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珈琲

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5部分:第五章


第五章

「それを言ってりゃあよ」
「何だよ、この苦いのはよ」
「お話する前に飲まれましたので」
 江戸っ子らしからぬ愚痴を述べる二人に対しての言葉であった。
「それで」
「ちっ、悪いのは俺達かよ」
「何でそうなるんだよ」
 しかも二人はまだわかっていなかった。これでもかという程愚痴を続けるところにそれが如実に現われていた。だが二人はそれでも気付かないのだった。
「まあいい。とにかく砂糖とミルクを入れると」
「飲みやすくなるんだよな」
「その通りです」
 娘はこういtった状況が馴れているのかあっさりと二人に述べた。
「ですから。どうぞ」
「よし、それじゃあよ」
「砂糖とミルクくれよ」
「はい、どうぞ」
 何はともあれこうして二人のカップにその砂糖とミルクが入れられた。漆黒だったその珈琲はミルクを入れるとまずはそのミルクが渦を描いた。やがてその渦が溶け周囲にその白を拡げていき。そうしてその漆黒だった珈琲を黒から茶色というかそれかオレンジに近い色にしたのだった。
「あれっ、こりゃまた色が随分変わっちまったな」
「黒が何だ?橙色とも違うな」
 まだ磯八はオレンジという色を知らないのだった。それで彼が知っている色をここで出してみたのである。それでも合っているとは彼も思ってはいなかったが。
「何なんだ、そもそもよ」
「灰色じゃねえんだな」
 留吉はそれがかなり不思議そうだった。自分のそのミルクを入れた珈琲を見てその目を丸くさせていた。
「黒と白でよ」
「ああ、そうだよな」
 磯八も留吉のその言葉に頷いた。
「黒に白入れたら普通そうなるよな」
「だよな。何でなんだ!?」
 今度はこのことを不思議に思う二人であった。
「黒いのに白を入れてこんなになっちまうなんて」
「おかしな飲み物だよな、全く」
「私も最初はそう思いました」
 こう答える娘だった。
「ですが。そこは要領が違いまして」
「要領がねえ」
「それでこんな色になるってのかい」
 それがどうしてもわからず首を傾げる二人だった。あまりにもわからずに首を捻ることしきりであった。その二人に対して娘がまた言ってきた。
「それでどうぞ」
「ああ、そうだな」
「そうだったよ」
 娘に勧められてまた頷く二人だった。
「じゃあ。あらためて」
「飲んでみるか」
 再びそのカップを手に取る。そうして飲んでみると。確かに先程よりは遥かに甘くそのうえ穏やかな味になっていた。かなり飲み易くなっていたのだった。
「ああ、これだとな」
「飲めるよな」
「全くだ」
「まあそれでも変な味だけれどな」
 こう言い合う二人であった。
「けれど。いいか」
「こうなったら乗りかかった舟だ」
「おうよ」
 威勢を取り戻して言い合う二人であった。既にそれぞれのその手には珈琲が注がれたカップがある。それを再び飲もうとしていた。
「飲むぜ」
「わかったぜ」
 こうしてまた飲んでみる。今度は最後まで飲んだ。飲み終えてみると不思議と気持ち悪いといった感じは一切ないのであった。
「どうでしたか?」
「ああ、飲んだ後での感想か」
「それだよな」
「はい、そうです」
 二人に対して答える娘であった。
「飲み終えてみて。如何だったでしょうか」
「如何も何もねえよ」
「全くだ」76
 まずは不機嫌そのものの顔になって言葉を返した二人であった。
「とんでもねえ飲み物だぜ」
「っていうか西洋人はこんなのを飲んでるのかよ」
「はい、そうです」
 罵倒に近い言葉を聞いても穏やかな顔のままの娘であった。
「これを。いつも」
「こんなのをいつも飲んでるなんてよ」
「西洋人の舌おかしいだろ」
 顔を見合わせて言うのであった。
「この味はよ」
「そうそう飲めるかよ」
「皆さんそう仰います」
 娘はまた二人の言葉を軽く受け流した。まさに幾ら言われても、立て板に水といった感じで二人の言葉を聞き流しているようにも見えた。
「ですが」
「ですが?」
「何なんだよ。そっからよ」
「いえ、何でもありません」
 娘の笑顔はさながらどんな時にでも笑みを絶やさない商人の娘そのものであった。だが何かを言いたそうにしているのは二人にもわかった。
「またどうしても気になるねえ」
「狐につままれた気分だぜ」
 実際に互いの頬をそれぞれの手でつまんでみる二人だった。しかしそれをしてみてもやはり目は覚めないのであった、それも当然であったが。
「痛いしよお」
「夢じゃねえか」
「ではまたおお来しを」
「ああ、安心しな」
「それはねえからな」
 それぞれの口で答えた二人だった。
 
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