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黒魔術師松本沙耶香  人形篇

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2部分:第二章


第二章

 その女性は彼女の隣までやって来た。硬質の、それでいて低めの声で彼女に声をかけてきた。
「御呼び頂いてどうも」
 うっすらと妖艶な笑みを浮かべて言った。その口の両端と目元だけで笑っている。
「松本沙耶香さんですね」
「はい」
 女性は彼女の問いに頷いた。
「まさか本当に来られるなんて」
「この店の端に座りロゼを頼まれた方の前に姿を現わすことになっておりますから」
 その女松本沙耶香はこう答えた。
「まずは落ち着いてお酒でも飲みませんか」
「はい」
 彼女は頷いた。そして沙耶香に席を勧めた。
「どうぞ」
「有り難うございます」
 ここに奇妙なカップルが出来た。女同士だがそこには妖しい雰囲気が漂っていた。魔性を漂わせた黒い妖しげな魔女が神聖な衣を身に纏った聖女に言い寄る様な、そうした倒錯した雰囲気を漂わせていた。
「では乾杯を」
「はい」
 沙耶香もロゼを頼んでいた。グラスに注がれたそのワインを手に取って彼女のグラスと打ち合わせる。それからゆっくりと飲みはじめた。
 沙耶香は飲み終えた後で彼女に目を向けてきた。その身体にはもう元からあった妖しさの他にワインによる濃厚な色気も纏っていた。だがそれは男に対して向けられているものではなかった。彼女に、そう女性に対して向けられているものであった。
 その妖しい色香を漂わせながら沙耶香は彼女に尋ねてきた。
「貴女の御名前は」
「絵里です」
 彼女は答えた。
「森岡絵里と申します」
「そうですか、絵里さんですか」
「はい」
 彼女、絵里はこくりと頷いた。
「いい名前です」
「有り難うございます」
「実は以前にも同じ名前の方と知り合いになりまして」
「そうなのですか」
「いい方でしたよ。何かと」
 そう語るその目に紫の光が宿った。
「不幸にして別れることになりましたが。また御会いしたいと思っています」
「はあ」
「そして貴女とも」
 またあの妖しい、口の両端と目元だけの笑みを浮かべた。
「深く御知り合いになりたいものです」
「それは私もです」
 絵里はこの時沙耶香が唯単に社交辞令で言っているとだけ思っていた。
「これから。宜しくお願いしますね」
「わかりました。では」
 沙耶香はここでグラスを一旦置いた。
「御用件は」
「はい」
 絵里は畏まって話しはじめた。
「実は私が今勤めている学校のことですが」
「学校の先生だったのですか」
「はい」
 絵里はまた答えた。
「実は今務めている学校で変なことが起きていまして」
「学校には怪談とかはつきものですけれどね」
 グラスをまた手に取ってから言う。
「ですが怪談みたいに実際にあるかどうかわからないといった話ではないようですね」
「おわかりですか」
「貴女の目を見れば」
 沙耶香は答えた。
「その目がね。全てを語ってくれています」
 そう言いながら絵里の黒い瞳を覗き込む。まるで琥珀の様に綺麗な瞳だ。今その瞳を沙耶香はその切れ長の、ブラックルビーを思わせる瞳で覗き込んでいたのであった。それは獲物を狙う豹のそれにも似ていた。
「私の目が、ですか」
 絵里はここでどきりとした。まるで沙耶香が彼女を狙っているように感じたからだ。それはある意味において正解であった。
「まあ飲みながらお話をしましょう」
 沙耶香は酒を勧めてきた。
「まだ夜ははじまったばかりです」
「はい」 
「夜は酔っている方が楽しいですから」
「酔っている方が」
「ええ。そしてそれは酒に酔うだけとは限りません」
 また口の両端で笑っていた。
「酔い方にも色々とあるのですよ」
「お酒だけではないのですか?」
「あくまでそれは酔う方法の一つに過ぎません」
 その瞳に濃厚な頽廃が宿った。
「他にも。色々とあるのですよ」
「色々と」
「ですが今は酒に酔うことにしましょう」
 絵里のグラスにその薔薇色の滴りを注ぎながら言う。
「それで宜しいでしょうか」
「はい」
 酔うことは罪である。倫理観の強い絵里は子供の頃からこう教えられてきた。今もそれは変わりはしない。この街に足を踏み入れるのさえ躊躇っていた程である。
 だが今は違っていた。今目の前に座る沙耶香の言葉にあがらうことは出来なかった。そして素直に頷きその勧めを受け入れた。彼女は溺れることにした。
「そして先程のお話の続きですが」
「はい」
 絵里は沙耶香に顔を向けた。
「貴女の学校で起こっていることですね」
「そうです」
「そしてそれは」
「ここでは」
 しかし大切なところで絵里はその目を左右に漂わせた。
「人がいますので」
「大勢のところではお話出来ないと」
「はい」
 こくりと頷いた。
「わかりました。では場所を変えましょう」
 沙耶香はそれを受けて話をする場所を変えることを提案してきた。
「二人きりでお話をするのに丁度いい場所を知っていまして」
「二人きりで」
「はい」
 沙耶香はまたあの誘う様な笑みを浮かべてきた。
「お酒を飲み終わってからで。宜しいでしょうか」
「ええ、それからで」
 絵里はまたしても沙耶香の言うがままに応えた。そしてまた頷いたのであった。
「お願いします」
「わかりました。ではまずはお酒を楽しみましょう」
 二人はまずはそのまま酒を楽しんだ。そして店を出て二人で夜の街に出たのであった。
 銀座は夜といっても明るいものである。ガス灯が有名な場所であるがそれ以外でも眠ることがなく常に明かりで満たされていた。夜の世界に浮かぶうたかたの楽園であり、そこに集う者達はその仮初めの夢を共有していたのである。
 光と闇のコントラスト、銀と黒が複雑に交じり合う中に今二人は立っていた。沙耶香はその横に絵里をしかと置いていたのであった。
「東京の方ですよね」
「そうですが」
 絵里は沙耶香の言葉に応えた。
「ですが銀座には」
「そうなのですか」
 沙耶香はそれを聞き微笑んだ。今度は優しい微笑みであった。
「来られたことはありませんか」
「父や母の御供で。昼には来たことがありますが」
 どうやらかなり育ちのいい女性らしい。銀座は高級な店が立ち並ぶ場所でもあり、昼は所謂金持ち達が楽しげに買い物に興じる場所なのである。昼と夜で違う顔なのは人間と同じである。昼は淑女、夜は娼婦といったところか。
「ですが夜は」
「どうですか、全然違うでしょう」
 沙耶香は絵里の耳元でこう囁いてきた。
「この街は。昼と夜とで」
「はい」
 絵里はその言葉に頷いて応えた。
「まるで。別世界です」
「夜のこの街に来られなかったのは何故ですか?」
「悪い場所だと思っていたからです」
 絵里は言った。
「悪い場所ですか」
「はい。お酒といけない遊びがはびこっている。そんな場所だと思っていました」
「確かにそれはありますね」
 沙耶香もそれは認めた。
「ここはそうした街です」
「ですから今まで足を踏み入れなかったのですが。夜には」
「けれど私に会う為にここにやって来た」
「そうです」
 彼女は答えた。
「貴女なら。話を解決できると思いまして」
「ではそのお話。ゆっくり聞かせて頂きましょう」
「はい」
 二人はそのままある高級ホテルへと入った。ロビーに行くとボーイ達が沙耶香の顔を認めて頭を垂れてきた。どうやらここは彼女にとって馴染みの場所らしい。
「こんなホテルで」
「何、大したことはありませんよ」
 沙耶香は涼しい顔でこう答えた。
「ここのオーナーとは少し顔馴染みでしてね」
「はあ」
 絵里にとっては何か信じられない話であった。
「部屋はもう決まっています。行きますか」
「ここでお話するのですね」
「その為にご案内したのですが」
「わかりました。それではお願いします」
「ええ」
 沙耶香は頷いた。そしてエレベーターに入りそこから部屋に向かう。この時絵里は気付いていなかった。今自分が生まれたままの姿で漆黒の姿を持つ餓えた野獣の前にいるということを。知らなかったのであった。沙耶香は話をするだけが目的でここに彼女を誘ったのではないということを。世事に疎い深窓の中に住む彼女は知らなかったのだ。
「さてと」
 部屋に入りキーをロックすると沙耶香はまず自身のネクタイを緩めてきた。
「あの、松本さん」
 薄暗い部屋の中は広く、豪奢な装飾がその中で見られた。絵里はその中央に立ちネクタイを揺るめた沙耶香に尋ねた。
「何故ネクタイを緩められるのですか?」
「野暮なことを言われますね」
 それに対する沙耶香の返事は素っ気無いものであった。返事は素っ気なくともその物腰はそうではなかった。スーツとパンツを消し、緩めたネクタイも外す。髪を下ろしてカッターの前のボタンも全て外した。
 そして自身の下着を絵里に見せつけてきた。黒いレースのブラにショーツ、そこに黒のガーターストッキングである。白い肢体はスーツの上からは全くわからなかったが均整がとれた美しいものでありまるでギリシア彫刻の様であった。その美しい身体を絵里の前に晒したのであった。

 
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