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黒魔術師松本沙耶香  紫蝶篇

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4部分:第四章


第四章

「ないわよ」
「さて、それは面妖な」
 速水はその言葉を聞いて笑ってみせる。
「泊まる場所がないとは。貴女らしくもない」
「貴方の部屋を提供してくれるとでも?」
「そうお願いできますか?」
 速水も沙耶香に笑って言う。二人は笑みを浮かべながらも丁々発止となっていた。
「宜しければ」
「生憎だったわね」
 しかし沙耶香はここで述べてきた。
「私は確かに今はホテルはないわ」
「さて、ではどうされるのですか?」
「それでも泊まる場所はあるのよ」
「何処ですか?」
「秘密よ」
 妖艶に笑ってそれに返す。
「悪いけれどね」
「いえ、わかりましたよ」
 しかし速水は彼女の心の中がわかった。彼もまた目を細めさせている。
「どうやら貴女は」
「夜は長いわよね」
 沙耶香は言う。
「だから」
「今宵もまたですか」
「そう。スペインが情熱の国なら」
「私と共にというわけではないのが残念です」
「気が向いたらね。貴方とは」
「さて、それが何時になるか」
 自嘲はない。彼もまた楽しんでいる感じであった。その中での言葉である。
「待たせて頂きますか」
「今夜は失礼させてもらうわ」
 沙耶香は離れてきた。
「これでね」
「仕方ありませんね。それでは」
 速水は姿を消すしかなかった。沙耶香はそのままある場所へ向かう。それはマドリードにある日本の大使館であった。そこの官邸に向かう。
 その足で大使の官邸に入る。その際姿を魔術で消す。ある部屋の窓から身体を霧にして官邸の中へ入ったのである。
 沙耶香が入った部屋には一人の女がいた。ナイトガウンに身を包み肘掛け椅子に腰掛けてボンネットの灯りを頼りに本を読んでいる。黒く長い髪を上でまとめている。歳は四十代後半であろうか。熟れきった色気を漂わせる顔と均整の取れた肢体は若い女にはないものがある。美少女がそのまま大人になったような、そんな雰囲気が何処かにある。それと共に女帝の如き高慢さと冷淡さも併せ持っている。熟れた顔と身体にはそうしたものが複雑に絡み合い、尚且つ絶妙な調和を見せて存在していた。その彼女の側にあるテーブルに今ワインのボトルが一本置かれたのであった。
「誰?」
「私です」 
 そこにいたのは沙耶香であった。窓辺に立ちそこで右手にワイングラスを掲げて立っていた。そのうえで女を見ていた。
「はじめまして、鶴さん」
「貴女なのね」
「はい。お伺いに参りました」
 その鶴という女に対して言う。顔と目を彼女に向けている。
「お元気かと」
「元気よ。ただ」
「寂しいのですね?」
 そう彼女に問う。
「御主人もおられなくて」
「今日は帰らないと」
 鶴は述べる。
「そう言われたわ。悲しいことにね」
「他の女性のところでしょうか」
「それだったらまだましね」
 その流麗な目に悲しみを宿らせる。一人身を嘆いているのだろうか。
「仕事よ」
「左様ですか」
「イタリアまでね。今夜は帰らないわ」
「しかしそれは覚悟のうえでは?」
 沙耶香はそう問う。
「外交官の妻としては」
「ええ」
 鶴は沙耶香のその言葉に答える。
「ましてや大使夫人ともなると。わかってはいたけれど」
「御父上を御覧になられて」
「御父様も主人もね。わかってはいたわ」
「それでも肌は別だと」
「そういうこと。それはわからなかったわ」
 そこにグラスが置かれる。宙に浮いたワインがその中に注ぎ込まれる。鶴はそのグラスを手に取る。そこでまた沙耶香が彼女に声をかける。

 
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