エターナルユースの妖精王
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序章
妖精の尻尾 《前》
水晶玉が転がる。
滑るように転がるそれが、誰にも触れられていないのにも拘らず突如割れた。けれど、その数秒後には何事もなかったかのように、あるべき姿である綺麗な球体へと戻る。
それはまるで、水晶の時を戻したかのようだった。割れた水晶の欠片の1つも残さずに、しかも触れずに元ある姿に巻き戻す―――ただの修繕ではこうはいかないだろう。
「ウルティアよ、会議中に遊ぶのはやめなさい」
見かねた1人が、ウルティアと呼ばれた黒髪の女性を窘める。
しかし、本人たるウルティアは自らの腕の上で転がす水晶玉の動きを止めず、妖艶そうな笑みを浮かべたまま、水晶玉を転がして頭に乗せた。
「だってヒマなんですもの、ね?ジークレイン様」
「お―――、ヒマだねえ。誰か問題でも起こしてくんねーかな」
語りかけられた青髪の青年―――ジークレインは椅子に踏ん反り返って座ったまま、どこか挑発するような笑みを湛える。
不謹慎な発言とだらけた態度、その両方に、会議に参加する厳格な姿勢の他7人は眉を吊り上げた。
「つ…慎みたまえ!!」
「何でこんな若造共が評議員になれたんじゃ!!」
「魔力が高ェからさ、じじい」
「ぬぅ~!!!」
怒鳴りつける老人達に対し、ジークレインは笑みすら崩さない涼しげな顔で言葉を返す。
確かにジークレインの魔力は高いし、それを見込まれて評議員十席の1つに腰かけている。けれど彼は性格に難があるようで、魔法界全土の事を話し合って決める会議にはどうにも不向きなのだった。だからといって彼の代わりになる人間が今すぐ用意出来る訳でもなく、そんなあっさりと大事な役職である評議員を取っ替え引っ替えする訳にはいかないのだが。
「これ……双方黙らぬか」
ジャラ、と杖の装飾が音を立てる。その重みのある一言で老人達は引き下がり、対するジークレインは態度を崩さないまま口を閉じた。
ここにいる10人の中で1番地位が高いのであろう老人はジークレインの態度には触れず、予定通りの議論を進めるべく口を開く。
「魔法界には常に問題が山積みなのじゃ。中でも早めに手を打ちたい問題は……」
場の空気が、冗談もふざけも許さないものへと変わる。その次に続く言葉をなんとなく全員が理解しながらも、全員が議長の言葉を待つ。
そして議長が口にしたのは、予想通りに―――何度も何度も議論を繰り返して、それでも結局何も解決しないままの名前だった。
「妖精の尻尾のバカ共じゃ」
フィオーレ王国。
人口1700万人の永世中立国で、その王国内に港街ハルジオンはあった。
魔法が盛んな中、この街は漁業に力を入れている。だから港に行けば船があちこちに泊まっているし、街に出れば漁師や商人など人で溢れ返っている訳だ。
そんな大きな街なので当然駅にも人が多く、その多い客の中には何かしらの事実で駅員を困らせる場合もない訳じゃない。それは喧嘩であったり列車に置き忘れた忘れ物であったり、例えば。
「あ…あの…お客様……だ…大丈夫ですか?」
この駅員が戸惑いつつ声をかける少年のような、重度の乗り物酔いであったりする。
文字通り目を回す少年の呼吸は苦しそうで荒い。ツンツンした桜色の髪に、どことなく鱗を模したような柄の白いマフラー。背中には鞄と毛布を背負い、よほど苦しいのか駅員の問いに答える事も出来ない。
「あい。いつもの事なので」
その少年―――ナツの代わりに駅員に答えたのは、ネコだった。
見た目は誰がどう見ても、どこをどう見てもネコとしか言いようがない。だけど喋る。しかも当たり前のように二足歩行する。
毛は綺麗な青、尻尾の先だけが白い。緑色の風呂敷を背負う喋るネコ―――ハッピーは、低い位置から駅員を見上げていた。
「無理!もう2度と列車には乗らん……うぷ」
「情報が確かならこの街に“火竜”がいるはずだよ、行こ」
「ちょ……ちょっと休ませて…」
ハッピーの方は元気だが、ナツはといえば立ち上がろうとするだけで吐き気が込み上げてくるレベルでグロッキー状態に陥っている。どうにか話せるもののその声は途切れ途切れで、窓から顔を出して外の空気を吸っていた。
「うんうん」
ナツが乗り物に弱いのはハッピーも知っているし、苦しいなら少し休んだ方がいいだろう。無理に動かして更に状態が悪くなるのは可哀想だ。
と、そう思いながらハッピーは先に列車を降り、何気なく後ろを振り返る、と。
「あ」
「!」
ナツの姿が遠くなる。どうやら発車時刻が来てしまったらしい。
ガタン、ゴトンと音が遠くなり、同じようにナツの「たーすーけーてー……」という声も遠くなる。
「出発しちゃった」
その様子に、ハッピーは表情1つ変えずに呟いた。
「え――――っ!!?この街って、魔法屋一軒しかないの?」
ナツが列車から降り損ねたのと同時刻のハルジオンの街。
街で唯一の魔法屋“MAGIC STORE 3ZX3”の店内で、少女の驚愕の声が響いた。
「ええ……もともと魔法より漁業が盛んな街ですからね。街の者も魔法を使える者は一割もいませんで、この店もほぼ、旅の魔導士専門店ですわ」
そう答える尖がり帽子を被る店主と、カウンターを挟んで立つ少女。
肩ほどまでの長さの金髪をサイドテールに結わえ、青いリボンを飾っている。青いラインが生える白のノースリーブのトップスに、鮮やかな青のミニスカート。足元は黒い厚底ブーツを履いている。ファスナーで前を締めるタイプのトップスは胸の辺りまで開かれている為に、豊満な胸の谷間が覗いていた。
ベルトの右側には金銀の鍵の束を、左側には自衛用の鞭を装備した少女―――ルーシィは、店主の言葉に溜め息をつく。
「あーあ……無駄足だったかしらねえ」
「まあまあ、そう言わずに見てってくださいな。新商品だってちゃんと揃ってますよ」
せっかく来た客を逃す訳にはいかない。
店主が取り出したのは、文庫本ほどのサイズの箱のようなもの。
「女の子に人気なのは、この“色替”の魔法かな。その日の気分に合わせて…」
言うが早いが箱を開き、中のギアをくるりと回す。
すると、緑に近い色合いの魔法陣が展開し、キラキラとした光が店主を包み込んだ。
「服の色をチェンジ~ってね」
「持ってるし」
服の色を変えてポーズを決める店主だが、ルーシィは聞いてはいるものの見てはいない。缶の上に変な顔の人形を乗せたような見た目の魔法アイテムを「何コレ」と呟きつつ棚に戻す辺り、彼女の興味は店主には微塵も向いていないのだろう。
そんな彼女相手に崩れ落ちた店主だったが、まだ諦める必要はない。ルーシィがダメなら、もう1人を狙うまで。
「でしたら、これなんてどうでしょう?最近男性に人気で」
「必要ない」
が、そのもう1人はルーシィ以上に店主に冷めていた。商品を見る事無くぶっきらぼうに言った連れに、先ほど店主の勧めを見る事なく拒否したルーシィでさえも振り返って溜め息をつく。
「ちょっとニア、せめて最後まで聞きなさいよ」
「聞いたとしても買うつもりはないんだ。だったら聞くだけ無駄だろう」
そもそも興味もない、と続ける青年―――ニアは固まった店主を一瞥すると、店の棚1つ1つから何かを探すように目線を彷徨わせる。
紺色のパーカーのファスナーを上を僅かに残して締め、小さく開いた箇所からはやや明るいグレーのインナーが覗く。黒のズボンのポケットに手を入れ、色味を抑えた水色のスニーカーを履く足は音を立てずに店内を歩いていた。紺色のフードと濡れ羽色の長めの前髪の奥、澄んだ水色の目が商品を眺めては視線を外す。
「それより、目当てのものは見つかったのか?」
「あ、そうそう!!あたし、門の鍵の強力なやつ探してるの。そっちにある?」
「…いや、見た限りはない。ただ、お前が探してた小犬座の鍵ならあるけど」
「え!?」
ニアが指す棚に駆け寄り、じっとガラスの奥を見る。いくつかの銀色の鍵が並ぶのをじっくり見つめながら、3つ目の鍵がルーシィの欲しがるそれだった。
「あっ、白い子犬!!!」
「そんなの全然強力じゃないよ」
「気にするな、この街に来るまでもずっと探してた鍵なんだ…で、買うのか?」
「もちろん!!!」
弾む声と満面の笑みで頷いて見せると、ニアは「そうか」とだけ返して店内の雑誌を適当に取ってパラパラとめくり始めた。
ルーシィは満面の笑みのまま店主に近づき、表示されていない値段を尋ねる。
「いくら?」
「2万J」
……ルーシィ停止。ニアも雑誌から目線を上げる。
「お・い・く・ら・か・し・ら?」
「だから2万J」
ひたすらにっこり笑顔で問うが、店主が示す値段は2万Jのまま変わらない。ルーシィのしたい事を悟ったらしいニアは密かに苦笑いを浮かべるが、2人には全く気付かれなかった。
こうなれば仕方がない。本当は使いたくなかったが―――――やるしかない!
「本当はおいくらかしら?ステキなおじさま」
「ちぇっ、1000Jしかまけてくれなかったー」
結局、ルーシィの秘技“お色気作戦”は微妙な結果となった。
自分の胸を寄せて上目遣いをし、頬を薄い赤に染め、甘い声で値切ってみた結果、確かに値切ってはくれた。その額が然程大きくないというだけで。
「あたしの色気は1000Jか―――っ!!!」
苛立ちを隠さずに近くの店の看板を蹴る。ガコッと派手な音に驚いたのか、散歩中の老人がびくっと震えた。
と、その横を歩いていたニアが溜め息をつく。
「……あのなあ、それだけでも値切ってもらえただけマシだと思えよ。オレが店主だったら1Jも値切らないだろうし」
「そうね……って、つまりあたしに色気がないって言いたいの!?」
1度は聞き流しかけたものの、よく考えればそういう意味合いであり。
噛みつかんばかりの勢いのルーシィをあしらうように宥めながら、ニアの口元がニヒルな笑みを描く。
「どう思うかは人それぞれだろ?お前みたいなのを好む奴もいれば、色仕掛けを毛嫌いする奴もいる。で、オレは後者に近い」
「近い…って事は」
「人によるって事だよ。生憎、オレの好みは年上なんでな」
そう言って肩を竦め、「それより」と呆れ気味の声で問いかける。
「さっきから気になってたんだが、あれは何の騒ぎだ?」
「え?…何かしら」
ニアが指差す先、大通りの真ん中。明らかに通行の邪魔になる位置に、何やら人が集まっていた。しかも集まっているのは若い女の子ばかり。きゃあきゃあと黄色い歓声を上げながら、首を捻っている間にもどんどん増えていく。
「この街に有名な魔導士様が来てるんですって」
「火竜様よ――っ!!」
文字通り目をハートにして駆けて行く女の子達。そんな彼女達が口々に叫ぶのは、共通して火竜の名前と有名な魔導士だという事ばかり。
「火竜!?あ…あの、店じゃ買えない火の魔法を操るっていう…この街にいるの!?」
ぱん、と手を叩くルーシィ。その顔には笑みが広がっている。
火竜といえば凄い火の魔法を使う魔導士として有名だ。その名前を知らない魔導士はまずいないだろう。ルーシィとて魔導士の端くれ、当然知っている。
「何かと思えばそんな事か……オレ達には関係ないし、別の道を…」
ど真ん中で人混みを作られては通れない。そう判断したニアが騒ぎから目を離し、左隣を歩くルーシィに目を向ける、が。
「凄い人気ねえ……かっこいいのかしら」
「あ、おいっ」
「ちょっと見てくるだけ!!ここで待ってて」
金髪の後ろ姿は、気づけば人混みに近づいていく。少しの間ぽかんとするニアにひらりと手を振って、ルーシィは女の子達の中に紛れていった。
その姿が完全に見えなくなるのと同時に、深い溜め息を1つ。
「どうせ大した魔導士じゃないだろうに…こんな街中の道のど真ん中で愛想振りまくんじゃねえよ邪魔臭い」
そう言いながらも、その足は人混みへと向かっていく。
そしてこちらは空腹だった。
「列車には2回も乗っちまうし」
「ナツ乗り物弱いもんね」
「ハラは減ったし……」
「オイラ達お金ないもんね」
食事云々の前に一体どうやって帰るつもりだったのかが謎だがそれはさておき。
先ほどまでの酔いがまだ若干残っているのか、よたよたと歩きながらナツは言う。
「なあハッピー、火竜ってのはイグニールの事だよなあ」
「うん、火の竜なんてイグニールしか思い当たらないよね」
「だよな」
どうやら火竜を探しているようだった。少女だけでなく少年から探されるほどの魔導士なのだろうか。
問いかけにハッピーが頷くと、ナツは握り拳を突き上げる。
「やっと見つけた!ちょっと元気になってきたぞ!」
「あい」
声に明るさが戻ってきた。探していた相手の発見に笑みを浮かべ、さてどこにいるのかとあちこちに視線を走らせる。
港町というだけあって、漁師やら商人やらを始めとして人が多い。今ナツ達が歩いているのはまだ人が少ない方の道だが、すぐ近くが大通りだからか沢山の人の声が響く。それも何やら少女の声が多いような……?
「!」
黄色い歓声、という言葉をそのまま目に見える形にしたような光景だった。
数えるのも面倒そうなほどの人数の少女やら女性やらが、大通りの中央辺りで人混みを作っている。きゃあきゃあと上がる声の中に混じった「火竜様~」の歓声を、ナツは聞き逃さなかった。
「ホラ!!噂をすればなんたらって!!」
「あい!!!」
甲高い悲鳴の中心は男性だった。
紺に近い色合いの髪は左側に流れるようなヘアスタイルで、額右側にXを上と下からぺしゃんこにしました、みたいな刺青を入れている。船の舵に似た模様が大きく入ったマントに、どこでも売っていそうな白シャツと赤いズボン。指輪といいブレスレットといい、やけにアクセサリーが目立つ。
顔立ちが特別整っている訳でもなく、更にいえば特別若くもない。大勢の女の子に囲まれるには些か魅力に欠けるような男だった。
―――――なのだ、が。
そんな男のはずなのに、ルーシィの鼓動は高鳴る一方だった。
(な…な…な…何?このドキドキは!?)
頬が熱い。きっと赤色に染まっているのだろう。
目が離せない。胸は絶えず高鳴って、外にまで聞こえてしまいそうだ。冷静になってみれば大した魅力もないはずなのに、そんな冷静な思考を説明不可能な何かが魅了する。
(ちょ……ちょっと…!!あたしってばどうしちゃったのよっ!!!)
どうしたのかなんて解らない。解らないけれど。
「ははっ、まいったな。これじゃ歩けないよ」
困ったような微笑みを浮かべる火竜。だがちっとも困っているようには見えない。今この場にニアがいれば「正気に戻れ、ああいうのが好みなら口出ししないけどな」などと言って冷静さを取り戻させてくれたかもしれないが、生憎彼は人混みから距離のある位置にいる。
と、そんな火竜の視線がこちらに―――ルーシィと、目が合った。
(はうぅ!!!!)
目が合うなんて誰とでもある事で、別に特別な意味合いなんてない事が多いのだけれど。
目が合ったその瞬間、ルーシィの胸は今まで以上にキュンと高鳴った。
(有名な魔導士だから?だからこんなにドキドキするの!?)
感情が暴れる。胸に当てた手から鼓動が伝わる。
零れた吐息が熱を持ち、これではまるで恋する乙女のようではないかと―――――
「イグニール!!イグニール!!!」
「ちょっ、何よこのガキ」
「チッ…ロクでもない奴に……!!」
本当に恋する乙女なのかもしれない。恋を、しているのかもしれない。
自然と目がハートになる。ふらっと歩き出す先にいるのは、ルーシィを魅了してやまない火竜。
伸ばす右腕は、少しでも近づきたいという感情の表れだろうか。
(これってもしかして、あたし…)
「イグニール!!!!」
その思考を遮るように、それは突然現れた。何故か女の子の脚の間から。
桜色の髪に鱗を模した白いマフラーの少年―――つまりは、火竜を探していたナツだった。そのすぐ傍にはハッピーもいる。
「!」
突然妙なところから現れた少年に、やや驚いたような表情を浮かべて目を向ける火竜。
それと同時に、ルーシィの目からハートがぽとりと落ちた。あれだけ暴れ回った感情も何事もなかったかのように引いて、高鳴った鼓動は正常に戻る。抱えていた熱なんて最初からなかったかのようだった。
そんな1人の少女に変化が起きていた頃、ナツと火竜は無言で見つめ合い、そして。
「誰だオマエ」
「!」
どうやら思い描いていた相手ではなかったようだ。
指を差された火竜は、ショックなのか僅かに表情を引きつらせる。が、その程度で折れていては魔導士なんてやっていられない。彼の対応は早かった。
「火竜と言えば、解るかね?」
キリ、と引きつった表情を決め顔に変えて顎に指を添える。
繰り出したのは、魔導士もそれ以外の人も知らない人はいないであろう異名。聞けば誰でも振り返る、誰であっても「ああ、あの!」と反応を示すその名前は、勿論ナツにも効果が―――
「はあー……」
「はやっ!!」
なかった。そもそも聞いちゃいなかった。
気づけば、彼は既にこちらに背を向けている。女の子達よりも向こう側、顔は見えないが明らかに落ち込んだ様子で溜め息までついているではないか。
「ちょっと、アンタ失礼じゃない?」
「そうよ!!火竜はすっごい魔導士なのよ」
「謝りなさいよ」
「お、お、何だオマエら」
そして、何故か火竜ではなく周りの女の子達が騒ぎ出す。怒りの形相であっちからこっちからと怒号が飛び、ナツのマフラーを掴んでズルズルと引きずり戻していった。目指す先は、勿論輪の中心。
「まあまあ、その辺にしておきたまえ。彼とて、悪気があった訳じゃないんだからね」
「やさし~」
「あ~ん」
片目を閉じて決め顔の火竜。先ほどまでの怒りはどこへやら、そんな彼の優しさに女の子達はとろけんばかりの甘い声で更に夢中になっていく。怒りでつり上がっていた目もハートマークに戻っていた。
そんな中ただ1人、ルーシィだけは火竜を真っ直ぐに睨みつける。つい先ほどまでは彼女も周囲の女の子達と変わらなかったのだが、今はまるで何かに気づいたようで。
が、そんな睨みには全く気付かず、火竜はどこからか取り出していた色紙にペンを走らせる。キュ、キュと滑る音を鳴らして何やら書き込むと、それをさっと座り込むナツへ差し出した。
「僕のサインだ、友達に自慢するといい」
「いらん」
キャー、やらいいなー、やらと飛び交う中、何でそんなもの渡してくるんだと言わんばかりに困惑した表情で返す。この空腹時、差し出されるのが食べ物ならまだしも、どこからどう見たって売ってもマトモな金になりそうもないサインである。更にそれを差し出してくるのは探していた“イグニール”かと思いきやの全くの別人、赤の他人。
やけに飾られた文字の並ぶ色紙は、ナツにとっては無価値も同然。―――だが忘れてはいけない、今の彼の周囲には彼女等がいるのだ。
「何なのよアンタ!!!」
「どっか行きなさいっ」
「うごっ」
またしても少女達の怒りに触れたらしい。先ほど輪の中心に引っ張ってきたのは彼女達だというのに、いらないものにいらないと答えただけで今度は弾き出される。
「人違いだったね」
ズシャ―――、と地面を滑ってどうにか止まったナツに近寄るハッピー。だがそれに返す力もないのか、弾き飛ばされた体勢のまま動かない。
そんなこんなで輪の中心。
少年が1人弾き飛ばされようと女の子達の歓声を受け続ける火竜に唯一見惚れていない金髪の少女、つまりルーシィは、完全に興味を失ったのか彼にくるりと背を向け――――ようとして、そっと肩を叩かれた。
剥き出しの肩に突然触れた、暑い今の時期に不釣り合いなほどの冷たさにびくっと震えつつそちらに振り返ると、見知った顔が呆れた表情を作っている。
「ニア」
「お前なあ…名の知れた魔導士に興味があるのは解らんでもないが、わざわざ最前列に行かなくてもいいだろ。コイツ等かき分けるの、結構な重労働なんだからな」
はあ、と深い溜め息をつく。周囲の歓声が余程嫌なのか鬱陶しそうに眉を寄せて、やけに冷たい手がルーシィの手を掴んだ。
「え、ちょっ」
「もう興味はないんだろ、だったら早くコイツ等から離れたい」
「そうだけど、手…」
「不快なんだよ、こういう声。しかもその対象が、どこに惹かれるか全く理解出来ないオッサンなら尚更だ。これはここから早急に離れる為の手段であって、他意はない」
どこかで女の子達のナツへの言動を見ていたのだろう。歓声に紛れるくらいの小声、しかも早口でそう言い切って、空いた左手で力任せに女の子達をかき分けていく。
「君達の熱い歓迎には感謝するけど……僕はこの先の港に用があるんだ。失礼するよ」
2人がどうにか輪から外れ、冷たい手が離れたのとほぼ同時に、火竜がそう言った。もう帰っちゃうのー、と甘ったるい猫撫で声があちこちから飛び交い、寒気でも覚えたのかニアが己の身を抱くように腕を回す。心底嫌そうな顔の彼に「そんなに苦手なの?」と問えば、その表情のままこくっと頷いた。
と、黄色い悲鳴の中でもよく聞こえた指を鳴らす音。パチン、と響いたそれは紫の魔法陣を展開させ、大きく渦を巻くように同色の炎が空へと伸びる。
「夜は船上でパーティーをやるよ、皆参加してくれるよね」
炎に乗ってハルジオンの空を駆ける火竜。その姿を目で追い、更に駆け出す女の子達。もちろんですぅ~、と明らかにメロメロな彼女達の声が港町に響く。
「何だアイツは」
「本当いけすかないわよね」
ようやく起き上がり、その目は紫に似た色の炎を追う。探し求めていたイグニールかと思えば違うし、何だかよく解らないまま引きずり戻されたり弾き出されたりと結構踏んだり蹴ったりなナツに、かけられる少女の声があった。
何かと思って振り返れば、金髪をサイドアップに結わえた少女が快活そうに笑う。
「さっきはありがとね」
「は?」
「?」
連れと思われる紺色パーカーの青年が、「無自覚だろうから伝わらないぞ」と溜め息混じりに呟いた。
凄まじい、壮絶、とんでもない。
これらに似た意味合いの言葉は漁ればいくらでも出てきそうだが、どれを引っ張り出してきてもこの光景には足りない気がする。―――なんて、ニアの抱く感想に、この店の中の1人くらいは共感してくれるはずだ。
「あんふぁふぁふぃいいひほがふぁ」
「うんうん」
がばばば!とハンバーガーを頬張り、ぐぼばば!と野菜炒めを掻き込む。それと同時進行でバスケットの中のパンを掴んで口の中に突っ込んだ。更に慌ただしく骨付き肉に噛り付き、握りしめたフォークにラーメンを絡め具も麺もまとめてズピピビ!と啜り、フォークを離したかと思えば右手が次に掴んだのは並々と飲み物を注いだタンブラー。ゴキュゴキュと音を鳴らして飲んでいくものの、結構な量が口に入らずに零れている。
驚く事に、テーブルに並ぶのはこれだけじゃない。皿いっぱいに盛られた骨付き肉に1人前ほどの量のパスタ、バスケットの中には食パンに丸いパンに細長いパンと様々な種類が詰め込まれ、大きめのテーブルの半分以上を皿が埋め尽くしていた。しかもそれらを食べるのはナツ1人であり、その食べっぷりといったら、3日ぶりにマトモな食事に有り付いたと説明されたって特に疑いはしないだろう。
「あはは…ナツとハッピーだっけ?解ったからゆっくり食べなって。何か飛んできてるから……てかお色気代パーね…」
「ショック受けるほどの額じゃないのが幸いか」
「それ凄い微妙なんだけど!!!」
向かい側に座るルーシィも、この光景には乾いた笑いしかない。べちゃ、と飛んできたのは何の汁だろう。それ以外にも真正面から飛んでくる液体をどうにか避けるルーシィが注文したのはアイスクリーム1つ、ニアが注文したのはアイスコーヒーで、これらはまだ汁の被害には遭っていないようだった。
「あの火竜って男、“魅了”っていう魔法を使ってたの。この魔法は人々の心を術者に引きつける魔法なのね」
「けどそれ、何年か前に発売が禁止されなかったか?悪用されての被害が続出したとか何とか……」
「禁止される前に買ったのよ、きっと。それにしても、あんな魔法で女の子達の気を引こうだなんて、やらしい奴よね」
同意を求めてみるが、返事はない。正面のナツは凄い音を立てて食事にがっついているし、ハッピーは頬張った魚に夢中。ニアはといえば先ほどの一言を最後にうつらうつらし始めている。
「あたしはアンタ達が飛び込んできたおかげで、魅了が解けたって訳」
「なぶぼご」
なるほど、と言ったのだろうか。
「こー見えて一応魔導士なんだー、あたし。あとニアも」
「ほぼぉ」
「まだ2人ともギルドに入ってないんだけどね」
「オレは入ってないんじゃなくて入る必要性を感じてないだけだ」
ルーシィの言葉に、先ほどまですぐにでも寝てしまいそうだったニアが口を挟む。「起きてたの?」と問うと「呼ばれた気がして起きた」と素っ気ない返事。
まあ素っ気ないのはいつもの事だし、と思い直して、ただギルドと言ったところでナツは解っているのかと考える。ギルドという単語自体は有名なものだが、その単語をポンと出しただけでは首を捻っているかもしれない。
魔導士じゃない人に魔導士の世界の話をしようと思ったら、ちゃんと説明する必要があるだろう―――そう思い至って、「あ、ギルドってのはね」と切り出した。
「魔導士達が集まる組合で、魔導士達に仕事や情報を仲介してくれるところなの。魔導士って、ギルドで働かないと一人前って言えない者ものなのよ」
「ふが…」
「でもね!!でもね!!」
ナツの相槌を遮って、説明途中に熱を持ったらしいルーシィは嬉しそうな満面の笑みで身を乗り出す。その様子に溜め息をつくニアを見る限り、こういう事は少なくないのだろう。どうやら彼女は話すのが好きなようで、既にこの話を長々と聞かされている彼はフードの奥の表情を密かに顰めた。
「ギルドってのは世界中にいっぱいあって、やっぱ人気のあるギルドはそれなりに入るのは厳しいらしいのね。あたしの入りたいとこはね、もうすっごい魔導士がたくさん集まるところで、ああ……どーしよ!!入りたいけど厳しいんだろーなあ…」
「いあ゛…」
「あーゴメンねえ、魔導士の世界の話なんて解んないよねー」
やはりいくら説明しても、解らないものは解らないだろう。どう反応したものかと微妙そうな表情のナツに軽く謝罪を入れて、満足そうな表情で笑った。
「でも絶対そこのギルド入るんだあ、あそこなら大きい仕事沢山もらえそうだもん」
憧れの眼差しで窓の外を見る。
入るのが難しいのを解っていて、もしかしたら門前払いされる可能性も頭に入れた上で、それでも憧れるのを止める事は出来なかった。そんな簡単に諦められるような夢なんかじゃないのは、自分が1番よく解っている。
そんな連れを、頬杖を付くニアはちらりと横目で見た。再会した時と変わらない、夢見る乙女の顔。叶う確率なんて誰にも解らない夢を持った、真っ直ぐな目。憧れだと語った彼女の気持ちは曇る事を知らないようで。
「ほ……ほォか…」
「よく喋るね」
パスタを口から垂らすナツと魚を食べ終えたハッピーが、困惑気味に呟いた。
「そういえば、アンタ達は誰か探してたみたいだけど……」
「あい、イグニール」
思い出したようにルーシィが問う。その問いかけに、ハッピーが右手を上げて答えた。
「火竜がこの街に来るって聞いたから来てみたはいいけど、別人だったな」
「火竜って見た目じゃなかったんだね」
「てっきりイグニールかと思ったのにな」
「おい…お前ら火竜って言葉の意味解ってるのか?火の竜って書くんだぞ…?そんな見た目の人間いてたまるか」
「見た目が火竜……って、どうなのよ…人間として……」
ナツとハッピーのやり取りに、寝惚けていたニアの頭も覚醒したらしい。脳裏に“見た目が火竜な人間”を思い浮かべようとして失敗したのか、僅かに眉間に皺を寄せた後、呆れたように肩を竦める。それはルーシィも同感で、笑みは保ちながらも顔色が青い。想像して恐ろしくでもなったのか、とニアは勝手に思った。
「ん?人間じゃねえよ」
そんな二人に、さも当たり前の事を確認するような口ぶりで、ナツは言う。
「イグニールは本物の竜だ」
……。
数秒、沈黙。
ガタ、とルーシィが体を後ろに引く音がした。続けて、上がった足がテーブルにぶつかり揺らし、乗っていたアイスと塩の入った容器が跳ね、机に返る音。同時にアイスコーヒーのグラスも跳ねて、液体が揺れる音と氷同士がぶつかる音が―――――
「そんなのが街の中にいるはずないでしょー!!!」
「「!」」
「オイイ!!!今気づいたって顔すんなー!!!」
した、瞬間にルーシィがツッコミを入れていた。
魔法に溢れるこの世界であっても、竜というのは既に絶滅したとされる生き物。それがまだ存在しているのいうのも驚きだが、竜が街に現れたと信じて疑わなかった様子の一人と一匹にも驚きである。それを指摘すれば、言われてようやく気付いたと言わんばかりに衝撃を受けた様子のナツとハッピーが口をあんぐりと開けていた。
「……おいルーシィ、一つ聞いてもいいか」
「な…何よ?」
「コイツ等は馬鹿か、それとも阿保か」
「……さあ?」
本人達の目の前で答えを出すのは気が引けて、引きつった笑みで首を傾げるだけに留めておいた。
それから数分後。
「じゃあ、あたし達はそろそろ行くけど…ゆっくり食べなよね」
「珍しいな、お前が誰かに奢るなんて。槍でも降るのか」
テーブルに数枚の札を置きながら立ち上がる。隣で失礼な一言を放ったニアの足を軽く踏めば、「いっ……」と声を上げそうになったのをどうにか歯を食いしばって堪えたようだった。じろりと睨む水色の目は無視する。
通路側に座っていた彼が踏まれた足を軽く引きずりながら立ち、ルーシィも席から離れる。そのまま特に振り返りもせず、自分達の分と彼等の分までお金はテーブルに置いてきたし、さて後は店を出るだけ――――
「……おい」
「え、何?」
ありがとうございましたー、とにっこり笑顔で言ったウエイトレスの顔が引きつったのがきっかけだろうか。その視線を何気なく辿って、すぐさまニアは後悔した。
彼の呟きはその光景へのツッコミ的意味合いだったのだが、どうやらルーシィは呼びかけられたと勘違いしてしまったらしい。同じように振り返って、すぐに彼女も固まった。それと同時に、ニアの声は呼んでいた訳ではないと理解する。
「ごちそう様でしたっ!!!!」
「でした!!!!」
「きゃー!!やめてえっ!!!恥ずかしいからっ!!」
状況が解らないとでも言いたげにぽかんとしていた顔が、次の瞬間には泣き出した。そして素早い動きで通路に出て来たと思えば、その場に膝と掌を付き、勢いよく頭を下げる。
どうやら奢ってもらう事への感謝らしい。それはなんとなく解ったが、他の大勢の客が見ているのを解っているのかいないのか、大声と土下座はやたらと客や従業員の目を引いて、視線がナツ達とルーシィ達を行ったり来たりするのが解る。
「い…いいのよ…あたし達も、っていうかあたしも助けてもらったし……おあいこでしょ?ね?」
「あまり助けたつもりがないトコが何とも……」
「あい……はがゆいです……」
「他人のフリしていいか」
「ちょっ、一人だけ逃げないでよ!!」
どうにかお互い様という事にしてこの状況を打破しようとするものの、ナツ達としては納得がいかないらしい。確かに彼等からすれば、イグニールを探し求めて人混みに飛び込んだら偶然助かっていたらしい、程度ではある。全く助ける気はなかったわけで、それで奢ってもらうのはただ奢ってもらうのと同義な気がしていた。
そんな彼等を一先ず放って、ざわつく店内とあちこちからの視線に耐え切れないのか先に店を出ようとするニアと「止めろオレは奇異の目に晒されたくない」「それはあたしだって同じよ!!」などと言い争う。勿論誰にも聞こえないように小声で、だ。
「そうだ!!」
と、その小声の言い争いを止めたのは、多分止めた自覚はないであろうナツだった。
助けた自覚はなく、けれど奢ってくれるというルーシィとお互い様という事に出来る材料を見つけたのか、ポンと手を打って何かを取り出す。
「これやるよ」
「いらんわっ!!!!」
その材料―――あのいけ好かない火竜の、やけに飾られたサインが斜めに書かれた色紙を、迷わずルーシィは叩き落とした。
どうにかレストランを出て、二人はハルジオンの広場にいた。数あるベンチの一つに腰かけて、ここに来るまでに買った魔法専門誌“週刊ソーサラー”のページをめくる。
「まーた妖精の尻尾が問題起こしたの?今度は何?デボン盗賊一家壊滅するも民家七軒も壊滅……あははははっ!!!やりすぎー!!!!」
「落ち着け、下手するとスカートの中見えるぞ」
ベンチに寝転がって腹を抱える。ばたばたと足を動かしながら笑い転げるルーシィに、丁度彼女の足が向いた方から歩いてきたニアが眉を顰めた。その手には、どこかで買って来たのかペットボトルが握られている。どうやら中身はコーラらしい。
彼の指摘を受けて慌てて座り直す。が、特に見えていなかったのかどうでもいいのか、ニアは無言で空いた右隣に座り、キャップを開けた。ぷしゅっ、と炭酸特有の音がする。
「…で、お前は何に大笑いしてたんだ」
「これよ、妖精の尻尾の起こした問題取り上げてるの。また派手にやったわよねえ…」
「この間はどこだったかの教会が全焼してなかったか…?」
「フリージアね」
ごくごくと喉を数度鳴らして飲んだニアの、キャップを締めながらの問いかけに、ルーシィは雑誌を見せながら答える。呆れた様子の彼が言う通り、教会全焼の記事はつい最近見たもので、それも同じギルドが起こしていた。
「あ。グラビア、ミラジェーンなんだ。ほらニア、この人とかアンタの好みっぽくない?年上だろうし」
「いや、年下だろ。それとオレは年上ならいい訳じゃない」
「えー、絶対アンタの方が年下だと思うけど……まあ、ニアの年齢知らないから解んないけどね」
ページを変えて雑誌を見せるが、どうやら彼の好みの枠からは外れたらしい。前髪を上げて縛り、ふわふわとした銀髪を背中辺りまで伸ばした雑誌の中の女性は、なかなかの美人である。確かにニアとは相性の悪そうな、おっとりほんわか系ではあるのだろう。
どういう訳か頑なに年齢や生まれた年については口を閉ざすので年齢は解らないが、見た目だけで判断しても彼の方が年下だろうとは思う(因みに誕生日は聞いたらあっさり答えた)。まあ実際のところは解らないのだが。
「妖精の尻尾の看板娘ミラジェーン。こんな人でもめちゃくちゃやったりするのかしら」
ぷ、とまた零れそうになった笑いをどうにか抑えて、ぱたんと雑誌を閉じる。
「てか…どうしたら妖精の尻尾に入れるんだろ。やっぱ強い魔法覚えないとダメかなあ。面接とかあるのかしら?」
「面接があったとして、色仕掛けでどうにかしようとするなよ。それだと多分ほぼ確実に失敗する」
「しないわよ!!」
隣で至極真面目な顔で言ったニアに噛み付く。彼はやたらと無駄な一言が多い。
いつもの癖でツッコんでから、ルーシィは頭にその名前を思い浮かべる。それだけで笑みが広がって、溢れる喜びに似た感情を噛みしめるように呟いた。
「魔導士ギルド妖精の尻尾。最高にかっこいいなあ」
「へえー……君…妖精の尻尾に入りたいんだー」
「!!!」
ガサッ、と背後で音がした。
まさかニア以外に聞かれているとは思わなかったルーシィは驚きながら振り返り、茂みから姿を現した相手を見て更に目を見開く。ニアが「うげ…」と嫌そうな声を全く隠す気なく零していた。
「サ……火竜!!?」
そう。
現れたのは、先ほど街で女の子達に魔法の力でちやほやされていた火の魔導士。魅了が効かない今となってはどこに惹かれたのかすら全く解らない男。
額の入れ墨にマント姿の、火竜と呼ばれる魔導士だった。
「いやー、探したよ……君のような美しい女性を、ぜひ我が船上パーティーに招待したくてね」
「は…はあ!!?」
「……」
ガサガサと茂みを揺らしながら近づいてくる火竜が距離を詰めていく。
何を言っているんだと驚くルーシィの後ろで、立ち上がる気配と音がした。
「…悪いが、お前のような男の誘いに乗る気はない。それと残念だが魅了は効かないから、魔法でどうにかしようなんて阿保みたいな考えは捨ててしまえ。いっそそんな考えが浮かぶ腐った脳ごと捨てればいいとオレは思うけどな」
冷たい声をいつも以上に冷やしきって、更に棘を仕込めるだけ仕込んだような声色で彼は言う。
反射的に振り返った先、被ったフードと眺めの前髪の奥の瞳が軽蔑するような色を持って火竜を見据えていた。
「き…君、失礼じゃないのか?第一僕は君に用なんて」
「連れが妙な誘いを受けそうになっている状況で口を挟むなと?阿保かお前は」
ぴしゃりと返された言葉、特に阿保の部分にショックを受けたらしい火竜の動きが止まる。彼と長く接していれば、彼が「阿保」と口にするのは日常茶飯事なのでわざわざ気にする事でもないのだが、初対面でそうはいかないらしい。
この隙を、ルーシィは見逃さなかった。鞄を肩にかけ、火竜を指さす。
「ニアの言う通りよ。あたしに魅了は効かない。魅了の弱点は“理解”…それを知ってる人には魔法は効かないんだから」
突きつけるように言うと、それで火竜は調子を戻したのか笑う。
「やっぱりね!目があった瞬間魔導士だと思ったよ。いいんだ、パーティーにさえ来てくれれば」
「行く訳ないでしょ!アンタみたいなえげつない男のパーティーなんて」
「えげつない?僕が?」
「魅了よ、そこまでして騒がれたい訳?」
「あんなのただのセレモニーじゃないか。僕はパーティーの間、セレブな気分でいたいだけさ」
「セレモニー、ね…」
えげつない、との一言に心外だとでも言いたげな火竜は決め顔で微笑む。が、魅了にかかっていない今、それに心動かされはしない。
それどころかニアの呟きが示すように、ルーシィもこの男を嫌いなジャンルに放り込み始めていた。女の子達の心を魔法でいじっておいて、それがコイツのセレブ気分を保つ為の道具のような扱われ方をしているのが気に入らない。
「有名な魔導士とは思えないおバカさんね。行きましょ」
「ああ」
やれやれ、と肩を竦めて背を向ける。その言葉を待っていたと言わんばかりに即座に頷いたニアが鞄を肩から下げ、そのまま振り返る事なく広場を出ようと、して。
「待ってよ!」
後ろから、火竜が慌てた様子で声をかけてきた。勿論、振り返らない。こんな男に付き合っているほど暇ではないし、振り返る理由もない。
火竜が、こう続けなければ。
「君……妖精の尻尾に入りたいんだろ?」
ピタ、とルーシィの足が止まった。つられるようにニアも足を止める。
憧れのギルドの名前が突然出てくる、その理由が解らない。訝しげな表情で振り返ったルーシィと、何を言い出すんだと僅かな苛立ちを滲ませたニアに、火竜は顎に手をやり笑った。
「妖精の尻尾の火竜って…聞いた事ない?」
「ある!!!」
「ない」
目を見開いたルーシィが即答した。面倒そうにニアがぼそっと吐き出した。
先ほどまでの毛嫌いっぷりはどこへやら、憧れの妖精の尻尾の魔導士を前にルーシィは体ごと振り返る。
「アンタ、妖精の尻尾の魔導士だったの!!?」
「そうだよ。入りたいならマスターに話、通してあげるよ」
その一言。入れるかどうかも怪しかったギルドに入る為の近道になる言葉。
ルーシィは僅かに停止した。脳内に思考を巡らせて、この男と妖精の尻尾を天秤にかけて、かけるまでもなく答えを出した。
「素敵なパーティーになりそうねっ」
「わ……解りやすい性格してるね…君……」
このチャンスを、二度と回ってこないであろうこの機会を逃す訳にはいかない。今ここでこの話を断ったら、妖精の尻尾に入れないかもしれない。
このえげつない男のパーティーだとしても、憧れ続けた夢の為ならとルーシィは割り切った。
「ほ…本当にあたし、妖精の尻尾に入れるの!!?」
「もちろん。その代わり魅了の事は黙っといてね」
「はいはーいっ」
手を上げ二つ返事をするルーシィに頷いて、「そうだ」と今度はニアを見る。
「悪いけど、今回のパーティーは女の子限定なんだ。君は招待出来ないけど、許してね」
「むしろ招待されたらお前の顔面ぶん殴ってやる」
吐き捨てるように言い切るニアに肩を竦めて、火竜は今度は彼の方から背を向けひらりと手を振った。
「それじゃ、パーティーで会おう」
「了解でありますっ」
そのまま去って行く後ろ姿に敬礼。
ぽー……とうっとりするルーシィの目には、魅了にかかった時のようなハートマークが浮かんでいた。
「は!!!疑似魅了してたわ!!!ねえニア、あたしの顔平気!?」
「緩みまくってる事を除けばな」
溜め息混じりに返して、「けど」と続ける。
「……ま、一先ずよかったんじゃないか?これでお前の夢が叶うんだろ?」
「そう、よね……そうよね!!!妖精の尻尾に入れるんだもんね!!!夢じゃないよね!?」
焦って問うと、彼はこくりと頷いた。それを見た途端、突然現れた幸運が現実のものだとやっと理解出来た気がして、それをぐっと噛みしめる。
お色気作戦は失敗して、えげつない男に引っかかりかけて、値切った分は初対面の相手に奢った事で消えて、いい事ばかりとは言えない今日だったけれど。
「妖精の尻尾に入れるんだー!!!やった―――――っ!!!」
それら全部をまとめて忘れさせるような幸運だった。溢れ出す嬉しさを表すように拳を天に向かって突き出して、その手を今度は広げてニアに向ける。何事かと眉を上げた彼も、言いたい事を理解出来たのだろう。
すっと上がった右手とルーシィの手が、ぱちんと明るい音を立てた。
「入るまではあのバカ男に愛想よくしとかないとね」
「ま、頑張れよ」
「もちろん!!」
大きく頷いて見せれば、ニアも軽く頷く。
妖精の尻尾に入る為だ。あの男には悪いが、入るまで利用させてもらおう。ちやほやされるのが好きなようだから、少し愛想よくしていれば騙されてくれるはずだ。
「それじゃあ、ルーシィ」
そんな考えを巡らせるルーシィに、特に変わった様子もなく彼は言う。
「お前との約束は守った。……ここでお別れだ」
「……あ、そっか。あたしが妖精の尻尾に入るまで、だったっけ」
「入るのが確実になった今、護衛は必要ないだろう」
確かにニアと再会した時、そういう約束をした。
ルーシィが妖精の尻尾に確実に入れるようになるまで、もしくは辿り着くまで、女の子一人では危ないからと同行を頼んで、彼もその約束に納得していて。
火竜によってギルドへの加入が確実となったのなら、約束通り。
「うん…そっか。今までありがとね、ニア。アンタのおかげで、ここまで大変な事もなく来れたし」
「そういう約束だからな。礼を言われる事じゃない」
照れ隠しでも何でもなく、さらりと言ったニアに笑みを浮かべる。
「それでも、ありがとう。あたし、立派な魔導士になるから!!!」
ルーシィは、そう言って笑って。
ニアも、薄いながらも確かに口角を上げて。
「おめでとう、ルーシィ」
そう、祝いの言葉を贈った。
そして、彼女と別れた同日夜。
ニア・ベルゼビュートは、行く必要のない港で数人の男に囲まれていた。
後書き
こんにちは、緋色の空です。
新作!というかリメイク!
……ついこの間FT熱冷めたとか言ってた奴のする事じゃないとか言わないで頂けると有り難かったり。
という訳で、やりたいやりたいと言い続けたエターナルユースの妖精王(略称募集中!)リメイク版です。初っ端から新キャラ出てます。そのくせ主人公ではない。
本当は原作第一話全部やる予定だったんですけど、ここまでで18000文字なんで、これは分けた方がいいぞと。
そしてご報告。
私緋色の空、順調にFT熱回復中。というかエターナルユースの妖精王楽しいです。勿論他のも書きますよ?特にEМTはどうしても28日に更新したい理由が……。
なので、忙しかったり妄想が停滞したりしなければ書けると思われます。多分。
そして更に。
本日8月26日、記念すべき第一話投稿の今日は、ニア・ベルゼビュート君の誕生日です!わーぱちぱち。
だから今日に間に合わせたかった…!そして出来た!よく頑張った私、このままEМT頑張ろう。
次回は第一話後編。ニア君の魔法初登場、の予定。
ではでは。
感想、批評、お待ちしてます。
真の主人公はララバイ編までお預けだぜ!
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