銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二百七十五話 ジャムシード
宇宙暦 799年 4月 6日 ハイネセン 最高評議会ビル ジョアン・レベロ
「レベロ、第十三艦隊と第十五艦隊が合流したそうだな」
「ああ、そうらしい」
シトレが私の執務机にマグカップを置いた。コーヒーが香った。シトレも身近に有った椅子に腰を掛けた。彼も手にマグカップを持っている。一息入れようという事らしい。
「取り敢えず一安心だ。ヤン・ウェンリーなら多少の時間稼ぎは出来る。ビュコック提督が戻って来るまで帝国軍を押し留めてくれるだろう」
シトレが気遣う様に声をかけてくれた。だが今の私にはその事が心苦しい。
「結局君達の言う事が正しかったな。最初から帝国軍を同盟領内に引き摺り込んで戦うべきだった。そうすれば混乱せずに済んだ」
シトレがマグカップを口に運んだ。考える時間を稼いでいるのかもしれない。
「……君が決めた事じゃない。皆で十分に話し合って決めた事だ。軍人達も納得したから従った」
「だが君達の言う通りにしていればもっと余裕を持って戦えた」
「……結果論だ。帝国軍があんな手段を執るとは誰も思わなかった。予想外の事態が起きた事が混乱の原因だ。必要以上に自分を責める事は無い」
シトレが“フッ”と笑った。
「君の悪い癖だな、自分を責め過ぎる」
そうだろうか? 自分は他人に厳しいと良く言われるのだが……。
「シトレ、民主共和政というのは戦争を遂行するには向かない政治制度なのかな?」
「どういう事だ、レベロ」
シトレが厳しい表情をしている。私が何を言おうとしているのか、勘付いているのかもしれない。
「我々は選挙によって市民に選ばれる。そのためにどうしても市民の反応を考えざるを得ない。つまりその分だけ軍事面での選択肢が制限されるわけだ。それは民主共和政の欠点とは言えないだろうか?」
今回の防衛体制の崩壊は我々政治家が市民の反応を過度に懸念し過ぎたからだ。我々は戦う相手より市民感情を優先してしまった……。シトレが頷くのが見えた。
「なるほど、帝国なら市民感情など気にせずに防衛体制を整えただろうという事か」
「実際三年前に同盟軍が攻め込んだ時には帝国軍はこちらを帝国領奥深くまで攻め込ませている。君達が採りたかった作戦だ。帝国はそれが出来たが同盟はそれが出来なかった」
「……兵力差の問題も有る。あの時帝国は兵力に於いて同盟に劣ってはいなかった。簡単に比較は出来んよ」
シトレがマグカップを口に運んだ。表情を隠す為かと思ってしまう自分が居た。
「そうかもしれない。だがあの馬鹿げた侵攻作戦は如何だった? 選挙対策も有ったが政府は市民感情に迎合して出兵してしまった。あの時市民感情を無視して出兵を押し留めていれば……」
口の中が苦かった。私の政治家としてのキャリアの中でもっとも悔いの残る出来事だ。一生忘れる事は無いだろう、例え忘れようとしても。
「君の言う事は分かる。だが私はそれに同意しない。同盟は過ちを冒したがそれを民主共和政という政治制度に押し付けるべきではない。何故なら君主独裁政が必ずしも戦争遂行に向いているとは私は思わないからだ。周囲が反対しても君主の一存で戦争を始める、或いは継続する事が有る、それが君主独裁政だ」
「……」
強い口調だ。怒っているのかもしれない。
「問題は政治制度に有るのではない、主権者が戦争に対して真摯に向き合うか否かだ」
「……」
「戦争に対して真摯に向き合えば、それほど酷い事にはならないと私は思っている」
真摯に向き合うか……。
「帝国では皇帝と一握りの臣下で済む。だが同盟は百億以上の市民が対象になる。彼らの過半数以上が真摯に向き合えると思うか? シトレ」
「向き合うのだ、レベロ」
「……」
「そうでなければ民主共和政は機能しない。これは戦争だけの話じゃない、政治も同じだ。何一つとして上手く行かないだろう、違うか?」
「……」
確かにシトレの言う通りかもしれない。シトレが笑い出した。
「悲観的になるな。君の欠点だぞ。問題が起きると自分の所為だと思い込み自分を責める。挙句の果てに落ち込んで悲観的になる。昔から変わらない」
「私は悲観的になっているか」
「ああ、なっている」
気付かなかった。自分にはそんな欠点が有ったのか……。シトレが笑うのを止めた。
「状況は厳しい。だが敗北が決まったわけじゃない。弱気になるな、レベロ」
「ああ、そうだな。落ち込むのは敗けてからにしよう」
「戦争で敗けても外交が有る。講和交渉で挽回だって出来るだろう」
「講和交渉か……」
そうだな、それが有った。戦争は軍人に任せるしかない。政治家は講和交渉について準備をしなければならん。トリューニヒトに相談しなければ……。
帝国暦 490年 4月 7日 シヴァ星域 帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「ではウルヴァシーは占領したのですね」
『うむ、既にフェザーンからウルヴァシーに向けて補給物資が送られている』
「護衛は?」
『リンテレン提督率いる一個艦隊だ。十分であろう』
スクリーンに映るシュタインホフは事も無げな感じだった。そうだな、原作とは違う。同盟軍はこっちを食い止めようと必死で戻っている。補給を叩くような余裕はない。十分だろう。
『現時点において作戦に重大な支障は発生していない。統帥本部はそう考えている。ヴァレンシュタイン司令長官にはこのまま作戦の実行にあたっていただきたい』
「承知しました。メルカッツ副司令長官も予定通りですか」
『予定通りだ、問題は無い』
シュタインホフが重々しく頷いた。
「ではこの後はニヴルヘイムですね」
『そうなるな』
ニヴルヘイムは北欧神話の九つの世界のうち下層に存在するとされる氷の国の事だ。そしてこの侵攻作戦ではシリーユナガルの暗号名でもある。メルカッツはシリーユナガルに向かっている。アルテミスの首飾りを破壊する氷を得るために……。
「メルカッツ副司令長官に油断しないように伝えてください。反乱軍はこちらに来ると思いますが万一の事も有ります」
『分かった、そう伝えよう』
「宜しくお願いします」
俺が頼むとシュタインホフ元帥が“うむ”と頷いた。
『では十分に気を付けてな』
「はっ、有難うございます」
通信が切れた。気を付けてか、らしくないぞ、シュタインホフ。不安になるじゃないか。
同盟軍はとうとうヤン艦隊が合流した。目の前には二個艦隊が揃っている。傍受した通信からするともう一個艦隊を率いるのはカールセンらしい。知将ヤン・ウェンリーと猛将ラルフ・カールセンか。余り楽しい組み合わせじゃないな。これにフェザーンから艦隊が戻ってくればビュコック、ウランフが揃う。シュタインホフが心配するのも無理は無いか。
まあこちらとしても不満は無い。前後に分かれて動かれるよりも一つに纏めた方が対処はし易いのだ。問題はこれからどうするかだな。こっちとしてはビュコックにハイネセンに戻られるのは面白く無い。戻られてはメルカッツのハイネセン攻略が難しくなる。
こっちにビュコックを引き付けて帝国軍の各個撃破を狙わせハイネセンをがら空き状態にするにはやはりジャムシードまで押し出す必要があるだろう。そこまで押し出せばビュコックもこっちを止めるのを優先する筈だ。実際こちらに向かっているとは思う。ヤンがカールセンと合流したのはこちらに進撃し易くさせるためだ。明らかにハイネセン近郊での各個撃破を狙っている。ジャムシードに誘引していると俺は見る。タヌキとキツネの化かし合いだな。
どうやってヤンとカールセンをジャムシードに押し込むか。全軍で一気に押し出す? 止めた方が良いな。ヤンが危険を感じて本気になりかねん、とんでもない損害を受けそうだ。ゆっくり進撃すれば勝手に下がってくれるか? 可能性は有るが戦闘が生じないと決めつけるのは危険だろう。
戦闘が生じるのを前提として行進するべきだ。或る程度余裕を持たせた方が良いだろう。疲労が溜まらない様にする必要が有る。……あれが良いかな、あれで行こう、楽が出来る。上手くいけばだが……。
宇宙暦 799年 4月 7日 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー
「やれやれだな、付け込む隙がない」
私が溜息を吐くとムライ参謀長が咳ばらいをした。
「閣下、嘆いていても始まりません。如何しますか?」
「さあ、如何したものか……」
今度は溜息を吐いた。溜息を吐きたいのは私なんだが……。ああ、さっき吐いたか。さすがに拙いな。
第十三艦隊と第十五艦隊が合流後、帝国軍は進撃を再開した。こちらとしても敵をジャムシードまでおびき寄せる必要があるから基本的には問題は無い。問題は眼前の光景だ。スクリーンには二倍の兵力で攻撃を仕掛けてくる帝国軍の姿が映っていた。
六個艦隊の内四個艦隊を攻撃にあて二個艦隊を後方で休息させている。そして三時間ごとに時計回りにスライドして二個艦隊ずつ交代している。つまり帝国軍は六時間戦えば三時間の休息を得られるわけだ。タンクベッド睡眠や食事を摂るには十分な時間だろう。だが同盟軍には休息は無い。既に戦闘状態に入って十八時間が過ぎている……。二倍の兵力を相手に戦うのだ、肉体的疲労だけでは無く精神的な疲労も蓄積されて行くだろう。
兵力差を活かした戦闘を仕掛けてくる。ヴァレンシュタイン元帥は小技を仕掛けるより正攻法で攻める事を好むようだ。ジャムシード方面に後退はしているがこのままでは将兵の疲労は蓄積する一方だ。疲労が蓄積し続ければ決戦時にとんでもないミスを犯しかねない。
失敗だった。露骨に下がっては帝国軍も警戒するだろうと思って多少の戦闘行為は仕方がないかと思ったが……。これなら真っ直ぐ下がった方がましだった。カールセン提督も慣れない撤退戦で苦労しているだろう。ムライ参謀長も不安に思っている。
已むを得ない、撤退に専念しよう。これ以上ズルズルと遅延戦闘を行うのは危険だ。損害だけが増え帝国軍の思う壺だろう。この現状から撤退するのは難しいかもしれない、帝国軍に付け込まれるかもしれない。しかしこのまま出血死するよりは良い。
「撤退する。ムライ参謀長、カールセン提督との間に回線を繋いでくれ」
「はっ」
帝国暦 490年 4月 7日 帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「同盟軍が撤退します」
ヴァレリーが“反乱軍”と言わずに“同盟軍”と言った。もっとも誰もそれを咎めない。第一俺が咎めないし時々俺も同盟軍と呼ぶことが有るからな、皆も咎め辛いのだろう。ヴァレリーは大丈夫かな。同盟軍と戦う事になる、負担にならなければ良いんだが……。平静を装っているがあまり負担に思うなよ、出来るだけ戦わないようにするから。
「追撃しますか?」
「その必要はありません。ゆっくりと彼らの後を追います」
ワルトハイムはちょっと不満そうだ。戦果を拡大したい、そう思っているのが分かった。
「そろそろフェザーン方面から反乱軍の主力艦隊が戻ってくるはずです。目の前の艦隊との戦闘中に現れると厄介です。身軽にしておきましょう」
ワルトハイムも納得したのだろう、頷いてオペレーター達に指示を出し始めた。
ヤンとカールセンが遅滞戦闘ではなく撤退を始めた。損害が馬鹿にならないと見たようだ。決戦前に必要以上に損害を受ける事は出来ないというわけだ。そうだろうな、俺を倒した後にメルカッツとも戦うんだ、出来るだけ損害は少なくしたいと考えている筈だ。だがジャムシードに近付けば話は違ってくる。
今度は向こうから戦闘を仕掛けてくるだろう。ビュコックが来る前に逃げられては困るからだ。そして俺は連中をハイネセンから引き離すべく後退運動をすることになる。これってライヘンバッハプランだな。違う点があるとすれば本家はフランス軍の撃破が狙いだがこっちは避戦が狙いって事だろう。楽をして勝つ、これが一番だ。
敵の主戦力を撃破しなくても敵の本拠地を攻略すれば戦争は終わる。原作でラインハルトがヤンにしてやられたのはそのあたりを割り切れなかったからだ。完璧に勝つ事に拘り過ぎた。ヤンよりも自分が上だと証明したい気持ちもあっただろう。だが俺はもともとヤンよりも自分が上だなんて考えてないから決戦には興味がないのだ。弱い、劣るというのも悪くない、張り合わずに済む。なんか自己弁護みたいで嫌になるな。
宇宙暦 799年 4月 7日 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー
「帝国軍は追撃してこないようです」
ムライ参謀長の声には安堵の色が有った。皆もホッとした様な表情をしている。失敗だったか。これではジャムシードで戦闘に持ち込めるか確証が無い。もうちょっと喰い付いて来ると思ったんだが。損害を覚悟の上で遅滞行動をしながら帝国軍をジャムシードへ引き摺り込むべきだったか……。
誰も自分の不安を分かってくれない、そう思った。最善なのはジャムシード星域で帝国軍との戦闘中にビュコック司令長官率いる同盟軍が戦場に到着。後背、或いは側面から帝国軍を攻撃することだ。帝国軍に大きな損害を与える事が出来るだろう。短時間で壊滅に近い状況にまで追い込めるはずだ。
その後、態勢を整えてフェザーン方面からくる帝国軍を待つ。或いはハイネセンに急行し帝国軍と一戦する。ヴァレンシュタイン元帥が敗退したと知れば帝国軍には動揺が生じるだろう。兵力面では多少劣勢だが撃退するのは不可能ではない。
だがジャムシード星域で戦闘状態に入っていなければヴァレンシュタイン元帥は後退するかもしれない、いや間違いなく後退するだろう。つまり戦線は睨みあいのまま膠着状態になるという事だ。これでは各個撃破は出来ない。最悪の場合ハイネセンは帝国軍の別働隊の手で攻略される。我々は無意味にジャムシード星域で漂っていた事になる。
ジャムシードでの決戦は無理かもしれない。如何する? いっそバーラト星域まで退くか? 帝国軍は必ずバーラト星域に来るのだ。ビュコック司令長官と合流して帝国軍を待ち受ける。それなら帝国軍の確実な補足と戦力の集中が図れる。……駄目だな、その時には帝国軍も合流している筈だ。こちらの倍以上の兵力を持つ帝国軍を相手にすることになる。
烏合の衆ならともかく今の帝国軍は精鋭だ。むしろ練度で比較すれば同盟軍の方が劣る。数で劣り練度で劣っては到底勝ち目は無い。やはり各個撃破を目指すべきだ。ジャムシードまで下がり、戦闘に持ち込む。難しいがやらねばならない……。
ページ上へ戻る