Muv-Luv Alternative 士魂の征く道
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第四十話 似て非なるモノ
「少し、意外でした。」
「何がだ?」
墓苑からの帰り道、車外を流れる景色を眺めながら忠亮は運転席の今井智絵の言葉に聞き返す。
「大尉は墓参りなどしない人間だと思っていました。すべてにけじめを着けて、そこで初めて墓前に向かう。そういう方だと思っていました。」
「……意外とよく見ているな。」
「私はあなたの斯衛ですから。」
迷いなく言い返される。ただ上からの指示で警護になったはずだというのに、物好きなことだと内心嘆息する。
「俺は後悔は死んだ後にする事にしている。しかし、義理と筋は通すように心がけている。それが嘗て心を交わしたものであれば尚のことだ。」
「意外と誠実なのですね。」
「可笑しいか?」
「いえ、私は好きですよ。情を優先するだけの人間は信用も信頼も出来ません。それは情に篤いのではなく、単に心が無軌道なだけ。
何時裏切るか、切り捨てられるかわからない。そんな人間を主にするなど私はそれほど軽い女ではありません。」
心が自由であるのと心が無軌道であるのは似ているようでまったく違う。
自由とは無法でもなければ、無軌道でもない。
その時々の感情で考え方がコロコロ変わる人間や、誰かが言っていたからと意見をコロコロ変える無軌道な人間なんぞ、実際は何時何をするかわからない狂人とさほどの違いはない。
「……己も何時裏切り、切り捨てるか分からんぞ。何しろ前科持ちだ。」
「そうしなければ成らない理由があったのではないのですか?それが何かまでは察すること叶いませんが
―――短い間ですが、私は大尉を信念や義という大尉個人の特有の理によって動く人間と心得ています。大尉は決して無軌道な人間ではない。」
「……まったく、酔狂な女だ。好きにしろ。」
「はい、好きにさせていただきます。」
これは梃子でも動かぬ女だと悟り、説得をあきらめた忠亮がため息を突くが、今井はそれに対し淡々と自分の意思を主張するのだった。
「―――今井、俺はな死狂いだ。戦いの中でしか生きられない修羅だ。だが、そんな俺でも人間でありたい。
人間でありながら修羅でもある道、俺はそれこそ武士道であると考える。だからこそ、筋と義理は通す。その一線こそ、俺が人間である証明だ。」
「……私は修羅だからとすべてを否定する事はしません。不動明王や三宝荒神といった怒りによって不浄を祓い清めることで尊き存在を守護する神仏もあります。
他者を害する事で利を得るは悪です。敵という存在と、その駆逐によって存在意義を果たすという彼の神仏は間違いなく悪神でしょう。
しかし、その心の大本にあるのは守りたい・救いたいという慈悲の心では無いでしょうか。」
「……だったら良かったのだがな。俺の本性はもっとろくでもない物さ。己の根源にあるのは守りたい、という慈悲の心なんかじゃあ無い。
守るモノになりたいっていう身勝手極まりない悪性だ。自分の望みを叶えるのに、敵を欲し、危機を求める。
そして、それらを害する事で自らの欲望を満たす……な、禄でもない獣そのものだ。悪鬼なんだよ、俺は。」
自らの欲を満たすために、自分の大切な人間の危機を求めずにはいられない性。
その本性は血に飢えた獣のように悲劇と闘い、そして流血を望む鬼そのものだ。
こんな本性……どうして憤怒せずに居られる!?どうして憎悪せずに居られる!?どうして絶望せずに居られるッ!?
「本当に、禄でもない……」
自らの悪性、それに気が狂いそうになる。自分自身を縊り殺したい衝動にすら駆られる。
かつて、己はその本性から逃げるために剣の鍛錬に没頭した。いつか守りたいと思えるものが現れる、その時に己の無力に涙したくない。
そんな理由を取ってつけて、ただ走り続けた。振るうべき目標すらも定まらずただ力を求め続けた。剣に己の才能を見出し、修練しその効果を試したくて戦場に身を投じた。
BETAという人類が逆立ちしても勝てない超生物相手の闘いだ。それに挑み続ければ最強の力が手に入ると思った。半ばで果ててもその死には意味がある。
勝てば儲けもの、死んでも儲けもの。―――そうやって戦ってきた。だが、俺は死ねなくなった。
伊上ゆい、彼女が俺に呪いを掛けた。それは願いだろう、しかし己にとっては呪いも同然だった。
死に際を逃して生き恥を晒し、さらに死に場所すら選べなくなった修羅。こんな醜悪な悪鬼がほかにあるものか。
「大尉は意外と正義感にも篤い人なのですね。」
“それ故に、自らの悪性を許容できないのか。”
そんなことを思いながら青を纏う武士をバックミラーごしに見つめながら今井は目を細める。
この人の悲劇は、異常な執着や渇望を抱いている癖に倫理観や道徳が真っ当に酷く近い事だ。
本性と理性が致命的にかみ合っていない。だが、それが戦闘という特殊な状況下では完全にかみ合ってしまう。
「……お前にはそう、映るのか。」
「はい。ただ……大尉は些か以上に本質に囚われすぎている、とも見受けられます。」
この人の本質を見抜く眼力は本物だ。しかし、それ故に物事をやや深読みしすぎる帰来がある。
守るモノになりたい、その純粋とまでも言える願いは大切な誰かの危機と敵という存在の犠牲の上に初めて成り立つ。
大切な人の危機、それを望んでしまう己を許せるかと言われれば分からない。だが、そういうところが自分に無いか、と聞かれれば答えようがない。
人間という生き物は身に着けた技術は使わずにはいられない生き物だからだ。
恐らく、人間相手の殺し合いだったとしても其処には人を殺したという罪悪感と、自らの技量を称賛する二心が存在するだろう。
平時が長く続き、研鑽を積み重ねた技量が発揮されず自らが一陣を退く。そんな時代であれば良い時代だとは思うが、自らの力が無駄になったとすれば悔しいという気持ちもまた同時に存在しただろう。
彼が決して許容できない悪性、同じものを自分もまた抱えている。だから彼の苦悩の一片を理解することはできる。
そしてその願望が決して抱いてはいけないものだという事も。
だけど―――
「……貴方は自分を悪鬼と唾棄するのかもしれませんが、その葛藤もまた貴方が人間である証明ではないでしょうか。」
「何が言いたい。」
「さて、私はその答えを持ちかねます。―――しかし、誰かを守りたい・救いたい。その願いが決して間違いであるはずは無い。わたくしはそう、思います。」
例えばだ、一人の男がある女性を妻に迎えた。
男は女に言った「必ず幸せにする。」と、しかしだ、不幸を知らぬ人間にとって幸福とはただの平常では無いだろうか。
普通の事に過ぎないのだ、悲しみも苦しみも、それが在るからこそ人は幸福を実感できる。
逆に、幸福を知っているからこそ絶望を認知出来るともいえる。
この二つの事柄は本来、一枚のコインの表裏のように背中合わせに過ぎないのだ。命の生死がそうであるようにどちらかだけにする、という事は絶対に不可能なのだ。
だから、彼の誰かを守りたいという渇望も………世の悲哀は消しようがない、悲劇に遭遇せずに居ることなど出来ない、幸福はずっとは続かない。という現実を直視した結果なのかもしれない。
彼の本性は、誰かを守りたい―――というモノではなく、別のモノであるような気がした。
「そうですね、温泉でも行かれては如何でしょう。たまには違った環境に身を置くことで見えてくる己もあるではないでしょうか。」
「そんな余裕があるものか。ましてやマスメディアに叩かれる要因ともなろう。」
オーストラリアの一部を租借して其処に一時移住を行っている避難民、ほかにも東北地方に避難している避難民などの難民キャンプでの暮らしは満足とは言い難い。
衣食住何もかもが足りておらず、さらに避難民自体やることがないため先が見えない不安からその思考は悪い方向へと向かう。
―――なんでもいい、斯の空気を何とかしなければ時間稼ぎすら危うい。
そんな中で斯衛の長。五摂家のモノがバカンスというのは醜聞に悪い。
「大尉は未だに重傷の身の上、状態が少々悪化した……となれば致し方ないのではないでしょうか?
―――そうですね、となれば介護の人間も必要。篁中尉も連れ添われては丁度いいかと。」
「……気をまわしすぎだ。」
「申し訳ありません。出過ぎた事を口にしました。」
「よい……が、確かに偶には戦いを忘れることも大切だな。」
「では、そのように手配を致します……篁中尉の説得はお任せいたしま―――少々失礼します。」
一番面倒で需要なことを忠亮に丸投げしようとした今井、しかし彼女はその耳に装着されたインカムに入った通信に意識を傾けた。
「―――え、篁中尉が!?」
インカムから入った通信に表情を険しくする今井。だが、その背中に悪寒が奔った。
「……何があった。」
絶対零度の灼熱の怒気……否、これは殺気だ。
まるで肌を突きさし、剥ぎ取っていくような剣呑な殺気が後部座席から上がっていることに気づく。その発生源は言わずもがなだ。
まるで八寒地獄の最下層に叩き込まれたような錯覚すら覚えた。
「―――強姦未遂事件のようです、被害者は篁中尉と。幸い、甲斐中尉が護衛に入り、また調布基地に移動していた富士教導隊の機体が事件を目撃していた為に被害はなかったようです。」
「犯人は?」
極度に緊張を強いられる今井に淡々と問いを投げかけ続ける忠亮。そんな彼に本能的な恐怖を喚起されながらも今井もまた答える。
「調布基地付属の衛士二名。手口から常習犯だろうと甲斐中尉は予測しています。また精査した結果、薬物も所持していたと。」
「そうか、ならば奴等の過去の悪行を徹底的に暴け、そして消せ。どうせ叩けば埃が出る。あと、担当の捜査官を抱き込んで背後関係を調査しろ。薬物と催眠暗示を使用してもいい」
「それでは脳や精神に深刻なダメージを与えかねません!」
「どうせ放っておいても銃殺刑で消える塵屑の命だ。なら少しでも多くの情操を吐いて貰ったほうが有意義だ。―――それに妙に嫌な予感がする。」
この人は人間の定義が明瞭で強すぎる。
今井は忠亮の言葉とそれに込められる殺気に思わず戦慄した。
彼にとって、身内に害を為すか道を外すかした人間はすでに人間ではない、獣同然なのだ。
彼にとって、敵の区別に動物か人間かBETAか機械かというのはBETAの戦車級か、要撃級か程度の区別に過ぎないのだ。
種族が違うだけで敵という存在であることには違いがない。
普通の人が、敵と人間のどちらかで思い悩むのを彼はすでに線引きし決めている為に迷いがなく、そして強い。
(並ではないと思っていたが――このような人ではなくては、今の時代を切り開けぬ。という事か、しかし最後だけ聞けばまるで血が通わぬ悪漢だな。)
忠亮の行動や言動には、情がないという感想を抱かずには居られない節が所々に見受けられる。
しかし、それは誰よりも情に深いがゆえにそれを赤の他人に分け与える無駄を徹底的に省いているからだ。
他人に要らぬ情を割いて、身内を貧させたり危機に合わせたりすれば本末転倒。情けは人の為に成らず、とも謂うが“情けは仇”または“情けは質には置けぬ”という正反対の言葉もある。
万物は因果応報、情けを掛ける相手を選ばねば要らぬ仇を生むだけとなる。楽観のツケは自分と大切な人間の破滅となる。
情が深いのと、情に流されるのは似て非なる事柄なのだ。彼はそれを弁えている。そして、仇を生むだけの情けは徹底的に排除している。
彼は、非常に合理的で理性的な人間だ。それ故にしばし結果として残忍に見える場合がある……彼が四国で行ったのはまさにその典型だったのだろう。
「いやな予感ですか?」
「ああ……巌谷中佐とも連絡を取る必要があるかもしれないな。」
守るモノがいる場合、攻撃に全力を注げないことがある。
XFJ計画を利用し、その赴任を少々前倒しにして唯依を海外に逃がすことも思案に入れておいたほうがいい。
死ねない闘いよりも、死なない闘いのほうがずっと楽だ。
「まぁそれは兎も角、俺の女に寄ってたかって手を出してくれたんだ。―――地獄を見てもらう。」
そういって酷薄で、狂気を感じる笑みを浮かべる忠亮だった。
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