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左慈

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4部分:第四章


第四章

 捜索が続けられ遂に左慈が捕らえられた。曹操はそれを聞くとすぐに彼を牢に入れるように命じた。
「これでようやく終わるな」
 曹操はそれを聞いて胸を撫で下ろした。そして周りの者に彼を拷問するように言った。今までが今までであるから念を入れて始末するつもりであったのだ。
 早速彼に拷問が加えられた。だが彼は何をされても平気な顔をしていた。それを聞いて曹操は考え込んだ。ここで程?がまた出て来た。
「私に考えがあるのですが」
「何だ」
 曹操は彼の言葉に耳を傾けさせた。
「この前は一年の間何も与えずとも生きておりましたな」
「うむ」
「それでは今度は逆の方法で責めてはどうでしょうか」
「逆の方法とは」
「はい。今度は食べさせて殺すのです。肉と酒を奴の腹に思いきり詰め込んでやりましょう。これならばあの男も死ぬものと思います」
「ふむ」
 曹操はそれを聞いて考え込んだ。
「それではそれでいこうか」
「はい」
 こうして左慈に山の様な肉と樽に並々と入れられた酒が出された。だが彼はその肉と酒を何なく平らげてしまったのである。
「何と」
 それを見た役人達は皆唖然とした。左慈はそんな彼等に対して言った。
「おかわりはありませぬか」
「おかわりと」
「はい。私は何年食べずにいても死にはしませぬが」
「うむ」
「どれだけ食べても平気でもあります。ですからこれ位は何ともないのです」
「むむむ」
 それを聞いた曹操はさらに考え込んだ。こうなっては程?も打つ手がなかった。彼等がどうしようかと考えている時にまた報告が入った。
「今度は何じゃ」
「もう一人左慈が姿を現わしました」
「何!?」
 曹操はそれを聞いて席から立ち上がった。そして報告に来た者に対して問うた。
「それはまことか」
「はい」
 彼は驚愕した曹操の顔を見て自身も驚きながら答えた。
「まことの話でございます」
「ううむ」
 彼はそれを聞いて顎に手を当てて考えながら程?に顔を向けた。
「どう思うか」
「そうですな」
 問われた程?も同じ顔をしていた。彼も驚きの表情を浮かべながらそれに答えた。
「まずはその者を捕らえましょう。そしてその者も牢に入れるべきです」
「よし」
 曹操はそれを受け入れて彼も捕らえることにした。だがここでまた報告が入った。
「また左慈が姿を現わしました」
「またか」
 曹操はそれを聞くともううんざりした顔になった。そして今度は都の門を全て閉め徹底的な捜索を開始した。人相を書いた絵を至る所に貼り城の中にいる全ての者に捜させた。すると何と五百人の左慈が捕まったのであった。
「益々わからぬな」
 曹操はその話を聞いてそう呟いた。顔には困惑が現われていた。
「これは一体どういうことだ」
「私にもわかりません」
「私もです」
 皆そう答えるしかなかった。曹操の下には天下に名高い知恵者が集まっていたが誰にもわからなかった。
「これが妖術というものでしょうか」
「ううむ」
 曹操はそれを聞いてもまだ解せなかった。彼は元々そうしたことを信じない男であったのだ。
「こんな筈がないのだ。これはまやかしだ」
「はあ」
 皆彼の言葉に頷くしかなかった。曹操はなおも言葉を続けた。
「まやかしならば破る方法がある。牛や豚の血を用意せよ。たっぷりとな」
「わかりました」
 すぐさまそれに従い牛や豚の血が集められた。そして曹操はそれと共に五百人の左慈を処刑場に集めそこを武装した将兵で取り囲ませた。まずは左慈達に牛や豚の血をかけた。
「これで術は使えまい」
 不浄なものである畜生の血で以って術を封じるつもりだったのだ。彼は左慈達が血で赤くなったのを確かめてから兵士達に対して言った。
「斬れ」
「ハッ」
 こうして五百人の左慈達は全て首を斬られた。曹操はそれを見て言った。
「これで全ては終わった」
「さあ、それはどうですかな」
 だがここでまたあの声がした。曹操はそれを受けて辺りを見回した。顔はもう蒼白となっていた。
「まだ残っておったのか」
「いやいや」
 だがその声はそれを否定した。そして今しがた斬られた首のない死体の首の切り口から白い煙が巻き起こった。それは宙で一つの形となった。それは鶴に乗った左慈であった。
「明公、暫くぶりですな」
「貴様、これはどういうことだ」
「ははは、何でもないことです。これもまた術でしてな」
「術、そんな筈があるか」
 曹操はそれを聞いて即座に否定した。
「それは血で破られた筈だ」
「如何にも不浄のものは仙術には効果があります」
 左慈はまずはそれを認めた。
「ですがそれを破ることも可能なのです」
「どういうことだ」
「強い術にはそのようなものは効果がないということです。おわかりですかな」
「くっ」
 曹操はそれを聞いて歯噛みした。そして左慈を見上げた。
「ならば倒すまで。やれっ」
 彼は兵士達に弓矢を放たせた。だがそれは左慈には全く当たらない。全て避けられるだけであった。
「おやおや、お怒りのようですな」
「黙れっ」
 曹操の怒りはさらに増した。彼はなおも攻撃を続けさせようとする。だが左慈はここで動いた。
「それっ」
 杖を一振りさせたのである。すると風が沸き起こった。
 それで弓矢を全て落としてしまった。そして今度は今首を切られたばかりの死体が一斉に起き上がった。そして首がそれぞれ宙に浮かんできたのである。
「またか!」
「甦るか、今度は!」
 皆それを見て口々に言う。だが左慈達はそれに構わず首を元通りに取り付けると以前と同じように動きはじめた。そして前に出て来た。
「ええい、防げ!」
 曹操はそれを見て叫んだ。
「構わぬ、斬れ!」
 そして自ら剣を抜いて斬りつけた。曹操は剣も優れていることで知られている。だがそれでも左慈は生きていた。どの左慈もそれは同じであった。
「ははは、明公、わかっておられるのではないですかな」
 鶴の上にいる左慈がそれを見下ろして笑った。
「私は剣では死にはしませぬぞ」
「ぬうう」
 曹操は剣を持ったまま彼を見上げて唸った。怒りで顔が紅潮しているがどうにもなるものではなかった。
「貴様、降りて来ぬか」
「それはどの私のことでございましょう」
 左慈はそう言って笑った。
「ここに五百人程おりますが」
「まだ言うか」
「言うも何も左慈は私ですが」
 そこで下にいる左慈の一人がこう言った。
「私もです」
「私も」
「私達は全員左慈ですぞ、明公」
「どうなさるのですか」
「ええい、黙れ」
 曹操は怒りを爆発させた。そしてそう叫んだ。
「こうなっては勘弁ならぬ。今ここでこの私の手で成敗してくれる」
「私をですか?」
 一人の左慈が彼に問うた。
「そうだ」
 曹操は答えた。
「私をですか?」
 別の左慈がそれに答えた。
「そうだ」
 曹操はまた答えた。
「当然私もですな」
「無論」
「私も」
「だから言っておろう」
 語気を荒わげて叫んだ。
「貴様等全員成敗してくれようぞ。さあ大人しくせよ」
「ははは、明公も冗談がお好きな方ですな」
「何っ」
 そう言った鶴に乗る左慈を見上げた。
「私は死なないというのに」
「まだ言うつもりか。では貴様は何なのだ」
「私ですか?」
「そうだ」
 鶴に乗る左慈に対して問うた。
「貴様は人ではないとでもいうのか」
「人ですぞ、私は」
 彼は穏やかに笑ってそう答えた。
「それは間違いありませぬ」
「では何故死なぬのだ。人であるというのに」
「それは私が仙人だからであります」
「それはわかっておると言うたであろう」
「ならもう言うまでもないことですが」
 彼は静かにこう言った。
「私は仙人です。だから死なないのですよ」
「クッ」
「明公の知っておられることだけが全てではありません。それをお知らせしたかったのですが」
「私の知らないこと?」
「はい」
 左慈はそう言って頷いた。
「明公は確かに優れた方であります」
「うむ」
 曹操は自負の強い男であった。自身の力には確固たる自信を持っていた。だからこそ今こうして頷いたのである。
「ですが仙人ではあられません」
「それもわかっておる」
 次第に曹操の怒りが収まってきた。彼は穏やかな顔でそれを聞くようになっていた。
「だからこそ問いたいのだ」
「何でしょうか」
「仙人とは人であるな。それには相違ないな」
「はい」
 左慈は答えた。
「それでは何故仙人は術を使えるのだ。今までそなたは私に色々と見せてくれたが」
「修業の成果でございます」
「修業のか」
「ええ。それがなければ今こうしてできはしません。それは何でも同じことです」
「確かにな。それでは学問と同じか」
「そういうことになります」
 彼はそれにはそう返答した。
「何も難しく考えられることはないのです。明公も修業を積まれれば私と同じ仙人になれますぞ」
「それは前に申したな」
 曹操は微笑んでそう言った。
「はい。ですからお誘いしたのですが」
「生憎だが」
 その時とはうって変わって落ち着いた声でそう言った。
「どうも私は仙人にはなりたくはない。気持ちは有り難いがな」
「そうでしょうな」
 左慈はそれを当然のことであるように受け止めていた。
「明公はこの世に留まられるべき方です」
「そなたもそう思うか」
「はい」
 左慈はここでにこりと笑った。
「それはもうわかっておりました」
「では何故ここまで私をからかったのだ。冗談にしても程があるぞ」
「ははは」
 左慈は笑った。
「ほんのたわむれでございます。今まで色々と回りましたが」
「江南や荊州にも行っていたようだな」
「はい。そこも巡り明公と御会い致しました。いやはや、面白かったですぞ」
「許都がか、それとも私がか」
「明公がでございます。貴方は詩がお好きですな」
「うむ」
 曹操は頷いた。
「それではお願いがあります。私のことを詠んで頂きたいのです」
「まさかと思うが」
 左慈はそれを聞いて問うた。
「それを私に頼みにここまで来たのかな」
「左様」
 左慈は頷いた。
「宜しければ明公のご子息にも詠んで頂きたいのですが」
「贅沢な奴だ。そなたは贅沢とは無縁ではないのか」
「詩は別ですから」
「わかった。それでは詠もう。これ」
 彼はここで側にいる者に声をかけた。
「筆と木簡を。あと丕と植を呼んで参れ」
「わかりました」
 それを受けて筆と木簡が持って来られた。そして曹操の二人の息子達も呼ばれた。彼等も父と同じく文才に恵まれていた。とりわけ曹植は当代きっての詩の天才と謳われているのである。
「それでははじめるぞ」
 曹操は左慈に対して問うた。
「どうぞ」
 左慈はそう答えた。そして三人は詩を朗し、それを書きはじめた。それを聞く鶴の上の左慈もその下にいる五百人の左慈もそれを聞いて恍惚とした顔になった。
 詩が終わった。そして曹操はそれを一人の左慈に手渡させた。二人の息子のものもである。そして鶴に乗る彼に問うた。
「これでどうだ」
「有り難うございます」
 彼は笑顔でそれに答えた。満足しているようであった。
「これでよいな」
「はい。心おきなく仙界へ行くことができます。それでは」
「うむ」 
 左慈はこうして天高く旅立った。そして地上にいた五百人の左慈も姿を消した。後には曹操だけが残った。
「贅沢なやつだ。私の詩を持って行くとはな」
「左様ですな」 
 そこにいた共の者の一人がそう言った。
「明公の詩を持って行くとは。欲の張った男です」
「ですが明公」
 別の供の者がここで曹操に対して言った。
「何だ」
「何の詩を送られたのでしょうか。ご子息方も」
「それは言えぬな」
 彼は笑ってそう答えた。
「知っておるのはあの男だけだ。もう行ってしまったがな」
「そうですか」
「今頃あの男は」
 曹操は言った。
「仙界に着いておる頃かな。私の詩と共に」
 空を見上げてそう言った。そこには晴れ渡った青い空が広がっていた。
 この詩がどういったものだったのかは曹操と左慈の他は誰も知らない。だが仙界では今も左慈がその詩を詠んで日々楽しんでいるという。これこそ最高の贅沢であるとある仙人が言った。。


左慈    完



                 2005・4・6

 
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