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皇帝の花

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1部分:第一章


第一章

                    皇帝の花
 金髪が見事にカールした美青年であった。顔立ちもしっかりとしていてその雰囲気も見事なものであった。
 名門の出身でありその出自に卑しいところは何一つとしてなかった。カエサルとアントニウスの血を引きローマでは最高の毛並みのよさであった。
 人柄は温厚で芸術を愛した。教養があり政治にも理解があった。彼を批判する者はこの時代においては少なくとも少数派であった。
 ローマ皇帝ネロ。彼は決して評判の悪い男ではなかった。少なくとも彼が生きているうちは。
「ネロは今日もコロシアムの剣闘士を助けた」
「全く慈悲深いことだ」
 ローマの市民達は親しみを込めてネロの話をする。彼等にとってもネロは何かというと催しを行い物をくれる気前のいい皇帝であり親しみのある男だった。だからこそ市民達はネロに対してこぞってあるものを捧げたのである。
「陛下、これを」
「さあ今日も」
「うむ、有り難う」
 豪奢な金の馬車に人々が集まりそこに乗るネロに次々にそれを捧げていた。見ればそれは薔薇であった。彼は笑顔で薔薇を受け取っていたのだ。
「悪いな、いつもいつも」
「何を言われます」
「陛下がこれを愛しておられるからです」
 彼等は笑顔でネロにそう告げる。そうしてさらに薔薇を差し出すのであった。薔薇は忽ちのうちに馬車に満ちネロが隠れる程になった。だが彼はそのことにかえって満足した顔を見せるのであった。
「おい、少し待て」
 それを見て衛兵達が市民達を制止する。
「それ以上薔薇を捧げれば」
「陛下がお困りになられるぞ」
「いや、いい」
 だがネロはかえって衛兵達を制止してさらに薔薇を受け取るのであった。
「この花は皆が私に捧げたものだ。喜んで受け取らせてもらう」
「しかし陛下」
「このままでは馬車が動けません」
「後は私の宮殿に届けさせてくれ」
 ネロは機転を利かせて彼等にそう述べるのであった。
「それならば構わないな」
「それはそうですが」
「私は。この花が好きだ」
 うっとりとさえした口調での言葉であった。
「この薔薇達に囲まれていればいいのだ。それに」
「それに?」
「私を愛する市民達がこの花を捧げてくれる。これ以上の喜びはない」
 こうも言うのであった。
「だからだ。喜んで受け取らせてもらう」
「左様ですか」
「まずは宮殿に帰ろう」
 その中で言う。
「そして宮殿でさらに薔薇を楽しもう。それでいいな」
「わかりました。それでは」
「では市民達よ」
 ネロは自分の周りに薔薇を持って集まる市民達に対して言った。見れば彼等は赤に白に黄色にピンクにとみらびやかなまでである。その手にある薔薇の色に彼等までが染められているようであった。
「宮殿の前で。また」
「はい、また」
「陛下、お待ちしています」
 ネロは彼等と別れ自身の宮殿に向かった。そうして市民達からありったけの薔薇を受け取りそれ等をプールに入れ、他にも使うように命じた。彼は宮殿に帰るとまずはそのプールに入った。そこには様々な色の薔薇の花びらが浮かんでいる。彼はその中で気持ちよく泳いでいた。
 その彼のところに壮健な身体つきの軍人が来た。彼の衛兵隊長であるブルズである。彼はネロの側まで来て彼に告げるのであった。
「食事の用意ができました」
「そうか、早いね」
 ネロは彼の言葉を聞いて満足した顔で微笑むのであった。それからさらに彼に問う。
「いつものようにしてくれているね」
「無論です」
 彼はすぐに主に述べた。
「それはもう既に」
「それじゃあ。行くか」
 ネロはプールから上がって言う。その身体は繊細ながら引き締まったものであった。その顔とバランスの取れた見事と言える体格であった。
 ブルズはその彼に素早く服を着せる。ローマの服である。
 服を着せられたネロはそのブルズを従えて宮殿の中へ向かう。彼の身体からは薔薇の香りが漂い続けている。
 その薔薇の香りを自分でも楽しみながら。彼はブルズに問うた。
「セネカは来ているね」
「はい、先程から」
 ブルズは厳かに主に答えた。
「もうお待ちであります」
「わかった。では待たせるのは失礼だ」
 にこりと笑って彼の言葉に頷き。そうして宮殿の中に入った。
 大理石で造られた宮殿の中の至るところにギリシア風の彫刻がある。そこには逞しい神のものもあれば美貌の女神のものもある。ネロはそういった彫刻達を眺めながら宮殿の中を進む。そうして広い一室に入ったのであった。
「陛下」 
 彼の姿を見て奴隷達がかしづく。だが彼は鷹揚に手を出して彼等に対して穏やかにするように告げた。
「そんなに畏まることはないよ」
「はっ」
「それでは」
 彼等はそれを受けて立ち上がる。そうしてその場で彼をベッドに連れて行く。この時代のローマの宴は寝たまま行う。だからネロもそれに倣い寝そべったのである。
 ブルズもそれに続く。それを見て一人の老人もベッドに横たわった。彼こそがセネカ、ストア派の学者でありネロの師でもある男である。実質的にローマの宰相であった。
「セネカ、来てくれたんだね」
「陛下の御呼びとあらば」
 セネカは愛弟子に対して穏やかに述べた。
「喜んで参上致します」
「有り難う。それじゃあいいね」
「はい」
 また弟子の言葉に応える。
「喜んで」
「私はいつも思うんだ」
 彼は自分の師に対して述べるのであった。
「こうして市民達が薔薇を贈ってくれるそのことこそ私への愛情の証なんだって」
「その通りです」
 セネカはネロのその言葉を認めた。
「陛下は薔薇を愛しておられます。その薔薇を彼等が贈ってくれるこのことこそ」
「私への愛の証なのだね」
「はい。願わくばこの薔薇達が何時までも贈られるように」
「そうだね」
 ネロは笑顔で師の言葉に頷く。そうしてまた言うのだった。
「この薔薇の味がする酒も」
 黄金の杯を手に取る。そこにあるワインは薔薇の香りを入れた水で割られている。この時代のワインは必ず何かで割られていたがネロはそれに薔薇の水を使っているのだ。
 
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