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黒魔術師松本沙耶香 毒婦篇

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22部分:第二十二章


第二十二章

「香っているわ」
「美女のそれがね」
「そうね。確かに美人だったわ」
 煙草を一旦口から離す。そうして右手にそれを持って笑うのであった。
「誰もが羨む程のね」
「それで話は済んだのね」
「それはね」
 影の一人の言葉に答える。
「終わったわ。後は戦うだけ」
「そう。それならいいわ」
「若しかしてと思ったけれど」
「自分自身のことだからもっとわかっていると思うけれど」
 沙耶香は疑っていたかのような影達の言葉に応えて笑うのだった。だがそれでもその顔も目も己の影達を見てはいないのであった。海にあり続けていた。
「違うのかしら」
「わかっていたわ」
「それでもね」
 それが影達の返答であった。
「一応確認の為に聞いてみたのよ」
「満足のいく返事で何よりだわ」
「そう」
 そうした言葉を受けてもやはり振り向かずそのまま煙草を吸っている沙耶香であった。だがここで彼女は自分のその影達に対して問うのであった。
「それでわかったかしら」
「ええ、それはね」
「はっきりとわかったわ」
「そう。それならいいわ」
 彼女達の返事を聞いてまずは満足して微笑むのであった。
「これで話は終わるわ」
「流石に相手は気付いてはいないでしょうね」
「私達のこれには」
「気付いていたら生きてはいないわ」
 海を眺めながら目を細めさせるのだった。
「誰でもね。私の術を見て生きていられる相手はいないわ」
「そうね」
「では彼女も」
「今夜よ」
 そう影達に告げる。
「今夜終わらせるわ。それでいいわね」
「ええ、それでいいわ」
「それなら私達はもう終わりね」
「そうなるわね。御苦労様」
 やはりここでも振り向かない。しかし影達は沙耶香に近付いていく。そうして沙耶香の中に一人、また一人と入っていく。こうして沙耶香は一人に戻るのであった。
「さて」
 煙草を吸い終わる。その煙草を自分の指から出した火で消すとそのままその場を立ち去る。いく先はもう決まっていた。
 沙耶香が向かったのは虹口区であった。そこの魯迅公園を通り抜けそのまま先に進む。そうして辿り着いたのは一軒の道観であった。見ればごく有り触れた道観であり外見上は何もおかしなところはない。 
 その中に入ってもやはり何もない。だが沙耶香はあえてその中に入ったのであった。8
「一体何の御用ですかな」
 すぐに奥から道士が出て来た。彼も普通の道服を着ていて別におかしなところはない。しかし沙耶香はあえて彼に対して言ったのだった。
「丸薬を欲しいわ」
「丸薬ですと」
「ここにあるのは知っているわ」
 道士の目を見て言う。
「あの丸薬がね。宋代に作られたらしいわね」
「そこまで御存知の貴女は一体」
「ただの日本人と言っても信じてもらえないでしょうね」
 うっすらと笑って自分を怪訝な顔で見る道士に対して述べる。
「悪いけれどただここにこうして来たわけではないわ。頼まれたことがあってね」
「そうした世界のですね」
「そういうことよ。それはわかってもらえるのね」
「その気配から」
 道士はこう沙耶香に答えるのだった。
「わかります。何かまではあえて御聞きしませんが」
「それがいいわ。聞いたら落ち着いてはいられないでしょうから」
「左様ですか。それではですね」
「ええ」
 道士の言葉に応える。
「暫くお待ちを。ですが」
「わかっているわ」
 道士の言葉に応えるとすぐにその手に何かを出した。それは黒い羽根であった。
「幸いただの人形ね。目は入ってはいないわ」
 そこまで言って前を向いたまま手だけを後ろに振ってその黒い羽根を投げる。そうして後ろにある道みの門のところにいた何者かの胸を貫いたので。貫かれたのは白い服の不気味な外見の女であった。女は胸を羽根に貫かれるとそのまま木の人形となってしまったのであった。
「幸いにね」
「お気付きだったようですね」
「最初からね」
 道士に対して答える。
「わかっていたわよ」
「どうやら。かなりの力をお持ちのようで」
「少なくとも今まで生きられるまでにはね」
 口元と目元を上げて細めさせて答える。
「それはあるわ」
「そうですか」
「けれど。これからも生きる為に」
「その薬をですか」
「もらえるわね。あの丹薬を」
 また道士に対して言う。
「是非共」
「わかりました。それでは」
 道士はここまで話したうえで沙耶香に対してその丹薬を渡すことを決めたのであった。丹薬とはかつて仙人になる為、不老長寿になる為に作られてきたものであり方士、道士達が作ってきた。ただし水銀を使ったものが多くこれによる中毒死が後を絶たなかった。秦の始皇帝もこれを飲んでいた為に死期を早めてしまったとさえ言われている。水銀の他にも砒素や様々な毒を使っていたとも言われている。言うまでもなく沙耶香がここで所望しているのはそうしたまやかしのものではない。本物を所望しているのだ。
「暫くお待ちを」
「時間はまだ少しあるから待たせてもらうわ」
 こう道士に言うと左手に目をやる。そこには見事な絵があった。宋代のものであろうか。仙女を描いた美麗なものであった。
 それを見ながら待つ。それを受け取ると道士に対して一礼する。
「有り難う。これでいいわ」
「それにしても貴女は」
「何かしら」
「これまでにない気配を持っておられますね」
 沙耶香をまじまじと見ての言葉であった。
「私は今まで様々な方を見てきましたが貴女のような方ははじめてです」
「よく言われるけれど。この場合はどういうことかしら」
「貴女には何か黒いものが渦巻いています」
 こう沙耶香に対して言う。
「ですが。それでいて邪悪なものではない」
「悪ではないというのね。私は」
「はい。ですが善でもない」
 そうでもないというのだ。では沙耶香とは一体何であるのか。
「貴女は貴女であると。そう感じます」
「善も悪もね」
 沙耶香は自分に対してこう言ってきた道士に対して思わせぶりな笑みを作った。そうしてその笑みでまた言うのであった。
「それに偏っては何も面白くはないわ。純粋なものはね」
「純粋なものはですか」
「退廃はいいのよ」
 それはいいと言う。夜を愛する沙耶香らしい言葉であった。
「それと美麗は。ただ善や悪といったものは」
「興味はありませんか」
「罪を犯すのは甘美なこと。けれど善と悪はまた違うものよ」
 またこう述べるのだった。やはりここでもそれとは離れたものを見せていた。
「言うなら私にとっては。あまり意味のないことよ」
「そうなのですか」
「善も悪も。この世の一面でしかないわ」
 沙耶香の考えはこうであった。
「むしろそれとは関係ない世界こそがいい。そうではなくて」
「私からはそれについて申し上げることはできませんが」
 道士もまた宗教家である。宗教家が善悪を否定してはやはり話にならない。だが沙耶香は違う。だからこそ言えるのであった。
「貴女がそう思われるのなら何も言いません」
「何も言わないのね」
「はい。勧めはしませんが」
 一応は釘を刺す。
「ですがそれ以上はしません」
「そうなの。御礼は」
「別にいいのですが」
「そういうわけにはいかないわ。お寺やこうした場所に入れば何か置いていくのは決まりよ」
 沙耶香は珍しく穏やかな笑みを浮かべて彼に述べた。
「だから。はい」
「これは・・・・・・宜しいのですね」
「私は気前がいいのよ」
 穏やかな笑みはまた妖しい笑みにすぐに戻っていた。その笑みで銀の大きな棒を二本出して道士に手渡すのであった。彼に直接。銀のズシリとした重みがその手に伝わる。
 
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