二人で笑おう
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僕 2
病院を出ると、春独特の生ぬるい風が僕らを包み、春の甘い空気を運んできた。桜の花びらが風と同時にぶわっと舞う。春真っ盛りとはこのことだ。
僕らは歩幅を合わせて歩き出す。彼女のついている杖がアスファルトを一定のリズムで、コツコツと音を鳴らした。
「なんかピンクの変なのが」
目の前に舞った桜の花びらを見て彼女は呟いた。予想以上に症状は進行しているのだろうか。
今僕が見ているものの、何割くらいが彼女も共有できているのだろう。
「桜だな」
「ああ、今何月だっけ」
「四月、いつかくらいは判断しなよ」
「時間だけ分かればいいじゃん、うるさいな」
彼女は拗ねたように、自分の腕時計の小さなボタンを押した。
『ただ今の時刻は、午後、二時、三十六分です』
腕時計の無機質な機械音が今の時間を告げた。
「叔母さんは来ないの? お見舞い」
歩きながら僕はきいた。その腕時計の送り主のことが、ふと気になったのだ。
「最初の一日だけかな」
それっきり彼女に家族の話題を出すのはやめることにした。
「厄病神だしね、私」
厄病神と自称しているというのに、その声はあくまで無感情に徹している。
「辛くないの?」
「別に」
彼女は立ち止り、空を見上げた。僕もつられて上を見上げる。青色のキャンパスに、余計なものは何も描かれていない。爽快感のあふれる青空は、心のいい清涼剤だ。吹き抜ける風がさらに気分を高揚させる。
「私さ、まだわかるんだ」
「え?」
不意に彼女が言った。
「空の青さだけは、まだわかるんだよね。ぼんやり」
「ぼんやりか」
「うん、ぼんやり」
しばらく会話が途切れて、僕はまた思いつきで言ってみた。
「わかんなくなったら僕が伝えるよ」
「なにを?」
「空青いよ~って」
「あんた、曇っててもそう言いそう」
大して興味もなさそうに言い放つ彼女。我ながら恥ずかしいことを言ったもんだ。自分の顔が赤い気がしなくもない。体も熱い。背中までちくちくしてきた。僕がもだえている間に、彼女は視線を空から病院の方へ移していた。屋上のフェンスが壊れている。
「屋上のフェンス」
彼女が独り言のように呟く。
「あー、壊れているね、誰がやったんだろ」
「誰か死にたくてやったのかな?」
「どうだろ」
フェンスが壊れているからといって、別に死にたくて壊したとは限らないだろう。純粋に劣化した可能性もある。
「明後日には業者の人が直すって」
「それまで屋上は閉鎖?」
再び前を向き、彼女は僕より先を行く、あわてて僕も追いかけた。
「そだね、まあ鍵最近無くなったみたいだけど」
ほう、詳しいな。ここで僕が名探偵なら犯人は君だと言うところなのだろうけど、あいにく僕は名探偵でもなければ怪盗でもない。だから普通に感心することにした。
「よく知っているね」
「一か月もいたらね」
彼女は得意げにそう言って、僕より先に横断歩道の押しボタンを押した。ピピピピと機械音が、車の走行音に交じる。
「やっぱり車多いね」
通り過ぎる車を見ながら、彼女は言った。
「春休みだからね」
「あんた春休み遊ばないの? 暇なの?」
随分おかしなことを言うな。寝言だろうかと疑ったが彼女は寝てなかった。当たり前だが。
「君と遊んでる」
信号が赤から青へ変わる。今度は僕が先を行く。
「遊んでるの?これ」
彼女も負けじと僕に追い付こうとする。同時に杖のリズムも速くなる。
「うん、君といる以上の遊びなんてないよ」
「私との関係は遊びだったのね」
多分そのセリフは使い時を間違っている。
「というかさ、私以外あんた友達……あ」
「卓也を忘れるな」
不憫な男だった。数少ない僕の友達だと言うのに。
「最近遊んでるの?」
「うん、今度くらい卓也の家でジャグリングの練習でも」
彼の父親が元サーカス団員であるため、僕も暇つぶしに彼とジャグリングやバンジージャンプをしたりしている。うん実に高校生らしい趣味だ。
「高校生らしくないね」
呆れたように彼女は言う。らしくなかったのか。まあ世間一般の高校生の遊びを僕がやっていても似合わないと言われそうだが。
「やってみたい気はするけどね」
あまりにも貴重な彼女の意欲的な発言に、耳を疑う。
「へえ、女の子でやりたいって人あんまりいないけど。珍しいね」
「そうかな」
変わり者なのは知っていたが、好奇心が彼女の中に残っている事実は僕の心に小さな安心感を与えた。
競争の末、横断歩道を二人同時に渡り切った。信号がちょうど赤に変わり、止まっていた車はまた走り出した。公園まであと少しだ。せっかくのことだから二人でアイスでも食べよう。財布にはいくらか余裕がある。
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