SAO ––TS少女のデスゲーム攻略
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第3話
前書き
約一年ぶりですね。三話にして。
この話を書いていて気づきました。俺文章書くの苦手だわ、と。
アインクラッド、それが、『ソードアート・オンライン』の舞台となっている浮遊城の名である。それは百の層が薄く積み重なって出来ており、それぞれの層に拠点の街や、次の層へ進む為の迷宮などがある。その浮遊城の最下層、つまり第1層でのお話。
場所は日が沈み切った夜の森。1人の少年が、大勢の敵を相手に片手に持った剣を振るって戦っていた。森は決して真っ暗というわけではなく、薄青い光によって視界ははっきりしている。そんな状況で見る夜の空は、これが中々良いものなのだ。だが生憎と、この少年にそんなことを気にする余裕など存在しなかった。
少年が戦っている相手は人間ではない。それの名をリトルネペントといい、見た目は植物に近いのだが、根っこを足のように使って動き、葉を生やした蔓で攻撃をしてくる、奇妙な生物である。存在しない目、その気になれば人をも丸呑みしてしまいそうな大きな口。そこから粘液を垂らしながら迫ってくる様は、背景の夜の森も相まって、より一層不気味さを醸し出している。
当然、こんな生物は現実世界には存在しない。この世界は現実世界などではない。ここ、この世界はいわばゲームの中の世界だ。
少年の前にいるリトルネペントも、少年達を囲んでいる木々も、その他全てのオブジェクトも、そして少年の体すら、全てがゼロとイチで構築されたデータの存在だ。そして、このゲームのジャンルはMMORPG。リトルペネントはRPGでいうところの敵モンスターである。
その数は十体、否、それ以上か、どちらにせよ、少年一人では到底倒せぬ程である。そしてそれを、少年自身よく理解している。これがもし唯のゲームなら少年も大人しく諦めて、ああ負けた残念だったとなり言いながら苦笑いを浮かべて始まりの街から出直す事だろう。――つまり、これは唯のゲームでは無いのだ。
諦めるわけにはいかない。これは唯のゲームでは無い。諦めた瞬間、少年は命を落とす。死ぬのだ。このゲームで、という意味ではない。現実世界――リトルネペントなどといった生物はいない、少年も剣など振るっていない世界。家があって家族がいて友人――は残念ながら居なかったが、そんな平和、少なくとも表面的には平和な世界に暮らしてきた筈の少年の命が、ゲームオーバーになったからという馬鹿げた理由で消えてしまうのだ。
ゲームオーバー、イコール、死。つまり、デスゲーム。それが、この世界の創立者、茅場晶彦によって提示されたルール。
それは正しく、もう一つの現実。日本とは全く別の異世界に、自分は来たのだ。
「糞っ!」
少年は悪態をついた。それは無意識、思わず口から出て悪態であったが、それが引き金となったかのように、苛立ちや怒りといった負の感情が自分の内側からふつふつと湧き出すのを感じた。糞、糞、糞。この感情は何だ。この状況への苛立ちか、デスゲームへの怒りか、或いは――。
思わず奥歯を噛みしめる。このゲームは痛みを筈なのに、何故か痛い、どの部位かはわからないが、広い範囲だ。その、やり場のない怒りをぶつけるかのように、目の前のネペントに剣を叩き込む。少年の怒りが体現されたかのような、荒々しい剣である。殆ど無意識だった。目の前に斬るべきもの、手には剣、ならばと、まるで当たり前の様に敵を斬り付けた。感情は兎も角、それは立派な剣士だった。その一撃で残り僅かだったリトルネぺントのHPがゼロとなった。途端にその身は半透明になり、青白く輝く。次いで、ポリゴンの破片となり、破裂音と共に四方へと散りゆく。
だがそれでも十匹、それ以上、まだ居る。次の敵の攻撃が少年に迫る。まず初めに右側の蔓を伸ばしての攻撃だ。動きは単調。何度も見てきたので簡単に予測できる。にも関わらず、身体が動かない。頭では理解している筈なのに、一瞬、自分が今此処に居るのを忘れていた。そのせいで反応が遅れ、攻撃が身体を掠めてしまう。
先程からこういったことが多い。少年は、自分は疲れているのだろうと思った。或いは、戦う気力を失っているのか。いずれにせよ、このままだと拙い状況なのは明白である。
一向に終わりそうにない戦い、否、恐らく自分の方が先に力尽きるであろう。こうしている間にも、少年のHPは刻一刻と減少している。少年は察していた。このままだと死ぬ。――それもいいかもしれない。
少年の頭にそんな考えがよぎった。自分は間違いなく重症だ。少年は疲れ切っていた。間違いなく重症だった。もしこの戦いに生き残ったとしても、これから先、誰かがこの浮遊城を百層まで攻略しなければ現実世界に帰れない。少年はこの時点で、帰れる可能性を殆ど諦めていた。
はっ、何が現実。何が異世界。どうせ痛みは感じないし、死ぬ時は一瞬。こんな苦しみから逃れられるなら、ここで諦めた方がいいのかもしれない。あぁ、なんとなくこの感情の正体がわかった気がした。これはきっと心細さだ。ここで出会った元βテスターと臨時でパーティーを組んだのも、感じていた心細さを紛らわすという目的が含まれていた。その結果、見事に罠にはめられたのであるが。その存在も、もう感じられない。元βテスターが居なくなって最初に感じたのは、自分には無縁だと思っていた、孤独の辛さだったのだ。自分を罠にはめた相手であるにもかかわらず。
「孤独、か」
ポツリと呟く。少し前なら、1人でもこんなに辛い思いをしなかった筈だ。それが悪い変化なのか良い変化なのかなんて、自分にも分からないが。
幼い頃に自分の親が本当の親ではないと知って以来、他人との距離感を掴めないでいた。大人にも子供にも、男にも女にも、この人は誰なのだろう。この人とは何なのだろうと、そう疑問に思うのだ。友人と恋人の違いは何だ。恋人と妻の違いは何だ。俺とお前の違いは何だ。いつもそんなことを考えていた。少年にとって世界はいつも平面だった。眼球に絵を貼り付けられただけのものだった。自分と他人は同じだった。
そんな少年が、友達を作らず1人になるのは必然的だった。
寂しいと感じた。だが、自分から友人を作ろうとは思わなかった。
俺にとって、1人は普通。孤独は当たり前。そう思っていた。少なくとも彼と出会うまではそう思っていたのだ。
縮れ気味の髪の毛。童顔で、端正な顔立ち。まるでいたずらを思いついた小さな子供のような無邪気さを感じさせる吊り目。
彼の特徴、あくまでアバターであるが、それや仕草を思い出しただけなのに、熱いものが込み上げてくるのを感じた。
彼と出会ったのは仮想世界、即ちネットの世界だった。そこでは誰も本名を明かさず、当然年齢や住所も明かさない。姿だって、アバターという仮面を被っている。そんな、言ってしまえば嘘まみれの世界だが、少年にとってはそんな世界がとても心地良かった。彼と親友と言ってもいい関係になれたのは、そういった環境のおかげかも知れない。
彼と過ごした時間はほんの僅かであったが、人生の中で一番楽しかった日々と言っても過言ではなかった。大袈裟ではなく。色々知った。新鮮な発見もたくさんあった。一緒に過ごしているうちに、彼の性格や癖も、いつの間にか覚えていたりもした。それは少年にとって、まるでRPGのゲームをプレイしている気分になった。プレイヤーは自分、登場キャラクターに彼。最初は何も知らない。本来の顔も名前も。つまり表面が全く存在しない、そこからのスタート。一緒に過ごせば過ごす程、彼の色々なことを知る。自分の中での彼の存在が大きくなっていく。即ち彼のレベルが上がっていく。少年は気付かぬうちにそれが楽しいと思う様になっていた。
そしてある時、少年は気がつく。俺は彼の事を自分の人生の登場人物程度に考えているのではないかと。
友達など今まで居たことなどなかった少年は、どうすればいいのかわからなくなった。そんなつもりはなかった筈なのに、自分は彼のことをを友達と思っていないのではと、不安になった。
結局、全て彼に打ち明けた。うまく言葉にできていたかわからないが、言いたいことは伝わったような気がした。彼に対する謝罪と、不安。自分が他人との距離を掴めないということ。
それを聞いた彼は、唯々、微笑を浮かべた。この反応は予想していなかったので、少年は驚いた。
「いいんじゃないか、それで」
彼は笑みを浮かべたまま、そう言った。それはただ単に自分に同調したのではなく、彼なりの考えを持って言っているように思えた。
「俺なりの考えなんだけど」彼は前置きにそう言う。「主役は自分、他は登場人物っていうのは、誰の人生でも一緒だろう。そもそも、俺が本当に此処に居るなんて、誰にも証明出来ないんだぜ。もしかしたらお前、頭湧いてるかもよ」
もっと他に言い方は無かったのかと思わなくもないが、確かにそうだろう。もし自分の頭が湧いていたら、目に見えているもの全てが不確かなものとなってしまう。目の前の彼の存在も、もしかしたらこの仮想世界というものさえも、妄想の産物かもしれない。更に更に辿ると、そもそも世界に存在するのは自分だけかもしれないのだ。そして、それを証明、そうであると、或いはそうでないと証明できる者は居ない。自分自身でさえ。
「この世界も現実世界も一緒さぁ。自分は目の前の存在のことなど何一つ知らない。そもそも、本当に存在するのかもわからない。目の前にあると思っている存在は、自分の中で作り上げただけの存在かもしれない。俺だってお前だって、唯の妄想かもしれない、偽物かもしれない。あぁ、上等だ。それでもいいじゃないか。俺たちはお互い何も知らない。この世界では何もかも偽物だ。だけどさ、そんな世界で、そんな俺はお前を友達と思ってる」
彼はまっすぐ少年を見つめてそう言った。ああ、なんだか心がすっと軽くなった気がした。彼は俺のことを友達と思ってくれて居たのだ。なら後は、俺が彼を友達と思えば、それはもう誰から見ても友達なのだろうと、そう思った。気がつけば、少年の顔にも笑みがこぼれていた。
「知らないなら、知ればいい。お互いを完全に理解するなんて、別人である限り不可能だ。まずはそれを知るんだ。んで、少しずつ、そう少しずつ相手の事を知っていく。些細な事でもいい。それは経験値になる。そうやってお前で言うところの、レベルを上げていけばいい。別にレベル制限なんて無いし、お互いが友人と思えば友人、恋人と思えばそれは恋人だろ。んでさ、これも俺なりの考え、裏技なんだがな」
彼はそこで一度言葉を切り、一層笑みを深めて、片目を閉じた。その姿が、アバターなのだが、憎らしい程に綺麗であったのでよく覚えている。
「他人を知りたければ、まずは自分を知る。そうして、手に入れた相手の情報と、自分の情報を比べる。相手と自分の違いを知るんだ。名前だってその本質は、他人と自分の区別をつけることだし。そうすれば、一の情報から十――ってぇのは言い過ぎか。だととしても、より多くを知ることができる。より多く、経験値が得られると思うぜ」
「まぁ、あくまで俺の考えだけどな」と最後に付け加える。彼はその後どうやら猛烈に恥ずかしくなったらしく、左手で目の当たりを覆い、右手で赤くなった自分の顔を冷ますべく仰いでいた。そんな姿を眺めていると、だんだんと可笑しくなってきた。腹の底から込み上げてくる笑いを堪えようとせず、少年は盛大に笑った。それはもう、今まで溜め込んできたものを全て出し切ろうとしているかのように、笑い続ける。ただ只管に。それで、少年が笑うのを見て更に恥ずかしいそうにする彼の姿が、また可笑しい。ああ、どうして恥ずかしそうにする、こちらは感謝しているというのに。ああ、そうか、自分が笑っているからか。と、またそこで笑いが込み上げてくる。
しばらくして、やっと笑いが収まる。笑い過ぎたせいか、少し息が苦しい。目尻に溜まった涙を拭う。深呼吸をして息を整える。よし、落ち着いた。少年は、まだ少し顔が赤い彼の方に向き直った。
「ありがとな」
そう言った少年の顔には、心の底からの笑顔が浮かんでいた。もしかしたら、人生の中で一番綺麗なものだったかもしれない。自分の顔で無いことが少し残念であるが。その時の彼の、ぽかんと口を半開きにした間抜け面がなかなか見ものだった。
その時から少年は色々考えるようになった。自分のこと――思えば、自分のことなのにわからないことが多すぎる。彼と自分の違い。彼の考え全てを肯定するのではなく、自分の考えとの違いを知るのだ。少年は幼い頃、自分の両親が本当の親では無いと知ったとき、急に彼らが遠く感じた。自分が彼らのほんの一部しか知らないということを感じ、それが怖くなった。人はお互い理解できると、そう思っていたから。少し前までそうだった。怖かったから、考えないようにしていた。だが今は、それは違うような気がした。きっと大事なのは、理解することではなく、理解しようとすることなのだろう。
日が経つにつれ、少年は自分が自分らしくなるのを感じていた。笑顔を見せる数も増えた。疎遠になっていた妹との関係も、少し良くなったと思う。それもこれも彼の御蔭だった。少なくとも、彼が機会をくれたから、彼の、ちょっと捻くれた考えを聞いたから、自分を見つめ直すことが出来たのだと思う。
少年にとって、彼は恩人だった。困ったとき、彼に相談したとき、彼はいつも正しい答えではなく、彼なりの答えをくれた。それが自分の考えと違うときだって、勿論あった。だが、そうして色々考えていると、自分はこんな人間なんだと、知ることが出来たのだ。βテストの期間が終了し、本サービスが開始するまでの間、はっきり言って結構辛かった。再会するのを心待ちにしていた。また彼と、色々話がしたい。例えそれがくだらないことでも、少し下世話な話でも、最近では学校でできる人も増えてきたが、やはり彼とするのが一番だった。きっとそれを親友と言うのだろう。きっと彼もそう思ってくれている筈だと、少年は自信があった。もしかしたら、このゲームをプレイすること以上に、彼との再会を楽しみにしていたのだ。
だが彼は今、少年の隣にはいない。
茅場晶彦によるデスゲーム宣言、それが終わってすぐに、少年はプレイヤーでごった返した始まりの街を駆け回り、彼を探した。
それは現実世界であればきっと声が枯れてしまっている程、怒号を挙げている人よりも、泣き叫んでいる人よりも大きく、大きく声を張り上げて何度も彼の名前を連呼した。
少年は少し期待したのだ。デスゲームが始まって、それはとても恐ろしい事だ。なのだが、アバターも解除され、現実世界と言っても過言ではないこの世界であれば、彼をもっと知ることが出来るのだと。彼とは親友だと思っていたし、実際そうだったと信じている。だが少年は、マナー違反だと知っていても、実際に会いたくなった。偽りのない、本来の姿で。だからデスゲームが始まった時、恐怖や怒りと同時に、不謹慎ながら少しばかり嬉しさを感じてしまったのだ。
だが彼は見つからなかった。どれだけ大声を出しても、その声に、自分でもわかる程の必死さが籠っていても、彼が少年の前に姿を現すことはなかった。
もしかすると彼はこの世界に居ないのかも知れない。用事か何かで、この世界に来ることが出来なかったのかも。もしそうだとするなら、彼の親友としてはそれを喜ぶべきことなのだろう。こんなゲームに参加せずに済んだ。命を落とす心配はないのだ。だが少年自身としては、それを素直に喜べなかった。
もしかしたら、親友と言ったのは嘘だったのではないかとか、そもそも彼の存在は彼の言った通り、俺の作り出した幻ではないかとか、一々そんな考えばかりが頭に次々と浮かんでくる。何も考えまいとしても、止まらない。それは次第に少年の朽ちかけた心を今、負一色へと染め上げようとしていた。そんな自分に気がつき、次に抱く感情は、憎悪。それも、自分に対する。俺がこんなのだからだと。俺がろくでなしの糞ったれ野郎だから、あいつは俺を見放したんだと。只管に、自分を憎む。
「あぁ、糞!」
唯々、剣を振るうのだ。最早目的など覚えていない。敵のHPなど、己のHPなど知らん。剣を振るうことに、敵を切ることに意味がある。否、その意味さえもが曖昧である。段々と、自分が何をしているのかがわからなくなる。視界に、何色かわからない靄がかかる。自分の思考が、現実と切り離されてゆく。まるで、必死に剣を振るう人間を、スクリーン越しに眺めているような、妙な感覚に陥る。
スクリーン越しに見るその人物の振るう剣にはもう、技術のかけらも感じられない、無骨なものへと成り下がっていた。見ようによっては、まるで早く倒されたい、諦めているようにも見える。そんな様子を、ぼんやりと他人事のように眺めていた。
のろのろと自分のHPに目をやる、既にゲージが殆ど残っていなかった。どうやら少年の考えは正しかったらしい。だがどちらにしろ、もう抗う気力さえ残っていない。それに、少年の脳みそはもう、抗うという考えを導き出しさえしなかった。ネぺントの蔓が迫る。
「ここまでか……」
そう呟いて少年は目を閉じた。
何もかもが、遠い過去のことのように感じた。もう、自分を殺そうとした元βテスターのプレイヤーにさえ、ああ、そんなことあったなあ程度の感情しか抱けなかった。自分が置いてきた青年を想う。自分を置いて行ったであろう彼を想う。頭の中にぼんやりと浮かぶ、筆舌に尽くしがたい感情が、少年の胸の辺りを苦しいぐらいに締め付ける。
思い残すことはもうないなんて、死んでも言えない。未練はたくさんある。未練だらけだ。だがそれも、俺という存在が完全に消えるまで。死んで無くなるまでの辛抱だ。この、どうしようもない想いを抱えたまま消滅すればいいのだ。呆気なく、泡のように。
少年はじっと、その時を待った。唯々、自分という存在が消える瞬間を、自分という存在を消滅させる筈の存在を、待った。たくさんの感情を、胸の奥に押し込めたまま、じっと。
だがその瞬間は、永遠にやってこなかった。寧ろ、はっきりとしてくる。自分という存在が、聴覚が、嗅覚が、触覚が、段々と、その意義を取り戻す。どうして、自分は死んだのでは。ここはあの世か。否、この音、聞き覚えがある。この光、見覚えがある。思い出せ、思い出せ。
そう、破裂音。何かが破裂したときの音だ。一体何が。否、知っているはずだ。
目を開こうと試みる。薄っすらとだが、目が開く。どうやら自分は生きているらしい。ゆっくりと、自分の視界に入っているものを認識しようとする。だが、うまく認識できない。何故なら、少年の視界を支配していたのは、唯、黒だったのだから。黒だけが、少年の視界を支配していたのだから。
黒色、漆黒、暗黒、そんな言葉が思い浮かんだが、そもどれもが目の前のそれには当てはまらないような気がした。どちらかといえば、そう、夜空に浮かぶ星ごと世界を包み込む宇宙のような壮大さを感じさせる。少年はそれに好感を持った。これは最近知ったことなのだが、自分は夜空を眺めることが好きらしい。
徐々に目の焦点が合ってくると、その黒が何なのかが分かった。
紛れもなく人だった。片手に短剣を持っているところから見て、恐らくプレイヤーだろう。少年にとどめを刺そうとしたモンスターが見当たらず、辺りにはポリゴンの破片のようなものが四散している。成程、さっきの破裂音は敵モンスターが爆散した音だと理解する。自分にとどめを刺そうとしていたモンスターが見当たらないことから、どうやら爆散したのはそれのようだ。自分は目の前のプレイヤーに助けられたらしかった。そして、四方に散らばってゆくポリゴンの光に照らされている、どこか神秘的な黒の姿を、少年は漸くはっきりと認識した。
全身を覆うのは何の飾り気もないぼろぼろのローブ。フードを目深に被り顔は隠されており、その下にも何かをつけているのか、肌らしいものが見えない。手には手袋。服は何枚か重ね着している様子。まるで肌を少しでも見せることを拒むかのようである。SAOにはそのゲームの内容もあって、奇妙な格好を好むものも少なくはないが、目の前のそれはオシャレ目的ではないように思う。どちらかといえば、姿を隠すことだけを目的としているような。
その姿は、最初見たときに思ったよりも黒ではなく、寧ろ錆色に近かった。だがやはり目の前のそれの印象は黒である。何故か懐かしく思った。自分でもわからない、何を。残念ながら少年は、宇宙に行ったことはない。宇宙になったこともない。少なくとも、記憶には存在しない。
しばらくの間黒の姿をぼんやりと眺めていると、黒が何かを求めるようにちらりとこちらを一瞥、すぐに手に持っていた短剣を構え直す。そして少年の周りのネぺント少しでも減らすべく、敵を自分の方へと引きつけ始める。やがてネぺントたちは黒の存在を認識したらしく、半分ほどであったが、彼の方へと引き寄せられていった。少年ははっとする。やっと、自分が自分だと認識できた。それまで胸の奥に押し込めていた恐怖などの様々な感情が一気に溢れ出し、思わず腰が抜けそうになるのを、何とか踏ん張って耐える。黒は、俺を助けてくれたのだろう。少年は思った、自分だけならともかく、他のプレイヤーを巻き込んでしまったなら、諦めるわけにはいかないと。感情云々の話ではない。人として、の問題だ。それに、感情の方もかなり良好だ。黒の存在を認識してから、負の感情が自分の心から殆ど感じられなくなっていたのだ。
改めて今の状況を確認する。黒がある程度引き受けてくれているため、随分と楽になった。今目の前に見えるのは、六体。自分の目がおかしくなければ。これなら勝てる。終わりが見える。そう思えば随分と気分が明るくなっていた。心なしか体も軽い。何故か安心している自分がいる。視界にかかっていた靄も、いつの間にか消えている。
体の動きが大分良くなったと感じていた。相手の攻撃が見える。躱せる。自分の体と頭が繋がっている。単調なネぺントの攻撃如き、今の少年にはちょっとした脅威にすらならない。ネぺントの蔓伸ばし攻撃をひらりと避け、側面に回り込み、弱点の部位へソードスキルを叩き込む。その剣は目的を持ったものだ。今ではなく、先を見据えている剣だ。それはもしかしたら、剣士としては相応しくないのかもしれない。だが少年の剣は、きっとどこまでも気高かった。
勢いを利用し、一度敵と距離をとる。硬直が解けたらすぐ、二体目の敵へと向かう、斬る。その繰り返し。
少年が相手にしていた六匹のネぺントがポリゴンへと姿を変えるのに、そう時間は掛からなかった。
「終わった……」
最後の一体を屠っても、少年はすぐに気を抜くことが出来なかった。少し震える手で剣をしまい、右の手を開いたり閉じたりしてみる。まだ、先程までの感触が抜けきらない。手に何も持っていないことに違和感を感じた。大きく息を吐いて肩の力を抜く。どれだけ気を張っていたのか、息を吐くと、心臓の鼓動が早くなる。そして、そうだ、あいつはどうなった。
黒の前には二体のネぺント、どうやら他は倒し終わったようだ。かなりの数居た気もするが、それを短時間でここまで減らしているあたり、腕前もかなりのものなのだろう。黒の動きは全てが繋がっていた。点ではなく、線として動いていた。自分も、敵も含めて。その戦い方に、見覚えがあった。何故だろう。考えればわかるはずなのに、いまいち頭が働かない。
まもなく黒は、全ての敵を倒し終えた。少年が加勢しようと考えたころには、もう終わっていた。少年はお礼を言おうと思った。肉体的にも精神的にも、目の前の奇妙な格好の人物に助けられたのだから、心から感謝した。恐らく癖なのだろう、手のひらで武器である短剣をくるりくるりと、回転させているその人物に向かって歩を進め、
「……え?」
歩を止めた。目の前の人物の手の動きを見て。その癖に見覚えがあった。よく知っている人物だ。この世界の中なら、誰よりも自分が一番。他にも思い当たることはあった。戦い方に見覚えがあったのも恐らく。よくよく思い出せば、それらしい仕草はいくつかあった気がする。浮かび上がってくる、その人物の名、姿。自分が最も、再会を心待ちにしていた彼。
「……ハヤト?」
気が付けば口が自然と動いていた。
その声を聞いた黒が、短剣を回転させるのをぴたりと止めた。その横顔はフードに覆われていて表情はわからない。なんとなく、驚愕に目を見開いているのではと思った。
あの癖は親友の、ハヤトのものだ。間違いなく。覚えるつもりはなかったが、無意識に覚えていたらしい。彼以前に、人に注目したことが無かったため、仕方ないといえばそうかもしれない。
先程の反応から見ても、目の前の黒はハヤトだろう。そう思った。言いたいことがたくさんあった筈だ。聞きたいことがたくさんあった筈だ。なのに、何も浮かんでこない。何も考えられない。まるで、脳がそれを認識する機能以外の全てを失ったような。
「ハヤト……だよな」
少年は黒にもう一度、今度は殆ど確信を持って尋ねた。黒の肩ががぴくりと跳ねたような気がした。そしてそのフードに覆い隠された顔を、表情が見えないため推測に過ぎないが、おそるおそる少年の方へ向けた。
二人は見つめ合った。お互い動く素振りを見せない。世界が停止したようだった。まるで、自分が死に続けているような、奇妙な感覚に陥る。長い間なのか短い間なのかわからない、一瞬であり永遠であるようなその時間は、唐突に終わりを告げた。
「……キリト?」
フードの奥の何も見えない、何があるかわからない場所から発せられた、聞き取ることがやっとの小さな声。その、少年が知っている声よりもずっと高かった声を聞き、今度は自分が生まれ直した感覚に陥った。
キリト。それは、このゲームでの少年のプレイヤーネーム。いわば少年のこの世界での名前。
ハヤトに言わせれば、ただ周りの人と自分を区別をするためのもの。確かにそうかもしれない。だが少年にとってこの名前は大事なものだった。この世界で彼に呼ばれることに、大きな意味があった。
少年––キリトは今の黒の言葉で確信した。知っている声とは全然違っても、顔どころか肌の一部分さえ見えなくても、目の前にいるのは間違いなくハヤトだ。両親や妹と同じくらい会いたかった彼が今、目の前にいる。これでもう孤独を感じない。もう自分は大丈夫だ。そう思った。少年は久しく幸福感に包まれた。
だけどどうして。どうして目の前の親友は、ハヤトは、その身を震わせているのだ。どうして後すざりをする。どうして俺から距離を取る。どうして。
そこでふと、キリトは、彼の全身を覆い隠した姿に疑問を持った。
「ハヤト!」
キリトは少し語調を強めてハヤトの名を呼んだ。彼はまたその肩ををびくっと跳ねさせて、動きを止めた。彼に近づこうと、一歩踏み出す。それを見た彼はぱっとキリトに背を向け、呼び止める間もなく颯爽と走り去ってしまった。
「あっ、おいっ!」
キリトはその後ろ姿を追いかけたが、遅かった。暗めの服装もあってか瞬く間に森に溶け込んでしまったのだ。キリトは暫く、その方向を呆然と見つめていた。
「……なんだよ!」
折角会えたのに、どうしてハヤトは逃げるんだ。そのときキリトが感じたのは、大きな疑問と、わずかな怒り、そしてやっぱり疑問。自分はハヤトに嫌われるようなことをしただろうか。その可能性を考えて恐怖したが、すぐに、それはないと考え直す。俺たちは最後、笑顔で別れたのだ。再会を約束して。それ以来彼と会っていないのだから、嫌われようがない。となると、もしかしたら問題は、ハヤトの方にあるのかもしれない。
それを考えるとまず思い浮かぶのは、ハヤトのあの奇妙な格好。ハヤトはあまり、服装に気を使わないタイプのプレイヤーだ。βテスト時代に彼が装備していたのは、いつもシンプルな、悪く言えば地味目なデザインのものだった。まあ、アバターの顔がいいから、何を着ても似合うのだが。それに、あのボロローブも、刺繍など一切入っていない、本当にただのローブだった。それはまるで、姿を隠すことだけを目的としているような。
そういえば、先程のハヤトの様子を思い出す。あの時のハヤトは、怯えているようだった。もしかしたら何か理由があって、俺に自分の姿を見せたくなかったのかもしれない。もしかして、俺の知り合いだったりとか。
いや、違う。キリトはその説を否定する。彼だけでなく、俺もアバターが解除されているのだ。つまり彼は、俺のこの姿を見てキリトだとわからなかった筈だ。そう考えるキリトの姿は、元のアバターとは似ても似つかない、華奢で女顔の少年である。きっと彼は、たまたま死にかけている少年を見つけ、助けただけなのだろう。それがキリトなどと知らずに。
しかし、全身を隠す理由は何だろう。顔に大きな傷や火傷の跡があるとか。或いは、失礼ながら、余程の不細工であるか。否、それなら顔だけ隠せばいい筈だ。だがハヤトは全身を、それも地肌のほんの一部分さえも見せないようにしていた。全身に広がる大怪我の跡でもあるのだろうか。
考えてもわかりそうでない。どちらにせよ、彼が他人に知られたくないことがあるのは確かだと思う。そしてそれが、彼自身の姿に関係しているということも。だがその結論を導き出したキリトは、少しばかり憤っていた。例えお前がどんな姿をしてようが、俺が受け入れないわけがないのに、と。
正直なところ、キリトはまだ、自分が元の世界に帰れるのは難しいと思っている。
だが少なくとも、この狂った世界で生きる理由が一つできたのだ。ハヤトと再会し、またパーティーを組む。今はその目標があればいいかと。そう考えることにした。
彼と再会しただけなのに随分と、気分が明るくなった。例え逃げられたとしても、いい。また見つけて、今度こそ話をしようと心に決めた。
とりあえずクエストを終えよう。手に入れた「リトルネぺントの胚珠」を届けるため、村へと戻る小道を進む。森を抜ける際にふと、自分を罠にはめた元βテスターを思い浮かべる。抱いたのは、感謝の気持ちだった。自分とパーティを組んでくれたことに対する。自分を騙し、死ぬ直前へとまで追い込んだ人物に、キリトは確かに感謝の念を抱いていた。彼と組んでいたとき、自分の心細さが軽減されていたのは間違いなかったから。
キリトはゆっくりとした足取りで、村へ向かって歩く。彼と、俺と、ハヤトと、三人でパーティを組んでみたかったなぁと、そんなありえない未来を想像しながら。
後書き
更新速度上げたいなぁ。サブタイトルとかって、やっぱりあったほうがいいんでしょうか。
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