ドリトル先生の水族館
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第七幕その七
「それでもね」
「他の深海生物はだよね」
「先生ともお話出来る生きものいるよね」
「ちゃんと」
「アンコウ君位ならね」
このお魚ならというのです。
「話せるよ」
「ああ、アンコウさんね」
「あのお魚も深海魚だしね」
「アンコウさんとならなんだ」
「先生もお話出来るんだ」
「そうだよ、アンコウ君達は確かに深海魚だけれど」
それでもというのです。
「比較的浅い場所に来ることもあるしね」
「だから日本じゃ食べているんだね」
「お鍋とかにして」
「結構冬食べてるけれど」
「よく漁れるからなんだ」
「そう、しかも美味しいしね」
先生はアンコウさん達のこのこともお話しました。
「外見は怖いけれど」
「そうそう、 美味しいんだよね」
「食べやすい味でね」
「もうそれこそお鍋にしたら」
「河豚鍋とどちらが上か」
そこまで美味しいとです、皆も言います。
「日本人は色々なお魚食べるけれど」
「アンコウさん達も食べてね」
「肝も食べて」
「それで楽しんでるよね」
「そのアンコウ君達とならね」
先生もというのです。
「お話出来るから」
「そこからなんだ」
「お話をしていって」
「グソクムシさんとも」
「お話出来るかどうか」
「やってみようか」
これが先生の今の考えでした。
「徐々にでもね」
「そうするんだね」
「どうにも遠回りだけれど」
「深海生物にもそれぞれの言葉があるから」
「それを調べて」
「話していくんだね」
「そうしようか。けれど深海のことは」
っこでしみじみとして思った先生でした。
「本当によくわかっていないね」
「その言葉も生態も」
「そしてどんな生きものがいるのかも」
「まだまだなんだね」
「わかっていないんだね」
「うん、まだまだ謎の世界だよ」
その深海の世界はというのです。
「人間の知識は相変わらず僅かなままだよ」
「そのこともわかるね」
「深海のことを考えたら」
「皆この地球のことをまだまだ知らない」
「知らないことが一杯あるね」
「人間はどうしてもね」
先生は哲学的思考もしていました、先生は哲学者でもありますがこうした思考は誰でも出来るものというのが先生の持論です。
「ほんの少ししか知ることが出来ないんだ」
「神様じゃないから」
「だからだよね」
「人間の力は小さくて」
「知ることが出来るものも僅か」
「そうなんだね」
「うん、それで自分の力だけを頼むとかはね」
神様の存在を信じなくてです。
「思い上がった考えかも知れないね」
「そうしたことを言う人程だしね」
「おかしなこと言ったりするよね」
「先生が大分前に会った学校の先生とかね」
「あの先生は本当におかしな人だってね」
先生が来日してから会った人です、その学校の先生は。
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