機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-
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76話
機体を揺らす振動。
ステータスをチェックし、シールドの炸裂装甲の一分が起動したのを確認しながらもクレイは構わずフットペダルを踏み込んだ。
立て続けに打ち込まれる機関砲の砲撃をシールドではじきながらもビームサーベルを発振。サーベルを抜刀した《リックディアス》の振り下ろしにビームサーベルを重ね、網膜を焼くような閃光が全天周囲モニターの中を乱反射する。
拮抗など赦さない。そのままスロットルをさらに開放し、突撃と同時にシールド表面を《リックディアス》の胴体にぶち当てる。
衝撃と同時にシールド表面の爆薬が一斉に起爆し、《リックディアス》がよろめく。その間隙目掛けてビームサーベルを逆袈裟に振るい、四肢を萎えさせた巨躯がビルへと崩れ込んでいく。
(トムキャット、チェックシックス!)
オーウェンの声より早く、最新鋭のアビオニクスを搭載する《ゲルググ》より早く、その真っ赤な攻撃の志向を察知し、クレイはバックパックに懸架させた機関砲を起動させる。
バックパックのハードポイントの機関砲が立ち上がり、《リックディアス》が機関砲の砲撃をする寸前に砲撃。マズルフラッシュに押される形で迸ったぶつ切りの弾丸は5発に一発の割合で曳光弾を含み、おぼろげな射線を描く。砲弾は《リックディアス》の機関砲を破壊し、手のひらを打ち砕き、メインカメラを叩き割る。
最早接近することすらなく、クレイは振り返り際に右手に持つビームサーベルを投擲した。降りしきる雪を蒸発させた桃色の閃光は、寸分違わず《リックディアス》の頭部を貫いた。
「これで―――4機」
熱っぽい息を吐く。
戦闘開始からまだ20分と経っていないのに身体に酷い疲労を感じる。物的な、というよりも心的な疲労。それはそうだ、絶えず歩兵から狙われるなど経験外のことなのだ。
だが、それにしては対応できている―――操縦桿を握る自分の手を軽く流し見る。
感覚が冴えている。否、そんな次元の問題ではない。感覚が、冴えすぎている。まるで予知するか如くに敵の位置が見える、という奇妙な感覚、これはまるで―――。
突如耳朶を打ったビープ音に肝を冷やした。
ロックオンレーザーの照射位置を反射的に把握―――前方30m先の小さなビルの3階部分、そして背後の倉庫の入り口。
瞬時に判断。背後の敵の狙いは甘い―――外れる。
だとしたら駆除すべきは前方の敵。理解と並行して身体が駆動する。
腕部の110mm速射砲を指向。同時に戦術マップ上の背後の敵のロックオンがぷつりと切れた。
トリガーを引く。人間を殺すにはあまりに巨大な弾頭は、射出された対MS用ミサイルを破壊し、ガンナーも纏めて瓦礫の中の屑へと化した。
また背筋を奇妙な感覚が舐める。クレイの知覚野は、その瓦礫の中でぐずぐずの肉塊になった男だか女だかの断片をはっしと捉えていた。
臓腑をこみ上げる混淆した感情。吐き気のような、その反対のような持続がざらざらと―――。
(こちらSF702、背後の敵は処理しておいた)
野太い声だった。
エコーズの中の誰かの声だろう。誰でも、良かった。了解、と応えながらクレイは《ゲルググ》の足元の設定を変えた。やや、雪が降り積もっている。
クレイは空を仰いだ。
コロニーの向こう側での戦闘はまだ続いている。スラスターを焚いていけば10分とかからずに戦闘に介入できるだろう―――敵に背を晒す愚を犯す前提だが。
一体どれほの敵が居るのだろう。これでは明らかにネオ・ジオンの部隊との戦闘にコロニー守備隊の数が足らない。
死んだ、だろうか。彼女は、あの日本人の彼女は、もう―――。
もう一度、クレイは視線を空の向こうにやって―――。
光が立上った。
正確には今までも閃光が奔ることはあった。だがそれは、ビーム砲の火砲と言うよりはMS1機も破壊できないようなものだった。
今のは違う。確実に敵を破壊するという鉄の意思に満ちた光の柱は、コロニーの反対側の地表を焼き、隔壁に風穴を開けていった。
一瞬の疑念。それが、ほんの僅かにクレイの緊張を弛緩させた。
だからだろう、クレイの知覚が敵を敵と認識できたのは、コクピットの中にけたましい接近警報の音が鳴った後だった。
そして、その黒々とした敵意的志向に反応した時には、もう遅かった。
接近する機影の方向に相対した瞬間、視界一杯に漆黒の影が迫った。
サーベルを引き抜くタイミングが予想に切れ目を入れる。質量を持った黒い残影の速度はクレイの経験を遥かに超えて一瞬のうちにプライベートエリアへと侵入し、サーベルを保持した手を握りこむようにしたその漆黒の機体のゴーグルカメラがぎらとクレイを睨めつける
フットボーラーさながらのその頭部のカバーに血色のゴーグルカメラ―――。
《ジェガン》。
違う。これが普通の《ジェガン》なら対応し切れたはずだ。この機体はその上位機種!
ダメージコントロールが悲鳴をあげる。高々腕部を握られているだけなのに腕の速射砲が拉げ、右腕の機体ステータスが黄色く灯っていた。
装備が少なすぎる。
シールドの炸裂ボルトを起動、吹き飛んだシールドが宙を舞う。呼応するようにスラスターを逆噴射して飛びのいたその黒い機体が左腕からサーベルを引き抜き、光の刃を発現させる。
試験部隊の機体が強奪されたのだろうか。666の格納庫は無事なのか―――。
それ以上の戯れの余裕は、寸分ほども無かった。
連邦のMSとは思えないその頑強そうな体躯がスラスター光を背負い、一瞬で相対距離を皆無にする。
《リックディアス》などとはものが違う。その圧倒的な瞬発力、そして握ったサーベルを振るう速度。それこそカタログスペックならば《ガンダムMk-V》にも比肩しよう。それでもクレイはその挙動を完全に脳内に投影させ、それに対処する己の挙動の幻想を現前する己に身体に同調させる。
逆袈裟に奔った光刃目掛けて数万度に達する粒子束を叩き付ける。干渉し合ったIフィールド同士がスパーク光を閃かせるのも構わずにバックパックから機関砲を引き抜く。
彼我距離零。照準を合わせもせずにフルオートで機関砲を迸らせた。
たまらずバックステップで回避挙動を取った瞬間に、それに追従するようにスロットルを調整し、フットペダルを踏み込む。全く同じタイミングで飛びのくや、その頑強そうな機体目掛けて光の剣を打ち込んだ。
バックパックから伸びる懸架アームに支えられたシールドは一瞬で耐久限界を迎えて溶断。赤熱した流体金属が血飛沫のように舞い、そのまま《ゲルググ》は瀑布の如く剣戟を叩き込んでいく。サーベルでいなしきれず、装甲の所々に生傷のような切断痕を刻んだ敵が苦し紛れにサーベルの刺突を放った。
その刃目掛けて、クレイは防ぐように機関砲を掲げた。ビームサーベルが機関砲を溶解させる瞬間、リボルビングランチャーのうちの1発が起動。にょきりと発振器が突き出るや、発進されたビームの刃がビームサーベルを受け止め、輪っかのように干渉光を押し広げていく。
敵機の驚愕を、クレイは確かに直観した。そしてその敵の鈍さこそ、クレイのつけ入る隙だった。
戦闘の帰結を決定する致命的要因はパイロットの腕だけではない。MSの性能だけでもない。その両者が統一体となった時こそ、その戦力は脅威となる。
クレイもこの《ゲルググ》に乗ってからまだ40分と経ってはいない。だがこの機体は酷く扱いやすかった。乗りなれれば尖った性能の方が高い戦闘能力を発揮し得る。だが、特徴が無いという特性は『当たり』を掴むのに時間が要らない。人馬一体という東洋の境地には達していないだろう、まるで手足というようにもいかない。それでもこの《ゲルググ》は良く躾けられた猛犬のようにクレイの言うことを良く聞いて、そしてその指示を最大限反映する機体だった。
敵にはそれがない。機体そのものが尖った機体なのか、パイロットの腕が悪いのか。
直観する。
どちらにせよ、この機体は自分の敵ではない。
返す刃を掬い上げ、音速すら届こうかという刃の切っ先が弦光を描き、敵機の右肘から下を切り落とす。切断された肘から先の腕部がごとりとコンクリートの大地に落ち、敵機の赤いゴーグルカメラに慄きが灯る。
後はさらにビームサーベルを振り落し、この敵を屠殺する。
まさにそのように《ゲルググ》を駆動しかけた刹那、クレイは反射的にスロットルを全開に弾いてスラスターを焚いた。
逆噴射した光が黒い《ゲルググ》をその場から飛びのかせる。それより早く迸った光軸は90mm機関砲を貫き、そのままビル群を蒸発させていった。
「コロニーの中で―――!?」
ビーム砲を―――。
言いかけた時には、《ゲルググ》の体躯が突き飛ばされていた。
前面からいきなり降りかかった衝撃で胃が潰れた。吐瀉物を吐き出さなかったのは、日ごろの鍛錬の賜物だったが、意味のないことだった。
吹き飛ばされた《ゲルググ》はそのまま背後のビルに突っ込み、ディスプレイに致命的損傷の表示が次々と立ち上がっていく。
ビームを回避した瞬間に、今や手にかけんとしていた敵が体当たりを見舞ったのだ。ショックアブソーバーなどまるで役に立たない激震に揺さぶられ、意識が飛びかけながらもクレイは目を開けた。
あの敵が居る―――左に視線を流せば、大通りの向こうに《ジェガン》の上位機種らしき機体がビームライフルを構えていた。
あぁそうか、と納得した。
上手いように誘い出されたのだ。この目の前の敵は、狙撃ポイントに誘導するための撒き餌に過ぎなかった。
黒い敵機が切り落とされた右腕からサーベルグリップを拾い上げ、光の刃を形成する。コクピットだけを正確に焼き尽くすためだろう、人間の体感でいう所のナイフ以下のサイズにまでビームサーベルの刃を縮小させる。
身体は無事だった。機体がダメだった。
元々無理な強化をした機体だった上に、クレイの戦闘はあまりにも強引だった。ディスプレイ上の機体ステータスに目を流せば、所々黄色―――ダメージは追っているがまだ駆動可能である―――ところもあったが、ほとんどが赤―――死んでいた。
あのサーベルで突かれる。コロニー内を考慮しているのだろう、なるべく破壊を広げないように、コクピットだけを正確に潰す。数万度に達する光の剣はコクピットハッチなど訳なく溶解させて―――。
そして、どうなる?
自問する。
コクピットハッチを溶解させるほどだ。クレイ・ハイデガーの肉体など秒ほども耐えることは出来まい。
つまりはどういうことだ?
つまりは―――。
何かが鳴った。歯と歯がぶつかる音だった。嫌だと思ったその思考はあまりに短慮で稺かった。
回帰する予感。ぎらと睨みつける単眼と、目の前の敵のバイザーの奥に潜む単眼が重なる。今までなんでもなかった虚無を指向する志向が、容赦なくクレイの身体を突き刺す―――。
その光景をただ眺めていたのは、自分を殺傷する相手を最後まで睨みつけてやろうなどという気概からではない。最後まで自分を保っておこうなどという固い自己意識からではない。
ただ、金縛りにあっていただけだった。目を瞑りたいのにそれも出来ず、戦々恐々と存在が消滅するその暴力的な刹那の到来を、クレイ・ハイデガーの感覚は刻み続けていた。
敵機がサーベルを逆手に持ち替える。そうしてその鋭利な焔を、ただ、容赦なく振り下ろした。
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