女傑
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1部分:第一章
第一章
女傑
「私に恐怖を感じさせるには私の新造が余程強く動悸を打たなければなりません」
戦場に向かう馬の上。漆黒の服とマントに身を包んだ男がその言葉を呟いた。
浅黒い肌に鞭の様にしなやかな身体。黒く長い髪の毛は波がかりその整った顔をさらに際立たせていた。
鋭利な美貌であった。目は鋭く口元は引き締まっている。だがそこにある顔立ちには陰がさし何処か邪悪な雰囲気も漂わせていた。
「いい言葉だとは思わないか」
彼はそう横を進む男に尋ねてきた。
「ミケロット」
そして彼の名を呼んだ。呼ばれた男は黄金色の髪をした痩せた男であった。長身でその目には剣呑な光を宿らせていた。
「確かに」
その男ミケロットは彼の言葉に頷いた。
「あの女の言葉ですな」
「そうだ」
彼は答えた。
「そうした言葉を口にする女を是非この手に」
そう言って不敵に笑う。
「それが男というものではないかね」
「ですが公爵」
ミケロットはそんな彼に声をかけた。
「今度の戦は」
「わかっている」
彼は答えた。声もまた鋭利なものであった。
「今度の戦はあくまでロマーニャ占領にある」
「はい」
「しかしだ」
だが彼はそれでも言うのである。
「そこにある宝物として美女というのもまた。面白いではないか」
「では勝利の暁には」
「うむ」
その不敵な笑みで頷いてきた。
「そのつもりだ。だがその前に」
「誘いはかけてみますか」
「従うとは思えないがな」
彼はそんな話をしながら軍を引き連れて戦場に向かっていた。彼の名をヴァレンティーノ公爵、チェーザレ=ボルジアという。ルネサンスの影の世界にいた魔王である。
教皇であるアレクサンドル六世の次男であった。長男は早くに亡くなり彼がボルジア家の嫡子となった。彼は父にヴァレンテイーノ枢機卿としての地位を与えられ栄華を極めていた。
だが彼はその紅の法衣を脱ぎ捨て俗世に戻り軍を率いていた。全てはイタリア統一という己の野心の為。今颯爽と戦場に向かっていたのである。
それを迎え撃つはカテリーナ=スフォルツァ。猛々しい猛女であった。黄金色の髪に雪の様に白い肌の気品ある美貌を持つ女であった。今チェーザレは彼女のところに向かっていたのである。
そのことはカテリーナの耳にもすぐに入った。だが彼は全く物怖じしなかった。
「面白い」
チェーザレと同じ笑みを浮かべて笑うだけであった。
「して公爵はどちらに向かわれていますか」
報告をしてきた家臣に問うた。彼女は今居城の自室にいた。高貴な貴夫人の部屋とは思えぬ無骨で殺風景な趣の部屋であった。これが彼女の家の趣でもあった。
彼女の家は傭兵の家であった。剣により成り上がってきた家だ。それによりミラノ公爵にまでなったのだ。その血は忠実に受け継がれていた。
最初の夫の叔父である教皇が亡くなった時は権勢と我が身を護る為にサン=タンジェロ城に篭城した。その夫が殺された時も彼女は逸話を残している。
自室で夫が殺されたのを聞いたカテリーナは何ら動じることはなかった。暗殺者達に捕虜にされてしまったがその直前に家臣を脱出させて援軍を呼ばしていた。そのうえで捕虜になったのである。
暗殺者達はカテリーナを捕虜にしたもののそれからどうするべきか手を打ちかねていた。カテリーナの家臣達が護る城を陥落させようとしたがその護りは思いの他堅固でどうにも進んでいなかったのである。
「それでは」
ここでカテリーナが出て来たのである。
「私が彼等を説得してきましょう」
「ほう」
暗殺者達はそれを聞きカテリーナに顔を向けてきた。
「貴女がですか」
「ええ。それが何か」
カテリーナは動じることなくその言葉に返した。
「そのまま逃げられるというのではないでしょうな」
「まさか」
カテリーナは彼等の猜疑の目も言葉も受け流して述べた。
「子供達がいるのにですか」
「確かに」
彼等はまずはそれを聞いた。
「それではどうぞ行かれよ」
「ただし戻られなかった場合には」
「わかっています」
カテリーナはそれに答えた。そして家臣達の説得に向かったのであった。
そのまま城から出される。その時彼女は不敵な笑みを浮かべていたという。
彼女は帰っては来なかった。家臣達と再会するとそのまま飲み食いしベッドに寝てしまったのである。
これに怒ったのが暗殺者達であった。憤懣やるかたなく子供達を連れて来て彼女のいる城の城門まで出て来たのである。
「出て来い!」
彼等は怒りに顔を歪めてこう叫んでいた。
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