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八神家の養父切嗣

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一話:正義の味方

 ――正義の味方になりたかった――

 それは男なら誰しも一度は抱いたことのある夢だろう。
 だが、その夢は年を取るにつれて失われていく。
 長く生きれば生きる程にただの理想だと理解する。
 幼稚な夢だったと笑い話にする。

 しかしその男は違った。理想を抱き続けた。
 目に見える物全てを救う正義の味方になろうとした。
 だが―――全ての命は犠牲と救済の両天秤に乗っているのだと悟る。
 どちらかを救うためには必ず片方を切り捨てなければならない。
 
 そして切り捨てるものはできうるだけ小さくなくてはならない。
 10人を救うために1人を犠牲にした。
 100人を救うために10人を犠牲にした。
 1000人を救うために100人を犠牲にした。

 男はそうして切り捨て続けた。
 機械になれば悲しまずに済んだ。だが男の心は悲しいほどに人間だった。
 救った笑顔に心がどうしようもなく歓喜する。同時に奪った笑顔に心で懺悔の涙を流す。
 男はただ―――誰もが平和な世界が欲しかっただけなのに。





「おとん、おとん、聞いとるかー?」

 クルリとした目に茶色の髪の可愛らしい少女が男に声を掛ける。
 少女はどうやら足が悪いらしく車椅子に乗っていることからもそのことが容易に分かる。

「ん? ああ、ごめんね、はやて。少しボーっとしていたみたいだ」
「もう、おとん、レディをエスコートしとるのに失礼やないの?」
「ははは、手厳しいね」
「笑いごとやないよ」

 黒い髪に黒い目、無精ひげを蓄えた男は少女はやての指摘に頭を掻く。
 はやての車椅子を押している自分が止まれば当然はやても動けなくなるので怒られるのも無理はないかとどこか見当違いの考えをしながら車椅子を押してゆっくりと歩き出す。
 その姿は傍から見れば不自由ながらも仲の良い親子に見えるだろう。
 実際、親子であるわけであるが二人は血の繋がった親子ではない。
 はやての両親は彼女が今よりもさらに幼い時に事故で他界している。
 男は父親の親戚ではやての養父となったのだ。

「こんなんなら、おとん置いて一人で行けばよかったわ」
「そんなことされたら父さん悲しいなぁ……」
「そうならんようにエスコートしてーや」
「はいはい、お嬢様」
「はい、は一回や、減点」

 談笑しながら少しずつ夏に近づいてきた空の下を歩く親子。
 はやては少し暑いぐらいの日差しに目を細めながら自らの養父ことを何となしに考える。
 両親が亡くなり悲しみにくれるはやての前に現れたのが最初の出会いだった。
 その時に慰めるためか彼なりに冗談を言ってくれたのをよく覚えている。


『―――初めに言っておくとね、僕は魔法使いなんだ』


 まだ幼かったはやてはその時は純粋に信じてしまったが勿論今は信じてなどいない。
 あれは養父の渾身のギャグだったのだろうと納得している。
 そんなことを思い出しながら養父の顔を見てみるとどこかを見つめていた。
 気になって見てみるとファストフード店が建っていた。

「はやて、今日の夕ご飯は―――」
「ちゃんと作るからそういうところで買わんでもええで」
「……はやて、今日は診察だから疲れるだろう。僕は買って食べた方がいいと思うな」
「おとんはただハンバーガーとか食べたいだけやろ。ダメやでちゃんと栄養考えて食べんと」
「偶にはいいじゃないか……」

 ガックリとうなだれる養父を無視して先を急ぐように促す。
 養父はどうにもジャンクフードを好む癖があると内心溜息をつく。
 なんでも『作業の手を止めず、機械的に口に運ぶだけで栄養補給が出来るのが素晴らしい』というらしいのだが食事は家族団らんで摂るべきだと考えるはやてには理解できない。
 故に自身が食事の当番を受け持ち養父の食生活を守っている。

「それよりもおとんがボーっとしとったせいで診察時間に遅れそうやないか」
「父さんのせいかい?」
「そや。やから少し飛ばしていくで!」
「押すのは父さんだけどね」

 今日は足の病気に関しての定期健診の日なのだ。
 だからこそこうして養父を連れ立ってかかりつけ医の石田先生に会いに行っているのだ。
 少し速度が上がったことで肌に当たる風を感じながらはやては満足げな笑みを浮かべる。
 足が不自由でも自分は幸せだと。





 ――男が通ってきた道は地獄だった――

 犠牲を少しでも少なくするためにありとあらゆる戦争に関わって来た。
 始めは純粋に助けることで救おうとした。
 だが襲い来る相手から守りたい者を守るには相手を殺すしかなかった。
 なぜならそこは戦場(地獄)だから。
 男は気づいてしまった。救えば救うほどに自分が誰かを殺していることに。
 それでもなお止まれなかった。
 止まれば今まで犠牲にしてきた者全てへの裏切りとなるから。
 ―――男は救い続けた(殺し続けた)

 犠牲を少しでも減らすために兵力の少ない方の首脳を殺し尽した。
 頭の失った者達は烏合の衆と化してあっという間に蹴散らされた。
 勿論そこでも人は死んだ。だが戦争が続くよりは余程多くの人が救われた。
 それでも男の心には達成感などない。殺した者への罪悪感だけが残っていた。
 男は悟った。正義の味方は味方をした方しか救えない。

 ―――かつて抱いた理想はもはや男の胸には残っていなかった。





「変化はなし。好転しているわけでもないけど悪くなっているわけでもないです」
「そうですか……」

 診察が終わり八神親子に対して結果が伝えられる。
 医師の石田先生は原因不明の病に自分の力が及ばないことに苦い思いをしているが患者の前なのでそれを顔にださない。

「でも、諦めないで。良くなる可能性だって十分にあるんだから」
「石田先生がそう言うんなら安心できますわ」
「切嗣さんもしっかりと支えてあげてください」
「勿論ですよ」

 最後に激励の言葉をかけてもらった後に二人は診察室から出て行く。
 はやては少ししんみりとした空気を変えるためか今日の晩御飯のメニューを相談する。
 そのせいか、受け答えをする養父―――八神切嗣が苦悶の表情を浮かべているのに気づくことができなかった。

「そう言えば、おとんって傭兵やったんよね?」
「うん、そうだよ。それがどうかしたのかい?」

 今でこそ休日の情けない父親の代名詞のような切嗣だが実は彼はその昔フランスの外人部隊で傭兵をやっていたとはやては聞いている。
 厳密には傭兵ではないのだが詳しく言っても仕方がないのではやてもあまり知らない。
 もっとも始めは半信半疑だったはやてだったが、切嗣の鍛えられた体と凄まじい運動能力を見て信じざるを得なかった。
 

「いや、どんなもん食っとったんかなーて、思ーてな」
「………聞きたいかい?」

 ニヤリと笑ってそう尋ねる切嗣に嫌な予感がするはやてだったが怖い見たさで頷いてしまう。
 はやての様子に満足げに頷き切嗣は語り始める。

「そうだね、食べ物がないことなんて結構あるからね。トカゲとかを食べたこともあるね」
「……うへー」
「後は虫とかも意外と美味しかったかな。まあ、流石の僕もゴキブリだけは遠慮したけどね」
「もうええ、お願いやからそれ以上言わんといて」

 自分がゲテモノを食べる姿を想像して思わず口を押えるはやて。
 はやて自身そこまで虫が苦手というわけでもないがやはり嫌なものは嫌なのだ。
 一方の切嗣はクスクスと楽しそうに笑ってはやての頭を撫でる。

「冗談だよ」
「へ? な、なんや冗談やったんか」
「貴重な食料を無駄にするわけにもいかないからね。ゴキブリもしっかり食べたさ」

 そう告げた瞬間にはやては車椅子に乗っているとは思えない速さで切嗣から一気に距離を取る。
 取り残された彼が唖然として一歩近寄るとはやてもその分後ろに下がる。
 少し走って近づいてみるとはやても高速で逃げ去る。

「ど、どうしたんだい、はやて?」
「ち、近寄らんといて! おとんのことが嫌いなわけやないけどゴキブリ食った人の傍はちょっと……」
「大丈夫だよ、そんなものは何年も前の話―――」
「来んといてー!」

 その後、親子間で突発的に始まった鬼ごっこははやての悲鳴を聞きつけた警備員が駆けつけてくるまで続いた。
 その時に危うくロリコンの犯罪者に間違えられかけたのは切嗣にとっては一生癒えぬ傷になることだろう。





 ――正義で世界は救えない――

 世界に争いは絶えない。そこに人間がいる限り戦いは無くならない。
 次元を超えたところで、世界が変わったところで、流血は止まらない。
 男は知った。人間の在りようが変わらないのであれば戦いは避けられない。
 最後には必要悪としての殺し合いが要求されると。

 ならば最大の効率で、最少の浪費(犠牲)で、最短の時間で。
 処理(殺し)を行うのが最善の方法だと悟った。
 我が行いを卑劣と蔑むがいい。悪辣と語るがいい。この在り方を呪うがいい。
 それで―――世界を救えるのなら喜んで受け入れよう。
 
 例え誰からも認められることがなくとも構わない。

 例え無限に続く地獄に落ちるのだとしても構わない。

 例えこの身にこの世全ての悪を背負うことになったとしても構わない。

 例え―――愛する者をこの手で殺すことになるとしても構わない。

 ――それでより多くの犠牲を減らせるのなら――





「はぁー、おとんのせいで疲れたわー」
「これも父さんのせいなのかい?」
「そや、スーパー行ったときも思い出して食欲が……」
「じゃあ、今日はハンバーガーでも―――」
「それはアカン」

 家にたどり着き車椅子から降ろしてもらい疲れたようにソファに横になるはやて。
 それをチャンスだと思ったのか切嗣はジャンクフードを提案するがバッサリと切り捨てられガックリと肩を落とす。
 その姿を哀れに思い今度食べさせてあげよう、と思う事などなくはやては今日の予定を考えていく。

「ご飯食べてお風呂入ってそれから前借りた本一気に読もうかなぁ」
「本を読むのは構わないけど余り夜更かししないようにね」
「あら、声に出しとった?」
「うん、最初から最後までね」

 微笑みながら注意する切嗣に失敗したとばかりに舌を出すはやて。
 この手のやり取りがなされた時は大抵切嗣ははやてと一緒に寝る。
 夜更かしをしないように見張るという名目であるがはやてにとっては寂しい時などに悟られずに一緒に寝られるので時々利用させてもらっている。
 大人びているが何だかんだ言ってまだ子供なのだ。

「そういや、おとんタンスに服入れといた?」
「うん、入れておいたよ」
「……なぁ、手伝ってくれるのは嬉しいんやけどもうちょい綺麗に入れれんか? なんで既に入ってた服が飛び出てくんねん」
「……手先は器用だけどなぜか昔から整理は苦手でね」

 散らかしたことを責められてシュンとするその姿はどちらが子どもか分からない。
 家事を手伝うと偶にこういった事態が起きるので基本的に八神家の家事ははやてが中心となって動いている。
 そもそも親が手伝うという時点で何かがおかしいのだがはやては気にしない。
 自分で出来ることは自分でするが彼女の信条なのだ。

「まあ、ええわ。そろそろご飯作るから車椅子に乗せてくれん?」
「ああ、そうだね。僕も手伝おうか?」
「うーん、今日は簡単なものやからおとんは座っててええで」
「……はやていつも思うんだけどこういうものは大人がやるべきものじゃないのかい」
「美味しく作れる方がやるのが一番やろ」
「……そうだね」

 大人としての尊厳を保つために暗に今日は自分がやろうという切嗣だったがどうしようもない事実を突きつけられて頷くしかない。
 どういうわけかはやては料理が上手い。まだ小さい頃は切嗣が作っていたが少し教えてやるとあっという間に吸収して切嗣の腕を越えてしまったのである。
 そのことに情けなさを感じるものの自分では何もできないのでソファに腰を下ろし溜息を吐く。
 どこからどうみてもダメ親父である。

「……そろそろか」
「なんか言ったか、おとん?」
「いや、そろそろはやての誕生日だと思ってね」
「なんや、そんな話か。別にたいそうなもん用意せんでええよ。おとんと暮らせてる今で十分幸せやから」
「そっか……」

 背を向けたままはやての言葉に短く返す切嗣だったがその顔は様々な感情から歪んでいた。
 このままでは食事中にも表情が出るかもしれないと思い立ち上がり外に出て行く。

「おとんどこに行くん?」
「ちょっとタバコを買ってくるよ」
「タバコ吸っとったけ?」
「昔吸っていてね。ちょっと無性に吸いたくなったのさ」
「ふーん。ま、あんまり吸い過ぎんようになー」

 はやてに見送られて家を出る。そして近場の自販機でタバコを買い公園のベンチに座る。
 もう日も暮れていたこともあり辺りには人はいない。
 そのことを確認したうえで火をつけ煙を吸い込む。
 暗い空に消えていく白い煙を見ながら一人自嘲する。

「……僕以上に最低の父親もいないだろうな」

 そう呟いて悲しみに揺れる目を閉じる。
 再び目を開けた時には何も映していない、死んだような目になっていた。
 そこに一匹の猫が近づいて来る。
 切嗣はその猫に一瞥もくれることなくもう一本タバコを手に取る。

(ロッテ、そろそろ闇の書の覚醒も近い)
(分かった。こっちも備えておく。……でも、いいの?)
(何がだい?)
(何がって、娘を闇の書ごと―――永久凍結するんだよ!)

 念話で猫の姿に擬態している使い魔リーゼロッテと会話をする切嗣。
 ロッテの叫び声にも切嗣は眉ひとつ動かさずに口から煙を吐き出す。
 その姿からは感情が欠片も見受けられずどこか不気味さを感じさせる。

(初めからその予定ではやての養父になった。闇の書の悲劇を止め犠牲を無くすためにね。君も分かっているだろう)
(それは……分かっているけど)
(最も身近で監視ができ、最も怪しまれない、そして裏切った際に最も絶望に落としやすい人物―――それが親だ。それ以外に親になった理由なんてない)

 ロッテに言葉を続けさせないように無表情で一気に言い切る切嗣。
 はやてに語ったことは殆どが真実を混ぜた嘘だ。
 まず、第一に切嗣ははやての実父とは無関係だ。戸籍を捏造しただけだ。
 そして傭兵をしていた時期もあるがフランス軍になど属していない。
 どちらかと言えば殺し屋だ。
 ただ一つ事実があるとすればそれは魔法使い、魔導士であるという事だけだ。

(危険なロストロギアを無断に使用する人物がいるなら被害が出る前に殺してでも回収する。それが衛宮切嗣という男だというのを忘れたのかい?)
(……父様がこの世界で拾ってきてからあんたは全く変わんないね。
 機械のようで―――ちっとも機械になれない)

 そろそろ暑い季節になるというのに冷たい風が吹き抜ける。
 熱い吸い殻が風に吹かれて地面にポトリと落ちる。
 話はここまでだと言うように立ち上がり切嗣は家に向かい歩き始める。
 その背中にロッテの言葉が突き刺さる。



(あんたは悲しい程にあの子を愛する父親だよ)



 例えこの手で殺すと決めていても償いでも何でもなく最後のその一瞬まで最大の愛情を注いで育てる。
 そんな彼を父親と呼ばずに何と言うのか。立ち止まった切嗣の表情は見えない。
 だが、ロッテには分かった。苦しみを浮かべるべき顔にはなにも浮かんでいないことが。
 衛宮切嗣は既に迷いを捨て覚悟を決めていることが。


(大丈夫だよ、ロッテ。……世界の為なら僕は愛する娘だって殺せる。だってそれは―――)


 ―――間違いなく正義だから。

 それだけ口に出して言い残し彼は闇の中に消えていく。
 死ぬべき運命にある者が殺され、死ぬ理由のない人たちが救われる。
 これを正義と呼ばずに何と呼ぶのか。
 
 

 もしも世界を変えられる奇跡がこの手に宿るなら―――僕は“正義の味方”になりたい。

 
 

 
後書き
愛したうえで犠牲にするという選択をする話を書きたかったので書いてしまいました。
zeroの切嗣ならこういう選択をすると思ってます。
突発的な思い付きなので続くかどうかは不明。故に短編。 
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