Impossible Dish
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第二食
前書き
本作の主人公は丸井と似た感じなのかな? と言っても、丸井の努力のベクトルが知識専一なのに対して、本作は全方位ですからね。とても凡人とは思えない……。ただ、丸井と知識勝負したところで惨敗するのは目に見えた結果ですから、ぶっ飛んでるほどでもないかな。
そんな訳で第一話から察せられる通り、本作は私の独自解釈がめっちゃ入ってる展開が沢山あるのでお気をつけてください。
私は機械なのかしら……?
それが、薙切えりなの悩みだった。
神の舌。食の経験を積まなくとも、ありとあらゆる味を嗅ぎ分け、食した料理の全てを一瞬で解析する、味覚の極地。
その大仰な賞賛に恥の無い精密さを誇るえりなの舌は料理界に広がったその次の日から、料理人たちの選別装置として利用されてきた。
三歳という幼い少女だったえりなだが、彼女は天才ゆえに、幼くとも非常に聡明な少女だった。だから、「毎日超一流の料理を食べられて幸せ」とか「大人たちが私の言うことを素直に聞いてくれて楽しい」とか、年相応の無邪気さと言うべきか表面上と言うべきか、つまり物事の真相を知らないでいれるということが出来なかった。
鋭すぎる味覚と、舌から伝えられる漠然とした情報を的確な言葉に翻訳できる能力を兼ね備えているえりなは、日本の料理界を牛耳る薙切家の娘としても一躍有名となり、超有名料理店から太鼓判を押して欲しいとのオファーが殺到した。
そんな日が重なっていくうちにえりなの料理に対する発言力は絶対的なものへ変貌し、不味いの一言で今まで大繁盛していた店を潰す事だって可能になってしまった。
誰もが羨むだろう。幼ながらにして料理界のトップに座し、また発言力の強さは神のお告げに等しいのだから。薙切という看板を背負うに相応しい天才児だと。
だが、えりな本人は違った。全く嬉しくなかった。
毎日洪水のように押し寄せてくる料理人。揃いも揃って差し出してくる料理の数々。自分はただそれを一口食べて何かコメントするだけ。その一言で誰かの運命を決めてしまう。
どこかに連れて行かれたと思えば舌利きをやらされる。パズルを当てはめるだけの作業なのに諸手を挙げて誉められる。
全部、薙切えりなを欲しているのではなく、舌を欲している。
──私は料理を入れたら適格なコメントを吐き出す機械か? 生産地を言い当てる機械か? 口に入れた料理の詳細を分析する機械か? 料理人を育てるための機械か?──
──違う、違う違う違う!! 私は薙切えりな! 薙切家の一人娘だ! 機械なんかじゃない!──
つまり、えりなは、えりな本人が必要とされているのではなく、この舌だけが必要とされているのだと気づいてしまったのだ。今の自分があるのは全てこの舌なんだと。逆に言えば、この舌さえ無ければ自分に何の価値すら見いだされていないのだと。
容姿が優れているとか評価されても何も嬉しくない。神の舌なんて呼ばれても何も嬉しくない。ただ、自分を見て欲しい。舌という人体の一部じゃなくて、それを覆う自分を。
聡明というのは美徳だ。だが、この場合に限って、それは欠点とも言えただろう。その事実に気づかず日々を送れていたなら、こんなに苦悩する必要が無いのだから……。
事実を悟ってしまった薙切えりなは、その日から笑わなくなった。
◆
「はぁ……」
夜になった。詳しい時刻で言うと23時20分。あと10分もすれば地獄の時間が始まる。ちなみに、これで四日目の地獄である。
思わず鬱になり、自分一人しかいない自室に重い溜息が木霊する。それと同時に昨日味わった酷い味を舌が思い出し、何も食べていないのに吐きそうになる。
神の舌はとても傲慢だ。本当に美味しい物しか受け入れない。それ以下の物は容赦なく拒絶する。だから、ちょっとした間食をしたくとも傲慢な舌が納得する物でなければ咀嚼するのもままならない。テレビで見かける駄菓子のCMとか見ると葛藤に陥ってしまうくらい深刻な問題である。
当の神の舌は「あ、ワシ美味しいのしか無理だから。昨日のとかマジ無理だから」と口の中で親父寝入りを決め込んでいる始末。この舌さえなければと恨めしく思うのはいい加減飽きてきた。
溜息が部屋に溶け込んだ後に残るのは時計の無機質な知らせのみ。とくにしたいこともないのでただ黙って椅子に座って地獄の時間の到来を待つ。そして少しの物音すら大きく聞こえる部屋に、少々大きすぎるノック音が飛び込んだ。
「どうぞ」
「失礼します」
大人びえた口調とは裏腹に襖の奥から現れたのはとても小さな男の子だ。小学生にもなっていないであろう幼い男の子は、やはり大人顔負けの礼儀正しさを振舞って入室してきた。その小さな手には一皿乗せてあり、少量のケチャップと共にスクランブルエッグが湯気を立てていた。
その少年の名前は薙切なおと。えりなが生まれるよりちょっと前に薙切家に養子として引き取られた、血の繋がっていない兄。腹違いだから当然だが、ハーフのえりなは日本人には無い外人らしい金髪に対し、なおとは生粋の黒髪。ただし顔は東洋人らしいもののどこか離れた整いがある。
そんななおとが手に乗せる皿は、これから行われる拷問器具である。見た目だけで味わえたらどれだけ良かったことか。あんなに美味しそうなのに、口に含んだ途端に幻滅するなんてどんな拷問だろう。
「無理無理無理! 言ったじゃん! ワシ言ったじゃん! 無理って言ったじゃん!」と昨日の食事を思い出した神の舌が早々に悲鳴を上げ始める。そのクレームを受け付けるえりなは渋面を作りそうになるも、さすがに何も食べていないのに顔を顰めるのは失礼だと言い聞かせ鉄仮面を被る。
「座ってどうぞ」
「ありがとうございます。ですが、僕はこのままで」
えりなの勧めを丁重に断り、えりなの座る椅子の隣まで歩み寄ると、さながら高級レストランのウェイターのように上品にえりなの前に料理を置く。
「プレーンオムレツです」
この一言で雰囲気はぶち壊されたが、非常に幼いなおとに高級料理を作らせるのは酷というもの。むしろこの年で料理を出来るのは絶賛されるべきなのだろう。だが、残念なことに彼のいる家は食の権化とも言える薙切家、これぐらい出来なくては文字通り生きていけないのである。
湯気を上げて食べられるのを待つオムレツを、えりなはじっと見つめる。
オムレツとは、玉子を割って溶き、塩・胡椒などで味付けをし、バターや油をひいたフライパンで手早く焼いた代表的な卵料理だ。多くは木の葉型で中央が丸く盛り上がった形をしている。食材も作り方も非常に単純で、家庭でも簡単に、かつ短時間で作る事が出来る。このため、特に朝食のメニューとしてたいへん親しまれ、世界中どこの国でも普遍的に作られている。
しかし、逆に言えばオムレツとは卵料理の源泉。焦がすことなく仕上がりを美しく、ふんわりとした仕上がりを得るためには、フライパンの使い方、バターの量、火加減の調節などの基本的な調理作業に高い技術が必要となるため、プロの調理人がこれら基本技術の習得のためにオムレツを焼くという事も多い。
基礎ゆえの難しさ。調理人としての入り口とも言える料理。この少年はそういう料理を作ってきたのだ。
仙左衛門からなおとを文句の付けようの無い料理人へ導くように頼まれている以上、ただ味を評価するだけではだめだ。基礎の料理を出したからには、料理として基本的な審査項目は厳しめに付けていかなくては。
まず見た目。料理はただ美味しければ良いというものではない。どんなに美味しい物だろうと見た目がグロテスクなものだと食欲は失われてしまうだろう。特にオムレツは卵特有の柔軟さと弾力、そして輝かしい黄金によって万人に好まれている料理。わずかな焦げでも付いているのなら論外だ。
だが先ほど言ったように、なおとの作ったオムレツの見た目に問題は無い。むしろその魅力を引き立てるかのように掛けられているトマトケチャップが手をスプーンに伸ばせと訴えて掛けているようだ。
次いで匂い。こちらも言わずもがな見た目と同じ理由として重要な項目だが、オムレツに限った話ではなく他の料理にも言えることで、完成した料理の匂いである程度のクオリティを推し量ることが出来る。今回の場合、鼻腔を擽るような甘みが引き立っていれば、暫定的に十分な空気を含ませられていることが解るし、使用したバターの多寡も解る。
こちらは少々甘ったるい。自然の恵みによる甘さではなく、人工的な甘さ。おそらく調理途中で使用した砂糖の分量に狂いがあったのだろう。この時点で自分の舌が心配になってくる。
最後に味だ。具材を何も入れずに卵液に味付けしただけのものを、プレーンオムレツと呼ぶ。つまり、基本的な調味料以外では全く味付けすることを許されない料理でもある。あまり食にうるさい人は気にしないだろうが、調理途中に工夫を織り交ぜていくことでオムレツの味は芳醇になっていく。それを可能とするのが料理人の腕である。
約一秒で第二審査まで終わらせたえりなは、遅れて出された銀のスプーンを手に取る。黄金の生地は押してくるスプーンにささやかながらの抵抗を示すが、それも束の間、すっとスプーンが入る。指先に伝わってくる柔らかさに自然と心が躍る。
一口分のオムレツを掬い上げ、まずはケチャップを付けずに舌に乗せてみる。
が。神の舌は絶叫を上げた。
「まずい……」
「うっ……」
今までなおとが出してきた料理を食べてきたが、そのどれも第一声が「まずい」である。これはえりなの意思に関係無く、もはや舌がえりなの体を操作するように吐き出す言葉であった。
猛烈な不味さを舌が伝えてくるが、ひとまず無理やり飲み下して一息付く。それから左後ろに控えているなおとを視線だけで傍に来るよう促す。
自分の渾身の一品をやはり貶され悲しみの色を浮かべるなおとだが、えりなの促しを素直に拾い傍に寄った。えりなとしてはここでオムレツを顔面にぶつけてやりたいところだったが、それをすると駄目だしをきちんと聞いてもらえない可能性があるので、ぐっと堪えて代わりに言葉をぶつける。
「全般的になってないわ。フライパンの使い方、バターの量、火加減の調整。こういった基本的な調理技術が未熟すぎる。一番酷いのは砂糖の分量ミス。きちんと計量スプーンを使ったのかしら? 例えきっちり計っていても投入するタイミングやポイントを抑えてなければ話にならないのよ。これぐらいの知識はそこら辺の参考書にも書いてあると思うのだけど」
容赦無く毒舌を振るうえりな。超一流の料理人が作った料理にすら文句を付ける神の舌は、相手が同い年の子供でも容赦しなかった。すらすらと紡がれる指摘、そして織り交ぜられる毒舌は数多の料理人の希望と自信を圧し折り、絶望のどん底へ突き落としてきた。
今回は嫌な追憶をした分、気が荒立っているえりなはいつもに増して毒の濃度を高めて文句を付け続けた。
言い終えた後改めて思うと、さすがに無駄な罵倒が含まれすぎていたような気がした。審査員として審査する料理に対してのみコメントしなければならないのに、自分としたことが少々不覚を取った。それに自分の渾身の出来を完膚なきまでにダメだしされるのは、一流の料理人でも傷つくことだ。この前も激昂されたりもした。
これで泣かれたりすると面倒だと若干自分のミスを棚上げにしてなおとを見やると──
「……なるほど、あれがいけなかったんだな……」
至極まじめな顔でメモを取っていた。無意識なのか口の中で呟きながら必死にペンを走らせるなおとはえりなの視線に気づいたのか、ぱっとメモを取る手を止めて姿勢を正した。
「今日もありがとうございました。これで失礼します」
礼儀正しく頭を下げると、まだ残っている皿を下げて速やかに退出するため無言で扉へ歩いていく。
えりなとなおとの間にはこの程度のコミュニケーションしかなされない。それはえりなが一方的に会話をする気力を削ぐような雰囲気を醸し出しているからなのだが、それでもお互い5歳の少年少女、やはり不自然な光景だ。
その原因はえりなの気持ちだった。
今、私に必要とされているのは神の舌。料理を食べて、吟味するだけの、機械。余計な物を挟む余地は、許されない。
幼くして味見役として五十を超える一流料理店と契約している。味見のために呼ばれて、そこで新作の料理を食べ、審判を下すだけ。その場にえりなの童心は必要とされていない。そんな環境に置かされ続けたえりなは滅私をしなければならない、という一種の義務感を植えつけられてしまっていた。
それも当然。味見をして欲しいから呼んでいるのに、どうしてただの子供の戯言に耳を傾けなければならないだろうか。呼んでいるのは神の舌であって、子供じゃないのだ。
必要な事項以外はしゃべらない。それが子供に求められている唯一の事だった。
だから、いつも通りだったら黙って去り行くなおとの背を眺めているはずだ。
だけど、今回は違った。
「待ちなさい」
いきなり呼び止められたから、というよりもえりなから話しかけてきたのに驚いたのだろう。なおとが目をまん丸に開いて振り返った。そこに上辺面の礼儀は無く、年相応の不恰好さがあった。
初めて見るなおとの子供らしさに新鮮さを覚えるも、えりなは訊ねた。
「はっきり言いますが、君に料理人としての才能は無いわ。最低でも四回も料理をしているのに、未だに基本的なことが出来ていない君が、どうして料理をしようと思うのかしら?」
皮肉のつもりで言ったのではない。単純な疑問だった。
えりなは知っている。薙切家でなおとがどんな立場に置かれているのかを。何もなおとだけが比較されているのではない、その対象であるえりなもまた比較されているのだから。
えりなが神の舌で活躍すれば、毎度のように引き出されるのはなおとだ。やれ才能が無いだの、やれ生意気だの、やれ何で薙切の名を背負っているのかだの、陰口のバリエーションは両手だけでは全然足りない。これだけ言われているのだから、なおと本人の耳にも入ってるだろう。
なのに、何で料理をしていられるんだろう。誰からも求められていないのに、誰からも望まれていないのに、誰からも見捨てられているのに、どうしてそんなまじめに料理へ取り組めるのだろう。
自分は見捨てられるのが嫌だから神の舌に縋っているのに、君は怖くないのか? 誰からも必要とされず生きていくのは怖くないのか?
拙い料理だったが、神の舌は確かに読み取った。あの料理は彼の全身全霊が詰め込まれていた。熱意があった。食べる者への配慮があった。まずかったけれど、心を動かす何かがあった。
自我を見失いつつあるえりなにとって、誰からも必要とされていないはずのなおとに熱い感情があることが不思議だった。
そして、それが堪らなく羨ましかった。
えりなの質問をどう受け取ったのか解らないが、なおとは恥ずかしそうに頭の後ろを掻いて、答えた。
「それが僕の生きがいだから」
「……!」
「これを聞いたらえりな様は笑っちゃうだろうけど……、僕の夢はおじ様に認められるような料理人になることなんだ」
同じ家の者なのに明確な格別を教育されているなおとは、容姿相応の無邪気さと無垢さで目を輝かせて言った。
いつか、全員を見返してやるんだと。今まで自分に見向きもしなかった人たち全員を振り向かせてみせるんだと。
なおとの意気込みを目の当たりにしたえりなは何にも反応することが出来ず、失礼しましたと断りを入れて退出していくなおとの姿を呆然と見送ることしか出来なかった。
その時、えりなの机の端に置かれている紙切れが、小さく揺らめいた。
後書き
なおと:不屈の凡才。ダメだしに毎度心を抉られながらも指摘を無駄にせず貪欲に取り込んでいく。
えりな:自失の天才。神の舌を求められるあまり自分自身は必要とされていないことに気づいてしまう。
ということで、大幅な独自解釈が含まれた第二話でした。原作やアニメを見てて思ったのが、幼い頃のえりなの表情が乏しすぎることでした。そこから今回の内容の発着を得ました。というか、それが本作の起源でもあったりします。
それではまた次回があれば(白目
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