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黒魔術師松本沙耶香  薔薇篇

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3部分:第三章


第三章

 館の中は木造であった。床や階段、手すり、扉等は全て樫の木であり壁は白い。天井にもガラスの豪奢なシャングリラがありそれが古ぼけた鈍い輝きを放っていた。まだ昼なので光が灯っていないせいかそれは朧な印象を与えるものであった。
 沙耶香はそのシャングリラを見上げていた。見たところガラスもかなり高価なものである。しかも年代ものだ。建物自体に相当な年代がある以上シャングリラもそうなのは当然であると言えた。彼女は暫しそのガラスを見えていた。ふるぼけた朧な輝きはそのブラックルビーの瞳にも入って来ていた。
「こちらです」
 沙耶香はそのガラスについてさらに考えようとした。何時頃のガラスなのかと。それを考えようとした時に男が声をかけてきたのであった。
「ええ」
 意識を男に戻し応える。そして彼に案内されてこの古い館の中を進んでいく。
 暗い廊下であった。左右に灯りがあるがそこには当然ながら光はない。みればその灯りはガス燈であった。今だにこんなものがあるとはある意味驚くべきことであった。
「古風ね」
 沙耶香はそうした洋館の中を見ながらふと呟いた。
「何もかもが」
「ガス燈がですか?」
「それだけじゃないわ」
 彼女は男に応えた。二人が歩くとそれだけで廊下がきしむ音がした。
「この館にある全てのものが」
「あの方の御趣味で」
「クラシックなのね」
「ええ、全てにおいて」
「話に聞いた通りだわ」
 沙耶香はそれを聞いて笑みを浮かべた。
「古風なのを好まれる方だと」
「だからこそこの鎌倉におられるのですよ」
「鎌倉に」
「はい」
 男は答えた。
「ここにはかって華族の方々が多くおられましてね」
 実際にこの鎌倉の辺りには洋館や別荘を構える華族達が多かった。この街は歴史が古く、また山と海を持つ風光明媚な場所である為人気があったのだ。だから華族達の邸宅や別荘があった。この洋館もその中の一つなのである。
「それで。あの方も」
「おられるというわけね」
「そういうことです」
「わかったわ」
 沙耶香はそれに頷く。
「そして薔薇があり」
「はい」
「美しい庭もある。何もかもがあの方の望まれる世界なのね」
「ですがその世界が今壊れようとしているのです」
 男の言葉は深刻な色合いを帯びた。
「ですから貴方と速水様を」
「呼んだということね」
「そうです。詳しいことはあの方から御聞き下さい」
「あの方から直接」
「ええ。是非にと仰いまして」
「そうでしたの。では余程重要なものがありますのね、本当に」
「こちらです」
 二人は一際大きな扉の前に来た。その扉からは妙な威圧感が感じられた。
「駕籐様」
 男が扉の前で扉の向こうに声を送る。
「松本沙耶香様を御連れ致しました」
「うむ」
 扉の向こうから老人のしわがれた声が返って来た。それが返事であった。
「御案内しろ」
「はい」
 姿は見えていないというのに恭しく一礼する。それから沙耶香に顔を向けた。
「どうぞ」
「ええ」
 男が扉を開ける。そして沙耶香はその開けられた部屋の中に入る。その部屋の中に一人の老人がいた。
 広い部屋だった。床はやはり樫の色をしており壁は広い。奥に書斎の机がある。その机は黒檀であり、黒くツヤのある光を放っていた。その後ろは全て窓であり透明なガラスが白い太陽の光を入れていた。老人は書斎机の前に車椅子で座っていた。白く、すっかり薄くなった髪を持つ、品のいい顔立ちの老人であった。白いカッターの上にダークブラウンのベストを着て黒いズボンを履いている。そしてその上に赤いガーディアンをかけていた。
「御久し振りです」
 沙耶香はまずはその老人に挨拶をした。
「御元気そうで何よりです」
「そちらこそな」
 老人もまた沙耶香に挨拶をした。
「相変わらず。美しい」
「また。お戯れを」
「戯れではない。その黒い美貌にさらに磨きがかかったな」
 彼は沙耶香の姿を見て微かに笑みを作っていた。
「前に会った時は影であったのに今では闇だ」
「闇、ですか」
「そうだ、まるで闇に咲く薔薇だな」
 彼は沙耶香を評してこう述べた。
「その美貌で。また多くの少女達を味わってきたのだろう」
「味わうのは少女だけとは限りませんが」
 沙耶香は謎めいた笑みをここで浮かべて言った。
「私にとっては。花は若い花も熟した花もどれも美しい花ですから」
「そちらも相変わらずのようだな」
「ええ。そして花は一つとは限りません」
「成程、君の嗜好は変わってはいないようだな」
「安心されましたか?」
「とりあえずはな。変わっていなくて何よりだ」
「有り難うございます」
「さっきは速水君に会ったよ」
「ほう」
 それを聞いた沙耶香の目が動いた。だからあの時彼はあそこにいたのだ。
「彼も今回ここに招待してね」
「左様でしたか」
「庭で会ったと思うが」
「はい」
 言葉で頷く。身体は動かさなかった。
「久し振りに。話をしました」
「彼も変わっていなかったよ」
「どうやらその様で」
「相変わらず。君に深い関心があるようだね、彼は」
「彼には私は合わないと思うのですがね」
「それはまたどうしてかね?私はバランスがいいと思うのだが」
 老人は面白そうにその皺の顔に笑みを浮かべて言った。
「当代きっての黒魔術師と占術師なのだから」
「術では確かに釣り合っているでしょう」
 沙耶香は速水の能力は認めていた。
「ですが」
「ですが!?」
「今の私には。彼に心が向いてはおりません」
「心が向いていないか」
「ですから。今は彼の申し出には受けられないのです」
「そうか。心の問題か」
「そうです」
 沙耶香は答えた。
「彼にとっては残念なことですが」
「だが。今回の仕事は協力してもらわなければな」
「わかっています」
 その言葉に静かに応えた。声は闇の中に溶け込む様に静かに部屋に響いた。

 
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