渦巻く滄海 紅き空 【上】
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九十一 交戦模様
引き離された。
一気に不利な状況に追い込まれ、キバはチッと舌打ちした。おまけに爆発の影響で悪くなる足場。
急な斜面を二人して転がり落ち、切り立った岩の一つに足をぶつける。悶絶しつつも上を見上げれば、ちょっとした谷間に墜ちたらしい。
「赤丸の様子は?」
「大丈夫。ちょっとした掠り傷よ」
怪我の功名か、大木の下敷きになっていた赤丸も爆発の余波で無事脱出出来た。今はいのの腕に抱かれて眠っている。
「チョウジに貰った薬を飲ませたの。少し休めば、すぐ元気になるわ」
相棒の胸が確かに上下する様を見て、キバは安堵の息をついた。上方を仰ぐ。
ちょっとした谷間と言っても、ほぼ断崖絶壁に近い。キバ一人ならともかく、意識の無い赤丸を連れて上がるのは難しいだろう。
あちこちに散らばる枝々が足下でぱきんと割れる。爆発にて折れた木々も二人と一緒に墜ちたらしい。
谷と言ってもまだ浅く、その下には更に底の見えない崖がある。つまり現時点でのキバといのは、谷筋を僅かに下った地点にいるようだ。
視界端に映るのは、鋭く聳え立つ崖。ちょっとでも踏み外せば、真っ逆さまだ。
「犬っころを含めたお前らまとめて、俺らが始末してやるよ」
共に墜落した敵。
こちらを嘲るような声音に、キバが眉を顰めた。
一方のいのは、音の忍び――左近の些細な一言に違和感を覚える。聞き間違いかと思ったが、念の為に彼女は秘かに相手の精神を探った。
一つの身体に二つの心。
多由也を除いた音の五人衆に会った際、感じた違和感。その元凶が目の前にいる敵だと、いのはすぐさま察した。
(なるほど…コイツのせいか)
「一対三のこの状況でよく言うぜ!」
「待って、キバ!!」
先手必勝とばかりに飛び出す。いのの制止の声も聞かず、キバは左近目掛けて鋭い爪を伸ばした。
背後を取る。
「――もらった!!」
「甘いんだよ…っ」
だがキバの身体は逆に吹き飛ばされた。後ろからの攻撃にもかかわらず、キバを殴り飛ばすなど日向一族でもない限り無理だろう。
(どういうことだ…ネジじゃあるまいし、後ろに眼があんのか…?)
第一、どこから攻撃してきたのか。理解が追いつかず困惑するキバの許へ、赤丸を抱えたいのが駆け寄った。
「闇雲に攻撃しても駄目だって言ったじゃない!!」
「いや聞いてねぇけど!?」
理不尽に怒られたキバの反論をよそに、いのは左近を厳しく睨み据えた。警戒心を露にする彼女の様子を眺めて、左近はうっそり眼を細める。
「そっちの女は攻撃してこないのか?それともただの臆病者か?」
「んだと、テメエ!!」
「落ち着きなさいって!アンタもナルと同じで人の話聞かないわね~」
仲間を侮辱されて憤るキバの怒声が耳に届いたのか、赤丸が身動ぎする。腕の中にいる子犬の覚醒が近いと悟って、いのは小声でキバに助言した。
「アイツの身体は一つじゃないわ。さっきアンタが飛び出して行った時、辛うじて見えたの。背中から生えた腕がアンタを殴り飛ばしたのを」
「はぁ…っ?冗談だろ…」
「残念ながら冗談じゃないわ。そもそもアイツと対峙してから、ずっと違和感があったのよね。探れば案の定」
そこで、ぴんっと指を二本立てる。立てた二本の内、一本をゆっくりと曲げながら、いのは己の推察を述べた。
「最初はただの二重人格者かと思ったわ。でもそれなら、さっきの攻撃の説明がつかない。という事は、見た目は一人でも身体は二つと考えたほうがいいわ」
「…お前、だんだんシカマルに似てきたな」
若干うんざりした面立ちのキバを、いのは「失礼ね」と一蹴した。
「まぁだからと言って、まだ敵の能力が解ったわけじゃねぇ。ここは俺らが攻撃すっから、いのは観察しといてくれ」
完全に眼が覚めて、いのの腕から逃れるように飛び出そうとする相棒を見て取り、キバは兵糧丸を取り出した。
「起きたか、赤丸!早速だけど行くぞ!!」
主人の声に応じて赤丸が甲高い声を上げる。投げられた兵糧丸を口にし、【獣人分身】でもう一人のキバになると、彼らは左近に向かって同時に技を仕掛けた。
「――【牙通牙】!!」
高速回転での挟み打ち。一見有利に見えた状況は、直後一変する。
「あの女は参加しねぇみたいだし、二対二でちょうどいいじゃねぇか。なァ、左近?」
項垂れていた頭がゆっくり顔を上げる。左目を前髪で隠した顔が、同じ顔である左近に語り掛けた。
(なんだ、コイツ…!?)
捕まれそうになった腕をキバと赤丸は咄嗟に振り解いた。すぐさま距離を取る。
前以ていのの忠告を受けていた為、さほど動揺せずに済んだものの、目の当たりにすると驚愕を隠せない。
キバの表情に気を良くしたのか、右眼を前髪で隠した左近が嗤った。
「俺達は仲の良い兄弟でよ。普段兄貴の右近は俺の中で寝ているが、闘いの時は出てきて手助けしてくれるわけだ」
戦闘を見守っていたいのが左近の話に耳を澄ます。左近の眼が、こちらを注視する彼女を捉えた。
「右近は俺の身体の何処からでも手足や頭を出して攻撃と防御が出来る。こんなふうにな…――――【多連脚】!!」
刹那、右近の攻撃がいのを襲う。
迫り来る三本の足に、いのは両腕を交差させた。だが為すすべなく、吹き飛ばされる。
「いの…ッ」
キバが飛び出すより先に、いのの小柄な身が宙を舞う。切り立つ岩に背中を打ち据えた彼女を見て、左近はせせら笑った。
「足三本分の蹴りだ。効くだろ?」
だが直後、左近の見下すような声音が舌打ちに変わる。白煙と共に変わった木片に、「変わり身か…っ」と左近は顔を顰めた。
「ちんたらやってるからだ、この馬鹿」
すぐ耳元での兄の呆れた声に、左近は「兄貴はせっかちなんだよ」と唇を尖らせた。
「戯言はいい。さっさとやるぞ」
「はいはい」
兄弟の軽い応酬。
共に残忍な性格である彼らは如何に陰湿な方法で相手を甚振るか考えていた。
一方、【変わり身の術】で難を逃れたいのに、キバと赤丸が駆け寄る。
いのの無事を確かめた後、キバは険しい顔で空を見上げた。
「早くサスケを追い駆けなきゃならねぇってのに…っ」
「それなんだけどね、キバ・赤丸」
いのの唐突な提案に、キバが眼を剥く。赤丸が心配そうに、くぅんと鼻を鳴らした。
「シカマルの援護に向かってくれる?」
一人と一匹の怪訝な視線を一身に受ける。左近を睨むいのの瞳には、揺るぎない決意の色が窺えた。
「アイツの…いいえ、」
一つの身体に二つの心を持つ敵を真っ直ぐに見据えて。
「アイツらの相手は私がするわ」
「サスケはどうした?」
「さぁな?」
離れ離れとなったいのとキバの安否を気遣いながらも、シカマルは目の前の人物に問い掛けずにはいられなかった。
キバの嗅覚が正しければ、彼女は君麻呂達よりも先にサスケを連れて国境へ向かったはずだ。
それが現在、シカマルの前にいるのは何故か。
サスケ不在の理由を鋭く問い質したところで、返ってくるのはしらばっくれた顔。
シカマルとて相手が素直に答えてくれるはずないと理解していた。軽く肩を竦めてみせる相手の一挙一動を注視しながら、瞬時に思考を巡らせる。
(――とにかく、今は状況整理だ)
周囲に視線を這わせ、シカマルは冷静に頭を働かせた。
すぐにでもキバといの、二人の援護に向かいたいところだが、そのような行為を見逃すほど目の前の相手は優しくない。
第一、背後にいるキバ達のほうへ向かうという事は敵に背を向けると同義。迂闊には動けない。
「何をちんたら考えてやがんだ、このクソヤローが」
見た目に反して毒舌を吐く彼女に、シカマルはひっそりと眉を顰めた。
中忍第二試験の『死の森』にて、サスケと対等にやりあい、尚且つ予選試合でチョウジを一瞬で打ち負かした。
中忍本試験には何故か参加せず、代わりに三代目火影を結界内に封じ、『木ノ葉崩し』の一端を担った。
そして今回、サスケを大蛇丸の許へ引き入れようとしている音の忍び――多由也。
「やっぱ大蛇丸の部下なんだな」
「ああ?」
シカマルの呟きに、不機嫌そうな声音で多由也が眉を吊り上げる。しかしながら彼女の暴言よりもシカマルの脳裏は一人の気掛かりな少年に占められていた。
最後に会ったのは、ロック・リーの病室内。
ナルの病室に花を飾り、そのままリーの病室へ向かった彼をシカマルは尾行した。
【影真似の術】で動きを封じたはずなのに、逆にシカマル自身が術に掛けられたかのように動けなくなったあの一件は、今でも鮮やかに思い出される。
言葉一つ取っても不明慮で定かではない。言動全てが不明であり、不可解な点が多すぎる存在。
遙か高みに座しているかのような謎めいた人物。
あの金髪の少年――うずまきナルトの存在が頭から離れない。
特に中忍試験中彼と行動を共にしていた多由也が今此処にいるという事実は当然、シカマルにある仮説を立てさせる。
「という事は、あのナルトとかいう奴も大蛇丸の…――」
それ以上シカマルが言葉を紡ぐ事は叶わなかった。
何故なら、寸前とは比べものにならないほどの殺気をその身に受けたのだから。
「―――てめぇ、今なんつった…」
突き刺さるような殺気。
何が彼女の怒りの沸点だったのか。突然激怒した多由也の膨大な殺気がシカマルを襲う。
思わず怯むものの、「お前が大蛇丸の部下という事は、そういうことなんだろ?違うのか?」とシカマルは口早に問い質した。
怒りで我を忘れている相手ほど口を滑らせる。その好機を逃してなるものか。
怒りでわなわなと震える多由也の指先を視界に捉えつつ、シカマルは矢継ぎ早に質問しようとした。口を開く。
刹那、彼の身体は凍りついた。
「それ以上、虐めてやらないでくれるかい?」
多由也の殺気を浴びた時より遥かに絶大な緊張が全身を強張らせる。同時に、多由也の殺気が一瞬で霧散した。
耳元で囁かれる凛とした声音は、正にシカマルの脳裏を占めていた存在。
「ど…ど、うして此処に…」
怒りからではない震える指先で多由也がシカマルの背後を指差す。
二人に多大の影響を与えた張本人が「人を指差してはいけないよ」と空々しく苦笑する様をシカマルは頭の片隅で聞いた。遠ざかりそうになる意識と身体を奮い立たせ、背後を振り返る。
けれどその時には後ろには誰もいなかった。
代わりに、多由也の隣から聞こえた声に、シカマルもそして多由也本人も、一斉に声がしたほうへ顔を向ける。
反して、シカマルが身につける中忍ベストに目を留めた彼は口許に笑みを湛えた。
「中忍になったんだね。おめでとう、シカマル」
何時の間に移動したのか。いやそもそも、いつからいたのか。
賛辞を送るこの存在は、己自身がこの切迫した事態を引き起こしている事に気づいていないのだろうか。いや、気づいていながら、いっそ暢気なほど穏やかに、彼は微笑んだのだ。
眼に鮮やかな金の髪を靡かせて。
「ナルの見舞い時以来、かな?」
敵対するシカマルと多由也の間で静かな笑みを浮かべるのは……彼――――うずまきナルトその人であった。
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