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牡丹

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4部分:第四章


第四章

「顔を上げられよ。王充殿程の方が泣かれてはなりませぬ」
「有り難き御言葉」
「とにかく話はわかり申した」
 彼は言う。
「後はそれがしでかたをつける。では」
 そう言って王充の前から姿を消した。王充は踵を返す彼を見てまた想うのであった。
「これでよいのだな、貂蝉」
 しかし彼女はここにはいない。彼は全てを投げ出して働く娘のことを想いまた涙を流した。それはもうどうしようもなかった。
 
 呂布は董卓の宮殿に向かった。それは都長安から離れた場所にあった。彼はそこに自慢の赤兎馬を飛ばして向かったのである。
 彼は宮殿に着くと出迎えの兵を無視しそのまま宮殿の中に入った。それに驚いた董卓の従者達が慌てて彼を呼び止める。
「将軍、お待ち下さい」
「ここからは」
「黙れ!」
 しかし呂布は大きな声で彼等を一喝した。金や銀で細工されみらびやかというよりはゴテゴテした感じの落ち着かない宮殿の中に彼の声が木霊した。
「わしは太師の子であるぞ。何か用か」
「い、いえ」
「それは」
 呂布の恐ろしさはよく知られている。彼等はその殺気立つ目を見て縮こまってしまい何も言えなくなってしまったのだ。
「ないであろう。ではな」
 そのまま彼等を置いて奥へ向かう。暫くすると彼の前に彼女の姿が見えた。
「貂蝉」
 呂布は彼の姿を認めて声をあげる。
「そこにいたのか、探したぞ」
「将軍・・・・・・」
 貂蝉もまた彼を見ていた。しかしすぐにその目に涙が滲んでいく。
「申し訳ありません、私は」
「いいのだ」
 彼女の側に寄って抱き締める。そのうえで優しい声をかけた。
「そなたに罪はない。罪があるのだ」
「貂蝉、何処じゃ」
 ここで宮殿の奥から董卓の声が聞こえてきた。
「何処におるのじゃ?」
 そして彼の姿が見えた。彼もまた呂布を見ていた。その激しい視線がぶつかり合った。
「呂布、貴様」
 董卓は貂蝉を抱く彼を見て怒りを込めた声をあげてきた。
「自分が今何をしているのかわかっておるのか」
「それはこちらの言葉です」
 睨み付ける董卓に呂布も負けていない。きっとして睨み返す。
「貂蝉は私の妻になる女です」
「馬鹿を言えっ」
 普段の董卓ではなかった。貂蝉を見る目はあの女をただのものとしか見ない傲岸不遜な董卓ではなかった。熱い目で彼女を見ていたのだ。
「貂蝉はわしのものじゃ」
「いえ」
 二人は睨み合う。呂布も董卓も互いに引かない。
「御無体なことを仰られては困ります」
「引かぬというのか」
「左様です」
「ならば・・・・・・よいのだな」
 董卓は短気なことで知られている。しかもここは彼の宮殿の中だ。その彼が剣を抜くのは自然だった。しかし彼はここで大きな間違いを犯していた。
 呂布は彼の養子である。宮殿の中への立ち入りも許されているし帯剣も認められている。彼は今は剣こそ抜いてはいないがその腰には剣があった。
 いざという時はそれを抜くつもりであった。しかし今は貂蝉を抱いて董卓を睨み据えるだけであった。銀の火花が二人の間に散る。
 しかしそこで李儒がやって来た。彼は慌てて二人の間に入ってきた。
「待たれよ、待たれよ!」
 そう叫んで間に入る。彼も娘婿であり董卓の腹心であったのでそれが幸いしたのだ。慌てて両者の中に入って互いを制止する。
「太師も将軍も落ち着かれよ」
「李儒か」
「はい。将軍」
 董卓に応えた後で呂布に慌てて顔を向ける。
「今は下がられよ」
「しかし李儒殿」
「話は後で聞き申す。だから」
「わかった」
 李儒の言葉を聞き入れた。貂蝉から離れ大人しく引き下がるのであった。
「待てっ」
「お待ち下さい」
 董卓はまだ呂布を追おうとする。しかし李儒は彼の前に立ちはだかり通そうとはしない。小さな身体を必死に伸ばして董卓の巨体を遮る。
「太師、ここは御自重を」
「何故わしがそのようなことをせねばならぬかっ」
「まずは落ち着いて下さい」
 彼はそれでも言う。
「宜しいですね」
「・・・・・・あくまでどかぬのだな」
「はい」
 毅然として返す。その強い決意の目を見て董卓も立ち止まることにした。そのうえで大きく息を吐き出してから彼に声をかけた。
「済まぬな。鎮まった」
「ええ。それではですね」
 申し訳なさそうに微笑む彼に対してさらに言う。
「お話を御聞きしましょう。どうされたのですか?」
「うむ。それじゃがな」
 ここでちらりと貂蝉を見る。それから彼女に述べる。
「そなたは下がっておれ。よいな」
「畏まりました」
 貂蝉はその言葉を受けて引き下がる。董卓はそれを見届けてから李儒に顔を戻して言うのであった。
「場所を変えるぞ。ここでは何じゃ」
「ええ。それでしたら」
 李儒はそれに応える。彼等は場所を替え宮殿の隅に二人座って話をするのであった。
 そこは董卓の部屋の一つであった。他のゴテゴテとした目立つ部屋に比べてこの部屋は質素で何もない。まるで彼が生まれ育った北の大地のようである。そこで席につき李儒と向かい合って話をしたのであった。
 董卓は不機嫌な様子で呂布が貂蝉に抱きついていたことを語る。あげくには処刑さえ言い出していた。
 しかし李儒はそれを黙って聞いている。一通り聞いた後で口を開くのであった。
「よいではありませんか」
 李儒は董卓にそう述べてきた。
「よいと申すか」
「太師」
 彼は言う。
「確かに美女はいいものです。しかし私はより素晴らしい美女を一人知っております」
「それは誰じゃ?」
「天下です」
 李儒は静かにこう述べてきた。
「天下か」
「そうです。太師の望みは何ですかな?」
「天下に覇を唱えること」
 その目に相応しい望みであった。彼は野心そのものであった。栄耀栄華も美女もそれへの添え物に過ぎない。彼は野心そのものといっていい男であったのだ。
「それがまず第一じゃ」
「左様ですな。ではあの美女は将軍にお渡しすればよいのです」
「貂蝉をか」
「何を今更」
 李儒はそう董卓に返す。
「かつて将軍を養子にされた時のことを思い出して下さい」
 かつて呂布は丁原の養子であった。丁原は董卓と敵対していたのだが養子である呂布が董卓に寝返り、彼により殺されている。この時董卓は彼に贈り物として愛馬赤兎馬と財宝を贈っているのである。
「そして今度は美女を。それだけです」
「それだけと申すか」
「その通りです」
 彼は毅然として述べる。
「ですからこの度もです。将軍あってこそです」
 呂布の天下に轟く武勇。それこそが董卓の最大の切り札であった。彼は呂布あっての権勢なのである。
「ですから」
「天下の為にか」
「そうです」
 また述べる。
「御決断を」
「わかった」
 董卓は苦い顔をしながらもそれに答えた。
「ではそのようにしよう。それでいいのじゃな」
「はい」
 李儒はすぐに頭を垂れてきた。
「その通りです。よくぞ決断して下さいました」
「では呂布に伝えよ」
 彼は言う。
「貂蝉をやるとな」
「わかりました」
 李儒はその言葉に勢いよく頭を垂れる。そうして宮殿を後にする。
 彼はこの時あまりにも喜んでいたので気付かなかった。部屋を覗き見る一人の女がいたことに。彼女はすぐに動いたのであった。
 董卓は李儒と別れた後で寝室に入っていた。ベッドの上でくつろいでいるとそこに貂蝉がやって来た。
「太師」
「おお貂蝉いいところに来た」
 董卓は彼女に顔を向けて言う。
「実はのう、そなたを」
「私を」
 彼が何を言うのかはわかっていた。ここは芝居に出ることにした。

 
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