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リリカルってなんですか?

作者:SSA
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A's編
  第三十三話 後(2)


「はやてちゃん、起きて」

 昨日よっぽど疲れているのか、僕がはやてちゃんの身体を揺らすのだが、少し身じろぎし、むしろ僕の手を払いのけ、まだ眠っていたい、という意思を示す。

 ―――まあ、時間が時間なだけにわからないわけではないけど。

 時間は、日本時間で言えばまだまだ夜明けにはほど遠い時間である。本来なら起きるような時間ではない。だが、今日はどうしても起こさなければならないのだ。ここで、起きなかったらきっとはやてちゃんは後悔するに違いない。無論、それを知っていた僕も。

 だから、僕は心を鬼にしてはやてちゃんを揺さぶることを続ける。

「ん、なんや………」

 揺すること数度、ようやくはやてちゃんが諦めように寝ぼけ眼で、目をこすりながら身体を起こす。

「はやよう、はやてちゃん」

「ん? ショウくんやないか、どうしたんや? こんな朝早くから」

 今、何が起ころうとしているか、当然のようにわからないはやてちゃんは、のんびりとした様子で、聞いてくる。だが、そのはやてちゃんの疑問に僕が答えることはなかった。正確には、答えられないのだ。その答えを言うのはまだ早いから。

 だから、僕は答える代わりにあらかじめ用意していた私服と防寒着を取り出して、差し出した。

「はやてちゃん、早くこれに着替えて」

「ん? なんや、ショウくん、こんなはよから外に出るんか?」

 アースラの中に用意された部屋のベットの隣に表示されたアラームの地球の日本時間はまだまだ早朝という時間を示している。はやてちゃんが訝しがるのも不思議ではない。僕としてもこんな時間に出るのは避けたいのだが、ここで行かなければ、絶対に後悔するだろう。だから、はやてちゃんに本当の目的を隠しながらも外に行くしかない。

「うん、ちょっと寒いかもしれないけど、雪が降ったからね。まだ誰も歩いていない雪の上を散歩ってところかな」

 どう? と誘うと、少しだけ迷ったようなしぐさを見せたが、しゃあないな、と笑ながら快諾してくれた。

 さすがに着替えているところを見るわけにはいかないので、ちょっと間、部屋の外に出て、彼女が着替えたことを確認した後、再び部屋へと入る。すっかりパジャマから着替え終えていたはやてちゃんを確認しつつ、僕はベッドの横にある時計に目を向けた。

 ―――まだ………時間は大丈夫。

 指定された時間まではまだまだ余裕がある。これから向かえば、間違いなく間に合うだろう。

「ほな、行こうか?」

「それじゃ、ちょっと失礼しますよ、っと」

 ベットの上に腰掛ける形で座っていたはやてちゃんの膝の裏に手を入れて、彼女の家で生活していた時の様に抱きかかえてそのまま隣に用意していた車椅子の上と移動させる。この動作にも慣れたもので、近くにおいていたストールを膝の上に置くところまでが一連の動作である。

「ありがとな」

「どういたしまして」

 はやてちゃんのいつものお礼にいつものように答えながら、僕は車椅子の後ろへと回る。ハンドルようなものに手をかけて、さあ、いざ出発だ、というタイミングで、うぐっ、という呻きを上げて不意にはやてちゃんが胸を押さえた。

「はやてちゃん!?」

 何が起きたっ!? と思わず驚いてしまい、急いではやてちゃんの前に回って屈んだ。彼女の顔は苦しそうな顔をしていたが、それも一瞬だ。大丈夫? と声をかける間もなく、すぅと熱が引いたように苦しそうな表情は鳴りを潜めた。代わりに浮かんでいたのは、驚愕したというような、信じられない、という表情だった。

「リィンフォース………」

 え? とはやてちゃんがつぶやいた言葉に動揺してしまう。どうして彼女が今、この場所でその名前をつぶやくのだろうか? はやてちゃんはリィンフォースさんのことを知らないはずだ。だが、彼女の今のつぶやきには確かな動揺が見て取れた。

「どういうことや? なんでや?」

 ………まさか、と思った。彼女のつぶやきは、間違いなく現時点で行われている、行われようとしていることを知っている。

 可能性があるとすれば、リィンフォースさんが特別なデバイスであることだろうか。彼女は確か特殊なユニゾンデバイスというもので、はやてちゃんと一体化していた。元より闇の書は、はやてちゃんのリンカーコアから魔力を蒐集していた。そのことを考えれば、闇の書―――リィンフォースさんとはやてちゃんは魔力的な何かでつながっていてもおかしくはない。

 そして、そのつながりは、リィンフォースさんの消滅という緊急事態をはやてちゃんに伝えたのだろうか。

「なぁ、ショウ君、何か知っとるんやろ!? 何なんや、これはっ!?」

 さすがにこの期に及んでは、何も言わずにつれていくということはできないようだ。そもそも、こんな朝早くから連れ出そうとしたところに、この予感ともいうべき衝動だ。僕が何かを知っていると疑ってもおかしい話ではない。

 できれば、はやてちゃんには最後の最後に真実を知ってほしかった。その分だけ、彼女は思い悩むだろうから。苛まれるだろうから。だから、リィンフォースさんは、儀式が始まって、引き返せないぐらいのぎりぎりにつれてくることを望んだし、僕もそれに同意した。

「………分かったよ。でも、続きは移動しながらでもいいかな? 時間が近づいてきている」

 知られてしまったからには逆に一秒でも早くはやてちゃんをリィンフォースさんのところへ連れて行きたかった。少しだけでも長くリィンフォースさんとはやてちゃんの時間を作ってあげたかったから。いや、これはもしかしたら、黙っていたことに対する罪悪感への贖罪かもしれないが。

 それでも、少しでも彼女の救いになることを信じて、僕は車椅子に背を向けて、はやてちゃんの動かない足を取った。それだけではやてちゃんは、僕の意図をくみ取ってくれたのか、手を伸ばして首に腕を巻きつけてくる。背中にじんわりと人の体温を感じることができた。

「それじゃ、行くよ」

 返事の代わりにぎゅっ、と腕の力を強めるはやてちゃんに応えるようにしっかりと身体を固定するとアースラのトランスポーターへと駆け出すのだった。



  ◇  ◇  ◇



 まだ朝日が昇る前の海鳴町の空を僕とはやてちゃんは飛んでいた。正確にいえば、飛んでいるのは僕で、背中にしがみついているのがはやてちゃんだ。僕からはやてちゃんの表情は見えないが、険しい表情をしているのはわかる。

 ここに来るまでに僕は彼女に事情を説明していた。説明といっても、僕からできる端的な事実を並べただけになってしまうのだが。

 それだけでも、はやてちゃんにとっては衝撃的だったのは疑いようがない。なにせ、彼女は主であるにも関わらず、何も聞かされていないのだから。

 もしかしたら、はやてちゃんの中ではこれからリィンフォースさんと過ごす日常を想像していたのかもしれない。あの状況では叶えられる現実だったのかもしれない。だけど、事態ははやてちゃんの意図しない方向へと流れていた。

「なんでや、リィンフォース」

 背中ではやてちゃんが、独り言のようにつぶやいた。顔の位置が耳元にあるため、小声であろうとも僕には囁くような独り言も聞こえてしまった。

 僕は彼女の問いの答えを知っている。リィンフォースさんから聞いて知っているからだ。だが、僕からその答えをはやてちゃんに応えることはないだろう。なぜなら、それは僕が伝えていいことではないからだ。リィンフォースさんの決断は、彼女が、彼女自身の言葉で語るべきだと思う。

 そのための時間はもともと作っていたのだから。ただ、知られるのが一歩速かっただけだ。だから、僕にできることは最初に目的地にしていた場所に一秒でも早く到着することだった。

 はやてちゃんを抱えてどれだけ空を飛んだだろうか。いつの間にか朝日はうっすらと頭を見せ始め、日の出を演出していた。時間にすれば一時間もたっていなかったかもしれないが、それでもはやてちゃんにしてみれば、かなり長い時間だっただろう。それだけの時間をかけて僕たちは、海鳴市が一望できる小高い丘の上へと足を下した。

 地面には昨夜のうちから降り積もったであろう雪が敷き詰められており、早朝ということもあって誰も足跡を残していない新雪を踏むことができた。

 だが、そんなことははやてちゃんにはどうでもいいだろう。彼女が目にしているのはたった一点のみだ。

 僕たちの眼前で着々と進められている儀式。ミッドチルダ式とは異なり、三角形を標準的な魔法陣とする古代ベルカ式に則った魔法陣である。三角形の頂点にあたる位置にいるのは、なのはちゃん、アリシアちゃん、そして、クロノさんだ。

 この儀式は一人では行えないため、今朝の内にアリシアちゃんからも了解を得ていた。記憶を取り戻したアリシアちゃんであれば十分らしい。

 彼らはわき役に過ぎない。本当の主役はその魔法陣の中心に、目の前で夜天の書を展開し、儀式の光に包まれるリィンフォースである。まるで、日光浴を浴びるように目を瞑りながら、その時を待っているようにも思える。

「リィンフォースっ!」

 その様子に魔法のことがほとんどわからないはやてちゃんも強い違和感を感じていたのだろう。リィンフォースさんの名前を叫び、届くはずがないのに彼女に向けて手を伸ばす。その悲痛な叫びに胸が引っかかれたように痛むが、それを見ないようにして、僕はゆっくりと儀式が行われている丘へと着地した。

 背中では、はやてちゃんが早く地面におりたいともがいていた。気持ちはわかるが、歩けないはやてちゃんを放置することはできない。

 僕はあらかじめクロノさんに用意を頼んでおいた車椅子にはやてちゃんをゆっくりと背中から乗るように仕向けると、はやてちゃんは手慣れたように背中から車椅子へと移動し、くるっ、と向きを変えると僕を迂回するように車椅子を動かした。

 僕は振り返り、はやてちゃんの背中を見るような形となり、リィンフォースさんと目が合う。彼女との会話は昨日の夜のうちに終わっている。僕らは合図するようにお互いに小さくうなずいた。ここからは、僕の出番はない。ただの傍観者であるだけである。

「あかんっ! リィンフォース、やめるんやっ!」

 車椅子の車輪を手慣れたように回し、歩くよりも速いスピードでリィンフォースさんの儀式が行われている魔法陣に近づくはやてちゃん。その叫びは悲痛としか言いようがない、悲しみにあふれた叫びだった。

 その声を聞いてクロノさんが苦しそうな顔をして俯く。ただ、儀式は止めないようにデバイスを構え続けたところは、自らの職務による責務だろうか。

 そして、もう一人、こうなることがわかっていたであろうリィンフォースさんは困ったような、嬉しそうな、そんな曖昧な表情を浮かべていた。

「ショウ君から聞いたで! 破壊されるつもりやってな。そんなことせんでええ!」

 思いのたけを、リィンフォースさんに届くようにと半ば涙声になりながらもはやてちゃんは叫んでいた。その声が、僕にとっては痛々しい。耳をふさいでいいのであれば、僕はすでに耳をふさいでいただろう。小さな少女の心からの願いの叫びを、叶うはずがないと知りながら聞くことは、心に少なからず痛みを与えるのだから。

 はやてちゃんの心からの叫びを困ったような表情で聞いていたリィンフォースはやがて慈愛の満ちた笑みで、晴れ晴れとした笑みを浮かべてはやてちゃんの言葉を否定するように首を横に振った。

「主はやて、よいのですよ」

「なにがいいんやっ!」

 はやてちゃんの追及をうけるとリィンフォースさんは、どこか昔を懐かしむように、悔いるように少し目をつむりやがて答えた。

「悠久ともいえる時を生きてきました。幾多の命を奪い、消えるという地獄の連鎖の中を生きてきました」

 それは後悔だろうか。あるいは、懺悔だろうか。リィンフォースさんの淡々とした口調の中には、どこか暗い色を含んでいた。それを感じられたのか、はやてちゃんも今までの勢いが少しだけ怯む。その様子に気付いたのか、あるいは気付かないふりをしたのか、リィンフォースさんは言葉を続ける。

「ですが、それも主はやてと出会い、小さき勇者たちのおかげで解放されました」

「ならっ! ならっ! それでええやないかっ! もう、暴走なんかさせへんっ! 私がなんとかするっ! やからっ!」

 そう確かにそれでもいい、という判断もあったかもしれない。しかし、それはリィンフォースさんの今の判断とは相いれないものだ。彼女はここが去り場所だと悟った。ここが闇の書の―――夜天の書の終焉だと。だからこそ、感謝と恩しかないはやてちゃんの言葉にも微笑みながら首を横に振るのだ。

「私は最後に綺麗な名前と心をいただきました。これらを抱いているから私は笑って逝けるのですよ」

 すべてあなたのおかげだ、と感謝するようにリィンフォースさんは笑っていた。

「なんでや………もう、シグナムも、ヴィータも、シャマルも、ザフィーラもおらんのに、なんでリィンフォースまで消えるんや」

「主はやて………」

 この言葉には、さすがに覚悟を決めていたリィンフォースさんも悲哀の表情を見せる。もしも、はやてちゃんが知っている写真に写っていた彼らが残っていたなら、はやてちゃんの心ももう少し救われたのかもしれない。リィンフォースさんがいなくなったとしても、彼らと過ごす楽しい時間が、その悲しみを埋めてくれたかもしれない。

 しかし、それはただの『たられば』だ。実際には、はやてちゃんと仲のよかった彼らはどこにもいない。彼らは全員逝ってしまっている。すでに傷を負っている彼女の心にリィンフォースさんの喪失はさらに深いものとなるだろう。

 だが、リィンフォースさんはすぐにふっ、と笑みを強めた。

「大丈夫です、主はやて。私や守護騎士は確かにいなくなってしまいます。ですが、もう一人ではありません。一人にはなりません」

「―――そうだね」

 僕はリィンフォースさんが視線を合わせてきたのに合わせてはっきりと宣言するように答えた。その声にはっ、としたようにはやてちゃんは後ろを振り返って僕を見る。僕はその視線に応える。

 ―――それがあなたの遺言だ、とは言わなかった。

 これが、昨夜、彼女に聞いた遺言だった。救われた魔導の器が最後に残す願い。それは言うまでもなく、主であるはやてちゃんのことで、彼女の遺言は、『主はやてを頼みます』だった。実に範囲が広いとは思われるが、結局のところ、リィンフォースさんにとって心残りとははやてちゃんの事だけなのだろう。

 遺言は? と聞いた立場もある。僕はできるだけ彼女の遺言を叶えようと思った。いや、やっぱり違う。叶えようと思ったわけではない。言うまでもなく、リィンフォースさんの遺言は叶えられる。だって、僕とはやてちゃんは友人なのだ。友人を気にしないわけがない。まして、大切な人を失ってしまった友人を一人にするだろうか? 彼女の遺言は僕が望んでいることでもあった。だから、ある意味ではこれはリィンフォースさんからのお願いにはならないのかもしれない。

「ショウくん………」

 どこか呆然としたように僕の名前を呼ぶはやてちゃん。僕はそんな彼女に応えるように、その不安に満ちた表情を少しでも和らげるために雪が積もった早朝の中、手袋もつけずに車椅子のひじ掛けに置いている手の上に重ねるように自分の手を重ねた。外気にさらされていた手はひんやりとしていたが、少し経てば僕の手と重ねた部分は暖かくなってくる。

 そんな僕たちを見ていたリィンフォースさんは満足そうに笑い、頷いていた。そして、これで満足だ、と言わんばかりに踵を返すと、展開されている三角形の魔法陣の真ん中へと移動していた。

「主の危険を払い、主の幸福ために生ことが魔導の器としての存在理由です。主はやて、私はその本懐を果たさせてください。最善と言える方法で、あなたを守らせてください」

「リィンフォース………せやかて、せやかて………これからやないか」

 朗らかに微笑むリィンフォースさんとは対照的にぽろぽろと涙を流すはやてちゃんは、嗚咽にむせびながらたどたどしく言葉を重ねる。

「ようやく、ようやく救われたんや………これからやのに………これから幸せにならなあかんのに………なんで消えるんて言うんや?」

 他人のために流せる涙は美しい、とは誰が言った言葉だろうか。確かにはやてちゃんは泣いていた。それは、自分のためではない。リィンフォースさんがいなくなるという事実が悲しいというのは事実だろう、自分の力が足りずに不甲斐ないという気持ちもあるだろう。だが、一番強いのは、おそらく今まで不幸だった、そして、これから幸せになれるはずのリィンフォースさんが幸せにならずに逝ってしまうことを悲しんでいるのだ。

 はやてちゃんの言葉にリィンフォースさんも虚を突かれたのか、一瞬、言葉を失ったように驚いた顔をしていたが、言葉の意味をすぐに理解すると何の心残りもないような澄んだ笑みを浮かべていた。

「主はやて、その願いはすでに果たされております」

 リィンフォースさんの言葉に今度ははやてちゃんが、はっとしたように顔を上げた。流れる涙は止まらない。だが、それでも視線ははっきりとリィンフォースさんを取られていた。

「無限ともいえる地獄から救ってもらい、美しい名前をいただきました。私は―――夜天の書は、祝福の風は、リィンフォースは世界一幸せな魔導書です」

 その笑みは確信めいた笑みだった。それを信じて疑うことのない晴れ晴れとした笑みだった。

「………リィンフォース………」

 そんな笑みを見せられては、はやてちゃんはこれ以上、何も言えないようだった。僕からも何も言えない。そもそも、引き留める言葉は僕にはすでにない。だから、僕にできることは彼女に共感するように、リィンフォースさんは間違いなく世界一幸せな魔導書だった、とはやてちゃんが胸を張って言えるように、そんな彼女の隣に立てるように力強く彼女の手を握ってあげることだけだ。

「主はやて、私は―――もう逝きます」

 その言葉は儀式の終わりを示していた。形成されていた三角形の白銀の魔法陣が薄暗い朝焼けの中、淡い光を放ち始める。

「蔵元翔太―――」

 光に包まれる中、彼女はつかの間、はやてちゃんの握られている手に視線を向け、安心したようにうなずくと今度はまっすぐに僕に視線を向けてきた。その力強い瞳の奥からくみ取れる意志は、信頼か、あるいは託す者への祈りか。僕としてはどちらでもいい。彼女の意志は聞いたし、確かに僕に届いている。僕ができることは、昨夜の遺言を聞き届けることを信じてもらうことだけだ。

 だから、僕はコクリと小さくうなずいた。あとは任せてください、と言うように。彼女が安心して逝けるように。

 僕の返事が届いたのだろうか、リィンフォースさんは安心したように口の端を緩めるとゆっくりと目をつむった。

「それに小さき戦士たちよ。迷惑をかけた………ここに感謝を。そして、別れの言葉を」

 リィンフォースさんの隣に浮かんでいた魔導書がパラパラと自動的に捲れる。一つのページが捲られるたびに彼女の存在が薄くなっているような気がする。やがて、捲られるページも最後に近づいてきたころ、彼女の存在がほぼ真っ白になってきたころ、リィンフォースさんはこの世で最後の言葉を口にした。

「主はやて―――どうか心安らかにお過ごしください」

 ―――さようなら。

 その言葉は空気を震わせることができただろうか。少なくとも僕の耳には聞こえたような気がする。

 そして、その言葉を最後にしてリィンフォースさんは天上へと続く光に包まれながら、朝霧が光によって払われるように、その存在を消失させた。儀式が行われていた場所は、今までリィンフォースさんが立っていたことを示すように靴の形に沈んだ足跡しか残っておらず、彼女がいた痕跡はそれだけだった。

「リィンフォースっ!!」

 消えていなくなったことを嘆くようにはやてちゃんが名前を叫ぶ。だが、それに応えられる彼女はもういない。いないはずだ。だが、いないはずの人間が、彼女の叫びに応えるようにゆっくりと天空から落ちてくる気配を感じた。何だろう? と思い、見上げてみれば、既に頭を出しきってしまい、半分は山の向こう側から見える朝日の光を反射しながら落ちてくる十字架のようなもの。

 それはまっすぐにはやてちゃんの手元へ落ちてくる。

 ―――ああ、まったく、本当に最後の最後まで主思いですね。

 その言葉を口にするのは無粋だろう。はやてちゃんの手元に落ちてきたものは、僕にも見覚えがある。夜天の書の表紙に記されていた古代ベルカの剣十字だ。いうなれば、リィンフォースさんの元となったものだろう。彼女は魔導書でなくなりながらも、こうして彼女の手元へと帰ってきた。

 僕からしてみれば、きちんと遺言を守っているか見張られているようなものだけど。

 はやてちゃんは、最初、手元に戻ってきたものについて理解できなかったようだが、それも一瞬だ。理解した瞬間に彼女の目に涙がたまり、決壊するのに時間は必要なかった。

「う、うぐっ………うわぁぁぁぁぁぁぁ」

 それは、感情の発露だったのだろう。彼女は泣く。彼女のを失った悲しみも、彼女を幸せにしてあげられなかった自分の不甲斐なさも、自分の力不足への怒りも、すべてを洗い流すように。リィンフォースさんがいなくなったことを受け止める心が壊れないように彼女は泣いた。

 僕が彼女に対してできることは、そんなに多くない。彼女が一人でないことを証明するように小さいかもしれないが、胸を貸すだけだ。どんなに泣いても、彼女の様にいなくならない、と温もりを与えるために優しく包み込み、背中を撫でるだけだ。後で後悔しないように、悲しみを引きずらないように好きなだけ泣かせてあげるだけだ。

 はやてちゃんは、僕に抱き込まれるような体勢で泣き続ける。時折、リィンフォースさんの名前を口にしながら。そんな中で、はやてちゃんが持つ剣十字が朝日を反射させ、きらりと光る。まるで、彼女が見ているぞ、とでもいうように。

 ―――大丈夫ですよ、約束は守りますから。

 僕はリィンフォースさんが逝ったであろう空を見上げながら心の中で呟いた。

 こうして、今回の事件―――後に闇の書事件を命名された事件はこうして幕を下ろしたのだった。


























 
 

 
後書き
カーテンコールの幕が開く 
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