ソードアート・オンライン ≪黒死病の叙事詩≫
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≪アインクラッド篇≫
第三十三層 ゼンマイを孕んだ魔女
片手斧の少女 その壱
おおー、というメントレの歓声を聞き流しながら、俺は渦巻く感情を抑えつつ、感嘆の声でアスナを称賛した。
「へえー、あの相性差で勝つんだな。あんな不意打ちを土壇場で出来るのは流石、――いや予想以上だ。良い仲間を持ったな、ヒースクリフ」
俺の言葉に赤と白で彩られた騎士は、誇らしげとも無感動とも取れるような態度で、力強く頷いた。
「当然、私とて酔狂でアスナくんを副団長の地位に置いているわけではない。メンバーの中で優秀かつ芯の通った強いものを、差別なく選んだのだ」
聖騎士の言葉が肯定一色に染まっているのは、先程の剣技の困難さを考慮してのことだろう。そして剣技とはソードスキルのことではなく構えで見せた微細な≪フェイント≫のことだ。
アスナは確かにソードスキル≪スラッシュ≫――単発突き上げの基本技――の構えを取った。システムが構えを認識しないギリギリの境界線上の構えを。その境界線上での綱渡りの難易度はかなり高い。例えば角度。誤作動が決して起きない角度をフェイントに用いると、その隙を敵に見極められて逆にピンチへと追い込まれる。騙すためにはギリギリのラインで偽の構えを取らないといけない。しかしいざ構えてみると今度はスキルの誤作動が起こり得るようになる。こいつが曲者だ。誤作動が起こればソードスキルは使い手の意思とは反して発動する。意思と反して発動するということは、つまり体重を乗せた一撃や故意的な加速がされないということで、≪ソードスキルのブースト≫が出来なくなる――いや、逆ベクトルにブーストが蓄積され通常のソードスキルより鈍く軽い攻撃が出やすい――ということに繋がる。
読まれやすく避けられやすくなる。それがフェイント失敗の代償だ。
それだけではない。あの指先の動きのみで剣の構えを変えたことも結構な奇跡に思える。
元々、モンスターばかりを相手にしてきたアスナには不要な技術だった筈だ。恐らく存在することと方法程度しか知らず、コツや練習などとは縁が無かったに違いない。だからこそ、その事実を知っていたアイは警戒もせずにスキルをギリギリで避けようとしたのだ。それが突然化けて牙を向けるとも知らずに。いや、この場合は噛みつかれるかと思ったら爪で切り裂かれた、という言い換えのほうがアイの身に起こったことの表現としては正しいかもしれない。どうでもいいか。
ともあれ、アスナの行ったフェイント作戦は思い付きのもので、難易度が高く、更にリスクの大きいものだった。あの一撃が成功する確率は、≪スラッシュ≫が命中しゲームを終わらせる確率のほうが高いといえるほどの低確率の筈だと、俺は経験から分かる。俺ならば、事前準備なしに決して行なわない類のものだ。そういう意味ではヒースクリフに言った『予想以上』の言葉は本心だった。
きっとアスナにはそれを成功させるほどの天性の何かがあるんだろうなと思った。
きっとそれは俺にはない、そして俺の信ずるものでもない、俗に言われるほうの『運命』のようなものなんだろうなと思った。
ないものねだりはしない。勝利の女神様に嫌われているのは自覚済みだ。そう、だからこそ超え甲斐があるってものなのさ。勝負運を実力で打ち負かすなんて、なんとも反英雄的で面白いじゃないか。
闘いを終えた二人がこちらに帰ってきたので、俺は零れそうな笑いを呑み込みつつ彼女達を迎えた。
「お疲れ様。二人とも。中々面白かったよ。ヒースクリフも今の剣技を褒めていたぜ」
「素晴らしい駆け引きだった。これほどの腕前なら今回のクエストも突破することができるだろう」
お世辞ではないのだが、やや褒めすぎな気もする。ヒースクリフはここまで他人を褒めるような人物だとは思わなかった。しかしそれに喜ぶような素直な二人ではなく、ああそうですかみたいな態度を崩そうとしなかった。しかしアスナはどうにも我慢できなかったようで、やや嬉しそうだ。
アイが俺に寄ってきて、「ごめんね」と謝ってくる。メントレが「ドンマイですよ!」、俺が「最後のミス、惜しかったな」と返すと驚いたようで、「間に合わなかったけどね」と苦笑いを浮かべながら俺とメントレの間に座った。
二人が席に着くと俺とアイとメントレ、ヒースクリフとアスナがそれぞれ隣り合って座るようになった。全員が着席し、何を話すのかは明確だ。経過に関わらずデュエルの結果は結果。しからば、その報酬を設けるのも当然の結実だろう。
切り出したのは、やはりアスナだった。
「では、デュエルで勝ったので最後のメンバーを決めさせて貰います」
「それは決定事項でいいけど、純粋なダメージディーラーで頼むよ。ワンパーティー限定クエストだからバランスには気を遣うべきだからね」
「ええ、大丈夫です。そうですね、じゃあ――≪片手斧≫のイルさんなんてどうでしょうか?」
片手斧のイル、彼女のことは知っている。元々はソロプレイヤーで最近ギルドに加入したと聞いていた。ソロの時にレイド戦にて一度組ませてもらったことはあるがダメージディーラーとしては確かに申し分ない。しかし俺が、名簿で確認しておきながら彼女を今回のクエストに不適としたのには、個人的な理由以外にも超絶納得できる最強の理屈がある。
まず彼女は集団行動に適さない。いいや、あれは適さないなんてもんじゃない。集団行動に害をもたらすレベルだ。
言ってしまえば集団戦闘のセンスがない。そのくせ自分のセンスを信じているというか妄信しているというか、本当にレイド戦では害悪だった。そのセンスが先のアスナの判断のように直結で勝利に繋がったり、起死回生の一手だったのならいいのだが、イルのセンスは違う。センスが悪いのではなく、センスのベクトルが壊滅的に違う。
まず指示系統を壊滅的に破壊する。単独行動、無駄行動。個人単位で見ればそりゃあ利益はでるんだろうが、彼女がリーダーだったり、かなり小規模なパーティーなら成功しやすいんだろうが、フルパーティー六人以上となると完全に駄目になる。
表現に難しいが、ソロプレイヤーは多かれ少なかれそういった非協調性というものがある。≪黒の剣士≫キリトなんてのもその一人だが(何故かいつもラストヒットを掻っ攫う)彼女の場合それを極端に≪多かれ≫に振った人物と言えよう。なんと言ってもヤバいのが、キリトだとか他のソロならなんとかレイド戦で戦えるように集団戦のイロハを教えられる俺なのだが、彼女だけには教えることが出来なかった。教えてみれば理解はするのだが、何故か実践できない。
彼女の参加したレイド戦なんて俺と他四人のパーティーメンバーがひいこら言いながら彼女を嗜めたりカバーしたりと大忙しだった。もしあの破滅的集団戦闘センスが周囲にも波及していたらと思うとゾッとする。
彼女の名誉のために補足すると≪戦闘≫センス自体は悪くない。むしろソロプレイヤーの中では結構な腕前だ。ただ……邪道? なのだ。性格は明るく快活だし、俺やアイも含めて彼女は結構友達が多いらしいのだから、人間性うんぬんじゃなくこう、なんというか、≪集団戦闘≫のセンスがないだけなのだ。
救いなのは、彼女がそれを自覚してくれてフロアボスとのレイド戦に一度こっきりでもう参加していないことだろう。俺が「なんでそういった配慮は出来るのに俺の指示を聞かないんだ?」と質問したところ「指示ちゃんと聞いてるよ」と返してきた。聞いているつもりらしい。聞いているつもりなのに大惨事だから彼女からしてみれば反省の余地がないのかもしれない。
そこまで壊滅的なセンスの持ち主の名前を名簿で目にした時、結構驚いた。ギルドに入ったという噂は聞いていたがそれが本当だとは微塵も思わなかった。思わないなんてものじゃない。初めて噂を聞いたときは矛盾の例文になるな、とほくそ笑んだものだ。
一体全体どうやって≪ポジティブじゃじゃ馬サラブレッドちゃん≫を乗りこなしたんだろうか。というよりも本当に乗りこなしているのだろうか。それも問いただせば分かることだ。
「イルはパーティープレイに向かなかったと思うけど?」
「確かに加入当初は集団行動が苦手でした。ですが今は……それなりに出来るようになりました」
「どのくらい?」
「……」
「現在では、リーダー職以外では、どれくらいの腕前なんだ?」
「せ、成功例は今のところ……五人パーティーまでです」
「五人……」
難易度を考えると採用するかどうかは悩める。個人的な記憶を引き合いに出すと今回のクエストにはできれば連れていきたくないぐらいだ。しかし。
「メントレのほうが結構優秀だからな……」
「はい。それを踏まえての推薦です」
そう言ってアスナはウィンドウの一つを可視化しこちらに示す。それは先ほどヒースクリフが送ったメールの内容だった。内容の一部にはこう書かれている。
『今回クエストに参戦するNPCの魔法使い≪メントレ・マジーア≫は非常に優秀なサポーターだ。自然治癒力を大きく上げ、攻撃力と防御力を僅かに上げる常時発動オーラを持っている。スバルくんによる思考実験の結果、メントレを除く五人での戦闘でも六人以上の成果が出せる可能性が高いとのことだ。攻略不可と言わせるほどの高難易度クエストに対する救済措置のNPCといったところだろう』
以上、メールタイトル≪墓塔クエスト公開情報 Vol.4≫より。どんだけ送ってるんだ。
「ま、スタンドプレー中心が作戦の核で組み立てているから通常のパーティーよりはイルもしやすいだろ。なんとかなるだろ多分」
「そうですか。では連絡を取ってみます」
そう言ってアスナはウィンドウを開きメールを打ち込み始めた。あとは返事と到着を待つだけだから、またもや暇になってしまった。俺は席を立ち、アイとメントレに向けて言った。
「ポーカーしようぜ。トランプ持ってきてるんだろ?」
「いいけど、また貴方が負けると思うわよ」
「まだまだ。最終的に勝率が五割以上になればいいんだよ」
メントレがアイの隣から身を乗り出して尋ねる。やや俺の誘いに乗り気なように見える。
「へー、じゃあスバルさんは今んところ何戦何勝なんですか?」
「三十二戦八勝二十四敗。総被害額132400コルなーり」
「ア、アタシはパスで……」
それから十分後、俺の手持ちコインの底が見えてきた頃、やっとイルがやってきてくれた。三十三戦八勝二十五敗。遂に勝率二十五パーセントを切ってしまった。到着したイルの第一声は強い疑問符を持っており、アイに向けての言葉だった。
「なにそのコインタワー?」
「ん、これは一枚100コルのゲームコインよ。だからしめて9700コルね」
「え? 何? スバルくん滅茶苦茶負けてんじゃんさ。だっさー。アハハハ!」
快活なイルの笑い声を聞き流しながら、俺は手持ちのコインを数えた。あと三枚で持ち金300コルであった。ここの飯代を払えるかすら怪しいレベルだ。俺は交換も済ませていない手札を捨て、イルに向きなおった。相変わらずな姿であった。
短い黒髪に黒い目、顔つきはややシャープでいながらも表情はやんちゃっ子のものだ。フード付きのジャケットをおざなりに羽織り、その内側はヘソを出すようなインナー。腰に下げられた斧用のホルスターの中には、黒と赤の片手斧が提げられている。下はショートパンツで、靴には随分と装飾の施された軍用のようなブーツを履いている。印象としてはキリトやアスナと同年代ぐらいだろう。露出は多いのだが、色っぽいというよりも何処か子供っぽいような、友達と遊ぶのが好きそうで、何となく人懐っこい子犬のような雰囲気を持っている。
その印象は裏切られず、中々に人懐っこく無遠慮な性格だ。
「さて、全員揃ったことだしさっさと移動するか。下手したら明日まで続くかもしれないからな」
俺がそう言うと皆立ち上がり、思い思いの所作をした。伸びをする者、カードを仕舞う者、仲間に挨拶する者や財布の中身を確認する者。よし、飯代は払えるようだ。
酒場のスイングドアから出ると、遠くに墓塔が目に入った。高いと言えば高い。少なくともよじ登れる高さではないだろう。最も五十メートルを誇る絶壁と比べたらそこそこに低いが、絶壁からかなり距離もあるので土側からのショートカット方法は存在しない。何処かの層だかにハンググライダーを作れるクエストがあったので、誰かが飛んでみたらしいのだが、墓塔の周りは随分と風が強いらしく制御が効かなかったらしい。最も今回はそんな捻くれた事は考えなくてもいい。なんといっても正攻法なんだから。
六人居るのを確認して、イルが一緒にいるのを確認して、俺達は墓塔に歩を進めた。
二十分ほど、結構な距離を歩いた。走れば五分もしない距離ではあるが、イルを見失う訳にはいかなかった。迷子を心配しているのではない。先行する危険性があったのだ。時にモンスターを引っ掛けてくるから本当に大変だ。
到着した俺は人数を確認した。そのあとイルを確認。大丈夫だ。もしかしたらイルに関しては杞憂かもしれない。少し意識の度合いを下げてもいいだろう。俺は全員に聞こえるように大きめの声で言った。
「じゃ、まず周囲の二つの護衛塔から攻略していこうか。小ぶりだからそう難しくない筈だ」
ミシャの居る塔よりやや小ぶりの護衛塔も、攻略に関する情報はない。おおよその構造は判明しているが二階へ行く方法は誰も知らない。此処もアドリブで超えていく点だ。最も今回のメンバーならさほど心配はないだろう。なんといっても自己主張の激しいヤツばかりだ。大人しめのアイだって意見だけは言う。六人居れば鼠の知恵。なんとかなるだろう。
誰も俺の言葉に――俺のリーダー演出に――反論はなかった。もとい、する必要はないのだろう。この中でリーダー役が出来るプレイヤーは俺の他にアスナとヒースクリフだが、ヒースクリフは俺と違いリーダーというよりボスだろうし、アスナに関しては今回のクエスト――メントレについて――に詳しくない。一歩引くのは攻略を目的とする場合なら当然だろう。
俺が重厚な石造りの扉に手を掛けると、周囲に一際大きい風が吹いた。砂埃が僅かに舞い、遠くで踊った。視界の端で墓塔の周囲に起こる乾風を横目に、俺は両手に力を込めた。
――≪煉瓦の双椀、晩秋の枯風≫。さあ、これより攻略を始めよう。
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