更に激しさを増す舞台の殺陣であるが、どう見ても学芸会のレベルを超えていない。せめてもう少しまともだったならば、まだマシだっただろうと、両手で顔を覆う士郎の横で、スカロンが励ますように肩を叩いた。

「確かに批評家にはかなり酷評されているようだけど、これでも市民たちには人気があるのよ」

 スカロンの言葉を肯定するように、観客たちから歓声が沸く。確かに観客の熱狂は本物である。舞台では主人公の役者が最後の敵を倒し、どこからともなく現れた派手なドレスを着た女の役者を抱きしめたところで幕が降りていた。
 やっと拷問が終わると士郎は安堵の息を吐くが、どうやらまだ気が早かったようだ。
 熱が収まらない観客が立ち上がり興奮に声を震わせながら、口々に男の名を叫び始めた。
 「エーミヤっ! エーミヤ・シェロウッ!!」「剣士シェロウッ!!」と。
 もう勘弁してくれと跪きそうになる士郎の身体を支えるスカロンが、ズレたフードを元に戻す。舞台を見るにあたり、スカロンが用意したのである。見た目が特徴的な士郎であるが、全身をフードですっぽりと被せれば流石に誰も気づくことはない。
 この熱狂の中、正体がバレればただでは済まないだろう。
 フードの中、完全に光が消えた目で顔を俯かせる士郎の視界の隅では、とうとう耐え切れなくなった凛が、腹を抱え込み痙攣していた。居た堪れなくなった士郎が、逃げるように顔を動かすと、頬を赤く染めたシエスタが幕が下りた舞台を見つめていた。

「すごい……本当に凄いですシロウさん。もう、信じられないほど格好良いです。ああ……わたしのシロウさんが遂にここまで……ああ、もう身体が熱い……」
「なに発情してんのよあんたは」
「あっ痛っ!? な、何するのよジェシカっ!」
「あんたが場所考えないで発情しているのが悪いんでしょ。ていうか誰があんたのシロウか」
「は、発情なんかしてないわよ!」
「そう? あんな蕩けた顔をしていたら誰でもそう思うわよ」
「な―――何を」
「って言うか、流石にアレはないでしょ。間近で見てるあなたが、なんでそうなるのかちょっとわかんないんだけど? 頭、大丈夫?」
「それどう言う意味っ!」 

 取っ組み合いが始まりそうなシエスタとジェシカの様子であったが、それを止める気力は士郎には既になかった。
 剣士エーミヤ・シェロウを称える観客の声が劇場内に木霊す中、士郎はただ頭を抱えることしか出来ないでいた。
 メイジでなく剣士が活躍する劇であるが、本来はこのような大劇場で行われることはない。道端や酒場で行われる大道劇や人形劇、それに歌が精々だろう。しかし、この劇である『アルビオンの剣士』は、モデルとなったのが救国の英雄であった事から、検閲が通されたのだろう言われていた。その際、さるやんごとなきお方の鶴の一声もあったともいうが、真相は定かではない。
 
「す……凄いわね……本当に―――色々な意味で……」

 熱狂の渦巻く劇場の中で、ルイズが呆れたような声をポツリと漏らした。
 観客の姿はまるで現人神を崇めているかのよう。今にも新たな宗教が発生しそうな勢いである。

「そうね、凄い人気ね。ほらあれ見てごらんなさい」

 スカロンがルイズの肩ちょんちょんとつつくと、観客席の一角を指差した。
 疲れた顔でルイズがのろのろとスカロンが指差す方向に顔を向ける。すると、そこには数多くの女性がうっとりと顔を赤く染めている姿があった。そして、ルイズの耳に彼女たちの興奮気味の声が聞こえてくる。

「はぁん……やっぱり何度見ても素敵ね。剣士でありながらメイジを苦もなく倒してしまうなんて……でも結局お芝居なのよね。現実じゃメイジに剣士が勝てるわけないし」
「え? 何言ってるのあなた? この物語には実在のモデルがいるのよ。この劇も、あのアルビオンとの戦争で実際起きた事を元にしてるって聞いたわ。この物語の主人公のモデルになった御方がいたから、トリステイン軍は救われたのよ」
「知っていますわ。しかも、それだけではなく、最近ではガリアでも華々しい武功を立てられたと聞いてますわっ!」

 ほぅ……と頬に手を当て未だ見ぬ英雄の姿を思い浮かべ陶酔する女たちを他所に、ルイズは隣で頭を抱えて蹲る士郎を見下ろした。

「……人気が出るとは思ってたけど、まさかこれ程とは思わなかったわね」
「今じゃシロウちゃんの人気は王さま以上のものがあるからねぇ」
「王さま以上、て……そう言えば、さっき劇に出てきたの、まさか―――」
「さあ、誰なのかしらね……」

 ルイズがジト目で見上げると、スカロンはふいっと視線を逸した。
 この劇でのヒロインは、その姿からとある人がモデルではないかと言われているが、そのモデルの名を口にするものはいない。流石に相手が相手だ、暗黙の了解というやつである。
 ルイズは頭痛を耐えるように額に手を当てた。

「っ~~、ひぃ~、っ、く、ぅ……はぁ……ふぅ、でも、どうやら人気があるのは女性だけじゃないみたいね」

 笑いがやっと収まったのか、凛が目尻に滲んだ涙を指先で拭いながら目線をついっと劇場の二階にあるボックス席へと向けた。二階のボックス席はカーテンで仕切られている。大貴族が劇場を利用する際は、通常こういった席が利用される。
 今も何処かの貴族が利用しているのか、閉められたカーテンの隙間から人の顔が覗いていた。
 細めたルイズの目に、カーテンの奥で舞台を忌々しげな顔で見下ろす貴族の姿が見えた。例え救国の英雄だろうと、剣でメイジを倒す姿はメイジである貴族にとっては面白くはないのだろう。

「……まったく、人気者は辛いわね」










 劇が終わると、興奮気味に劇の感想を言い合う観客たちに混じって、フードを深く被った士郎を囲むようにルイズたちが劇場から出てきた。士郎は全身の力が抜けたような何時ものキリッとした様子が欠片も感じられないダラリとした姿で足を引きずるように歩いている。ルイズたちはそんな士郎を引きずるようにして大通りへと出る、と―――。

「あれ? ギーシュ?」

 大通りに出ると、予想外の人物の姿を目にしたルイズが驚きの声を上げる。
 声を掛けられたギーシュが、マントを翻しながら振り返った。

「ん? ああルイズじゃないか。どうしたんだい、こんなところで」
「あ、ほんとだ。ルイズたちじゃないか、買い物でもしに来たのかい?」

 早速シュヴァリエのマントを羽織ったギーシュが、わざとらしくマントを揺らしながらルイズたちの下へと歩いてくる。その後ろを、セイバーを除いたマリコルヌたち水精霊騎士隊(オンディーヌ)の面々が付いてきている。
 近づいてくるギーシュたちを前に足を止めたルイズの脇を通り、凛が前へと出た。

「あら? 偶然ね」
「っげぇ!!? 姐さんっ?!」
「どっ、どど、どうしてここにっ!?」

 近づいていた足を止め、ドタバタと一気に後ろへと下がるギーシュたちに向け、凛は意地の悪い笑みを浮かべた。

「なによ。いちゃ悪いっていうの? へぇ……いい度胸してるじゃない」
「そんな、勘弁してください」

 へこへこと頭を下げるギーシュ一行の姿に、ふんっと鼻を鳴らした凛が腕を組むと肩を竦めた。

「まあいいわ。で、なんでこんなところにいるのよ。あんたたちには頼んでた事があった筈なんだけど?」
「あっ! えっと……その……えへへ」
「へぇ……つまり、皆してさぼってたってこと」
「「「「ひぃいいい……」」」」

 全身をガタガタと震わせるギーシュたちをじろじろと見ていた凛の口元が、鼠をいたぶる猫のようにニヤリと歪む。その笑みに気付き更に身体を大きく震わせるギーシュたち。
 ……一人マリコルヌだけは何故か嬉しげであったが。
 
「で、どうだったのかしら? さぼって飲むお酒は美味しかった?」
「い、いえ。そ、その、ちょっと休憩と立ち寄った所で間違って酒が出てきたのであって、故意じゃないんですよ! 本当なんです! 信じてくださいっ!」

 近くに寄らなくても分かる強いアルコールの香りに凛が、その目を刃物の様に尖らせ光らせながら睨みつけると、ギーシュがわたわたと手を振りながら言い訳を始めた。
 まるで全ては秘書のやったことですと何処かの食堂の店員に責任を押し付けるギーシュの醜態に、凛がゆっくりと指を突きつけた。
 その指先には、黒い何かが渦巻き始めていた。
 これまでの経験(調教)により、それが何を意味するか知るギーシュたちは、慌てふためき一斉に深々と頭を下げた。

「「「「すいませんでした~~~~っ!!」」」」

 素直に謝罪したことに一応の満足を見せたのか、凛は突きつけていた指を戻し腕を組んだ。

「……で、結局どういうこと?」

 凛と水精霊騎士隊の漫才のようなやりとりを眺めていたルイズが、呆れた声を上げると、ギーシュはちらちらと凛の様子を伺いながらも渋々といった様子で口を開いた。

「そ、そのだね。本当に最初は頼まれた事を調べていたんだが、ぼくらも専門じゃないからどうも上手くいかなくてね。で、ちょうど昼時だったから近場のお店で食事をしていたんだが」
「で、ついお酒を飲んでしまったと」
「いやっ! 本当に飲むつもりはなかったんだよ」

 ルイズの「こいつら駄目だ」みたいな顔で溜め息をつく姿に、ギーシュたちが慌てて首を降り出す。
 ギーシュの後ろに隠れていたレイナールが横から顔を出すと、必死に援護の声を上げる。

「本当なんだよ。ただちょっとお昼を取りながら隊長の事を話していたら、他の客や店員が酒やらツマミとか色々出してくるから。だから断るのもなんだし、隊長の話をしたら予想外に好評で……」
「だから、その、な……」
「ほ、ほほ、本当なんですよ。ぼくがこう水精霊騎士隊隊長エミヤシロウのリネン川での一騎打ちっ! 初手で現れたのはなんとガリアで天下無双と謳われたソワッソン男爵っ! しかし我らが隊長エミヤの相手には余りにも不足であったっ! 風さえ追えない速度でソワッソン男爵に迫り剣を一振りっ! たった剣の一振りでその杖を叩き切って見せたのだっ! ―――なんて言ったら……」

 バツが悪そうに頭を掻きながら顔を逸らすレイナールやギムリの様子に、分が悪いと感じたのかギーシュが必死に凛に訴え掛け始めた。
 どうやら街での士郎の評判を知らないのか、大げさな身振り手振りで何処かの食堂での出来事を語るギーシュ。
 しかし間と場所が悪いことに、今ギーシュたちがいるのは劇場の出口の前。しかも未だ劇場から出た観客たちが興奮冷めやらぬ様子で劇の内容を語り合っていた。そんな中で、貴族と思わしき少年が、その目で見たように劇の主人公のモデルと噂の水精霊騎士隊隊長の話をしているのではないか。何時の間にかギーシュの周りには多くの聴衆が集まり、凛たちとギーシュたちを分断していた。凛の視線から逃れ緊張が解け、更には急に集まった観衆に囲まれる事により異様な興奮状態に陥ったのか、ギーシュが舞台俳優さながら過剰なリアクションで士郎の武勇譚を語り始めた。
 事態が大きくなり、どんどんと集まってくる野次馬に収拾がつかないと早々に判断した士郎たちが、見つかる前にとこっそりと逃げ出そうとした時であった。
 己が何か手を動かす度、話す度にどよめく観客に調子を際限なく高めさせたギーシュが、逃げ出す凛たちの中にローブで顔を隠した士郎に目ざとく気付くと指を突きつけた。

「そう―――そこにいる彼こそがっ! 稀代の英雄たる我が水精霊騎士隊隊長、エミヤ・シロウであるっ!!!」

 何処かトリップしたような恍惚とした口調でギーシュが声を上げると、一瞬周囲の音が一切消え去った後、地を揺るがすようなどよめきが湧き上がった。

「ま、まさかこの方が―――」
「うそっ! 本当にエーミヤ・シェロウッ!!?」

 一斉にギーシュに視線が集まる。
 数十もの視線が自身に向けられる快感に口元が緩むのを必死に押さえながら、ギーシュが厳かな様子でしっかりと頷いて見せると、観衆が一斉に士郎に群がり始めた。
 “魅惑の妖精”亭の騒ぎとは文字通り桁が違う騒ぎだ。
 もはや一種の暴動に近い。
 “魅惑の妖精”亭の時よりも酷い圧倒的な数の暴力を前に、どうすることも出来ない凛とルイズは顔を見合わせると溜め息を吐き天を仰ぎ。その横ではシエスタがうっとりとした顔をして。更にジェシカは半笑いの顔で肩を竦め、スカロンは口に手を当て面白そうな顔をしていた。
 「祝福を!」「お手を触らせてください!」と口々に叫びながらその身体に指先でもと押し合いながらも押し寄せる市民たちにもみくちゃにされる士郎が、流石に命の危機を感じ始めた時である。

「これは何の馬鹿騒ぎだッ!! ただちに解散しろッ!!」

 その騒ぎは天から落ちてきたかのような雷の如き怒声によって終止符が打たれることとなった。

「うるせぇッ!! お前らが引っ込んでろッ!!」

 叫びと共に地響きを轟かせ掛けてくる騎乗の一団に、突然怒鳴られ気が立った市民の一部が反発し怒声を上げる。しかし、その結果、相手を更に激高させる事にしかならず、先頭を駆けていた女騎士がいきなり剣を抜き払った。

「いい度胸だッ!! 陛下の銃士隊と知ってその狼藉かッ!! チェルノボーグの監獄で頭を冷やしてやろうッ!!」

 陛下の銃士隊とチェルノボーグの監獄という言葉に、市民たちから恐怖混じりのどよめきが上がった。
 銃士隊と言えば女王陛下の近衛隊である。
 しかも若い女性で構成された隊であるためか、舐められないようにと隊士たちの働きは激烈の一言に尽きる。いまや市民の間では銃士隊は恐怖の代名詞と言っても良かった。
 銃士隊と知り、更には剣を抜き放ち怒号を上げるアニエスの姿に、市民たちは慌てて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
 あっという間に市民がいなくなると、フードを奪われもみくちゃにされ、ぼろぼろになった士郎が息を切らしながらも、馬上のアニエスに頭を下げた。

「す、すまない。助かった」
「ふん。救国の英雄様が随分な有様だな」

 意地の悪い笑みに士郎が苦笑いを返すと、アニエスは馬から下りて一通の書状を手渡してきた。

「まあいい。手間が省けた。ちょうどお前にこれを届けに行くところだったのでな。トリスタニアにいたとは知らなかったが、行き違いにならずに済んで良かった」
「これは?」

 手渡された書状を見下ろした士郎は、その書状にトリステイン王家の花押が押されていることに気付き、すっと目を鋭く細めた。

「何か、あったのか?」
「分からない。知りたければ陛下に会って聞くことだな」
 




 
 

 
後書き
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