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覇王別姫

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1部分:第一章


第一章

                    覇王別姫
 その力は無双だった。これは誰もが認める。
 為したことも巨大であり名は永遠に残っている。それが項羽という男であった。
 戦場においては勇猛であり勝ち続けた。敗北を知らなかった。圧倒的優勢の秦の軍を背水の陣で破ったこともあり常に先頭で戦い多くの勇者を倒してきた。
「まさに鬼神だ」
「あそこまでの者はおらぬ」
 こうまで言われた。先にも後にも彼程どの強さを讃えられた者はいない。
 天下を制し西楚の覇王と号した。まさに武の化身でありその彼を倒せる者なぞこの世にいないと思われた。劉邦との戦いにおいても勝って勝って勝ち続けた。この時までは。
 はじめて戦いに敗れた。亥下において。彼は敗北というものを知らなかったがここで遂にそれを知った。兵はもう少なくなっていた。戦場には多くの将兵が倒れていた。
「敗れても尚、か」
 女の様な姿をした美貌の男が戦場に倒れ伏す彼等を見て呻いていた。
「これだけの武勇を見せるとは」
「軍師様」
 その彼に周りに従う兵士のうちの一人が声をかけてきた。
「これが項王の武勇なのですね」
「そうだ」
 軍師と呼ばれたその男張良が兵士に答えた。彼の字は子房という。劉邦の軍師であり今こうして彼の国である漢が項羽に敗北を重ねながらも何とか軍を保っているのも彼の力によるところが大きかった。劉邦の懐刀の一人である軍師なのだ。その彼が呻いていたのだ。
「今まで多くの犠牲を払ってきた」
「はい」
 兵士は張良のその言葉に頷いた。
「今度ばかりは逃がすわけにはいかない。逃がせば」
「項王はまた立ち上がってきますね」
「そうだ」
 張良は兵士に答えながら城を見た。今張良がいるその城を。堅固な城であった。
「今度ばかりは逃がすわけにはいかない。しかし」
「しかし?」
「あの項王だ」
 言葉から嘆息が漏れた。さしもの張良も今回ばかりは策がないようであった。
「どうするか。囲んで潰すか」
「あの項王をですか」
「それしかない」
 彼ですら考えがなかった。項羽の鬼神を思わせる強さは彼も知っていた。その前には並大抵の策は通用しないことも。しかしそれでも策は思いつかない。それは劉邦も同じであった。
 漢軍の本陣において彼は腕を組んで呻いていた。戦いには勝ったがそれでも項羽を倒せる自信がなかったのだ。
「あの項王だ」
 彼はその陣の中で呻いていた。
「今ここで倒せると思うか」
「それは」
「何と申しましょうか」 
 居並ぶ将帥達の誰もが答えられない。張良が答えられないのだから彼等が答えられる筈もなかった。項垂れるか首を横に振るか。それだけであった。
「陳平は何と言っておるか」
 張良と並ぶ軍師だ。かつては項羽のところにいた男である。
「駄目です」
「陳平殿も。囲んで攻めるしかないと」
「無理だな」
 劉邦は誰よりも項羽を知っていた。だからそれでは項羽を倒せないとわかった。だからこそそれを否定するしかなかったのだ。
「囲みを破られて。逃げられるわ」
「ではどうすれば」
「それでも。やるしかないのだ」
 彼は言った。
「攻めるしかな。しかし」
「それでは倒せない。左様ですね」
「その通りだ。どうするべきか」
 一代の名将と謳われた韓信の軍が項羽の立て籠もる城を囲もうとしていた。しかしその彼とて項羽を倒せる自信はない。項羽はまだ健在だった。敗れてもなお。漢軍はその彼を前にしたまま攻めあぐねていた。どうやっても彼を倒せる自信がなかったのだ。 
 項羽は城の中において意気軒昂であった。その覇気は衰えずこう豪語していた。
 巨大な身体を持っていた。大柄なだけでなくその筋肉も見事なものであった。精悍な顔に勇壮な髭を生やしまさに覇王と自ら号するのに相応しい。黄金色の鎧に身を包んだ彼はこう周りの兵士達に言っていた。
「次の戦いであの劉邦を倒す!」
 彼にはその自信があった。だからこそ言えたのだ。
「だから安心せよ。我等は勝つのだ!」
「我等が勝つのですか」
「その通りだ」
 そう兵士達にも答えていた。自信に満ちた声で。
「だからだ。落ち込むことはないぞ」
「はい」
「では次の戦いで」
 兵も減り食糧もなくなっていた。敵は多い。しかしそれでも彼等はまだ立っていた。項羽はその彼等の心が自分にあるのを見て満足していた。これなら勝てる、そう確信していたのだ。
「大丈夫だ」
 兵士達にも自分自身にも言い聞かせていた。
「わしは勝つぞ」
「大王が勝たれる」
「では聞こう」
 ここで彼等は己の兵士達に問うた。
「わしは今まで多くの敵と戦ってきたな」
「ええ」
「確かに」
 項羽は戦いに勝ち今を築いてきた男である。だからこそ兵士達は彼を深く敬愛しているのである。
「秦を破りあの漢に対しても」
 彼は言う。
「僅か三万で五十六万の奴等を破ったではないか」
「あの時の再現ですね」
「それだけではない」
 それだけ飽き足らない、そうした気持ちも彼にあった。
 
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