小さな棺桶
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4部分:第四章
第四章
「いや、それもワレサさんらしいか」
「そうですか」
「それに素直だな」
彼を知っているからそれも言った。
「素直だから戦乱にならなかったのかもな」
「といいますと」
「いや、その金貨千枚を払えと言われた時だ」
「はい」
話はその時に戻る。
「正直払うとはったりを言うだけでもよかっただろう」
「そういえば相手は武器も何も持っていませんでした」
言われてその時のことを思い出す。
「魔術はどうかわかりませんが」
「まあそこで魔術は使わなかっただろうな」
「そうですか」
「運命の分かれ道だ」
役人はそこをまた指摘してみせた。
「あんたがどういった態度を取るのかな。それで決まったんだよ」
「謀反が成功するか失敗するか」
「けれどあんたはないと言った」
それもまた言ってみせる。見れば役人の顔は普段より賢そうなものになっていた。普段の何処か茫洋とした感じはあまりなくなっていた。
「それで決まったんだよ」
「そうでしたか」
「そういうことさ。何はともあれ謀反は防がれた」
役人はそのことに満足していた。納得した顔で頷いているのがそれの何よりの証拠だった。
「よかったよ、本当にな」
「そうですね。しかしまだわからないことがあります」
「何だい?」
首を傾げるワレサに対して問う。
「いえ、何で私みたいなのにそんな国や多くの人の運命が関わるような話が来たんでしょう」
「それか」
「しがない船頭ですよ」
己の職業を話に出す。
「そんなのにどうして」
「偶然だろうな」
役人は少し上を見上げた。そこにある青い空を見つつ答えた。
「偶然ですか」
「はっきりとは言えないがそうなんだろうな」
彼は賢そうな感じが少し消えていた。その代わりにその分だけ懐疑が入っていた。地の茫洋とそこに賢明と懐疑が混ざった、実に複雑な顔になっていた。
「結局のところな」
「偶然なんですか」
「一番わからないものさ」
こうも言ってみせる。
「神様のされることでね」
「神様がですか」
「偶然だけはどうしようもない」
彼の言葉は続く。
「全く以ってな。ダイスと同じだよ」
「転がすまでわからないってことですか」
「あんた博打はしないんだったな」
「ええ」
彼がすることといえば酒だけだ。他にはない。そういう意味では真面目なのだ。もっともその酒の飲み方がかなりの量であるのだが。
「あんなの何がいいのか」
「じゃあわかりにくいな。まあとにかく」
それでも説明する。
「転がしてみて。それからわかるものなんだよ」
「偶然は、ですか」
「今回はいい方向に出た」
それをまず述べる。
「けれど一歩間違えていたら」
「どうなるかわからなかったですね」
「そういうことだな。いい方向に転がって何よりだ」
運がよかった、そう言っていた。それと共にその幸運に感謝もしていた。
「本当にな」
「そうですね。偶然がいい方向に転がって」
「何よりだよ、皆にとってな。当然ワレサさんにもな」
「私にもですか」
「だってそうじゃないか。褒美を貰えるんだ」
話が褒美のそれに戻った。
「いいことじゃないか」
「まあそうですね」
「飲むんだろ、今日も」
「はい」
これはもう決まってることだった。彼にとっては当然の答えだった。
「そのつもりです」
「だったら飲めばいいさ、これから好きなだけ飲めるんだ」
「そうですね。それじゃあ」
「遠慮することはないさ。ワレサさんが運がよかったんだ」
今度は運に話が戻る。話が行ったり来たりだ。
「本当にな。じゃあ今日は」
「今日は?」
「俺も一緒でいいか」
親しげな笑みを浮かべて彼に言ってきた。
「酒を。二人でな」
「いいですね、それ」
そしてワレサもそれに乗る。
「じゃあ二人で」
「俺の分は俺が払うからな。それでな」
「褒美ですから別にいいのに」
「俺も。無欲な性分でな」
また笑っての言葉だった。
「こういうことで誰かに頼りにはなりたくないんだよ。だからな」
「そうですか」
「ああ。じゃあ帰りにな」
「ええ、帰りに」
「二人でビールを飲みに行こう」
二人で約束して分かれた。ポーランドの古い話だ。一人の素朴で無欲な酒好きの男が何となしに素直に答えたことで多くの人の命と国が助かった。世の中時としてこんな偶然があるということだ。それは何時何処で起こるかわからない。このポーランドだけとは限らない。全ては偶然のままである。
小さな棺桶 完
2008・5・6
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