黒魔術師松本沙耶香 毒婦篇
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9部分:第九章
第九章
「護りならば」
「生憎だけれど青はもうあるのよ」
その男の声に対して黄色い薔薇の吹雪を纏ったまま述べる。それと共に自身の白い手に今度は蒼い薔薇を出してきたのであった。
「ここにね」
「ほう、今度はどう使われるのですか?」
男にはその薔薇が見えている。少なくともわかってはいるようであった。
「その蒼い薔薇を」
「こう使うのよ」
そう言うと薔薇を投げた。するとそれは忽ち紅薔薇と同じく花吹雪となりその場を包み込んだのであった。
「むっ、これは」
「紅い薔薇と同じだと思わないことよ」
男に対して述べる。その間に沙耶香の姿はその蒼い薔薇吹雪の中に消えてしまっていた。
「これはまた別の使い方なのだから」
「ふむ、わかりました」
男はその薔薇の気配の中で言うのだった。
「つまりは。目晦ましですか」
「それだけだと思うのかしら」
「というと」
「悪いけれどそれは言わないわ」
沙耶香の声が笑っていた。蒼い吹雪の中で。
「今はね。さて」
完全に沙耶香の姿が消えた。蒼い薔薇が消えた後には紅の薔薇の陣があるだけであった。
「今度は私の番ね。消えるのは」
「ふむ。どうやらそのようで」
男の声もそれに頷く。そうしてゆっくりと影の様にその姿を現わしてきたのだった。
「それでは今度は私が」
「あら、そこにいたのね」
男は池の上に立っていた。まるでそこに浮かんでいるかのように。
「何処にいるのかしらと思ったけれど」
「ほほほ、簡単なことです」
男は浮かび上がったままで沙耶香に対して述べる。声だけの彼女に。
「これは糸の上にいるのです」
「貴方の身体の一部にね」
「おわかり頂いているようで何よりです」
今の沙耶香の言葉にも笑う。
「どうやら貴女は。私と気が合うようです」
「そうね。敵同士なのが残念だわ」
「確かに」
そうした意味で二人の考えの波長は合っていた。しかし。
「けれどね」
「何かおありですね」
「ええ。貴方が人間だったなら」
沙耶香は不意にこう言ってきたのであった。
「本当に残念だわ。そうだったら本当によかったのに」
「また何を仰るかと思えば」
男は今の沙耶香の言葉を一笑に伏そうとする。ところが。
「言わなくてもわかるわ」
「わかると」
「ええ」
沙耶香の声は言う。
「その通りよ。けれど貴方はそれを否定するのね」
「勿論です。何故なら私は」
「その貴方に言っておくわ」
また沙耶香の声がした。
「自分では自分のことはわからないものなのよ、案外ね」
「存じているつもりですが、それは」
何を今更といった感じの言葉だ。しかしだ。
「わかっているつもりでもわからないものなのよ。これもまたよく言われることだけれどね」
「そうです。されど私はですね」
「わからないのならわからないままでいいわ」
沙耶香は話を打ち切ってきた。
「けれど。そろそろこちらは終わりにさせてもらうわ」
「終わりですか」
「ええ。私の勝利でね」
そう言うと沙耶香の魔力の気配が増した。そうしてそれが何かを出してきた。
「今まで四つの薔薇を出してきましたが」
男は糸の上で沙耶香のその気配を感じながら述べる。
「今度は何でしょうか」
「あと一つしかないと思うけれど」
沙耶香の声は笑っていた。
「色から考えて」
「ふむ、それでは」
男は沙耶香の今の言葉から何かを察したようであった。口元にうっすらと笑みを浮かべてみせる。
「それですか」
「ええ。ただ」
しかし彼女はまだ手の内を全て見せてはいない。そうしたこともあえて見せてはいないのであった。
「どうするかはわからないわね、貴方にも」
「いえいえ、だからこそいいのです」
男のゆとりのある態度は変わらない。ここでもだ。
「それだからこそ。それでは」
「仕掛けていいのね」
「どうぞ。何時でもいいですよ」
今の言葉も彼に絶対の自信があるからこそであった。全てはそれが故である。沙耶香にもそれはわかるがここでもそれを口にすることはなかった。
「さあ。是非」
「焦らないの。焦ったら面白くはないわ」
沙耶香の声が笑う。楽しげに。
「いいわね。それじゃあ」
「さて、どうするか」
男は動かない。しかしその周りの糸が自然に動き出す。かろうじて見える程度の糸であるがそれが動いていた。そうして沙耶香ではなく周囲を切り裂かんとしていた。
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