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藤崎京之介怪異譚

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case.5 「夕陽に還る記憶」
  Ⅵ 3.8.PM9:22


「ちょっと、お兄様から離れて下さる。」
「君こそ、少しは兄離れしたらいかがですか?」
「煩いわね!これは私のお兄様ですのよ?」
「いいえ、僕の先生です!」
 両脇がやたらと煩い…。
 俺達は今、群馬のとある町へと来ていた。三番目の朝実を知るために来たんだが、それをどこで聞き付けたんだか、田邊まで着いてきている。お陰で…ずっとこの有り様だ。
「二人共、こんなとこまできて喧嘩は止めてくれ…。」
「お兄様!勝手に着いてきたこのメガネが悪いんですわ!」
「先生!僕の方がお役に立てます!質が違いますからね!」
 あぁ…頭が痛い…。まぁ、喧嘩するほど仲が良いとは言うが、ここでそれを言ったら火に油…。
 仕方無く、俺は罵声を浴びせ続ける二人を引っ張って、第三の小野朝実に縁のある米山佐吉と言う人物の家へと向かった。
 群馬へと移った小野家は十数年前に途絶えていて、この佐吉と言う人物は、その小野家から米山家へと婿養子に入った。朝実から見て叔父にあたる人物なのだ。それもあってか、この米山家が途絶えた小野家の墓も共に守っているのだという。
「ここ…だよな…?」
 俺達はとある家…いや、屋敷の前で足を止めた。と言うよりも、その門の前…。
「田邊…こんなお屋敷だなんて…聞いてなかったぞ…。」
「聞かれませんでしたらね。米山家って、代々ここ一帯を束ねる地主だったんですよ。」
「それを早く言え…!」
 さすがの美桜も目を丸くして、目の前の大きな門を見上げている。
「この米山家なんですが、約二百年ほど前からの地主だそうでが、戦後は地価が下落して没落したそうです。土地はかなり有りますが…内情はかなり逼迫しているみたいですね…。」
 まぁ、こんな山奥じゃ…この土地の買い手も無いだろうしなぁ…。土地はあるが金は無し…か。昔はそれなりの暮らしが出来たんだろう。田畑を貸したりして生計も立てられたろうしな…。
「おや、お客さんかね?」
 俺達が三人で井戸端会議をしていると、突如、背後から声を掛けられたため、俺達はギョッとして振り返った。
 そこには小柄な老爺が立っていた。品の良い背広を着、杖をついてはいたものの、背をしっかりと伸ばして立っていた。
「あぁ…ご連絡を頂いておった藤崎さんですな?」
「はい。貴方が…米山佐吉さんですか?」
「そうじゃよ。ま、こんなとこで立ち話もなんじゃから、どうぞ中へ入って下され。」
 口調もしっかりしていて、俺は正直驚いた。資料によれば、彼は齢九十を越えているはずだ。その姿を拝見し、俺は老いたらこんな風になりたいものだと思った。
 この高齢化社会、寝たきりになってしまう人も多いというのに、この佐吉さんはまだまだ健在といえ、どうやったらこんなに健康で長生き出来るかを聞いてみたいものだ。
「さぁ、上がってくだされ。カネさんや、お客様が来られたから、お茶を頼むよ。」
 佐吉さんが奥へ向かってそう言うや、奥から一人の女性…と言うより老婆だが…が玄関先へと姿を見せた。
「ようお越し下さいました。奥の方へお上がりくださいませ。」
 カネさんと呼ばれたその老婆は、俺達にそう言って会釈したので、俺達もそれに返した。
 カネさんは何やら嬉しそうに奥へと戻って行ったが、来客が何人かを知りたかったんだろう。恐らくは、この米山家で働く家政婦といったところだろうな。だが、何であんなに嬉しそうなんだ…?
「いやぁ、来客なんてのは久々でのぅ。カネさんも喜んどるようじゃなぁ。」
 佐吉さんはそう言いながら、俺達を中へと招き入れてくれたのだった。
 米山家は内側も勿論広かったが、その全てが美しく磨かれていて、その中には、過ぎ去った歳月の重みを感じ取ることが出来た。案内された部屋は洋室だったが、その部屋も例外なく、気品と風格を感じさせるものがあった。
「こんなあばら家に洋室なんぞと思うたかも知れんが、こりゃ爺様が作ったもんじゃ。」
「すると、この洋室もかなりの年月を経ていると?」
「そうじゃのぅ…もう百年は経つかのぅ…。爺様が道楽で作らせたと聞いとるが。」
 佐吉さんはそう言って笑っていたが、一体どれ程の金持ちだったんだ…?柱なんかには洋風な彫り物までしてあるし、床の材質だってかなりのものだ…。いや、考えないようにしよう…。
 俺達は長いソファーを勧められ、そこに腰を落ち着けて暫くは世間話をしていた。そこへノックの音がして、さっき玄関で会ったカネさんがお茶を持って入ってきた。
「どうも、お待たせ致しました。」
 カネさんが持ってきたものは、どう見ても高価なティーセットと、彼女が焼いたであろうパウンドケーキとアメリカンチェリーのタルトだった…。外観からは想像もつかないものが出てきたため、俺達は初めはギョッとした。それを察してか、カネさんは可笑しそうに笑い、佐吉さんもそれを見て一緒に笑い出した。
「カネさんや、またやりましたなぁ。」
「はい、旦那様。」
 どうやら…他の客にもしているらしい…。全く、茶目っ気たっぷりのこの二人には、俺達ですら笑わずにはいられたなかったのだった。
 さて、美味しいお茶を頂いて後、俺達は本題へと入ることにした。
「で、先日お話していたことなんですが…」
「おお、朝実嬢ちゃんのことじゃったな。ありゃ…可哀想なことをした…。このカネさんも、一時期は嬢ちゃんのとこで働いとったんじゃが、昭和の初め…何年じゃったか覚えとらんが、嬢ちゃんが結核にかかってしもうてな。カネさんも嬢ちゃんと離され、小野家の推薦でここに奉公へ上がったんじゃ。嬢ちゃんが亡くなったという知らせは、カネさんがここへきて暫くしてから届いたんじゃよ。」
 今でも結核は怖いが、当時とは違って完治出来る。死に至る病ではなくなったんだ。
 しかし、昭和初期では未だ不治の病で、感染を恐れて多くの人々が隔離病棟の中でひっそりと亡くなった。中には家で養生させる者もいるにはいたが、一般庶民にそんな広い家があるはずもなく、かといって資産家が全て家で看病していたわけでもない。
 故に、患者が溢れるようなことがあれば、身分に関係なくベッドが並んでいたこともあっただろう…。
「わしゃ、今でも覚えとるよ。嬢ちゃんからの手紙に、音が欲しいと書いてあったことを…。わしは面会すら出来なんで、どうしてやることものぅ…。」
「音が…欲しい…?」
 佐吉さんの言葉に、美桜が首を傾げて聞き返した。佐吉さんはその問いに、目を閉じて何かを思い出すかのように語り始めた。
「嬢ちゃんは大の音楽好きじゃった。特に、当時ではまだ目新しかった西洋の音楽は、嬢ちゃんのお気に入りじゃったよ。演奏会があると聞けばそこへ行き、家でもピアノをわざわざ外国から取り寄せてもらって、一から習っておった程じゃ。当時の小野家はかなりの資産家じゃったから、それくらいは容易かったじゃろうが…。流石にのぅ…病になって病院に入っては、好きな音楽を聴くことも奏することも出来なくなってしもうた。兄は兄で世間体を保たにゃならず、四苦八苦しとったようじゃが…。嬢ちゃんが病院に入って直ぐ、わしゃこちらへと来てしまったから、その後の詳しい状況までは分からんのじゃ…。」
 佐吉さんがそこまで語り終えると、カネさんが何かを思い出したように机の引き出しを開き、何かを取り出して佐吉さんへと渡した。
「旦那様。お嬢様の手紙の中に、これが一緒に入っていたではありませんか。」
「おお、そうじゃったな。カネさん、ありがとう。」
 そう言って俺達の前に広げて見せたのは、手書きの楽譜だった。俺と美桜はそれを一目見るなり、驚いて声を上げてしまった。俺達の態度を見て、田邊や佐吉さん、それにカネさんもキョトンとした表情で俺と美桜を見ていた。
「どうしたんです?」
 暫くして田邊が不思議そうに聞いたので、俺と美桜は顔を見合せて頷き、先日あったFAXのことを話して聞かせた。この目の前にある楽譜は、間違いなくFAXで送られてきた「悲愴ソナタ」の楽譜だったのだ。
「そんなことが…あるんかのぅ…。」
 佐吉さんは感慨深げにそう言っていたが、その後ふと、カネさんが口を開いた。
「朝実お嬢様は、お気に病んでおられたのかも知れませんねぇ…。」
 俺達だけでなく、佐吉さんもその言葉に首を傾げた。カネさんはそれを気にすることなくそのまま語り続けたが、その内容には驚くべきものがあったのだった。
「朝実お嬢様は…養子で御座いました。戸籍上は実子となっておりますが…。」
 カネさんの最初の発言に、佐吉さんは顔を曇らせて俯き、後は話を聞くだけだった。どうやら、触れられたくない家庭の問題なのかも知れないが、俺達も口を挟まず、そのまま話を聞くことにした。
 カネさんの話では、朝実は当時の小野家の主人、秋吉の実子ではなかった。実の父親は、母であるトミイと将来を誓っていた栗山虎雄との間に出来た子供で、虎雄はそれを知ることなく病で他界したのだという。
 では、何故小野秋吉の実子になっているかと言うと、この秋吉、トミイ、虎雄の三人が幼馴染みであることに由来しているのだ。虎雄とトミイは互いに好いていたが、秋吉はそのトミイに片想いしていた。秋吉はその想いをひた隠しにしていたのだが、虎雄が亡くなって直ぐ、トミイから妊娠していることを知らされ、それが虎雄との間の子供であることを知りつつ、自分の子供と偽って結婚したのだ。
 当時、結婚前に子供が出来てしまうのは、かなり問題視された。現代でもそうだが、当時は現代のそれとは比較にならない。故に、秋吉はトミイの身籠りは自分の責任とし、大々的に挙式したと言う。それは、自分に非難が集中するようにわざとやったことだが、これが善い結果を招いた。
 最初は眉を潜めていた親戚なども、秋吉の実直な性格や妻への揺るぎない愛に心打たれ、一方のトミイもその想いに報いるべく、生まれた娘をあやしながら懸命に家と夫を支える姿は、良妻賢母を絵に書いた様だったという。それ故に、周囲の者達はしだいにこの夫婦へ好感を持つようになったのだと。
「私が小野のお家へ上がらせて頂きましたのは、私が十三でお嬢様が十一の時で御座いました。私の方が幾分年上で御座いましたため、お嬢様は私を姉のように思って下さっていたようです。」
 カネさんは当時を思い出し、色々と語ってくれた。だが、そこから聞いてとれるのは、どれも優しさに満ちたものばかり…。あの栗山亜沙美の口から語っていた記憶や感情が、どうして生まれたのかが分からなかった。しかし、終りにきて、それがようやく分かったのだった。
「…ですが、肺を患ったお嬢様を、旦那様は見向きもされませんでした…。旦那様はお嬢様を病院へと送って後、ご自身は海外へと行かれてそれきり…。奥様も旦那様と共に行かれたため、お嬢様が亡くなったことは半年近くも後に知ったのです。結局、お嬢様は病院に入られて以降、二度とご両親の顔を見ることはなかったのです…。肺病は感染するといい、旦那様は親戚一同に面会を許すことなく海外へと行かれたため、お嬢様はお一人、病院の淋しい病室で息を引き取られたのかと思うと…。」
 カネさんは涙をハンカチで拭いながら、そこまで静かに語ってくれた。だがその静けさを、俺の携帯がうち壊した。俺は「ちょっと失礼します。」と言って、鳴り止まない携帯へと出た。
「もしもし…」
「先生、大学が大変なことになってます!」
 向こうから聞こえてきたのは、楽団にも所属している真中の声だった。いつも冷静で慎重な真中が、誰だか確認もせずに大声をあげているのだ。背後からは怒鳴り声や叫び声も聞こえていて、これはただ事ではないと感じた。
「どうしたというんだい?」
 俺がそう問うと、真中は一旦深呼吸をしてから言った。
「ついさっき、大学の南校舎四階までの全て窓ガラスが、一気に割れたんです。その上、一階の教室の一部が陥没して、遺骨らしいものまで出てきて…。もう皆パニック状態で…。」
 俺は唖然とした。これは十中八九、この件と関連しているはずだ。だとすると…。
「佐吉さん…。以前、朝実さんの墓地があった場所ですが、現在どうなっているか分かりますか?」
「さぁてのぅ…。カネさん、聞いておるかい?」
「はい。最初は墓地の全てを更地にするはずが、三分の二だけ更地になったのですが、その後、残りも学校を建てるとかで更地にしたとか…。ですが、これさえも定かでは御座いませんし、聞いたのはもう何十年も前の話ですしねぇ…。」
 俺は真っ青になってしまった。考えてみれば、あの教会は少なくとも二回は移築しているのだ。最後に、元あった場所へ戻ってきたとしてもおかしくはない。
 元々、何か不都合があったために教会が建てられた可能性があるのだから、その土地が売れなかった可能性も高い筈だ。そうなれば、教会が再び以前あった土地へ戻ったとしても不思議じゃないだろう…。大学にしても、売りに出されている土地の一部が、まさか以前墓地だったとは考えなかっただろうしな…。
 だが…人骨が出るなんて有り得ない…。いくらなんでも土台を作る時に掘り返すんだから、その時に見付かるはずだ…。いや…工事を請け負っていた会社と例の不動産屋が密約を交わしていたら、知らないふりをして工事をしてしまう可能性だってあるか…。全く…狂気の沙汰としか言えないが…。
「先生…何かあったんですか?」
「お兄様…?」
 田邊と美桜が不安げな顔で見ている。佐吉さんもカネさんも、気付けば俺を心配そうに見ていたため、俺は電話の向こうにいる真中に返答を返した。
「真中君。直ぐそちらに出来るだけ早く帰るから、事態が悪化しないよう全員外へ避難してるように。」
「分かりました。先生、無事に帰ってきて下さいよ…。」
「縁起でもないこと言うな。じゃ、切るぞ。」
 俺はそう言って携帯を切った。
「あちらで…何かあったのかのぅ…?」
 携帯を切って直ぐ、佐吉さんが聞いてきた。
「ええ…まぁ。つかぬことをお聞きしますが、朝実さんの墓所は、教会からみてどのあたりだったか覚えてますか?」
「どうじゃったか…わしは一度行ったきりじゃからのぅ…。カネさん、覚えとるかい?」
 佐吉さんがカネに問うと、カネさんは思い出そうと奮闘し、暫くしてハッとしたように答えた。
「南側です。当時は広い敷地に多くの方が眠っておられましたが、南端の方へお嬢様の墓所が御座いました。確か…もうお二方、同姓同名のお嬢様方の墓所もあり、このお二方は朝実お嬢様の御友人で御座いました。」
「えぇ!?南側には、三人の小野朝実さんが眠っていたんですか?」
「はい。なんでも、それが遺言だとかで…教会の方がよく間違えて困ると申しておりましたのを思い出しました。生没年が違いますので、それをみて判断するのだと…。」
 そうか…それでこんなことに…。だが、それだけではないような気がする…。この三人の朝実の後ろに、もっと深い闇が蠢いているんじゃないだろうか…。
「そこには朝実さんのご両親も?」
「はい。お嬢様の左に旦那様と奥様が。そして、右に旦那様の計らいで虎雄様の墓所が御座いました。真向かいに御友人方が。何だか不思議な…と言うよりも、奇妙な感じが致しましたねぇ。」
 あった…深い闇…。
 多分、根源は…朝実の実の父親である栗山虎雄だろう。しかしなぁ…同じ栗山でも、あの栗山一家と関係があるのか?ただ同じだけ…とは考えにくいのだが…。
「カネさん。確か…虎雄の弟が栗山の家を継いでたんじゃなかったかのぅ?全く不思議なもんじゃ。音楽好きな虎雄の娘も音楽好きになり、虎雄の弟の家系も音楽で生計をたてとるとはなぁ。」
「…!?虎雄さん…音楽を?」
 どうして気付かなかったんだ…!今まで母のトミイも義父である秋吉も、共に音楽の話は出てこなかった。残っていたのは…実父しかいないのに…!
「なんじゃ、お知りにならんかったんか。虎雄は、小さなうちからピアノをやっとって、かなりの腕を持っとったんじゃよ。肺を患わなければ、有名なピアニストになっとったじゃろうて…。」
 これには、田邊も美桜も驚きを隠せなかった。二人がどれだけ調べても、こんな情報は出てこなかったのだから…。
「先生…これってもしかして…。」
「考えても仕方ない…。過去になにがあったにせよ、今になって言ってもどう仕様もないじゃないか…。私達はただ、やるべきことをやるだけだ。」
 俺はそう言って席を立ち、佐吉さんとカネさんに頭を下げて言った。
「お話下さって有り難う御座いました。」
「いや、大したことじゃありませんて。向こうでも何かおありの様ですし、お急ぎ下され。」
 佐吉さんはそう言い、カネさんも「お気を付けてお帰り下さい。」と心配そうな表情をして言ってくれた。この件は、きっとこの二人にとっても他人事ではないのだろう。
 そうして後、俺達三人は急ぎ大学へと向かったのだった。今日中に片を付けなくては、今を生きる亜沙美に何が起こるか分からない。夕方までには…決着をつけなくては…。
 太陽は頭上の青空の中で光を放っていたが、俺の心は晴れることはなかった。



 
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