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恋姫†袁紹♂伝

作者:masa3214
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閑話―猪々子― 上

「猪々子! あんた今度から袁紹様の御付な!」

「え~……アタイはもう少し遊んでいたいぜ」

 文醜が数えて十になった頃、彼女は母親から仕官を命じられた。仕官先はあの名族袁家、その次期当主である袁紹の側近ともなれば大出世だ。
 誰もが羨むほどの地位だったが、遊びたがりの文醜に堅苦しい環境は苦手だった。

「そう……じゃあ斗詩ちゃんだけ袁紹様に仕えることになるねぇ」

「行く」

 母親の口から出た名に即座に反応する。大事な親友顔良、真名を斗詩、物心ついた頃からの付き合いであり、この世で一番大切な人。
 
 自分とは違いお淑やかで女性らしく、礼儀作法も完璧で文武両道、自慢の親友であり想い人。
 自分に無い物をすべて持っている顔良に対し。文醜は強く魅かれていた。

 その想いは、自身がこの世に女として生まれた事を悔いるほどに――






「なぁなぁ斗詩ぃー、ここにその袁紹がいるのかー?」

「袁紹『様』だよ文ちゃん、今日の挨拶で失礼の無いようにって、お母さん達に言われたでしょ?」

「わーってるって、ところで袁紹様はアタイ達と遊んでくれっかなー?」

「もうっ、文ちゃん!!」

 あれから数日後、例の親友である顔良と共に袁家屋敷の門前まで来ていた。

「良い? 文ちゃん、袁紹様は寛大な方って聞いていると思うけど、最低限守らなきゃいけない礼儀があるんだからね!」

「大丈夫だってぇ、その辺は母ちゃんと予習してきたからさ。手と足は同時に出しちゃいけないんだよな!」

「うー、お腹が……」

「拾い食いでもしたのか?」

 おどけた発言に顔良は睨むように此方を見つめる。言いたいことはわかっているつもりだ。
 それでも、ある不安を隠すために今はおどけるしかない。

 袁家次期当主、袁紹。幼少の頃から数々の書物を読破し。叔母である袁塊から直接武を叩き込まれている文武両道の神童。
 名族の出にも関わらずに、驕らず。他者を蔑む事もなく、無礼を働く者以外には友のように接し。屋敷内の人望を受けているとのこと、見た目は母親似で美しく、それでいて凛々しい顔立ちをしているとか……
 
 まるで御伽噺か何かのようなその逸話に大事な親友。顔良は興味を示していた。
 もしも噂が本当なら――親友は袁紹に惚れてしまうのでは? 彼女を想う一人の『女』として、それが気がかりだった。






 
 

「良く来てくれた。わしが袁逢じゃ、そして――おおっ、丁度来たようじゃ」

 袁逢様の言葉に反応して、目線の先に目を向けると、美丈夫が此方に向かって歩いている。

(うわぁ……)

 顔良と文醜達の目の前に現れたのは一人の美青年。美しく長い金髪は日の光を背にしているからか、キラキラと反射して輝いている。
 
「お早うございます父上、……この娘達は?」

 近づいてきた彼と目が合う。鷹のように鋭い瞳、その視線は自分達の内面までも見透かそうとしているようで、端正な顔も相まって恐ろしいほど妖美な光を放っている。

「は、初めまして、私の名は顔良、真名を斗詩と言います!」

「アタイは文醜、真名を猪々子だ!……です」

 先に自己紹介した親友に続いて声を出す。事前に母親と練習していたが対面の緊張もあり、妙な言葉遣いになってしまった。

「そうかお主達が……、知っていると思うが我が袁紹だ。初対面で真名を預けてよいのか?」

「私達は今日から袁紹様に仕えるので」

「主になる人に真名を預けるのは当然!……です」

「ふむ、ならば我が真名、麗覇も二人に預けよう!」

「ええっ! いいんですか?」

 袁紹様の言葉に斗詩が驚いた声を上げる。無理も無い。本来真名とは神聖で特別なものである。伴侶にしか許さない者もいれば、親族にしか許さない者もいる。
 ましてや相手は名族袁家の次期当主だ。これですんなりと真名を受け取れる方がどうかしているであろう。

 「かまわぬ、我もお前達が気に入ったし何より――真名を受け取って返さぬのは我の矜持に反するのでな、フハハハハハ!!」

「「……」」

 豪快に笑う袁紹を二人は唖然としながら見つめ、一足早く意識を取り戻した猪々子は傍らに目を向ける。
 そこには頬をわずかに上気させた想い人の姿があった。

(袁……麗覇様は噂通りの人かぁ、あーあ斗詩奴、嬉しそうにしちゃって~)

 少なくとも人徳ある主のようだ。仕える立場としては文句の付け所は無い。
 しかしそれによって大事な親友を取られるのは……、猪々子は複雑な思いだった。






「やったぁ、さっすが麗覇様そこに痺れる憧れるー!!」

 猪々子の複雑な胸中はあっという間に吹き飛んだ。その理由は、中庭で談笑していた時の話しの流れにより、得物に難儀している自分に袁紹が掛けた言葉がきっかけだ。

『では、我が側近になった記念として二人に武器を授けようぞ!』

 自身に合う得物が無いと悲観していた猪々子に対し。豪快な提案をする袁紹。
 他の者であれば適当な相槌をして終わりだろう。そもそも愛用の得物探しなど個人の問題だ。
 しかし袁紹は思案し提案した。それも即座に解決できる方法をだ。これから武器を貰えるのもそうだが――、初対面である自分の小さな悩みを真剣に考えてくれた。猪々子にはそれがなによりも嬉しかった。 







「たっだいまー母ちゃん! さっそくだがこいつを見てくれ……どう思う?」

「すごく……大きいわね、どうしたのそれ?」

「へっへ~、実は麗覇様から貰ったんだ!」

「貰った!? しかも今のは袁紹様の真名でしょ!?」

「噂通りの人だったよ、なんか気に入られたみたいで真名も交換してくれたんだ」

 頬ずりしそうな勢いで大剣を撫でる猪々子。そんな彼女の様子に少し呆れながら母親は頬を緩ませた。

「この分だと孫の顔を見れそうだねぇ……」

「は? 孫??」

「だってそうだろ? 会って間もない猪々子に真名を預けた上に、そんな業物まで授けてもらったんだ。相当あんたを気に入ってくれたんだねぇ」

「……それがどうして孫の話しになるんだ?」

「あのね猪々子、あんたは女で袁紹様は男だ。異なる性別の二人が一緒にいて行き着く先なんか決まっているだろ?」

「ないない。大体斗詩も一緒だし」

 自分が彼の立場なら迷わず斗詩を選ぶ、あっけらかんとそう言ってのける猪々子に対して母親は溜息を吐く、この残念な娘は自分の魅力には無頓着だ。
 確かに女らしさという面では彼女の親友に軍配が上がるだろう。しかし、斗詩が女性らしく清楚だとすれば、猪々子は活発で情熱的だ。毛色が違うだけで魅力は劣っていない。
 むしろ今のような時代では愛娘の方が魅力的なはずだ! 親馬鹿を交えた自論を頭の中で展開させた母親は、猪々子にとって転機となる言葉を落とす。

「それに、袁家次期当主ともなれば側室の一人や二人――「その手があったか!」わっ!?」

 ありがとう母ちゃん! と言葉を残し猪々子は自室に入る。何故急にやる気を出したのかわからないが、これで孫の顔を見る可能性があるのなら……と母親は深く追求しなかった。

「……」

 場所は変わって猪々子の自室、彼女は先ほどの母親の言葉で妙案を思いついた。
 
 袁紹の『お手つき』になることだ。女として魅力的な斗詩は正室でなくともいずれ袁紹と関係を持つだろう。そこに同じく『お手つき』となった自分が割り込む、うまくいけば流れで斗詩を愛することができ――

「グフフ」

 乙女とは思えない笑い声を洩らしながら猪々子は、己の欲望のため袁紹の側室を目標に定めた。








「うりゃあああああ!」

「えーーい!」

 その翌日、袁紹の剣術指南をしていた袁塊を新たな師として、斗詩と猪々子の両名は鍛練していくことが決まった。その一環としてさっそく袁紹と模擬戦をしている。

「甘い!」

「うわわっ!?」

「きゃっ!?」

 二対一にも関わらず袁紹は二人を圧倒する。本来であれば彼女達のほうが腕は上だが、昨日今日新たな武器を使い始めた者に遅れを取るほど半端な鍛え方はしていない。

「いってて……持つのと振るのじゃあ違うな……」

「うー……体ごと持っていかれるよう」

 重厚な武器を振り回せるほどの腕力はあるが、彼女達が今まで使っていたのは普通の剣だ。
 力加減がいまいち解らず隙だらけとなっていた。袁塊は袁紹との模擬戦を通して熟練度の低さを二人に伝えたのだ。袁紹の側近で護衛でもあるのに不慣れな得物で万が一を迎えるわけにはいかない。
 手に馴染むまでは今まで通りの剣を帯剣する事を義務付けた。最初はそれに渋っていた猪々子も、袁紹との模擬戦で手も足も出なかったため了承した。




「麗覇様強かったね。文ちゃん」

「ふ、ふん! 同じ得物ならアタイが勝ってたね!」

「それ、完全に負け惜しみだよ?」

「…………だよなぁ」

 初日の鍛練を終え二人で帰路につく、話題に上がるのはやはりと言うべきか袁紹との模擬戦だ。
 武に自信のあった猪々子は力を示すことで袁紹の気を引こうと画策していた。自身の魅力に自覚が無いことと、いまだに幼い故の浅知恵であったが、この件は彼女の胸に深く残り、いつかこの斬山刀で派手に活躍してそれを見せ付ける―――特に邪念の無い目標が出来た。




 
 そしてその好機(チャンス)は数ヵ月後に訪れる。

 袁紹の提案で街を散策する事になったある日、途中で見つけた屋台で食事をしようと並んでいた時だ。突然袁紹が斗詩を伴ってわき道に入って行った。

「……」

 猪々子は屋台で二人の分も購入するようにと待機を命じられたが、血相を変えた袁紹の様子にただならない何かを感じた。それにわき道に入るとき彼は帯剣をわずに掴んでいたのだ。このことから何かの厄介ごとだとわかる。犯罪者でも発見したのか、はたまた暴徒の類か、どちらにせよ武に頼らねばならない場面のようだ。

「…………よし」

 猪々子の中である欲求が湧き上がった。それは以前から画策していた斬山刀での活躍だ。
 今は手に無く、普通の武器を帯剣していたが、現在地点から猪々子の屋敷は近い。取って戻ってくる余裕があると判断した。

 心配があるとすれば二人が相対する敵の規模だが、袁紹は模擬戦で自分をあしらうほどの腕があるし。斗詩の武は自身と同等に近い。万が一など起こりえない。
 猪々子はそう決断を下し自宅に向かって駆け出した。





「はあ、はあ、……クソ!」

 斬山刀を背に戻って来るまで想像以上に手間が掛かってしまった。剣を鍛冶屋に手入れのために預けていたことを途中で思い出し来た道を引き返したのだ。すでにかなりの時が経っている。
 もう事は終わっている可能性が高い。だが何やら胸騒ぎがする。これは斬山刀を取りに行く前には感じなかったものだ。

「誰か、お助け下さい!」

「な!? どうしたんだ!」

 ようやくわき道に差し掛かったところで奥から女性が一人飛び出してきた。その様子は半狂乱といった形だ。服に血が付着していたが特に外傷は無い。
 そして落ち着きを取り戻した女性から話しを聞いた瞬間、猪々子は飛び出すようにわき道に入る。彼女の話しが本当なら二人は―――



「っ!? 麗覇様!!」

「……猪々子」

 奥に進むと袁紹の姿が確認できた。その周りには暴漢らしき者達が物言えぬ姿で倒れている。そしてその中には――斗詩の姿もあった。

「斗詩……斗詩ぃぃぃ!!」

 慌てて彼女の側に駆け寄り抱き起こす。そして袁紹に目を合わせた。
 何を訪ねたいのか悟った袁紹は口を開く

「斗詩は無事だ。気を失っているが額の傷は浅い。……あまり揺らすでない」

「…………良かったぁ」

 それから少しして駆けつけた警邏隊の者達と協力して斗詩を運び。他の者達に現場を任せ袁紹とともに彼の屋敷へと戻った。





「……」

 袁家の屋敷の一室。斗詩が安静のため睡眠をとっている部屋で猪々子は悔いていた。
 自分勝手な都合で現場に急行しなかったのもそうだが……、何よりも主を後回しにして考えていた事だ。

 屋敷に戻る道中で掻い摘んだ話しを聞くと、袁紹は初めて人を手に掛けることを躊躇し。その結果斗詩が怪我を負うはめになったらしい。
 その懺悔のような説明を自分は殆ど聞き流していた。無事だとわかっていても親友の安否が気になったのだ。それからの道中は無言だった。主に掛ける言葉はいくらでもあったのに……

 こうして親友の安らかな寝顔を見ていると冷静になる。そしてそれと同時に袁紹のことが気になったのだ。
 思い返してみれば何かを耐えるような顔をしていた。きっと罪悪感に苛まされているのだろう。
 
「うっ……ち……きしょお……」

 己の不甲斐無さ、情けなさに涙が出る。
 そもそも自分が現場に急行していればこんなことにはならなかったのだ。
 
 袁紹や斗詩とは違い猪々子には実戦経験がある。最も、賊退治に勝手に付いて行った末での成り行きでだが、それでも経験があることには変わりない。袁紹や斗詩が手を汚さずとも自身だけで片付けられる自信もある。
 それなのに、それなのに自分は―――

 独りよがりな理由で得物を取りに行った挙句、返り血を浴びて放心している主を他所に親友を気遣い。終始目線を合わせることも出来なかった―――忠誠を誓ったにも関わらずだ!



 斗詩に対する想いを理由に妙な対抗心を抱いていた。袁家次期当主で男として、親友を娶れる立場にある彼に嫉妬すらした。それでも心から忠誠を誓ったのだ。斬山刀を授けられたあの日から

 「……」

 涙を拭った猪々子は静かにある誓いを立てる。『忠臣』として自身を高めよう――と。
 一見今まで通りだが実は違う。そもそも袁紹が何故斗詩だけを連れて行ったのか、それは猪々子の『家臣』としての意識の低さにあった。何事にも楽観的な彼女は袁紹に対しても友のように接していた。それがあの場においてどう不利に動くか、彼は理解していたのだ。

 一刻の猶予も無く説明している時間も惜しい状況。猪々子に追従を命じれば屋台に意識が向いていた彼女は渋っていただろう。理由を説明さえすれば動いたが――それ自体が家臣失格である。
 迅速に動かねばならない状況において、主の命に問い返すなど言語道断だ。
 
 では猪々子が真に忠臣であったら? 状況は違っていたであろう。彼女も斗詩と共に動けたはずだ。
 故に猪々子は誓う。主である袁紹が自身に躊躇う事無く命を下せるように、その命を即座に実行できる忠臣になろう―――と。








「ん……あれ…………そうか、寝ちまったのか」

 斗詩が眠る寝台に、突っ伏すようにしていつの間にか寝ていたらしい。親友の姿は無く自分に布が掛けてある。
 目覚めた斗詩は事の顛末を確認し。そのまま袁紹を探しに行ったのであろう。

「……うし! 行くか!!」

 気だるい体に鞭打って立ち上がる。自分も二人に謝らねばならないこと――話したいことが沢山あった。




 二人は中庭にいた。すぐに声を掛けたい衝動に駆られたが入りづらい雰囲気が漂っており、猪々子は思わず物陰に身を隠した。

「でも、麗覇様は私が自己嫌悪する必要はないと思ったはずです。なら麗覇様もそうじゃないですか!」

「……」

 普段大人しい斗詩が口を荒げているのに驚く、しかし、だからこそ彼女の必死さが伝わった。
 自分とは違い彼女はどこまでも主を気遣っている。罪悪感に潰されそうな袁紹を救おうと必死に語りかけている。
 だが―――

「あのー」

「うぉっ!?」

「きゃっ、文ちゃん!?」

「なんか気まずい雰囲気で出づらかったけど、だまっていられなくなっちゃってさー」

 苦しそうに言葉を紡ぐ親友の表情に思わず姿を現す。未だ割り切れない主のため、そして、もっとも苦しんでいるであろう斗詩のために。

 気丈に袁紹に語りかけているが猪々子にはわかる。斗詩の言葉は自身にも向けられている。
 彼女は責任感が強い。あの場で気を失う事になって何も思わないわけが無い。きっと今も自分を責めているだろう。だからこそ見逃せない。猪々子の母親から習った経験則から言えば、後悔で歩みを止めるほど無駄なことは無いのだから――

「二人とも難しく考えすぎでしょ、だってさ二人とも……いや助けた人含めて三人は無事だったんじゃん? なら、今更それまでの事を後悔し続けても意味が無いって言うかさー。アタイ頭良くないからうまく説明できないけど、次はそうならないように気をつければ良いだけじゃん?」

 その言葉に唖然とする二人、それほどまでに自分が言うのは意外なのだろうか、と猪々子は頭に浮かべたがそれはすぐに消え去った。
 袁紹と斗詩の表情から憑き物が落ちる感じがしたのだ。

「ありがとう、二人とも」

「麗覇様……」

「へへっ」

 袁紹から憂いが消えている。それを察した斗詩も同調するように頬を緩めた。
 それを確認した猪々子は照れくさそうに、だが満足そうに笑う。

「ところで麗覇様、傷物になった斗詩の責任はとるのか?」

「ブフォッ!? 猪々子!!」

 そして唐突に爆弾発言をする。本来であれば他にも話す事がある。しかしそれはそれ、これはこれ、憑き物が落ち隙が出来たのを本能的に感じ取った猪々子は、ここぞとはかりに畳み掛けた。

「ぶ、文ちゃん!? これはそんな傷じゃないから!!」

「そん時はアタイも頼むよ麗覇様!」

「ええっ!? 文ちゃん!!」

 その後、三人で他愛も無い話しを朝日が昇り始める頃まで語り続けた。









 それから数日後、猪々子は袁紹から礼として料亭に連れてこられた。

「なぁ麗覇様、アタイ何かしたっけ?」

「以前掛けてもらった言葉で我は目が覚めたのでな、これはその礼よ」

「…………何を注文しても」

「かまわぬ」

 その言葉に「よっしゃあ!!」と料理を注文していく、彼女が連れてこられたのは南皮でも有数の高級料亭で、その値段からとても普段の自分が手の出せる物ではない。
 良くも悪くも遠慮の無い猪々子は端から端まで注文、引き攣った笑顔の袁紹を他所に、幸せそうに胃袋に納めた。


「麗覇様……ちょっといいか?」

「……む?」

 運ばれた料理を全て平らげ一頻り満足そうに目を細めた後、猪々子は姿勢を正し袁紹に対面する。
 彼女のその様子に唯ならない雰囲気を察し。袁紹は顔を引き締めた。

「アタイは麗覇様に謝らなければいけない事、聞かせたい事があるんだ」

「聞こう」

 猪々子はぽつぽつと話し出す。あの日自分勝手な理由からその場を離れたこと、そのせいで到着が遅れ間に合わなかったこと、動転して斗詩にしか意識が向かなかったことをつぶさに話した。

「でさ、アタイは誓ったんだ」

 ただの家臣ではなく、真の忠臣として自分を高めたい。主である袁紹が躊躇する事無く自分に命を下せるようになりたいと聞かせた。

「……そうか」

「……」

「猪々子がどこか我に一線引いていること、何となくではあるが感じていた」

「っ!?」

「そして我も……どこか一線を引いていたらしい。本来であれば三人の中で一番の使い手であるお主を連れて行くべきであった。なのに残した。主の判断として失格である……すまない」

「そんな!? 謝るのはアタイであって――」

「なれば互いに謝罪した事で相殺である。良いな?」

「え、あー、そう……なのかぁ?」

 もっともらしい言葉で言いくるめられている気がして思わず首を傾げる。そんな猪々子の様子に苦笑した後、袁紹はおもむろに彼女の頭を撫でた。

「うわ!? いきなり何すんだよ麗覇様」

「しおらしい猪々子が可愛らしくて、ついな」

「だ、だからってガキじゃ無いんだからさぁ」

「そうであるな、すまぬ」

 猪々子に窘められ素直に手を引っ込める。彼女の言葉は照れ隠しからきたものであったが、何故か袁紹はされを察することが出来ず。以後軽々しく女性に触れるべからずと、胸中で誓った。

 もっともその誓いは、可愛らしい猫耳に破られるのだが……それはまた別の話。









 料亭で袁紹と猪々子の距離が狭まった数日後、袁紹はある私塾に通うことが決まり、斗詩と猪々子の両名はそれに追従した。

 そしてそこで曹操を始め彼女の側近である夏侯惇、夏侯淵、幽州の公孫賛との出会いを果たし。親睦を深めた、猪々子は特に夏侯惇と馬が合い。彼女と真名を交換し合い互いに研鑽する仲となっていた。

「さあ、どこからでも掛かって来るが良い」

「遠慮はしないぞ春蘭、斗詩、審判頼むぜ!」

「うん、頑張ってね文ちゃん」

 任せろ、と元気良く返す。袁紹達が私塾に行っている間、猪々子等は時間が有るため殆ど鍛練に費やしていた。そこへ同じく鍛練をしている夏侯惇に誘われ、こうして模擬戦をすることになったのだ。

「先手必勝! うりゃあああああ!!」

「うおっ!?」

 勢い良く大刀を振り下ろす猪々子、夏侯惇は後方に下がることで難を逃れる。

「……すごい一撃だな」

「当然! メチャメチャ修行したからな!」

 まだまだ行くぜ! 再び夏侯惇に向かって大刀を振るう。初撃に驚いていた彼女は、目が慣れたのか冷静に避けつづる。

「逃げてばっかりじゃ勝てないぜ?」

「それもそうだ」

「っ!?」

 避け続ける夏侯惇に痺れを切らし挑発する。しかし激情的なはずの彼女はどこまでも冷静に、大刀を振り切った瞬間猪々子に肉薄した。

「しょ、勝者、夏侯惇さん!」

 猪々子の眼前で止められた夏侯惇の大剣、それを見て斗詩は慌てて彼女の勝利を宣言した。

「アタイが……負けた?」

「……」

 その結果に猪々子は唖然とする。慢心していたわけでは無い。始めから全力で挑んでいたのだ。対する夏侯惇はどうであっただろうか、最後に見せた動きは本気のものだろう。しかしそれ以外は余裕が感じられ、猪々子との実力差を見せつけた。

「猪々子、お前の一撃はすごい……だがそれだけだ」

「っ!?」

 何故自分が負けたのだろうかと、顔から出ているのを感じ取った夏侯惇は指摘する。
 猪々子の大刀による一撃は確かに脅威だ。受けに回れば武器ごと弾かれ大きな隙が出来るだろう。それを本能的に感じ取った夏侯惇は回避する事を選択し。その過程で弱点さえ見つけ出した。

「難しいことは言えんが、なんかこう……剣に振り回されている感じだ」

「……」

 その言葉に口ごもる猪々子、彼女にも薄々それはわかっていた。
 これまでの鍛練で猪々子は、大刀による一撃に力を注いできた。それは確かに強力な一撃を放つことに成功したが、当たらなければ意味が無い。一撃一撃に全力を振り絞る斬撃は、避けられたり外したりすると僅かに隙が出来る。
 通常の兵になら問題は無いが、夏侯惇のような一騎当千の強者にはすぐに見破られ、その隙を突かれてしまう。

 猪々子は己が短所を理解し。その模擬戦からは初心に帰り素振りを始めた。結局、夏侯惇から一本とることは出来なかったが、猪々子達が南皮に帰って来た頃には、大刀をまるで手足のように扱えるほどにまで成っていた。

 そして彼女が今まで力を入れてきた一撃は、『大刀一閃』という奥義に昇華した。
 愚直なまでに拘り続けた努力は、無駄にはならなかったのだ。



 彼女の努力は武芸大会で実を結ぶことになる。重さと速さの両立に成功した猪々子の剣戟は夏侯惇を苦しめ、奥義を持って彼女に勝利した―――







 
 

 
後書き
長くなるので分けました。投稿ペース遅くなってごめんよ、猛暑が悪い(確信) 
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