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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第119話 有希

 
前書き
 第119話を更新します。

 尚、次回更新は、
 7月8日。『蒼き夢の果てに』第120話。
 タイトルは、『決着』です。 

 
 最後の打者……九組の五番打者が打ち上げたセンターフライをさつきが簡単に処理。
 そのシーンを最後まで見届けた後、ゆっくりとマウンドを降りる俺。

 その向かう先に待つ……この年頃としては、かなり頼りない華奢な身体に捕手として必要な重装備を纏った少女。冬の弱い陽光が彼女の白い肌、そして銀のフレームの上で少し跳ねた。
 清楚、淡麗、繊細。彼女を指し示す言葉の中に華やかさはない。しかし、僅かな緩みも、そして隙もない整った容姿は神秘的、と言っても過言ではないであろう。

 そう、まるで名工の手に因る人形のような、生身の人間が持つべき俗臭を一切、感じる事のない少女で有った。

 しかし、その瞬間に感じる。現在の彼女がかなりテンパって居ると言う事実が。
 表情からは何も感じさせる事はない。ただただ、其処に有り続けているだけ。その場のオプションとして認識されて居て、おそらく多くの人間が彼女を一個の人間として認識してはいないだろう、と言う存在。
 本来の彼女の任務。彼女がこの世界に生まれて来た理由から判断するのなら、無暗矢鱈と他者に印象を残すのは、彼女の任務に支障を来たす恐れが有るのでそれは当然の事。

 しかし――

「長門さん、すまんけど包帯を巻き直してくれるか」

 打順が回って来るまでにお願い出来たら有り難い。
 少しずれた包帯を指差しながら、彼女が何か言い掛ける前……機先を制する為に話し掛ける俺。
 もういい加減、こんな役に立って居ない代物(ほうたい)は外しても良いような気がしないでもないのですが、未だチームのキャプテンのお許しが出ないのでイニング間のインターバル毎に有希に巻き直して貰っている状態。
 もっとも、最初に包帯を巻いたのは言い出しっぺのハルヒでしたが……。

「ごめんなさい」

 俺の軽口に答えを返す事もなく、真っ直ぐに俺の瞳を見つめた状態で謝罪の言葉を口にする有希。
 普段ならば、俺が何か話し掛ければ、先にそちらの答えを優先させる彼女なのですが、自らの話したい内容の方を優先させた、と言う事は……。
 どちらにしても俺が話しを逸らそうとした企みは無視されたのだけは確実、ですか。

 それに、彼女が謝る必要はない。あれは……。

「俺の投げた球に力がなかった。だから打たれただけ」
【運命神が読んだ未来と違う未来がねつ造されただけ。有希が悪い訳ではない】

 口から出た言葉と本当の【言葉】。
 そう、自称ランディに投じた最後の球。外角のストライクゾーンから、更に外側のボールゾーンへと落ちて行くシンカーは、最初、間違いなくヤツの黒のバットに空を切らせたはずでした。
 しかし、刹那の時間。おそらく、アガレスの能力を発動させ自らの時間を自在に操っていた俺と有希以外には感じる事の出来ない短い間にバットを戻し、再び振り抜いたバットが今度は俺の投じたシンカーを完全に捉えて――

 打球はレフトの頭上を遙かに超えて行った。

 これは、おそらく一度起きて仕舞った事象を無理矢理に歪めて、自らの都合の良い歴史に書き換えた行為。ただ、俺や有希、その他の人物に直接関わる歴史を弄った訳ではなく、投げられたボール自体の未来を書き換えた行為だと思うのですが……。
 確かに何を考えて居るのか分からない相手ですが、ヤツ……特に自称ランディに対応すると思われる邪神は、そんなあっさりと勝負が着くゲームは好みではないでしょう。それに、俺や有希、まして綾乃さんまで巻き込んだ運命を簡単に弄られるとも思えません。それよりは、ボールが打ち返されなかった未来から、打ち返された未来に書き換える事の方が楽ですし、短期的な未来は同じような状況をもたらせる事が可能となるはずです。

 つまり、現状ではかなり不利になったのは事実ですが、それでも結末が決まっているとは限らないと言う事。
 彼女……長門有希と言う名前の少女が、責任感が強い人間である事は理解して居ますが、あまり内向きに過去の失敗を悔やみ、自分を責め続けても意味は有りません。
 確かに責任感が皆無で、過去の失敗から何も学ばないとか、他人にすべてを転嫁して自分はまったく悪くない、と開き直る人間は論外ですが、彼女のように失敗を悔やみ続ける事は停滞を生み、そこから悪い流れを作り出す可能性もゼロでは有りませんから。

「取り敢えず、未だ四回攻撃出来る。この回に一点でも余計に返す事を考えようや」

 一歩分、余計に有希へと近付き、彼女の頭を軽くポンポンと叩く俺。彼女の髪の毛は俺の良く知っている()の蒼い髪の毛に比べると多少硬く、それにくせ毛。
 ただ、触り心地は良く、ふたりの間の些細な差など気にはならない。
 僅かな上目使いで俺を見つめる有希。しかし……これは少し洒落にならないか。

 あまりにも周囲を無視したバカップルぶりを晒す訳にも行かない。まして、有希が俺の相棒だと言う事を知っている人間はいない。
 答えに窮する代わりに、彼女に笑い掛けて彼女の視線に応える俺。
 大丈夫。未だ試合が決まった訳ではない。

「何を二人だけで話し込んで居るのよ」

 微妙な雰囲気を醸し出し掛けた俺と有希。その雰囲気を嫌った……のでしょうか。六回の裏の最初の打者。ウチのチームの一番打者が近付いて来る。
 ただ、何にしてもタイミングとしては悪くない。

「この回に一点でも余分に返す。バッテリー兼三番、四番が話して居たんや」

 未だ試合を諦めた訳ではないから。視線をベンチから俺たちの方に近付いて来るハルヒに移し、そう言葉を締め括る俺。
 現在は八対十五。得点は七点差。残された攻撃は後四回。三番の自称ランディに打たれた満塁弾は六組の息の根を止めたに等しい一打だった。
 正直に言うと、もう少し早い段階であの審判団にはお引き取り願うべきだった。満塁の場面であの二人の内のどちらかに打順を回した段階で俺の負けは確定していたと、今に成って見れば思う。

 但し、これは――今行われているのは野球の試合。投手としての俺が負けても、それイコール、ウチのチームの負けと言う訳ではない。まして、所詮は一打席の勝負。前の打席では見事に三振に斬って取っている。
 個人の勝負にしても未だ一勝一敗。未だ負けた訳ではない。

 俺の答えに、何、ツマラナイ事を言っているのよ、コイツは。そう言う視線で俺を見つめるハルヒ。但し、残念ながら俺にサドっ気はないので、冷たい瞳で見つめられたとしても嬉しくはない。

「さぁ、点を取られたこの回、返して行くわよ!」


☆★☆★☆


 ……などと言う具合に始まった六回の裏の攻撃。
 ……だったのですが。

 先頭のハルヒ、そして続く朝倉さんのふたりは連続三振。勝負に拘りを見せつつある自称リチャードくんが本気になれば――魔術の類を行使すれば、本格的な術の修練を積んで居ない二人では如何ともし難いでしょう。
 もっとも、この二人が魔法に関わる事を良としない勢力も存在するはずですから……。

 そして、俺は相変わらずキャッチャーが座ったままの敬遠。
 ツーアウト一塁。打席には……。

「やれやれ。またお前か」

 かなり疲れたような口調で右打席に入った有希に対して話し掛ける、マウンド上の自称リチャードくん。いや、普通の人間ならばここまでで八点も取られた投手ならば疲れていないはずはない。
 まして、打者としても四回打席に立って三回出塁。内二回はベースを一周して本塁へと生還して来ているのですから。

 但し、それは普通の人間ならば、の御話。コイツは、俺から見るとその気配を、真っ当な生命体だと感じさせる事のない存在。そんな相手がこの程度の投球を行っただけで疲れなど感じるはずはない。

 その様な、自称リチャードくんの挑発が聞こえて居るはずなのですが、一切、反応する事もなく、右打席でバットを担いだままで棒立ちと成って居る有希。
 魔に対する態度としてなら、これは正解。いちいち魔が囁く甘言に対して反応していては、何時かはヤツラの術中にはまる事となる。
 心の動きが表面に現れやすい俺は、未だ修行不足だと言う事。

「成るほど、完全無視か」

 セットポジションからの素早い投球フォーム。ほとんど足を上げず、テイクバックも小さい。間違いなくランナーの俺を意識してのクイックモーション。

「ストライック!」

 まったく打つ気も見せずに初球を見送る有希。見た目から言うと何の変哲もない直球が外角高めに決まる。
 但し、勝負を掛けて来た時の自称リチャードくんは、自らと相手のバッターを自らの作り出した異空間で包み込む事が出来るようなので、外から見ている俺と、打者として立って居る有希とでは感じている物が違う可能性は大きいのですが。

「お前、未だ人間の振りをしていたいのか?」

 神経を逆なでするような声で淡々と。しかも、疲れ切った者の声で続けるマウンド上の自称リチャードくん。
 弱い……とは言え、良く晴れた午後の陽光が降り注ぐ校庭。冷たい……とは言え、六甲から吹きつける風は自然の気を運び来る、ここは何の変哲もない普通の世界。

 しかし、何故かその世界の中心に色彩、と言う物が消失した空間が広がる。

「人形が人間に成る。滑稽だな、こりゃ」

 俺たちの操り人形だった癖に。
 ゆっくりと振り被る自称リチャードくん。今度はランナーとしての俺の存在も無視。

 しかし、俺は動かず。これは当然、動けない訳ではない。まして体力を温存している訳でもない。
 ただ、何となく盗塁する気が起きないだけ。ヤツ……自称リチャードの背後から有希を見つめるのは問題がある。何故かそう感じる。

 有希の視線は投手の方向から変えられる事はない。その瞳は普段通り――
 そう考え掛け、しかし直ぐ、その中の違和感に気付く俺。確かに普段の彼女の瞳は、それほど感情を表現する瞳ではない。しかし、僅かな揺れ。微かな光によって、その時の彼女の気分を感じさせる瞳であるのは間違いない。
 そう、それはおそらく微かな感情の起伏さえも伝えて来る霊道からの情報を、細かく、かつリアルに得る事が出来る俺だけの能力。

 しかし、今の彼女の瞳は――
 殺気は感じられない。敵意……もないと思う。おそらく、自称リチャードの事……出方を窺っている、と言う訳でもない。
 それは非常に無機質な……人形の瞳。人の形に似せて作った偽物の瞳。

「ストライック、ツー!」

 俺自身、一度も見た事のない有希の表情に驚いた瞬間、キャッチャーのミットに納まる直球。コースは真ん中辺り。球速も並み。
 どう考えても、有希が簡単に見逃す球ではない。

「なぁ、長門」

 間を置かずキャッチャーより返されるボール。その、妙に白い硬式球を受け取り、

「人間と人形。存在自体が違うこの異種の間で、恋愛が成立すると本気で思って居るのか?」

 本当のお前を知らないアイツとの間で。
 虚無……。いや、違う。今のヤツに、本当に何も存在していない訳ではない。ただひとつ――悪意と言う部分のみが存在するが故に、世界を内包した完全な何か()に成り切れなかった邪神が囁く。

「本当のお前を。何処から来たのか。今まで、何をして来たのか。何をしなかったのか」

 そして今、何をしているのかを知らないアイツとの間で。
 キャッチャーから出されるサインを覗き込んで居る自称リチャードくんに、そんな台詞を発している様子はない。口は嫌味な形で歪み、瞳も少し眠そうに感じる程度。

 しかし――

「人形は人形らしく命じられた事だけをやって居たら良い。そうじゃないのか、ええ、長門さんよ!」

 強い断定口調。しかし、何故か陰々滅々と響く声。

「有希――」

 しかし、これ以上、このクダラナイ精神汚染を続けさせる訳には行かない。何故、この異様な空間に俺を取り込んだのか、その理由は分からない。
 ……が、しかし、それでも――

 その時、俺の呼び掛けに一番驚いたのは誰であったのだろうか。一塁側のベンチに座るSOS団のメンバーたちで有ったのだろうか。それとも、冷たい風が吹く中、更に圧倒的に不利な状況の試合を、それでも応援し続けてくれているクラスメイトたちで有っただろうか。
 それとも――

「俺が求めて居る相手を知らないオマエではないはずやな」

 多くの人間が集まっている場で呼ばれた名前に、驚きの視線を向けて来る彼女。彼女の名前には、俺の真名が含まれている。故に、俺が彼女の名前を呼ぶ時、其処には必ず龍気が混じり、世界に何らかの影響を与える。
 ただ、そうで有るが故に、俺は彼女の名前を人前で無暗に呼ぶ事が出来ない。
 本来ならば――

「ずっと俺の相棒を務めて来たオマエならば」

 俺が求めている相手。それは黙って見つめ合う相手などではない。互いの過去――傷をなめ合う相手でもない。
 確かに彼女の過去に興味がない訳ではない。但し、其処には何もない事も判って居る。

 彼女が誕生したのは一九九九年七月七日の夜。この世界の涼宮ハルヒと言う少女と、異世界から訪れた名付けざられし者との接触によって誕生した高次元意識体。情報統合思念体が情報を収集する為に作成した人工生命体。
 それが彼女、長門有希。
 そして、彼女の意識――心や記憶の部分は二〇〇二年七月七日の夜から、彼女が誕生した一九九九年七月七日の夜へと時間旅行を繰り返し、誕生直後の頭脳へと記憶を書き込み続けられた。

 しかし、それは全て欺瞞。そもそも、銀河誕生と共に発生した、と自称していた情報統合思念体自身がハルヒと名付けざられし者との接触により発生した存在。まして、その際に発生した名称不詳の人物。有希の記憶と称していた本の栞を持って一九九九年七月七日の夜にこの世界に訪れたキョンと呼称されていた本名不詳の存在も、『情報爆発』と彼、彼女らが呼ぶ事件が起こらなかったこの世界から消えた以上、その人物も同じように一九九九年七月七日の夜に、この世界に突如出現した異世界からの侵略者だと考える方が妥当。
 そんな怪しげな存在が持って来た『有希の記憶』など悪意の産物である可能性の方が高く、信用に値する物ではない。

 そんなクダラナイ物に何時までも振り回されてどうする。まして、俺の過去を紐解けば、彼女に知られたくない過去など山のように出て来る。

 セットポジションから投げ込まれる三球目。足を上げた瞬間、ヤツの周囲に得体の知れない何かが発生。
 それはまるで黒い霧。何も無かったはずの空間に行き成り発生した黒い霧の如きモノ。それは正に魔法……あらゆる物理現象を嘲笑う行為であった。
 その黒き何か。ただただ黒き霧の如く自称リチャードを包み隠すだけの存在であった何かが次の瞬間、有希に向かって一直線に奔り始めた。その間に存在する、すべての小さき精霊たちを食い散らかし、自らの呪力へと変えながら。

 しかし、その瞬間、別の何かも変わった。
 そう、有希の弛緩していた小さな身体に精気が復活したのだ。短い、そして毛先の整っていないボブカットが微かに揺れたのは、俺に対して小さく首肯いてくれた証。

 僅かな時間。一秒を何等分にも分割した刹那の時間の後、十八メートルの距離をひた走り、終に黒い何かが有希を取り囲む。
 そして、周囲の精霊もろとも有希を呑み込んで仕舞ったのだ!
 一瞬、俺の視界からは完全に黒き霧に覆われ、姿を消して仕舞う有希。

 しかし――

 しかし、それがどうした。術に耐性のない一般人ならいざ知らず、今の有希がその程度の物でどうこう出来るとも思えない。
 俺の中から何かが猛烈な勢いで何処かに流れて行くのが分かる。高い所から低い所へと自然と流れて行くように、霊道を通じて有希へと流れて行く龍気。
 黒き何か……それはおそらく悪意。それ自体に有希をどうこう出来るほどの力はない。しかし、それは全ての悪しき物の始まり。長く晒され、触れ続けて居れば間違いなく何らかの不都合が生じて来る危険な代物。

 刹那、それまで無限の増殖を続けるかに思えた黒き霧の内部から、何かが発生した。
 それは、有希が発生させた不可視の壁。闇が支配する領域を押し返し、徐々に己が領域を拡大して行く不可視の壁。
 闇と無色透明の壁が拮抗する点で淡い七色の光輝が発生する。それは、有希の術により活性化した精霊の輝き。

 そして――

 黒い霧の向こう側から飛び出して来た白球。
 それまでの打席と同じように、ただ担がれているだけで有ったバットがゆっくりと振り抜かれ――


☆★☆★☆


 十対十五。
 その後、まるで気落ちしたかのような自称リチャードくんを相手に、五番万結、六番さつきが連打でツーアウト一塁・二塁と攻め立てたのですが、弓月さんが九組サードの好守に阻まれて凡退。結局、六回裏の攻撃はこの二点で終了。

 七回の表。俺は九組の六・七・八番をあっさりと三者凡退に。審判が真面に判定してくれるのなら、例え術を封じられたとしてもこの程度の相手を斬って取るのは難しい事じゃない。
 七回裏。六組も八番から始まる下位打線。ここも簡単に三者凡退で終わり、得点は十対十五、五点差のまま。

 八回の表。巡って来た九番自称リチャードくんの放ったピッチャーライナーも俺の守備を崩す事は出来ずワンナウト。その後、一番、二番共に凡退で終わる。
 八回の裏。
 先頭の朝倉さんはセンターの好捕に阻まれ、ワンナウト。おそらく、自称リチャードくんの周囲に発生させている悪意が、こちらの運を低下させているのでしょう。天の時を向こうが支配している以上、これをどうにかするのは難しい。アレ――六回の裏に有希を覆い尽くそうとした黒い霧をどうにか出来るのはある程度の術者のみ。朝倉さんはおそらく超科学の申し子ですが、運と言う物は科学ではどうにも出来ませんから……。
 あの空間はおそらく、何らかの閉鎖空間。外から干渉しようにも、余りにも短い時間にのみ発生する空間で有る以上、巻き込まれていない時に外から干渉するのは難しい。

 六回の裏に有希に対して行われた精神汚染の時に俺が巻き込まれたのは、おそらく、俺と有希の関係に楔を入れる為。確かに、有希が何か俺に対して隠し事をしている可能性は有りますが、それはそれ。
 一度、信用すると決めた相手を疑うのは俺の主義に反します。まして、彼女から俺に対して流れて来る感情に悪意が混じる事がない以上、その事を追及したり、無理に聞き出そうとしたりする必要はない、と考えていますから。
 それに……。
 それに、彼女が俺に対して隠している事柄についてなら、ある程度の察しは付いているので……。

 続く俺は相変わらず勝負して貰えずの四球。ワンナウト一塁。

 そして四番の有希の初球に盗塁。これでランナーはスコアリングポジションに。
 この後――ワンストライク・ツーボールの後の四球目を叩いた打球はライト前へ。打った瞬間にスタート切っていた俺は、三塁を回って本塁に生還。
 これで十一対十五。
 続く五番の万結はセンターの好守に阻まれツーアウト。ランナーは動けず一塁のまま。

 ここで打順は六番の相馬さつき。ここまではほぼ単打ばかり、と言っても良い内容。確かに一本、ツーベースを打ってはいますが、それは落ちたトコロが良く、その俊足を飛ばして無理矢理にツーベースとした当たり。更に言うと打点も稼いではいません。が、それでも四打数四安打。もしかすると術者としての格は、彼女の方が俺よりも高いのかも知れない、と感じさせる成績。
 ここも初球。真ん中高めから外角に流れて行くカーブを綺麗に捉えた打球は左中間に。
 ファーストランナーの有希は、走っている姿からは高速で走っているようには感じないのですが、実際はかなりの速度。正確なタイムを計って居る訳ではないので確かな事は言えないけど、それでも塁間を三秒台と言うプロ野球でも俊足と言われる選手たちでさえ追い付けないであろう、と言う速力で一塁から一気に二塁、三塁を回ってホームへ。

 これで十二対十五。終に三点差。
 但し、有希の足が常識的な俊足と言うレベルで納まらなかった事がコチラの不利に働いた。ホームを目指す有希を刺す事を諦めた九組は、有希に続いてサードを欲張ったさつきを三塁で刺す事に主眼に置いた中継を行い……。
 結果、さつきは三遊間に挟まれて無念のタッチアウト。ただ、有希のホームインは認められた。


☆★☆★☆


 そうして、三点差で始まった九回の表。
 バッターボックスの横には、この回の先頭打者、九組の三番にして最強……最凶のバッターが軽くスイングを繰り返している。

 ここは……。

「有希――」

 素直に一塁に歩いて貰う。そう判断した俺。
 しかし――

「言って置くけど、不戦敗は許さないわよ」

 現在の状況が理解出来ているのか非常に心配な我らがチームのキャプテン様が、俺の作戦を完全否定するような命令を出して来る。
 いや、有希に呼び掛けた事により気付かれた可能性が高いですか。

 ただ……。
 少し顔を顰めながら、振り返る俺。その視線の先には――
 とても整った顔立ち。但し、所詮は未だ高校一年生であるが故に、大人の女性としての色艶を備えるにはあと数年を要するでしょう。ただ、栴檀(せんだん)は双葉より(かんば)し、と言う言葉は今現在の彼女の為にある言葉なのかも知れない、そう感じさせるに相応しい容姿を持つ少女。

「しかし、な、ハルヒ。場面は九回表。相手の先頭打者は強打の三番。ここは勝負を避けるのが定石やろうが」

 前の打席でホームランを打たれた相手。まして、因果律を歪め、瞬時に歴史を書き換えて来る相手でもある。こんなヤツに正面から当たっても砕けるのがオチ。
 それに引き替え、続く四番は途中出場の控え。五番も俺がマウンドに立ってからは、二打席凡退。その時に実際、対戦した感想から言わせて貰うと、このレベルの選手に打たれる可能性は非常に低いと言う事。
 三番を歩かせれば後は九番までの間で押さえれば良いだけ、ですから。

 しかし――
 何故か立ち上がろうとはしない有希。多分、彼女も敬遠には反対だ、と言う事だと思う。

 腕を胸の前で組みながら、それ見た事か、と言う表情で俺を見つめるハルヒ。
 そうして、

「どうせあんたの事だから、奥の手のひとつやふたつ、用意してあるのでしょう」

 この試合は決勝戦なんだから、ここで出し惜しみしても意味がないじゃないの。
 黙って立って居たら清楚で可憐。そう言う形容詞を付けても問題ないのだが、一度口を開くと憎まれ口が主。他の人に対する時のように少しイッちゃって……地底人からの毒電波を受信しているんじゃないか、と言う台詞はほとんどなし。
 まぁ、他人から見るとイッちゃっている台詞も俺相手では効果がないので、自然と憎まれ口の方がメインとなるのでしょうが。

 異世界や未来からの来訪者などは珍しい存在でも有りません。俺自身が正に未来人で異世界人である事からも、これは分かるでしょう。それに、UMAも一般的に見つかっていないだけで、現実に存在しているヤツも居ます。例えば、ツチノコなどは蛇の一種などと考えているから見つからないだけ。アレは両生類。そもそも、蛇は鳴きませんから。
 有希を作成した情報統合思念体と似たような高次元意識体との接触と言う実例さえ、水晶宮の方には残されて居ますから。……彼らは自らの事を『神の如き者』と自称していたらしいのですけどね。

「しかし、なぁ……」

 ハルヒから見ると、少し優柔不断だ、と取られかねない言葉を無意識の内に口にする俺。
 確かに彼女の推察通り、奥の手がない……と言う訳ではない。但し、それは歴史改竄を簡単に行える相手をねじ伏せられるほどの絶対的な奥の手、と言う物でもない。飽くまでも人間レベルの野球選手を抑え込める程度の奥の手。
 神を屠る事が出来る能力ではない。少なくとも普通の人間でも再現出来るかも知れない、と言う能力。

 ただ、そうかと言ってハルヒや有希の言いたい事も判る。俺は自分の勝負の勝ち負けよりもチームの勝敗を優先しようとしている。そして、ハルヒや有希は俺の個人的な勝負も重要だ、と言っている。……と言う感じですか。
 いや、双方とも俺がチームの勝敗を優先しようとしている事を、俺自身が逃げているようで嫌だ、と言う風に感じているのでしょう。

 かなり曖昧模糊とした感情ですが、今の有希が発しているのはそう言う雰囲気。明確な理由は説明出来ないけど、何となく嫌。……と言う感じ。

「女の子たちが勝負して、と言っているのだから、勝負した方が良いよ、忍くん」

 ここが思案のしどころ。勝つための策……ただ全力で投げる、だけでは抑える事は難しいので、その為の策を考えようとした瞬間、一塁側のベンチから掛けられる声。
 声の質は若い男性。今と成っては懐かしい声ですが、以前は毎日のように聞いて居た声。

「南原さん?」

 俺の代わりにショートの守備位置から名前を呼ぶ声。
 彼女の呼ぶ名前と俺の記憶の中の声の一致。その瞬間、慌てて視線を一塁側のベンチに向ける。其処……応援の女生徒たちからは少し離れた位置。五メートルほどの鉄製のフェンスの前に立つ男性。身長は確か俺より少し低いぐらいですから、百七十五センチ前後。体型は中肉と言う感じ。俺よりは多少余分に筋肉が付いて居る事は分かるけど、筋肉肉だるまと言う訳ではない。まして、無駄な贅肉が付いて居る訳でもない。
 俺と違い、妙に人を睨むような表情をする訳でもない人好きのする優しげな容貌。ただ、顔のパーツひとつひとつは非常に整っている。この青年が俺の暮らして居た世界と同じ立ち位置に存在する人物だとすると、今年の春に徳島の高校……タバサに召喚される以前に俺が通って居た高校を卒業して、今年の春から東京の大学に進学したはずの人物。

 ただ、彼と同じで東京の大学に進学したはずの天野瑞希さんが、何故か朝倉涼子の従姉役で西宮に在住している事から考えると、彼も――

「こっちの仕事は終わったから、勝負は出来ると思うよ」

 南原さん、と朝倉さんに呼ばれた男性が更に続けた。
 そう、彼の名前は南原和也(なんばらかずや)。水晶宮に所属する術者。当代の天機星を務める人物。
 天機星とは天罡星(てんこうせい)三十六星の中の第三席。水滸伝の英傑の中で言えば智多星(ちたせい)呉用(ごよう)。字は学究。道号は加亮と言う人物。まぁ、これでもか、と言うぐらい軍師として持ち上げられているのは智多で、学究で、加亮と言うトコロからも分かると思う。

 ただ、以前に暮らしていた世界では確かに俺と和也さんは顔見知りでしたが、この長門有希が暮らしていた世界では、俺と和也さんは初見の相手のはずなのですが……。

 妙に馴れ馴れしい態度に多少の違和感を覚えながらも、それでも――

「有希、勝負だ。サインを頼む」
【最後にストレート勝負を挑む組立で】

 和也さんが()()()終わったと言うのなら、俺たちの側が不利に成り続ける状態は解除されたと言う事。天の時、地の利、人の和すべてこちら側が掌握出来たのなら、負ける可能性はかなり低くなったと言う事。
 少なくともこの空間内で歴史の改竄を一瞬の内に為せるとは思えないので、野球の実力で勝負が出来るようになったはず。

【アウトロー。ストライクゾーンぎりぎりに落ちるツーシーム】

 抑揚の少ない、非常に平坦な口調。ただ現実の声に出すよりも【念話】で話す事の方が多く、更に言うと、【念話】を使用する時の方が彼女は饒舌となる。
 もっとも、この要求はかなり難しい要求。小さいとは言え、俺のツーシームは間違いなく変化球。変化しながらボールゾーンに落ちても構わない、と言うのなら思いっきり腕を振ってボールに回転を加え、変化の幅を大きく取る事も可能なのですが、ストライクゾーンぎりぎりと言う事はそれが出来ない。
 ただ、そうかと言って置きに行った変化球では単なる棒球。有希が打って来ないと判断したのなら、真ん中辺りに変化球を要求して来る。わざわざストライクゾーンぎりぎりを要求して来たと言う事は――

 自らの心の中でのみ愚痴をこぼしながら、それでも彼女の指示に従う以外の選択肢はない。素直に首肯き――
 初球はあっさり見逃してワンストライク。
 二球目インコースにボールのカーブ。これでワンエンドワン。

 この感覚でツー・スリーまで持って来る。その間、自称ランディくんは一度もバットを振って来る事はなし。今までもあまりバットを振って来ないバッターだったので、この状況は然して異常な状況とは言えない。
 但し、故にこの場に俺たちに有利な陣が敷かれた事が、ヤツの能力にどの程度の影響を与えて居るかが分からないのが不安材料なのですが……。

【勝負球はストレート】

 有希からの【念話】は最初に頼んだ通りの配球。
 背中から吹きつける冷たいはずの風が何故か非常に心地良い。

「追い風か。こんなトコロまで俺の方が有利に働くのやな」

 頭に巻いた包帯が風に(なび)く。事、ここに至ってようやく、ハルヒの意図した絵が出来上がったと言う事か。

「ようやく本気になったようですね」

 真っ直ぐに俺を見つめた後に、何か寝惚けた事を言い出す自称ランディくん。そう、それは寝言。何故ならば、俺は何時でも全力……の心算だから。もし、本当に戦いの際の俺がチャランポランに見えたのなら、それは俺が醸し出している雰囲気に騙されて居るか――
 もしくは俺自身が未だ完成されていないが故に、全力が安定していないだけ。

 バッターボックス内のニヤケ男が何を言おうと無視。一瞬、ハルヒに視線を向け、
 大きく振り被る。胸を張り、一度、左脚に体重を乗せ――
 そこから右脚をプレートへ。ゆっくりと体重を右脚に移しながら身体の向きをホームベースから三塁へと。

 ここまでは普段通りの投球フォーム。
 そしてここからが違う。

 左脚を大きく上げ、右脚に完全に体重が乗った後、上半身を完全に折り曲げる。グローブでバランスを取りながら、右腕は頭よりも高い位置にテイクバックを取る。
 重心は普段のオーバースローで投げる時に比べて、更に低い位置に。
 普段よりもかなりゆっくり目に左脚を前へ。ほとんど二段モーションだと言われかねないぐらいしっかりと右脚に乗せた体重も合わせて前へと掛けて行く。腕は出来るだけ低い位置……手に土が着いても不思議ではない位置から強くしならせるように。

 そう、これはアンダースロー。
 普段よりもスナップを効かせ、長い手足を存分に使った投法。

 リリースされたタイミングは、オーバースローで投げられた時よりも一拍分以上遅く、しかし、球速に関しては今日、投げたストレートの中では最速!
 しっかりとした大きなフォロースルー。

 地を這うような高さから投じられたストレートはまるで浮き上がるかのように、一切の威力を減ずる事なく中腰に構えた有希のミットに!

 そう、俺のストレートの特徴は初速と終速の差が極めて少ない事。故に、バッターは差し込まれる事を嫌い、早い段階でストレートか、それとも変化球かの見極めを要求され、結果、予測が外れて凡打に終わる事の多い球質を持つ。
 そして、アンダースローと言う投球フォームは一番、ボールが重力の法則に従い落ちる事のない投球フォーム。
 通常、オーバースローから投じられた球が低めのギリギリいっぱいを狙えば、その落差は一メートル以上。逆に、アンダースローから低めいっぱいを狙うと落差は最大でも四十センチ程度。

 つまり、何が言いたいかと言うと――

 それまで一切、動く事のなかった自称リチャードの黒いバットが空を切った風切り音がマウンド上の俺の耳にまで届く。そのバットが空を切った位置と、俺のボールの通過した位置の差は十センチ以上。
 そして、そのまま浮かび上がるかのように更に高い位置で有希の構えたミットに吸い込まれる白球。

 ミットを叩く乾いた音。そして、一塁側の応援団の上げた黄色い声援。
 そうして――

 
 

 
後書き
 ソフトボールに於けるライジングボールを野球で投げられる可能性があるのはアンダースローだけだと思いますね。
 ジャイロボールが浮き上がるとか、某投手が投げる火の玉ストレートは浮かび上がるとか言われますけれど、そんなのは嘘。物理的にあり得ない。
 もっとも、現実の投手が今作の主人公やハルヒのように風の精霊を支配下に置いて、現実にはあり得ないぐらいに揚力を発生させたならば、その範疇には収まりませんが。

 それでは次回タイトルは、『決着』です。
 
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