聖愚者
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6部分:第六章
第六章
「だが飲んですぐに温かくなってきたな」
「ロシア人はこれで身体を温めるそうです」
「そうでなければ暮らしていけないか」
「これだけの寒さでは」
あまりもの寒さの前には酒しかない。なおこれは何時の時代のロシアも同じだ。強い酒が存在するにはそれなりの理由があるのである。
「ですから」
「そのこともわかった。本当にロシアだな」
「はい、ロシアです」
まさにロシアだと。そうした会話になっている二人であった。
「この酒もまた」
「わかった。ではそのロシアの一つに会いに行こう」
ロシアの酒のことを話したうえでの言葉であった。
「今からな」
「それでは」
こうして二人はその聖愚者に会いに行った。彼の居場所はすぐにわかった。何故なら彼の行くところには常に人が集まっているからだ。それは今もであった。
彼は朝から多くの人々に囲まれていた。そうしてその賞賛を受けていた。
「さあ聖愚者様これを」
「どうかお使い下さい」
「有り難う有り難う」
彼は人々から受ける捧げものを受け取ってその呆けた声で応える。その受け取ったものは受け取るだけでその手に持ち続けている。
「けれどこれは私にではなくて」
「私にではなく?」
ルブランはこの時彼の後ろにいた。そこから話を聞いていぶかしむ目になった。
「それは一体どういうことだ」
「神へ捧げて下さい」
こう言ってその手に持っているものを人々に返すのだった。
「教会に。そしてそこにおわします神に」
虚ろな声であったがそれでもこう言った。
「どうかそうして下さい」
「ですが聖愚者様は」
「それでは」
「私は生かしてもらっています」
人々の問いに対してこう返す聖愚者だった。
「ですからお気遣いなく」
「左様ですか」
「それでは」
「神に」
彼は言った。
「神に祈って下さい。それだけです」
「はい、それでは」
「神に」
聖愚者はそんなことを言いながらペテルブルグの街を歩いていく。人々はその彼に対して敬愛を捧げ続けている。ルブラン達はその彼を見ながら言うのであった。
「見たところだ」
「はい」
「欲はないようだな」
こう従者に述べるルブランだった。
「それはいいことだな」
「我が国の僧侶達とはえらい違いですね」
従者も彼の言葉に応えて述べる。フランスでは僧侶の腐敗が深刻であった。これは欧州において長い間続いていた問題でありそれが為にマルティン=ルターやカルヴァンといった存在が現われたのである。その腐敗は最早人間というものがそこまで腐るものかに挑戦するかの如きであった。
「全くもって」
「ああした僧侶は我が国には殆どいない」
「いても決して敬愛はされません」
「敬愛されるのは表ではそうしていて裏では美食に美女に富貴にうつつを抜かしているような輩ばかりだ」
彼は貴族であり官僚でもあるからよくわかっていたのだ。上流にいてそこで蠢いている僧侶達がどれだけ腐敗しているかを。よく知っているのだ。
「そうした人間ばかりがだ」
「しかしあの聖愚者はです」
「人々に敬愛されているな」
「ロシアの平民達に」
「そうだな。こんなことはフランスではないことだ」
ルブランはこうも言うのだった。
「そしてだ」
「そして?」
「あの愚者は確かに白痴だ」
今度言ったのはこのことだった。
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