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黒魔術師松本沙耶香  紫蝶篇

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25部分:第二十五章


第二十五章

 沙耶香はバーに来ていた。そこで一人カクテルを飲んでいた。
「お客様」
 バーテンはカウンターにいる沙耶香に声をかけてきた。彼女は一人で酒を楽しんでいたのであった。今飲んでいるのはアドニス=カクテル、シェリーとイタリアン=ベルモットの甘口のカクテルである。ギリシア神話の美少年の名を冠したカクテルであった。暗闇の中で淡い黄色の光が照らす薄暗い店の中でそのカクテルを楽しんでいたのであった。
「如何ですか、我が国のカクテルは」
「イタリアの味ではないわね」
 それが沙耶香の答えであった。
「スペインの味がするわ」
「それはどうも」
 バーテンはその言葉に微笑を浮かべる。まんざらでもないといった顔であった。
「ここはスペインですので。スペインの味にしました」
「そうだったの」
「ベルモットもスペインのものなのです」
「成程」
 沙耶香はここでそのカクテルをまた飲んだ。あっという間にグラスを一つ飲み干してしまっていた。
「そのスペインだけれどね」
「ええ」
「楽しませてもらうわ」
 沙耶香はそう言ってグラスをもう一つ頼んだ。
「もう一つね」
「どうも」
「ところで。いいかしら」
「何でしょうか」
「後ろのあれは何かしら」
 ここで彼女はバーテンの後ろにかけられている絵を一枚出してきた。それは実に不思議な絵であった。
 歪んだ時計にある筈のない場所に浮かんで歩いている人。陰の場所の所々に群がっている蟻達。それはスペインが生んだシュール=リアリズムの大家タダリの絵であった。
「ダリね」
「そうです」
 バーテンは沙耶香の言葉に答えた。
「おわかりですね。これはオリジナルですよ」
「オリジナル」
 沙耶香はその言葉に顔を向けてきた。
「というとダリが直接描いたものなのね」
「はい。ここのオーナーが彼と知人でして」
 バーテンはそう述べてきた。
「生前に描いてもらったのです」
「羨ましいわね」
 その言葉を聞いて目を細めさせてきた。
「私も一枚欲しいわ」
「ふふふ、そう仰ると思いました」
 その言葉ににこりと笑ってきた。
「ですがそれはもう適わないことですので」
「ここでだけ楽しませてもらうわ」
「そうして下さい」
「それでね」
 ここでふと気付いたことを述べてきた。
「その絵の中だけれど」
「ええ」
「奇妙なものね」
 笑みが変わる。妖しいものに。
「奇妙ですか」
「そう、まるで人の心みたいね」
「面白いことを仰いますね」
 沙耶香の言葉にバーテンも笑ってきた。
「ダリはお好きですか」
「シュール=リアリズムはどれも好きよ」
 そう答える。
「現実でないようでいて現実だから」
「現実ですか」
「そうよ」
 バーテンはその言葉に首を傾げるがそれでも沙耶香は言う。
「現実にあるのよ。ただしそれは」
「それは?」
「人の心を映し出す鏡としてね」
「鏡、ですか」
「そう、鏡よ」
 沙耶香は述べる。
「この絵は鏡なのよ。人の心の鏡としてね」
「それで現実にあるというのですね」
「そうよ」
 またカクテルを口に含んだ。
「そういう意味であるのよ」
「そうですか」
「ええ。だからダリは好きなのよ」
 そのダリの絵を見ていとおしげに述べる。彼女の趣味に合っているということである。言われてみればまさに沙耶香に相応しい世界であった。
「見ていて飽きないわ」
「それでしたら」
 バーテンはここでまた話をした。
「何かしら」
「ダリの絵で他にも面白い絵を知っていますよ」
「面白い?」
「はい」
 そう彼女に述べる。述べながらカクテルを作っていた。シェイクさせる手の動きが実に小気味だ。音もリズミカルで心地よいものであった。

 
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