藤崎京之介怪異譚
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case.5 「夕陽に還る記憶」
Ⅰ 2.25.AM10:55
「そう言うわけで、バッハはリュートの弦を用いて特注のチェンバロを製作させたのです。このことから、バッハ自身はリュートを演奏出来なかったと考えられます。彼はこの楽器にラウテンヴェルクと言う名を与え、リュートの為の作品群は、この楽器の為に書かれたとする説が有力となっています。ですが、この楽器は現在では失われてしまっており、幾つかの復元が試みられていますが、これらはリュートチェンバロ、またはラウテンクラヴィーアと称され、バッハが愛したであろう音色を蘇らせているのです。一説には…」
ここは某音楽大学の一室。俺はこの大学の知り合いの教授に頼まれ、講義と実演指導をするために来ていた。
今回は鍵盤楽についてで、単独でここへやって来ているのだ。三日間の講義を頼まれていたが、今日がその最終日。この三日間、知り合いの教授のお陰か満員御礼だった。自分の大学の講義じゃ、ここまで席が埋まることは稀なんだがなぁ…。
「このことからも分かるように、バッハは新しい楽器への取り組みにも熱心でした。得意としていたオルガンやチェンバロだけでなく、このラウテンヴェルクといいフォルテピアノのいい、彼自身のアイディアが取り込まれ、後の楽器製造者達や作曲家達にも大いなる影響を与えて、音楽は新たな発展を遂げることとなったのです。では三日間有り難うございました。私の講義はここまでです。」
俺がそう言うや、学生から拍手が起こった。これはなんだか新鮮な感覚で、背中がむず痒くなってしまった。ま、自分のとこじゃ有り得ないからな…。
俺は軽く会釈をして廊下へ出ると、そのまま友人の教授のところへと向かおうとした。
実はこの三日間、その友人の家に厄介になっているのだ。ホテルにでも予約を入れようかと思っていたが、それならばと半ば強引に招かれたのだがな。
彼の家は音楽家庭で、奥さんから子供まで何かしらの楽器をやっている。俺とは違い全員が現代楽器だが、古楽器にもかなり興味はあるらしい。そのお陰で、俺は二晩その家で演奏をさせられたのだ…。
特にリュートが気に入ったようで、今日も最後にとお願いされている有り様だった。特にヴァイスの曲が良かったようで、きっと言われるだろうな…。随分とマイナーな曲がお好みなようだ。
「藤崎教授!もう少しお話をお聞きしたいのですが。」
俺が歩いていると、後ろから呼び止める声が聞こえたので、俺は足を止めて振り返った。そこにはお嬢様風な女性が立っていたが、恐らく講義を聞きに来ていた学生だろう。
「どうしましたか?何か質問でも?」
あぁ…こんなのは久しぶりだ。自分で言うのもなんだが、自分の大学でこんなやつはいない。チャイムが鳴るなり、皆一目散に出て行くだけで、質問なんてのは皆無に等しいのだから…。
「私、二年の栗山亜沙美と申します。今回の御講義は、セバスティアン・バッハの鍵盤楽のみでしたが、私は声楽とオーボエ属の楽器を専攻しておりまして、出来ましたら宗教曲、カンタータなどのお話を伺えましたらと思いまして。」
「どういうことが聞きたいんだい?まぁここではなんだから、食堂にでも行きますか。」
立ち話もどうかと思い、俺が彼女を食堂へと促した途端、これがまた次から次へと質問者が続出し、仕方無く十数名と共に食堂へと向かうことになったのだった。
彼らは皆バロック時代の楽器を専攻しており、それなりの知識も経験もあった。それぞれ別の楽器を学んではいたが、大半は声楽曲の演奏についての質問だった。
「バッハの声楽作品は、やはり複数人数で演奏すべきでしょうか?それとも、OVPPでの演奏が良いのでしょうか?以前、リフキン氏の論文を読みましたが、どうも今一つ納得がゆかないもので…。」
「そうだね…。各パート一人によるOVPPは、バッハの時代では当たり前だったけど、バッハ自身、それをただ当たり前とはしなかったと思うよ?彼のカンタータは、再演ごとに手を加えた形跡もあるし、合唱の人数も場所に応じて加減した可能性は捨てきれない。世俗カンタータなんかは、その大半をツィマーマンのコーヒー・ハウスで演奏してたから、もしかしたら複数人数だった可能性は高い。演奏したい学生も多かったと思われるし、バッハもそれを期待していた筈だしね。」
最初の質問に、俺は持論を踏まえて答えた。だがその答えに、今度は別の学生が質問してきたのだった。
「しかし、当時の教会音楽はOVPPが通例だったはずですから、バッハもそれに従っていたと考えられますよね?」
うん…こうなると話が長くなりそうだな…。歴史背景や習慣は、書類上でしか確認しようがない。バッハに至っては楽譜に細かい記載がないため、タイムマシンでも作って聞きに行くしかない…。
「彼はそういう古い慣習を踏まえた上で、より新しく良い音楽を求めていた。カンタータだけじゃなく、受難曲やオラトリオなどにも実に様々な試みが成され、その中で声楽を増やすことを考えなかったとは思えない。まぁ、初期のカンタータなんかは完全にOVPPだと言える作品もあるが、実際のところ分かってないのが現状だよ。」
その後も延々と話は続くが、その中でふと、最初に質問してきた栗山と名乗った女性が不可思議な言葉を口にし、俺も周囲の皆も一様に彼女を見たのだった。
「昨年、東京音楽学校で催された音楽会でのものは、とても宜しかったですわね。特に、ゼバスチャンのクレドは素晴らしい演奏でしたわ。私も初めて耳にしましたが、皆様は行かれましたか?今年もゼバスチャンの作品を取り上げて欲しかったのですけど、別の作曲家の作品でしたので…。」
その場は一瞬静まり返り、皆は互いに顔を見合わせた。
現在、彼女の言った“東京音楽学校"なるものは存在しない。東京芸術大学の前身なのだから…。
それに、俺の記憶違いでなければ、昨年東京でバッハのミサ曲ロ短調を演奏した団体はない筈だ。それも第二部のクレドだけとは…。それだけ単独で演奏されることは稀で、彼女が何を言っているのかを誰も理解出来ないでいた。
「あら、皆様お行きになりませんでしたの?音楽学校の皆様で、西洋の音楽を紹介すると言うものですのに…。」
いよいよ訳が分からない。この現代において、わざわざ西洋音楽を紹介する必要がどこにあるんだ?俺は不審に思い、それとなく彼女へと問い掛けた。
「君、その話は何年のものなんだい?」
「昨年の六年ですわ。あれだけ騒がれましたのに…。」
「六年って…そりゃかなり前じゃないか。」
「は?もう、ご冗談を…。今年はまだ昭和七年ですわよ?大正六年ではありませんわ。」
何かの悪戯か?もしそうでなければ、彼女はどこかしらおかしいのか?
だが、その両方でないとしたら…。
「君…名前は何と言ったかな…?」
「申しておりませんでしたか?これは失礼致しました。私、小野朝実と申します。朝に実ると書きますわ。家ではピアノを学んでおりまして、それで異国の音楽が好きに…」
彼女はそこまで話すと、なんの前触れもなく後ろへと倒れてしまったのだった。
俺達は暫く唖然として彼女を見ていたが、何とか我を取り戻して俺は直ぐに救急車を呼ぶよう学生に言うと、倒れたままの彼女を抱え起こした。その顔は酷く蒼白く、白眼を剥いた表情は異常と言えたが、暫くすると数人の教授達が現れて彼女を担架に乗せて行ったのだった。
「あぁ…彼女ね。」
その場を離れた後、俺は知り合いの教授、智田と合流して先程の話をしたら、彼はまたかと言わんばかりに話をし始めた。
「彼女、以前からああいう感じだよ。なんか持病があるらしいんだが、時々自分でも知らず知らずのうちに変なことを話したり、時には分からない場所にまで行ってることもあるそうだ。一度なんかは、弾けない筈のピアノを見事に弾きこなしていた。それもモーツァルトにショパンだよ?かなり古めかしい解釈だったが…何で管楽しかやったことのない彼女が、あんなに鍵盤を叩けたのかは謎だね。あ、そうそう。そういう訳で、彼女がそうやって倒れた時には、直ぐに家族へと連絡するようになってるんだそうだよ?目覚めた時には別段異常があるわけじゃないらしいから、そのまま家へ連れ帰ってるそうなんだ。」
あぁ…ここへ来てまた、厄介なことになりそうだ…。だが、俺は明日帰るからな。この話はこれで終わりにさせよう。
「そうだ、京。今晩も演奏頼むよ。家の嫁さん、君の演奏気に入っちゃってさぁ。」
「はいはい…もう分かってるよ。今度来るときは、前もってホテルを予約するようにするさ。」
「まあまあ、そう言うなって。」
俺達はそんな他愛もないことを喋りながら大学を後にした。
そう、それで終わると思っていたんだ。だが…そう言うわけにはいかなかった。翌朝、栗山家からの電話があり、俺はその栗山家へと赴かなくてはならなくなったからだ…。
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