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黒き刃は妖精と共に

作者:空月八代
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【白竜編】 噂

 
前書き
お久しぶりです。およそ一年ぶりになるでしょうか、随分と長い期間が開いてしまいました
他にやりたいことができると一気に執筆の手が止まってしまい、そのままやる気が戻らず随分長い間放置していました
昔書いたものを書き直すだけだからそれほど長い時間はかからないだろうなぁ、なんて考えていたのですが。実際やってみるとまるで別物に仕上がるものです
今回の白竜編も原作にも前書いたものにも無いオリジナルです
長い期間が開いたためいろいろぶれていたり誤字が目立つかもしれません
これからは一応数話おきに見直したり、主人公の設定なんかも書くつもり
やる気が続くうちは大体週一ペースで書いていく感じになるとおもいます、一年ペースはもうない、はず
 

 
「白い竜の噂?」

 僕が化猫の宿(ケット・シェルター)に入って一週間。
 日常的に行っている植物の世話や売り物の管理、その他ギルド内の決まりや設備云々なども覚え、ようやくいろいろと落ち着いてきた今日日(きょうび)。僕はウェンディちゃんとシャルル、その他数名のギルドメンバー先導のもと近くの町に生産物の販売に来ていた。
 町、といっても外界との積極的な交流を好むわけではないケット・シェルターの交易相手。ぎりぎり集落や村といった規模よりは大きいといっただけだ。
 前からもいろいろ売りには来ていたらしいが、なにぶん一回に運べる量が限られており、品質や完成度の評価は高かったものの量が少なくて行き渡らないといった事態がたびたび起こっていたらしい。今回は僕、文字通り人外の怪力を誇る人手がいたため満足な量を持ってくることができたと喜ばれたものだ。
 基本的に戦闘による収入を主にしていた身からすれば、こうして売る側に回るというのは初めての経験であり、なれない点も多かったが大きな町にある商店などと違って割りとフレンドリーな対応で売買が行われているためそこまで気負うことも無くこなせた。
 僕の着ている着物も人目を引くようで、あちらから話しかけてくることが多く割とすんなり溶け込むことができたのだ。笠や羽織は纏っていないので怪しい姿にもなっていないし。
 生産系ギルドに所属する以上、今後も戦闘よりはこういった商業者じみた日々を過ごし、派生した依頼を受けたりすることが多くなるのだろう。
 まだ一週間だが、今までのように一日中歩いて各地を旅するような日常を過ごさなくなる以上毎日体を動かす必要も出てくるだろうか……。ウェンディちゃんによれば木を切ったり畑仕事をしたり割と体力を必要とする日もあるそうだが、戦闘に比べてしまうと少々物足りないだろう。
 と、いろいろ考えながらも、種類も量も豊富なためウェンディちゃんいわくいつもよりたくさんの人がいるらしい今日の状況。その中、野菜の値引き交渉をしていたお客の一人が、白い竜の噂を聞いたというのだ。

「苦し紛れに使うにはなかなか思い切ったもの提示してくるねお客さん」
「いやいや、本当だって。たびたび竜の噂をお嬢さんが聞いてる様だったから、お世話になってるし出かけついでいろいろ聞いてたんだけどさ、今回はそれを見たって人に直接会ったんだよ」
「ふーん」

 ちなみに僕は売り子ではない。金銭の管理・物品の名称・各個の値段・珍しいものの用途、計算はできるとはいえそれだけでは商売はできない。物品の移動や受け渡しを行いながら見て学んでいるのだ。
 そんな中、ウェンディちゃんが困っているようだったので僕が横から口を出したのだ。
 本来ならシャルルの役目だろうが、あの特徴的な生物は子供たちに大人気らしい。駆け回る子供たちからふよふと逃げ回る姿がちらほらと見えた。

「クライスさん、せっかくの情報なんですし、話だけでも聞いてみませんか?」
「竜の噂にはガセが多いが、そのガセすら少ない現状……。内容くらい聞いておいてもいい、か」
「お、じゃあこの野菜もう少しまけてもらっても……」
「内容次第だよ、お客さん」
「ぐ、お兄さん初めて見る顔だけど、ほかの人たちとはまた違った形でなかなか過保護だね」

 客にはウェンディちゃんがガセネタに踊らされないよう、僕が横から口を挟んだと思っているのだろう。まさかそのお兄さんもドラゴンスレイヤーだとは思うまい。
 もちろん、もろガセネタっぽい情報も少なくないのでその面での心配があったことも確かだ。酷いときは昨日出てきた町が三日前にドラゴンに襲撃された、などといった即興にもほどがある話もあるのだ。
 僕の移動速度が速く、本来なら移動に数日かかるところから次の町へ移動したりするので本人にしてみれば確認しようがないので適当でいいと思ったのだろうが。

「仕方ない、先に話すよ。俺がこの話を聞いたのは一週間ほど前だったかな、ちょうど行商からの帰りだった。真っ青な顔した若い男に馬車の荷台に乗せてくれって言われてな、そのとき道中の話で聞いたんだ」
「いきなり怪しい……」
「ま、まあ最後まで聞いおくれよ。それでその人は観光目的で旅をしてたそうなんだけど、体にいい温泉があるっていうササナキって町に行こうとしてたらしいんだ。その人はのんびりとした旅が好きだとか言って、森の奥にあるっていうその町に徒歩で向かってたそうなんだが、そのとき見たんだってさ辺りにある木々なんか比べ物にならないくらい巨大で真っ白な竜の姿を」

 まるで怪談話でもするかのように、話の要所要所に緩急をつけてしゃべる男性客。
 しかし、それだけきくとどう考えても……。

「それ、ワイバーンとかじゃなかったんですか?」

 おっと、僕の思考をウェンディちゃんが先読みしたように代弁してくれた。
 よく考えなくてもその話の落ちはそんなものだろうと、子供でも予想できるたのだろう。
 ワイバーン。二本の足と巨大な翼を持ったモンスターの総称だ。ドラゴンとの違いは多いがわかりやすいのは足の数であり、二本足と巨大な翼をもつのがワイバーン、竜は四本足に翼だと云われている。他にも体格に大きな違いがあり、ワイバーンは推定五メートルから大きくても十メートル弱。ドラゴン、グランディーネはウェンディちゃん曰く三十メートルは超えていたらしい。
 というか、むしろ竜とは巨大なワイバーンを昔の人間が竜として扱っていたのではないかといわれている。御伽噺の竜ほどワイバーンとは強力無比な生命体ではないが、魔法技術の発展が今ほど進んでいなかった古の人間たちからしてみれば、通常個体の数倍もあるようなワイバーンは、竜のような絶対存在に見えたのかもしれない。
 ワイバーンとの戦闘経験はあるが、どれも楽勝ではないが苦戦はしない、程度のものだった。もちろんそれは僕がドラゴンをも討ち滅ぼせるといわれる滅竜魔法の使い手であったからで、通常のギルドへの依頼があった場合はそれなりの依頼料が発生する大規模なものとなるらしい。巨体である、それだけでも人にしてみれば十分な脅威であり、畏怖の対象なのだ。
 故に、僕がドラゴンの情報だーといわれていった先には高確率で実際はワイバーンでした、という落ちが多い。

「いやいや、これはマジな噂だって思うよ。なんてったってその白いドラゴンは魔法を使ったって話だ」
「魔法を?」
「そう、何でも森の一部を一瞬で雪景色に変えちまったらしい」

 魔法を使用するワイバーン。確かに聞いたことの無い話だった。
 ワイバーン種はさまざまなものが存在し、ワイバーンという同じ種族でありながら住んでいる地域にも大きな差が出るほどだ。暑いところが好きな種類、寒いところが好きな種類、水辺を好む種類、たとえを出せばきりがない。
 そして、大体彼らは好んだ地域に類似した能力を持っていることが多い。
 ブレスだったり、屈強な外皮だったり、熱に強い寒さに強い。中には主要都市の騎士が着込む鎧の素材として使用されるほどの種までいる。
 だが、あくまでそれは能力であって魔法ではない。ワイバーンは魔法を使う種族ではないのだ。

「それが魔法であるという確証は?」
「魔方陣の展開、それとその旅人さんも魔法を感じ取れる程度には魔力を持ってたらしい。並みの魔力じゃなかったそうだ。俺の馬車に会ったのはそこから逃げ帰ってきたときらしいからな」
「足の数とか、詳しい大きさとかは話していませんでしたか? その旅人さん」
「逃げるのに必死だったらしいからねぇ、そこまで詳しくは見ていられなかったそうだよ。折角遠出してきたのに、ってぼやいてたよ」

 うーむ。
 巨大な体躯、だが厳密な容姿までは不明、見たのも一瞬。
 これだけならガセネタと決定づけて無視しても良かったが、魔法という単語には少々気になるものがある。
 魔法を使う巨体。バルカン(巨大なサルのような容姿をしたモンスター)など、魔法を使うモンスターは存在してはいるが、決してその数は多くない。
 人間ですら魔法を使えるというのは特別に分類される。そんな力を持つモンスター、それが危険か危険でないかなどいうまでもない。もちろん友好的なモンスターも存在しているので一概には言えないが。
 もしそのドラゴンの正体がワイバーンだったとして、それでも魔法を使うのならばそれだけでも見る価値はあるかもしれない。
 ウェンディちゃんは……

「…………」

 考え込んでいるようだ。が、どこかそわそわしているようにも感じる。
 僕という存在を見つけてからまだ一週間。人間という生き物は現金なもので、一回いいことが起きるとそれが続くような、そんな何の根拠もない期待を抱いてしまうものだ。
 僕自身、珍しいワイバーンなら見てみる価値も云々などとは言っても、正直ウェンディちゃんという自分の記憶を正しいものと証明してくれた少女との出会いでこの程度の情報にも興味心身なのは確かだ。
 行ってみるのも、いいかもしれない。

「お客さん、もっと詳しい話聞いてもいいですか」

 と、僕が言うと客はにやっと笑い、

「じゃあ、値下げ交渉受けてもらってもいいかね?」

 ……本当、人間とは現金な生き物だ。
 ちなみに、さすが行商しているだけあり情報の件も含めそれなりにいい値段を値引かれ、ウェンディちゃんと僕が軽く怒られたのは余談である。

「なぶら、ならば明日にでも行ってくるといい」

 その日の夜。夕食を終え、ウェンディちゃんとシャルルを引き連れ昼間の件を進言したところ、特に渋った様子もなくいつものように危うげに酒を煽りながらマスターは平然とそう言った。
 拒絶されることは無いと思っていたがまさかこうもあっさりと許可が出るとは思っていなかった。
 集落とはいえ一応ギルドという組織である以上面倒な手続きやら申請やらを覚悟していたのだが。
 ギルドに所属するのが初めてな以上、身内の個人的な用事にどういった措置が取られるのかはしらないが、これはゆるすぎるのではないだろうか。

「や、やけに簡単に許可してくれるのですねマスター。しかも明日って……ギルド内での僕やウェンディちゃんの役割なんかもあるんですから」
「構わん、このギルドに急ぎの用、などというものは基本無いに等しい。それよりはせっかくの貴重な情報、それも多少の遠出の必要があるとなれば急いで損はなかろう」

 だろう、といわれると僕やウェンディちゃんは頷くしかない。
 僕は今までなら特に気にすることもなく今回のような場合ならばその日のうちにそのササナキという町に赴き事の真相を確かめていただろうし、ウェンディちゃんは自分の親探しに協力してくれる人物が先日入団した矢先なのだから同じくすぐにでも赴きたいといった様子。
 ギルドの仲間たちの中で特にウェンディちゃんといる時間が長く保護者のような立場のシャルル(年齢は大分下らしい)も、昼間の話を聞いてからしつこく詳細を尋ねていたし聞くまでも無いだろう。

「それに、少々気になることもあるのだ」
「気になること?」

 傾けていた酒を置き、しっかりと飲み込んだマスターが少し真剣な目でポツリと呟く。
 ウェンディちゃんは聞き返していたが、正直言って僕もササナキという町の詳細を聞いた辺りで少々気になっていることがあった。

「先日、シュヴィが撃退したというウォードッグ。あれからこのあたりには出没しなくなったが、確かあのモンスターの天敵はワイバーンだったはず。もしかしたら関係があるやもしれぬ」

 言われ、そういえばそんなこともあったなと思い出す。
 別にこのギルドに所属するきっかけともなったことを忘れていたわけではないが、この一週間環境が激変したせいでど忘れしていたのだ。
 マスターの言うとおり、あれからウォードッグによる被害は出ていない。近隣の村などに赴いたさいにも一時期おびえる日々が続いたが一週間前から目撃報告すらないとか。
 しかし、個体数から考えればあれは群れ二つ程度。もしドラゴンの招待がワイバーンだとしたらその影響で他の群れもこちらに向かって降りてくるかもしれない。

「もちろん、あくまで気になるだけ。関連性があり、もし戦闘になるようであれば気をつけるよう……それだけにすぎん。シュヴィ、おぬしの力を信用しないわけではないが……」
「わかっています。先日は仕方なかったとはいえ、ウェンディちゃんもまだ子供。あまり刺激の強い光景は見せたくないのは僕も同意します」
「マスター、それにクライスさんまで……。私そんなに子供じゃ」
「子供はみんなそう言うのよ、ウェンディ」
「うう……」

 それを言うならお前はどうなんだシャルル、などという感想を持たないでもなかったが、動物は人間と歳の取り方が違うというし一応黙っておく。
 そんなやり取りも挟みながら、マスター、及び数名の仲間たちに事情を話し予定を決定する頃には少々遅い時間となっており、ウェンディちゃんのあくびをきっかけに、そろそろいいだろうと話はまとまった。
 よし、と。明日の畑仕事や織物などの販売に一緒に行く予定だった、初日以降いろいろ助けてもらっているぺテルさんや他の仲間たちを見渡し、改めて予定を確認する。

「ではマスター。お言葉に甘えての明日の正午前に発とう思います、ウェンディちゃんにシャルルもそれでいいんだよな?」
「はい、ササナキは泊まるところもあるそうなので持ち物は着替えくらいですし準備もそんなにかからないと思います」
「私も大丈夫、それこそ服くらいしかないもの」
「了解。僕も旅をしていた身、その辺は大丈夫だ。あー、とはいえぺテルさんたちには悪いな。明日も他の町に織物とかを運ぶ予定だったのに」
「大丈夫。あなたよりは多少頼りないけど、他の力自慢に頼むから。あなたはウェンディのことを頼むわね」
「もちろん、そこは心配しなくても大丈夫。護衛の仕事をしたことは少なくない」

 彼女が僕の希望となったように、僕も彼女に希望を与える恩返しをする。それが僕がここにいる理由の一つでもあるのだ。
 大げさですよ、と困ったように笑うウェンディちゃんと、そうじゃないと困るわよ、と僕を指差すシャルル。
 今後、僕がこのギルドを離れる日が来るとしても、それまではこの二人を守るのが僕の役目なのだから。






「ごめんなさい、クライスさん……」
「いや、僕こそごめん。ウェンディちゃん……」

 次の日、僕は早速自分の役目を果たせないでいた。
 予定通り数日滞在できる荷物を持ち午前中のうちにギルドを発った僕たちは、電車に揺られること一時間弱、ササナキ近辺の駅に降り立った。
 遠出は久々らしく目をきらきらさせるウェンディちゃんたちと駅で昼食を取り、その後ササナキまでの詳細な道筋がのっている地図をそのまま駅の売店で探したところ、店員曰くなんと売り物の地図は無いのだという。
 何でもササナキは町といいながらそれほど大きなものではなく、しかも山の中に存在しているのだという。
 所謂知る人ぞ知る秘湯というものらしく、僕やウェンディちゃんのような若い人間が知っていることも結構珍しいのだとか。
 とはいえ自分で探し出さなければならない、なんて商売上がったりなことをしているわけではなくおおよその位置は伝聞で聞くことはできたし簡易地図もササナキへと続く山道の入り口に設置してあった。
 と、そこで問題になったのが、目的地は結構山奥らしく、それなりに道になっているとはいえ山道は荒いことに変わりは無いことだ。僕は言うまでもなく、飛べるシャルルも特にその辺は気にする必要は無かったが、ウェンディちゃんは別である。
 ササナキが電車やバスで行ける場所には無いという話は聞いており、ウェンディちゃんも流石に普段好んで着ているワンピースではなくズボンと歩きやすい靴を着用しているが、子供の足には少々きつそうな道であることに違いは無い。
 ちなみに僕はいつもどおり和服を纏っている。歩きづらいんじゃ、と心配されたが何年も似たような姿で旅を続けた身にそれは野暮というものだといえば、あっさり納得してくれた。
 僕がおんぶする、シャルルと一緒に飛ぶ、などの提案はもちろんでたのだが昨日子供がどうのと言われたのが少々気になったのか、頑なに大丈夫と繰り返し結局足場の注意と旅の経験による地形把握力の高さから僕が先頭、続いてウェンディちゃん、そして彼女がこけた時のためにシャルルが最後尾、ということで決着がついた。
 危ない足場は僕が注意しシャルルのささえもあり途中までは問題なかったのだが……。

「よりによって数少ない平らな道で転ぶなんて、あいかわずね。ウェンディは」
「うう、ごめんなさい~」

 そう、数々の危険な場所をなんとか乗り越え平らな道に差し掛かり一息つけるな、と気を緩めた瞬間特につっかかりがあるわけでもなく、すべるわけでもない平らな道で、いきなりウェンディちゃんがスッ転んだのだ。
 戦闘中でも滅多にしないような反射で手を伸ばしたが、気を抜いてしまったのがいけなかった。
 できたのは膝から落ち、そのまま顔面を叩きつけそうだったところをなんとかささえただけで、下半身……詳しく明記するなら膝にちょっとした擦り傷ができてしまった。
 大怪我ではなかったとはいえ、守るという役目を早速果たせず、ウェンディちゃんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「いやいや、僕が気を抜いたのがいけなかった。まさか平地で転ぶとは思わなくて……」
「あんまり言わないでください、はずかしい……です」
「ご、ごめん。幸いササナキの温泉は傷にもいいって聞くし、できるだけ急ごうか」

 ちなみに、今ウェンディちゃんは僕が背負っている。
 最初はシャルルと飛ぶほうがいいのではとも考えたが、ふよふよと浮かぶ飛び方は傷に触るのでは、ということで第二候補だったおんぶが適用された。
 少々不謹慎ではあるが、正直この状況はけして悪くは無い。
 言っては悪いがウェンディちゃんの歩幅では時間がかかることは避けられず、僕が背負っていれば傷に響かないよう静かに歩いたとしても大分ペースは速いのだ。
 別に一刻をあらそうわけではないが、すでに15時は過ぎている。まだまだ暗くはならないが早めについて損はないだろう。それに、天候もあまりよくない。

「温泉、秘湯って言ってたわよね? ササナキがそこまで有名ではないとはいっても、本当に人を見かけないわね」
「ん、それはしかたないんじゃないか? 一般人ならあんな噂聞いたら恐ろしくもなるだろう」
「……山の中に雪の魔法を使い人を襲うドラゴンがいる、でしたよね」

 ウェンディちゃんが要約した噂の内容に、僕とシャルルが揃ってうなずく。
 竜の噂は、大分広がっていた。駅周辺、及びその近隣の人々からササナキの話を聞けば三人に一人はあの山には最近ドラゴンがいる、という噂話を持ち出していた。
 話を詳しく聞けば、噂自体は数ヶ月前からあったが最初はありえないと誰しも聞く耳を持たなかったらしい。だが、だんだんとただでさえ少ない旅行客の姿が少なくなり、もしかして本当に? と少しずつ広がっているらしい。
 ササナキから買出しに来る人間もいるそうだが、問い詰めていない知らないとはぐらかされるのだという。

「ドラゴンの噂は人を惹きつける……じゃなかったの? クライス、あなたが引っかかってきた噂もこんなものだったのかしら?」
「いや、正直あまり経験のないタイプだ。最初はそのササナキって町が集客のために流した噂かと疑った、雪の降る寒い場所なら温泉はもっといいものになるだろうしね。だが、人を襲うってのはいくら尾ひれがついたといってもおかしい。別にライバルがいるなんて話もないし」
「噂に騙されてわざわざ行った客が騙された逆恨みに、なんて可能性は?」
「んー、まあありえなくはないが……。そもそも噂の出所がササナキかもわからないのに、逆恨みで後付して流したにしては全員が襲われそうになったというのを前提に恐ろしそうに語るというのはなんだかな」

 正直、信憑性という面で言えばこれだけいろんな人物が噂を知っているというのは確実なものになるのでありがたい。
 が、人を襲うというのはきな臭い。
 もちろん僕やウェンディちゃんを育てたドラゴンがたまたま心優しく人間に対して好意的だっただけ、という可能性もある。
 幸い誰かが食い殺された、という話は聞かなかったが万が一の可能性も考えておいたほうがいいかもしれない。

「そのドラゴン、怖いドラゴンなのかな……。お話、聞かせてくれるでしょうか」
「わからない。けど、悪い方向に考えておいたほうがいいかもしれないな。そもそもドラゴンでない可能性のがずっと高いんだから」
「そう、ですね……」

 ドラゴンではないかもしれない、ドラゴンでない可能性のが限りなく高い。そんなことは僕に言われるまでもなくわかっているはずだ。それでも期待せずにはいられない、そんな様子だ。
 ここ一週間ほどそれなりに係わりをもって接し、この少女が年齢の割りに随分しっかりものだという印象が強くなった。
 それでも子供は子供。母親思いっきり甘えたい年頃だろう。
 親に会いたい。そのためにはたとえ今まで何度ガセネタに騙されたのだとしてもわずかな希望に縋るしかないのだから。
 僕は記憶がないからか、それとも自分で思っているよりそっけない性格なのだろうか。あまり親に会い甘えてみたい、会ってみたいという感覚は感じたことがなかった。それしか目的がなかったから、という感じだ。そもそも子供子供と言ってはいるが正直自分の正確な年齢はわからないのだから、もしかしたら背がでかいだけで僕自身まだ子供かもしれないのだ。
 親の顔を覚えていない僕と、幼くして親と離れてしまったウェンディちゃんのどちらのが必死かといえば、当然この子のほうだろう。
 今回の噂が真実であることを心から願ってしまうのは、今までのように自分のためだけではなく必死なこの少女が一緒にいるからだろうか?
 誰かの頼みで動いたことはあっても、誰かのために動いたのは記憶の中で今回が初めてだ。まだ、この思考の答えはわからないが、いつかわかる日が来るのだろうか……。

「あ、もしかしてあれかしら。見えてきたわよ!」

 暗い空気のまま黙ってしまった僕とウェンディちゃんを心配してか、シャルルが少しオーバーな様子で遠方に見え始めたササナキと(おぼ)しき建物の集合を指差す。
 一本道を辿ってきたのだ、ササナキであることは間違いないだろう。

「あ、本当だ。温泉の匂いが空気に混ざってる……」
「結局、道中でそのドラゴンを見かけることはなかったわね。それらしきものも見なかったし」

 シャルルの言うとおり、昨日聞いた話では向かう道中で見かけたというものだったのでいればいいな、などと期待していないでもなかった。まぁ、道中ウェンディちゃんが負傷したことで期待は危惧に変化したのだが。
 というのも、ササナキの住人は噂についてあまり語りたがらないらしいからだ。一応聞き込みはしてみるつもりだが、自分の足で森を走り回り探す覚悟をしておいた方がいいかもしれない。
 肉眼で確認できてからは早いもので、数分後には入り口が見えてきた。秘湯とはいえ一応観光地として派手に飾られていたのでわかりやすいものだった。
 流石に人目の多い場所でおんぶは恥ずかしいとごねたウェンディちゃんを仕方なく下ろし、ササナキへと足を踏み入れると、暖かな空気と共に温泉特有の匂いが感じられ、同時に人のざわめきも感じられた。
 しかし、

「なんだか、町全体の雰囲気が暗いような……」
「ああ、ウェンディちゃんでも感じるか。観光地にしては、活気とかそういったものがあまりないように感じる」
「はい……なんだか町の皆さんの顔も少しやつれているような気がします」

 まばらだが、観光に来ている人間はそれなりにいて、お土産屋などで店員と会話している姿も見受けられる。
 いらっしゃいませー、と気前のよさそうな男の声。ようこそササナキへ、と耳当たりのいい女性の声。
 だが、それらにはなんというか……生気がない、というのだろうか。やる気がないとか元気がないとかそう言った感じではなく、むしろそれらがある上でやつれたような様子であるため町全体がなんだか妙な雰囲気をかもしていた。

「これは本格的にきな臭いな……、ドラゴンに以前に何かあるんじゃないかこの町」
「何かって何よ」
「んー、たとえば後ろめたいことをやってるとか、ドラゴンに生贄を要求されてるとか……」
「い、生贄!?」
「冗談だよウェンディちゃん。それくらい、妙な様子ってことだ」

 冗談。そう、冗談だといいんだけど。さっきからちらちらと町の人間に混ざって感じる決して好意的ではない視線とかが。
 なにかある、それは確実だろう。観光地にはあるまじき排他的なこの視線、監視するようなこの感覚が気のせいであるとは思えない。
 一人旅をしていればいろいろある、ちょっと目を離した隙に荷物を奪われたり、野宿のさいにモンスターなどから感じる殺気まで。
 そんな経験から(つちか)われた僕の感覚が、何かあると告げているのだ。

「二人とも、一応ギルドマークを隠しておこう」
「え? 一応今は私もシャルルも服の下に隠れてますけど……どうしてですか?」
「説明は難しいけど、しいて言えば勘かな。旅をしてきた中で培われた、ね」

 僕が割りと危険なこともしたことがある、というのは出会った日にドラゴンの情報と一緒に旅の話題が出たときに二人に教えてある。
 そんな僕の経験を踏まえての発言、二人は何も言わず頷いてくれた。
 その後、マスターたちへのお土産と情報収集を踏まえ出店に何度か足を踏み入れたのだが、どうにもドラゴンの話になると居心地の悪そうな顔をする者がほとんどで、答えてくれたとしても素っ気無い様子を装って知らない、といわれるばかりだった。

「やっぱり噂の通りでしたね」
「ああ、やっぱりここの住民から口頭で情報を得るのは難しい、か」
「なによもう、どいつもこいつも話をそらして! 知らないわけがないじゃない」
「シャルル、声が大きいよ」
「だって……」

 結局辺りが暗くなるまでさりげなく情報収集を続けたが結果は変わらずじまいだった。噂が嘘だった、という結論に至ったのならともかく、下手にごまかすせいでむしろさらに疑わしくなっていくと同時に、それを追求しても誰からも答えを得られないという状況がもやもやとした気持ちを増幅させていた。
 僕らが魔導師ギルドの人間であり、僕だけならそれなりに危険な任務についても問題ないことを明かしササナキの住人がなにかやましいことがあるのではないか、といったように脅す方法もある。あれだけあからさまな様子なのだ、多少荒いことをすれば何か得られるものはあるはずだ。
 今までならそうした方法もありだったが、今は子供の前。けして好意的ではない方法は取るべきではないだろう。
 それに、所々で感じる視線にも気を配る必要がある。あまり目立つ方法、目に付く方法は僕だけではなく共に行動しているウェンディちゃんたちにまでなにか危害が及ぶ可能性がある。得られるものがないとしても、この子達にまで危険が及ぶのは避けたい。

「仕方ない、今日はそろそろ宿を取って明日に備えよう。一応マスターは一週間弱くらいなら滞在して調べてきていいって言ってくれたんだし。それに、ウェンディちゃんもそろそろ歩くのきついだろう?」
「うっ……はい。歩けないってほどじゃないですけど……」
「情けないわね、もう」
「ごめんなさい……」
「すぐ謝らない!」
「あー、ほら。見えてきたぞ、今日はあの宿に止まろう、な!」

 基本弱気で腰の低いウェンディちゃんと、強気で自分の意見をハキハキと発言するシャルル。
 性格の正反対な彼女たちの衝突は、ドラゴンの話題になっては凹んで微妙な空気になってしまう僕とウェンディちゃんのやり取りよりよっぽど頻度が多い。
 もちろん喧嘩するようなことはなくすぐ普通に会話する程度なので問題になったことはない。だが、年頃の少女とはこれほど弱気なものなのだろうか。
 閑話休題。
 僕が咄嗟に指差したのは自分の着用している和服と同じ東方の文化を取り込んだ落ち着きのある宿だった。
 ササナキの名に反さず小さな池と笹に飾られた入り口をどうにか気を沈めた二人を先導して潜れば、予想通りというべきか和服に身を包んだ旅館の人間が迎えてくれた。
 その目はやはりどこかやつれたような様子だったが、今更それに対して何を言ったところで無駄なので知らないふりをして受付に直行する。

「ようこそササナキへ。ご宿泊をご希望でしょうか?」

 礼儀正しく腰を折りながら僕へと笑顔を向けた女性は、流石に受付の人間。他の住人に比べれば影の少ない瞳をしていた。
 僕たちの年齢に少々驚いたようだったが、特に気にした様子もなかった。
 適当なボロ宿に止まることの多かった旅の道中、こうした礼儀のなった受付が珍しい僕のほうが逆に言葉に詰まりそうになったほどだ。
 受付に肯定の意を返そうとうなずき、そこでそういえばと思いついたことがあった。

「ええ。僕とこの子、あとシャ……猫、動物ってここ構いませんか?」
「はい、問題ありませんよ。ですが、温泉のほうへ連れて行くことだけはご遠慮いただくことになっておりますが……」
「あー、それはここ以外の宿でも同じですかね」
「申し訳ありませんが、いろいろなお客様がご利用されますので……」

 やはり。
 思いついたことその一。シャルルの存在だ。喋って二足であるいて魔法で飛ぶとしても、シャルルの見た目はどうしたって猫である。
 不特定多数の人間がつかる温泉という場所で動物も一緒に、というのはやはり難しいことのようだ。

「シャルル、温泉は入れないらしいがどうする」
「……いいわよ、別に。汗をかくほど疲れたわけじゃないもの、体を拭く水道でもあれば」

 と、いうものの。その顔はどう見ても何で入れないのよー、と叫びだす一歩手前だ。しかし自らの見た目はしっかり自覚しているため理性が勝っているといったところか。

「猫がしゃべっ……あ、いえ。お値段は多少上がってしまいますが、一応簡易な湯船の付いたお部屋もご用意できます」

 先ほどの情報収集の合間合間にも何度か見た反応をなんとか押し殺しつつ、受付の女性がそう付け足してくれた。
 喋るモンスターや人間以外の生物は少ないとはいえ、一般の人間にもそれなりに認知されている。とはいえ猫のような見た目をした種類は一般的には知られていないため、当然唖然とされる。
 しかもウェンディちゃんの話によれば卵から生まれたのだとか。正直僕も未だにシャルルがどんな生物なのかはわからずじまいである。

「じゃあそこで。っと、その前に」

 はい、といいかけた受付の女性に手で静止を求め僕はウェンディちゃんに振り向く。

「なぁ、部屋どうしよう。二つとろうか?」
「え?」
「あ」

 二人にだけ聞こえるようにささやいた台詞に、二人は正反対の反応を示した。
 ウェンディちゃんは何故そんなことを聞くのか、といった疑問の声。シャルルはそういえばうっかりしていた、という焦りの声。
 化猫の宿では僕たちは一応同じ屋根の元暮らしている。
 とはいえそれは長屋で複数の部屋に分かれており、食事時などはともかく決してプライベートや寝室まで同じというわけではない。
 思いついたことその二。子供とはいえ、女の子だ。男性と同じ部屋というものに抵抗を感じる可能性もある。

「んー、同じお部屋で大丈夫ですよ? クライスさんですし」
「いいのか?」
「はい」

 予想に反しなんでもない、というようにうなずくウェンディちゃん。
 クライスさんですし、とはいどういうことだろうか。同じドラゴンスレイヤーとして信用してくれているということか、それとも僕が気にしすぎなのか。シャルルがいるから、という可能性もある。もしくは普段大人ばかりのギルドに身を置いているおかげで他人と過ごす、という状況にあまり抵抗がないのか。
 なんにせよ、本人が気にしていないようなら問題はない。別に部屋を複数取るくらいの所持金はあったが、一部屋でいいならそれに越したことはない。浮いたお金でお土産を多めに買うのもいいだろう。
 ……いや、まだ問題はあった。
 保護者的存在であるシャルルだ。彼女も反応を見るに僕と同じように気にしている様子。
 唸るシャルル。しかしすぐに息を吐いて首を振った。

「ウェンディが気にしないなら構わないわ。この子と同じ過去を持ってるあなたのことを信用してるから」

 どちらかというと釘をさすような言い方だったが、同じく問題ないらしい。
 自分で提案したとはいえ同室であることに許可をもらえたことは幸いだ。
 情報収集中に感じたあの視線。ここの妙な雰囲気。
 一応目立たないよう行動したつもりだが、よく考えればシャルルがすでに目立っているし、ササナキの住人がドラゴンに関連した話題を探っているものがいたら報告するように言われている可能性もある。
 もちろん僕の考えすぎですべては妄想で終わる可能性もあるのだが、どちらにせよドラゴンの噂があるところにあるのはあっけない結末あるいは……何者かの陰謀であることも少なくないのだから。
 夜、なにかあった場合など同じ部屋であるほうが対処がしやすいのは道理だ。

「了解。あ、すいません。じゃあその湯船つきの部屋でお願いします。とりあえず一泊で」
「ありがとうございます。お食事はどうなさいますか? 一泊でしたら夕食と朝食がご用意できますが」
「じゃあ、お願いします」
「かしこまりました。ではお値段のほうはこちらになります」

 …………。

「どうかしましたか? クライスさん」
「い、いや。なんでもないよ。すいません、これでお願いします」

 秘湯ササナキ。その雰囲気がどうであれ結構いい値段、するんだな……。

◆◇◆◇◆

 ササナキに複数ある宿の一つ【紅葉】。東方の文化を多数取り込んだその宿は、ササナキを知る者に特に好まれる宿だった。
 木材を中心に使用し建築された建物は、建てられてからそれなりの年月がたった今でも森の中にいるような木々の香りが残り、宿の中を歩くだけで心身の疲れが取れるようなリラックスできる空間になっている。
 その効果が特に顕著なのは、当然というべきか天然の物をそのまま使用している温泉がある入浴場だ。サウナと何の変哲もない湯船だけという非常にシンプルな作りでありながら人気は高い。
 にもかかわらず、今現在そこに人の影はほぼない。
 開放されていないわけではなく、宿泊客がいないというわけでもない。単純に入浴には少し早い時間であることと、もう一つとある噂が原因で宿泊客の数が少ないのが原因となっていた。
 そんな中、ガラスを一枚隔てた外。所謂露天風呂のある場所に一人の少女がいた。
 一人で温泉にいるには少々幼すぎるようにも見えたが、それは右肩に刻まれた猫のようなマーク、ギルドに所属する者の証であるギルドエンブレムを見れば大抵の人間が指摘することをやめるだろう。
 そんな少女は藍色の長髪をタオルでまとめ、幼い四肢を手持ちのタオルで隠しながら少々おどおどした様子で、そこまで熱くないはずの湯船に片足をゆっくりと浸けようとしている。

「いたっ!」

 しかし、その努力は報われなかったらしい。
 湯船に浸けた足にピリッとした痛みが走り、ウェンディ・マーベルは小さな悲鳴をあげた。
 それはここに来る道中に転んだときすりむいてしまった膝の怪我からきたもので、湯船に完全に体を沈めてなお地味な痛みは続き、せっかくの温泉をすっきりと楽しめないわが身を少しだけ恨めしく感じえしまうのは仕方の無いことだろう。

「はぁー……気持ちいい……」

 とはいえ、深く息を吐きながら全身を弛緩させ、気兼ねなく裸体を湯船の中で広げても誰からも文句を言われない、いわば独り占めの状況はなかなか好ましいものだった。
 今の時刻は十九時を過ぎたあたりだろうか。普段の生活リズムから考えれば入浴には少々早い時間である。
 だが、チェックインしてまず何をするかと話題になったところ、先に入浴して体の汚れや疲れを落としてから考えようという話になったのだ。
 ウェンディとしても確かに道中の山道はきついものがあり、普段から体を動かすことが多いとはいえ流石に怪我に関係なく疲労で足が少し痛むほどだったのでゆっくり湯につかって体を休めるというのは魅力的で、反論する必要もなかったので二つ返事で了承したのだ。
 浴場に付くと案の定というべきか人はおらず、一瞬まだ入浴できないのではないかと焦ったが宿の人間が大丈夫だと言っていたのと、ここまで一緒に訪れている人物、シュヴィ・クライスが平然と男湯の暖簾(のれん)を潜っていってしまったので戻るわけにも行かなかったのだ。
 普段であれば友人であるシャルルが先導してくれるのだが、彼女は人間ではないため浴場へ来ることを許可されず今頃部屋に備え付けられた簡易浴場で入浴しているはずだ。
 結果的に一人きりで広々とした温泉に一人で入ることになってしまったウェンディ。広々とした浴場は人がいないと少々恐ろしく感じ、早々と体を洗い終えると比較的コンパクトにまとまっている露天風呂へと足を運んだのだ。
 そんな経緯はあったが、一度湯につかってしまえばそんなことはどこかへとんでいってしまった。
 湯船の縁に頭を乗せ、空を見上げる。あいにくの曇天であったが、ここまで広い湯船につかることは初めてなだけに気にはならなかった。

「シャルルには悪いことしちゃったなぁ……」

 部屋を確認した限りではそれなりにいい作りではあったが、やはりこの広々とした浴場に比べてしまうと見劣りしてしまう。
 ここへ来た理由はあくまでドラゴンの噂の真相を確かめるためであり、観光ではなかったことや来ることが急に決まったためそこまで気を回していなかったのだ。

「いままでこんなことなかったもんね……こんな風に噂をおってこんなところまで、なんて……」

 普段ならほぼ必ず横にいるシャルルがいない完全に一人であるこの状況に、ふつふつと最近の出来事が頭の中を巡り始める。
 今までなら、多分今回のような噂は唇を噛んで聞き流すしかなかっただろう。
 けれど、今ウェンディはここにいる。
 なぜなら今同じく温泉に入っているであろう人物、シュヴィ・クライスとの出会いがあったからだ。
 一週間前森の中で自分の命を救ってくれた、そして自分と同じくドラゴンに育てられたというドラゴンスレイヤーの青年。
 骨格を刃に変化させたり、金属すら弾くような肉体強化をほどこしたり、明らかに通常の魔法では実現し得ない魔法を実演され自分がドラゴンスレイヤーだと名乗った彼との出会いによる興奮は今でも思い出せる。
 残念ながら彼も親であるドラゴンの行方を知らず、それどころか記憶すら失っていると聞いたときは正直落胆してしまった。
 考え直せば唯一の記憶であるドラゴンが嘘扱いされる世の中においてそれはどれだけ不安になることだったかは想像に難くない。そんな彼にがっかりするというのは失礼なことだ。
 しかし、その出会いはそれだけで終わらなかった。
 なぜなら彼がウェンディの所属するギルド化猫の宿(ケット・シェルター)に所属し、さらには自分の親探しを手伝ってくれるといってくれたのだ。
 彼はウェンディの存在が自分に希望を与えてくれた、だから恩返しがしたいといっていた。
 そして、早速こんな場所まで着いて来てくれた。
 まだ今回の噂が真実とも虚偽ともつかない状況ではあるが、見なかったふり聞かなかったふりをしなくていい、さらにはそれを追うことができることがこれほど嬉しいとは思わなかった。

「ふふ……」

 自然と笑みがこぼれた。
 ずっと、ドラゴンスレイヤーは自分だけだと思っていた日々が終わった。グランディーネ、自分の母親の手がかりはまだ見つかっていないけど……一人きりじゃない、それが嬉しくて。
 そのとき。

「あの……」
「え?」

 曇天を眺めながらぼーっと空を眺めていたからだろうか、視界の外から響いた声に必要以上に驚いて湯を跳ね上げながらウェンディは声のした方向へ向き直った。
 そこにいたのは二十歳を迎えたかどうかの若い女性だった。
 ウェンディは、観光に来ていた人間が湯船でだらんとしている自分を見て心配で声をかけたのかと思った。
 しかしよく見れば女性は数時間前の情報収集のさい見かけたあの生気のないやつれた目をしていて、ササナキの住人だとウェンディでもわかった。
 ここに住む人間全員が常に湯屋で働き客を向かえる側にだけ立っているわけではない、当然ササナキの住人がササナキの温泉を利用することもあるだろう。

「あなた、もしかして魔導師ギルドの方ですか?」

 だが、続いた言葉にウェンディは背筋が凍るような感覚に襲われた。
 うっかりしていた、今女性が入ってきた出入り口からは裸であるウェンディの右肩にあるギルドエンブレムが丸見えになっていた。
 魔導師の証を隠していたのはあくまで念のためであり、万が一のことを考えてとクライスが提案したことだ。
 だが、いくらギルドエンブレムが見えたとはいえそれをわざわざ指摘する理由が一般人にあるだろうか。
 魔導師は確かに珍しい存在ではあったが、わざわざ声をかけて指摘されるほどのものではない。
 ウェンディの見た目が幼いためという可能性もあったが、ほかならぬクライスの指摘があった後。悪い方向に考えてしまうのは仕方がなかった。

「そう、なんですね?」
「…………!」

 ウェンディが答えずにいると、女性は何を考えてか若干早足になってこちらに近づいてきた。
 どうしよう--ウェンディは咄嗟に身構えた。
 大声で呼べば、もしかしたらクライスが気づいてこちらに駆けつけてくれるかもしれない。女湯だとか裸だとかそんなことはこの際関係ないだろう。
 だが、本当にこの女性が自分をどうこうするかどうかの確証はない。勘違いだった場合問題になるだろう。
 かといって何かされてから助けを呼べる確証もまた無い。
 思考がぐるぐると頭を駆け巡っている間に、女性はすでにウェンディの目の前にいた。
 そして、エンブレムのあるウェンディの右手を両手で包むように取る。
 確証は無い、けれどこのままでは何をされるかわからない。
 ウェンディは叫ぼうと息を吸い込み……

「魔導師様、私たちを助けてください……!」
「ふぇ!?」

 予想外の女性の言葉に、大き目の声で妙な返事をしたのだった。 
 

 
後書き
しばらく見ない間にウェンディヒロインの作品が増えましたね
彼女をヒロインにするうえで一番大変なのはシャルルの存在、ぶっちゃけ彼女の台詞を挟むタイミングがめっちゃむずい 
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