藤崎京之介怪異譚
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case.3 「歩道橋の女」
Ⅵ 同日pm7:43
街は、ちょっとしたパニック状態に陥っていた。
「一体何なんだ!どうなってんだよこの街は!」
一部の人々は騒ぎ立て、逃げ惑っていた。
それも無理はないな。俺達の知らぬ間に、新たな恐怖がばら蒔かれていたのだから…。
俺達は警察署へと事情を尋ねてみると、それらを簡潔に教えてくれた。
まず昼過ぎに、何の前触れもなく破間橋が倒壊し、次に薔薇園の花という花全てが首から切られていたという。そして天光寺の本尊である大日如来像が真っ二つに割けて崩れ落ち、近代美術館では一部の床が陥没し、市民公園では噴水中央を飾っていた石像が、市民の見ている前で勝手に粉砕したのだと言う…。
これだけ不可思議な事件だというのに、警察はテロだ何だと明後日の方向へ捜査の手を向けているようだった。
「では、手筈通り始めてくれ。俺は話しておいた四人を連れて、今から歩道橋へ向かう。」
「了解しました。先生、充分注意して下さい。無事のご帰還を…。」
田邊とは、それで連絡を終えた。
俺の後ろに控えているのは、俺の楽団所属の団員が三名に、この街の楽団員が二名だ。
俺の楽団からはアルトの清水にヴァイオリンの安原で、この街の楽団員はヴィオラの村橋と坂上。通奏低音役にはリュートの真中が来てくれた。真中は今回ギターだが、それはリュートが大きすぎるためだ。
「さて…。みんな、覚悟はいいか?」
「はい!」
こいつらを傷付けるわけにはいかない。何もないことを願うが、こいつらの役目は演奏だ。離れた所でも充分だし、いざとなった時は俺が盾になればいい。
俺はそんなことを考えつつ、深呼吸をして告げた。
「じゃ、出発しよう。」
各会場では順に演奏が開始されている。
俺達はあの影…いや、既に正体は明らかだと言えるか。あれは田子倉の思念と、それに纏わりつくように浮かび上がってきた行脚姫の思念の融合体…。
そんな悲しみと憎しみを帯びた思いを、やつら…悪霊達が操り損ねた厄介な代物であり、今やその悪霊すらも取り込んでしまっているのだ。
街の空気がピンッと張り詰め、今にも爆発しそうに感じる…。
「みんな、大丈夫か。」
俺は歩きながら、後方を歩く五人へと声を掛けた。
「はい、大丈夫です。」
皆一様にそう返事をした。だが、少なからず声が震えていることに気付いたが、俺はそれに気付かぬ振りをして黙って歩いた。
仮にそのことを問ったとしても、もう後戻りは出来ないのだから…。
暫く歩いていると、俺達の前に一台の自動車が近付いてきた。
ここは市長に頼んで封鎖してるはずだが…。
「みんな、止まってくれ。」
俺は訝しく思い、皆の歩みを止めさせた。
自動車は低速で俺達の前まで近付き、そして緩やかに停止したのだった。
「藤崎君!」
「あ、天宮さん!どうしてこんなところへ…!?」
その自動車から顔を出したのは、ここにいるはずのない天宮氏だった。
「一昨日に宮下さんから連絡をもらってな、気になって来てみたんだが…。予想以上に酷い有り様だな…。」
そう言って天宮氏は、車から下りて俺の前へと歩み寄った。その手には何かを持っているようだが…。
「藤崎君、私も一緒に行くぞ。」
「何を言ってるんですか!天宮さん、あなたは…」
「いいや!君が何と言おうと行くと決めて来たのだ!今回の件は私にも責があるのだし、これは佐藤神父の弔いでもあるのだからな!」
どうやら俺の言葉は聞き入れてもらえそうにない…。俺は仕方ないと言った風に溜め息を吐いたのだった。
心配そうにする俺に、天宮氏は言葉を付け足した。
「そんなに心配するな。自分の身は自分で守れる。それに、この二つも持ってきたからな。」
そう言って天宮氏は、手にしていた二つを俺の前へと出した。
最初は暗くて何だか分からなかったが、一つはヴァイオリン・ケースだった。
「天宮さん…、ヴァイオリンなんて遣られてたんですか?」
「藤崎君、私だって物好きでスポンサーになったわけじゃないよ?これでも音大を出てるからね。」
初耳だった。以前にも話したが、天宮氏はこちらから尋ねない限り、あまり自分のことは語らない人だ。初耳でも仕方ないと言えるが…。
「天宮さん、そう言うことは早く言って下さいよ…。」
「いや、すまんな。こんなことでもないと演奏せんからな。」
この方は全く…。そしてもう一方のものはというと…。
「あ、それって…!」
それは以前、廃病院事件の時に俺に貸してくれたランプだった。
天宮氏はそのランプを灯し俺に言った。
「少なからず戦力にはなるだろと思ってな。で、君達は五十四番をやるのだろ?第二ヴァイオリンは私がやる。」
どうやらこの曲を知っているようだが…ほんと、怖いもの知らずな方だな。
「天宮さん、それではご協力お願いします。」
「任せておけ。」
俺は天宮氏との話を終えて振り返ると、後ろの四人は力強い味方を得たと言う風に、その首を縦に振ったのだった。
目指す目的地は…もうすぐそこだ…。
その歩道橋は、まるで闇が掛けられたように真っ暗になっていた。普段なら多くの街灯で照らし出されているはずが、歩道橋を中心に半径200mほどの区域が停電しているのだ。
「霊障…か。」
各自で持ってきた明かりを頼りに、俺達は歩道橋から30mほど離れた場所で準備を始めた。
みんなが所持している明かりはランプだったが、そこにはラテン語で聖句が書き込んであった。俺がそうするよう指示したからだ。
みんなは演奏出来る体制を整えると、静かに俺の指示を待っていた。
「さて…どうするか…。」
俺はそう呟くと、天宮氏に歩み寄って言った。
「天宮さん、私はやはり歩道橋へ行きます。そこでお願いなんですが、そのランプをまた貸して頂けませんか?それから、指揮もお願いしたいのですが…。」
「それは構わないが…。大丈夫なのか?これだけ空気が澱んでいるんだ。まるであの時の様じゃないか…。」
そう、あの廃病院事件の時と同じだ…。空間が歪められ、どこまでが現実なのか分からない…。それを計算に入れて五ヶ所の結界を強化すべく、俺は演奏する曲と演奏者を指示したのだ。
しかし…だ。この音楽による結界が、一体どれ程の効果をもたらすかは未知数と言える。
「天宮さん、俺は大丈夫です。それより、演奏の方を宜しくお願いしますよ。」
「そうか…、分かった。」
そうして俺は、天宮氏に一礼すると歩道橋へと赴いた。
空気が重く、それが体に纏わりつくような感じがした。足は重く、まるで水の中を服を着て歩いているようだ。
「クソッ!」
俺は纏わりつく空気に抗いながら進んでいると、途中から急に体が軽くなった。こちらの演奏が始まったのだ。
その時、闇の中から何かの苦しむ声らしき音が響いてきた。俺は覚悟を決め、一歩ずつ階段を登って行くと、そこには一人の女の姿があった。
だが、その姿は二重になっていて、まるで映像がダブって見えるようだった。
暗闇の中で青白く浮かぶその女は、俺を見ると血走った目を見開いた。
「なぜ…邪魔をする…」
その声は重々しく、地の底から響くような感じがした。
「なぜ…なぜ…」
尚も問う女に俺は答えた。
「お前はお前ではなく、過去は今ではない。過ぎ去りし幻影、在りし日の回想、失われし哀歌。追う者は、もはやお前ではない!」
俺の言葉に、女は震えるような声で言った。
「お前に何が分かる!(汝には分かるまい!)捨てられた者の気持ちなぞ!(棄てられた我の想いなぞ!)世界は狂えばいいのだ!(世なぞ朽ちればいいのじゃ!)」
女の発する声が二重になって響いた。もう一人の女…行脚姫の声…。
「なぜ…なぜ…なぜ…!」
それは悲痛なほどの念と言えた。これだけの念を遺すには膨大なエネルギーが必要だろうが、彼女…いや、彼女達は自らの命を代償とし、この念を世に留めたと言えるかも知れない…。
恐ろしいとは言え、それはまた哀しく憐れなものでもあった。その想いが強ければ強いほど、悪霊に利用されやすいのだが…。
「しかし、もう苦しみと哀しみの連鎖は終わりだ。」
俺がそう言って近付こうとした時、突如その女が立ち上がって顔を顕にした。
「な…っ!」
俺は、それを見て息を飲んだ。それは怖いなどと生温い表現では追い付かない代物だった。
その顔はまるで肉塊のようであり、目鼻や口がどこにあるかすら分からない。皮膚は爛れて血が吹き出し、まるで煮えたぎるマグマのようにも見えるその顔が、地の底から響くような声で言葉を発した。
「消え失せろ…!お前には関係ない。直ぐに音を止ませろ…!」
そう言って、女は手を振った。すると、俺は得体の知れない大きな力によって突き飛ばされた。
「グフッ…!」
俺はその衝撃で体に激痛が走って身動きが取れない状態に陥り、体からは冷や汗が吹き出した。頭は朦朧としていて、とても何かを正確に導き出せる状況ではない。
そんな俺の元へ、少しずつヤツが近付いてくる。
「お前さえいなければ…私はあの人と一緒になれるものを…!」
妄執と言っていいだろう。愛した者に殺されたその悲劇は、今ここで生きている者には想像すら出来まい。
それが記録として映像化すると…こうなるわけか…。
だが、俺のすぐ側まで歩み寄ったその女…いや、霊は、ピタッとその歩みを止めて言った。
「貴様、その懐に何を潜ませているものは…!」
どうやら気付いたようだ。今日俺は、ある場所へこれを譲り受けに行っていたのだ。
俺が譲り受けたのは、とある名家に伝わる宝玉だ。
それは行脚姫に纏わるもので、一説には姫の住んでいた土地の神社に奉納されていたものだという。
俺は元来、こういうものは使わないが、今回ばかりは違った。
「さぁ…、もう終わりにしようか。」
俺はそう言うとポケットから宝玉を取り出し、その宝玉に自分の指を切ってその血で五芒星を書き入れた。
「忍耐ある神、慈悲深き神、愛ある神であられる永久を統べる神よ。汝の一人児イエスの名によりて願わん。汝に仇成す者を退けたまえ!光が闇を退けるよう、我が願いを聞き入れたまわんことを…!」
俺がそう言い放つと、掌の宝玉が眩いばかりに輝いた。
「あ…あぁ…あぁぁ!」
その光を浴びた霊は苦しみ悶えながら後退し、その偽りの姿は徐々に溶け出していた。
「なぜ…なぜだ…!私の…私の心は…!」
しかし、その言葉は虚しく宙へと散った。
「グァァァァァァッ!」
その霊は叫び声を上げて、光が四散するが如くその姿を消滅させた。それと同時に、俺の手の中の宝玉も、その役目を終えたと言う風に砕け散ったのだった。そして、在るべき風景が戻っていた。
「勝った…のか…?やけに呆気なかったな…。」
そう呟いた時、予想外の事態に陥ることになった。
「ちょっとヤバいかな…。」
俺の目の前で、歩道橋が中央から崩壊し出したのだ。
俺は逃げようにも、体を全く動かすことが出来ないでいた。霊に突き飛ばされた時、どうやら背骨を痛めてしまったらしい…。
「洒落にならんな…。ここで…終わりなんて…」
演奏してるみんなは、この倒壊に巻き込まれることはないだろう。しかし、俺は無理だ。足が言うことをきかないのだからな…。
「あの霊の…置き土産ってことか…。祈る時間くらいはあるか…。」
何を祈ろう…。いや、何でもいい…。
そして…俺の意識は崩れ落ちる歩道橋と共に、深い闇の中へと埋没していったのだった…。
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