幻影想夜
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第二十四夜「白昼夢」
- 私は何を…? -
「…暑い…。」
彼は気付くと、そこは外だった。
風の無い初夏の陽射しの中、萌える緑は咽せ返る程に色鮮やかにその身を誇張している。
ふと見れば、そこは何と言うことはない町だった。彼は街路樹の下、木陰にあるベンチへと座っていた。
「寝ちゃったのか…。」
彼は少し恥ずかしそうに呟き、フッと立ち上がって歩き出した。
どうと言う訳ではないが、彼はコンビニにでも入ろうかと考えた。その日がやけに暑かったこともあるだろう。
正直、彼は涼みたかったのだ。
「いらっしゃいませ。」
コンビニに入ると、店員の少しばかり高い声が響いた。暑さのせいか、彼のすぐ前に入った男性は些か苛ついた表情を見せていた。
彼は少し歩きながら商品を見ていたが、最近のコンビニには多種多様な商品が置かれていることに驚いていた。滅多にコンビニなぞ入らないからだ。
だがその反面、そこまで揃える必要性があるかどうかと疑問にも思ったのだった。
暫くすると、彼はある女性に気が付いた。何とも虚ろな目をした女性で、彼は最初、彼女も涼みに入っているのだと思っていた。
だが、どうも様子がおかしいのだ。何を見るでもなく、彼女は店内をただただフラフラと歩き回っている。にも拘わらず、誰も彼女に目を止める者はいない。店員すら見ていないのだ…。
彼が不思議に思っていると、彼女は出ていく客の後ろについて外へと出たため、彼も外へ出ようと出入口へと足を向けた。すると、先ほど一緒に入った男性が彼の前に出て早々に外へと出たのだった。
- 最近の若者は…。 -
もう少しでぶつかりそうだったため、彼は少しばかり気分を害した。
だがそんなことよりも、彼は先ほどの女性が気になって直ぐに周囲を見回した。
すると、彼女はコンビニで見たと同じ様に、ただただフラフラと歩道を歩いているのが見えたため、彼は彼女の後を追い掛けた。
これと言って彼女がどうと言うわけではない。彼女自身よりも寧ろ、彼女のその行動が気掛かりなのだ。
生気の無い虚ろな瞳、力が抜けた様な四肢…足だけを無理矢理動かしているような…まるで映画に出てくるゾンビにも似た、そんな不自然な歩き方…。
「死んでる…なんてことはあるまいが…。」
彼はそう呟き、そして些か身震いしたが、次の瞬間にはフッと自嘲した。
そんなことはない。彼女は多少ふらついているにせよ、自分の足で歩いているのだから。
そもそも、そんな荒唐無稽なことを考えるよりも、何か怪しげな薬でもやっているのではと疑う方が自然ではないか?
彼がそんな馬鹿げたことを考えている間にも、彼女はフラフラと歩き続けている。ただひたすら…何処へ行こうとしているかは分からないが、彼女は淡々と歩いている。
暫くすると、向こうから黒い服…恐らくは喪服であろう服を身につけた女性が姿を現し、彼女…あの無気力に歩く女の側を通り過ぎた。
その喪服の女性が通り過ぎた時、無気力に歩くだけだった彼女が、一瞬顔を上げて喪服の女へと視線を移した。しかし、直ぐに同じ様に歩き出した。何もなかったと言うように…。
それは不思議ではあったのだが、彼は彼女ではなく、喪服の女性の態度がより不思議であった。あんなに不自然にあるく彼女に見向きもしない…どころか、全く気付いていない様子だったからだ。
「何なんだ…?」
彼は何だか気分が悪くなった。
無気力に歩くだけの彼女は、明らかに喪服の女性を知っている風であった。にも関わらず…。
だが、ここでそれをどうこう考えても詮ないこと。彼は思考を一旦停止し、彼女を追うことに専念した。
しかしながら…何故こうも気になるのか?
解らない…。解らないが、彼は彼女の行く先に何らかの答えがある気がし、ただ淡々と追うことにしたのであった。
かなり歩いた。恐らくは二時間近く歩いたであろう。
「此処は…。」
そこは山の中。彼はここに見覚えがあり、このまま進めばダムがあることを知っていた。
ダム…と言っても小さなものだが、ここは彼が気晴らしに散歩するコースなのだ。今日来た道は、彼が散歩する道とは真逆だったために、今の今まで気付かなかったのだ。
しかし、今日は暑い。山の中は特に蒸し暑く感じ、彼は噎せ返る緑に軽く目眩すら覚える程であった。
その中で、彼は彼女を見失った。
「…ッ!」
彼は慌てて辺りを見回しながら早足で進むと、見慣れたダムが現れた。
一瞬、陽射しが視界を眩ませたが、直ぐに木陰へ入ると、彼はその光景に暫し絶句した。
木陰に入ってダムを見ると、そこには彼女がいた。だが次の瞬間に…飛び降りたのだ。
小さいとは言え、やはりそこそこの高さはある。水の深さもかなりあると考えられ、彼では到底助けようもない…。
ただただ、彼はそれを見ているしか出来なかった。
少しして金縛りが解けたかの様に息を吐き、冷や汗を拭いながらふと振り返ると、彼はその異様さに再び驚愕せざるを得なかった。
「そんな…まさか…!?」
彼が見たもの…それは先ほどダムから飛び降りた筈の彼女だった…。
- まさか…さっきダムから飛び降りた筈だ…。 -
彼はそう考えはしたが、その女が彼女と同一であることは、その姿や歩き方をみれば一目瞭然だと分かっていた。
「そんな筈は…有り得ないだろ…!」
フラフラあるく彼女を目で追いながら、彼はそう恐々と呟く。そうしている間にも彼女は再びダムへと向かい、そして…また同じ様にその身を水面へと投げ出した。
そして…また同じ道から同じ様にして再び現れたのだ…。
その光景に、彼の思考は停止した。ただ…見ているだけ…。
何度彼女が飛び降りるのを見ただろう…彼は不意にあることを思い出した。
「繰返し…。」
そう…自殺者の魂は浮かばれず、自殺を再現し続けると言う話…。
「いや…まさか…。」
だが、これこそがその光景ではないのか…そう思いつつ彼がダムを凝視していた時。
「気付いた?」
不意に耳元でそう囁かれた様な気がし、彼は驚いて振り返った。
しかし…そこには誰もいず、もはや彼女の姿を見ることもなかった。
彼はホッと胸を撫で下ろした。今まで余りのことに暑ささえ忘れていた。
たが、そんな彼は、またあることに気付いた。
「暑く…ない…?」
そう呟いた刹那…彼の視界は歪み、その意識さえ緩やかに掻き消えた…。
気付けば、そこは何処かの部屋だった。彼は窓が開いていたため、何気無く入ってしまったのだ。そして何気無く、花瓶に生けてあった花に止まって休んでいたのだ。
彼は何だか長い夢を見ていた気がしたが、それがどんなものであったか思い出せなかった。
ふと見ると、そこへノートがある。
たった一行、こう書いてあった。
- 私は何を…? -
彼にはそれが理解出来なかった。だが、そこへ一緒にあるものは理解した。
そこには、もう土気色になった人の亡骸があったのだ。手には薬瓶らしきものが見え、自殺であろうと思った。
彼はどうと言うことはなく、背にある羽を動かしてそこから出ていった。
出ていく時…ふと、彼は思った。
- あぁ…彼ではなくて良かった…。 -
と。
…end
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