恋姫†袁紹♂伝
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閑話―大計略の舞台裏―
漢王朝の腐敗により起きる黄巾の乱、全盛期には五十万にも及ぶ大軍勢となるがその大部分が元農民達で構成されていた。
これに対し袁紹は討伐するのではなく受け入れる策を考え付き、私塾に向かう前から準備を進めていた。
とある『一件』後、改めてこの地に骨を埋める覚悟が出来た彼は、袁家の資金、人脈を駆使することで戦わずに黄巾に対処できる策を練っていた。
「目下の課題は―――資金か……」
名族袁家は大陸屈指の資産家でもある。しかし彼が考えている策を実行に移すには途方も無い資金が必要だった。
「我が当主になった時に税率を上げるか?――いや駄目だ、すでに十分な税を回収している。
これ以上の重税は民の不満が大きいだろう。大体……不義理でもある」
同じ理由で臨時徴収も却下だ。となれば――
「やはり商売……か」
税だけでも賄う事が出来るため、領地の太守で店を持つものはいない。同じ理由で袁家も手を出していなかった。
「とは言え売るものがない……」
宝物庫には数々の高級品が納められている。それを売り払えばかなりの資金になるが、代々受け継いできた物に手を出すのは憚れる。又、長期的な資金調達にならない。
千歯扱き――も駄目だ。その効果に比べ仕組みが単純な物である。すぐに複製品が出回るだろう。
「長期的に利益が見込まれ、且つ他者に真似できない物――アレしかないが」
そう言って袁紹は一つの箱に目を向ける。中身は魚醤だ――
袁家の食事は名族の名に違わず、毎日豪華な物でその味も美味である。しかしいつしか日本食――とりわけ醤油の味が恋しくなった袁紹は、それに似た味で製法が簡易な魚醤を定期的に作っていた。
そのつくり方は、まず密閉性の高い箱を用意する。その中に魚を敷き詰めて埋めるように塩で満たし、蓋をして放置する。
中の魚が液状になって来た所で、布に包み絞る。そうして出てきた液体が魚醤だ。
比較的簡易な製法、大陸全土に受け入れされそうな味、だが大きな問題があった――
塩である。先の製法にもあった通り、この魚醤は大量の塩を使わなければならない。
今の時代、塩は大変高価な調味料である。それで作られた魚醤はかなりの値段だろう。
「高級品として売り出すのは論外だ」
大陸の民達は重税で疲弊しきっている。そこに高価な魚醤が売り出されればどうなるか?
高々調味料にそこまで金を掛けられるのは、諸侯の名族や太守達であろう。
欲の塊のような彼等は食欲も旺盛に違いない。きっと大量に買い付けてくれるだろう。そしてその負担は民達にいく、
彼等はそんな太守に不満を募らせ、やがては魚醤を作り出した袁家にも反感を持つかもしれない。
「これを庶民にも手が出せる価格に、何より大陸全土に我が第二の故郷の味を広めたい」
庶民にも手が出せる値段で売り出せば、たちまち大陸全土に流行するだろう。
それにより莫大な利益が長期的に見込める。
「一番良いのは袁家で塩を生産する事だが……」
袁紹の頭に浮かぶのは揚浜式塩田と入浜式塩田による塩の製法、従来のやり方に比べ生産性を向上させるこの製法であれば塩は大量に作れる。
しかし、塩の生産と販売は国が請け負っている。許可なしに生産に乗り出せば何を言われるか、最悪反逆罪に問われるかもしれない。
いっそ密造してしまおうか? と頭をよぎりそれを振り払う。目的のためには手段を選んでいられない場面もあるだろうが、己の矜持を大きく逸脱する事、臣下達に対して後ろ暗いことには手を染める気にはなれなかった。
「そうなると他の方法としては、安く融通してもらい――そうか!!」
その時、袁紹に電流走る。何も自分達で揚浜式塩田と入浜式塩田をやる必要は無い。
国にそれらの製法を献上すれば良い。生産性が上がれば塩の値段は安くなるし、褒美として安く売ってくれるはずだ。
そこまで考え紙と筆を取り出し製法を書き連ねる。塩の製法を勝手に研究していたとしていくらか小言があるかもしれないが、その先にあるであろう利益の前では小事に過ぎない。
「……」
次々に妙案を編み出しながら書いていたが、気が付くと袁紹の手は止まっていた。
彼の心中を薄暗い靄が覆い始めていた。――もし、もっと早く今のように大陸にとって必要な何かを真剣に考えていたら? 隠す事無く未来の知識を晒してそれに対処していたら? もっと多くの人命が救えたのではないか、漢王朝の腐敗や、各地の不当な重税にも対処出来たのではないか――
『難しく考えすぎでしょ』
「っ!?」
筆を強く握り締め始めていた袁紹の中で、先日、猪々子が言っていた言葉が木霊した。
『今更それまでの事を後悔し続けても意味が無いって言うかさ』
『次はそうならないように気をつければ良いだけじゃん?』
「……そうであるな」
既に前を向いて歩き始めていたつもりだったが、未だ自分の中では後悔の念が強かった。
だが猪々子の言葉を思い出し再び筆を走らせる。ゆっくりで良い。大事なのは止めない事だ――
後日、突然礼を言い出した袁紹に対して、猪々子は目を白黒させなかせらも、料亭の高級料理を端から平らげて見せた。
………
……
…
それから時が経ち荀彧が袁家に訪れた頃、袁紹はさっそく策を聞かせていた。
「ば……馬鹿じゃないの!?」
「フハハハハハ! 馬鹿ではないな、我がそうなっては不幸になる者が多い故!!」
「……」
そう言う問題なのか、と言うツッコミは置いといて、荀彧は袁紹の策に考えを巡らせる。
漢王朝の腐敗、各地の飢饉、疫病、重税、増加する一方の賊達、このまま時が経てば生活苦から農民達は賊に身を堕とし。やがてそれを先導する者が現れ、自分達を虐げてきた漢王朝に牙を剥くために団結する。
――なるほど、理に適っている。殆どの者達には妄言にしか聞こえないかもしれない。
しかし荀家の才女である彼女には、袁紹の確信めいた言が理解できた。
――そして理解できるからこそ恐怖する。聞けば南皮で行われた政策『楽市楽座』は、大陸各地にわざと袁家の情報を流布するための物である。
袁家で専門販売されている魚醤などは、各地を訪問する行商人達に優先的に売られ、その価格も割り引かれた値段である。彼等は袁家に気を良くし、南皮の善政も相まって大陸各地で賞賛する。
荀彧がここに来るまでにも、袁家の高い評判をいくつも耳にしてきた。
行商人を利用した情報の流布、独占販売されている魚醤の利益、それら全てが数年後の策の布石だと誰が思うだろうか、又、漢王朝が力を失ってきているからと言って、そこまで大規模な反乱が起きると数年前から誰が予想出来るだろうか、
荀彧も漢王朝や周辺諸侯の腐敗については考えていた。しかし彼女が考え付いた策といえば、規律ある者が宰相となり諸侯達を取り纏めると言う。堅実で誰もが思いつくようなものであった。
しかし袁紹は違う。早々に漢王朝に見切りをつけ、まるで反乱が起きるのを『知っている』ように予想して見せ、それに対する対策を数年越しで準備している。あの漢の忠臣『袁家』の次期当主がである。
「この策は我が一人で考え付き、殆ど一人で推し進めてきたのだが……最近は限界を感じている。
お主となら、この策をさらに効率良く出来ると思うのだが……どうだ?」
荀彧の目が好奇心で輝いているのに気が付いた袁紹は、ここぞとばかりに勧誘する。
歴史稀に見る大計略、これに携わっていたとなれば史に名を残すのは確実である。
彼女も文官として、軍師として、これを見逃しはしないだろうと袁紹は考えていた。
「……」
だが彼女の中に芽生えたのは、史に名を残すと言う欲求では無かった。
ただただ目の前の男に思いを馳せる――
もはや予知に近い時代の先読み、策の準備を数年前から行える行動力、柔軟で斬新な発想、
そして今耳にした豪快で大胆な大計略――
全容を聞いたわけではないが、掻い摘んで聞いた中にも穴がいくつかあった。
しかしそれは許容の範囲内であり、むしろ一人で考え付いた割には穴も少なく完成されていた。
問題は、無駄を省きどこまで効率化できるかである。
もし彼女が、いつ頃から袁紹に魅せられていたのか聞かれれば、迷わずこの日を答えるであろう。
――そして彼女は袁家に正式に仕官した際に、この大計略の予算の算出と、全体の規模の計算、資材の確保を担当することとなった。
余りの仕事の多さに、頭から煙を出す日々がしばらく続いたが……
………
……
…
それからさらに時が経ち、風が仕官した後に策の全容を聞かせた。
「お兄さん、あの策の質問があるのですよー」
「いいだろう、何でも聞くと良い」
「ありがとです。……賊達にどうやって伝えるのですか?」
「良くぞ聞いてくれた!!」
「おぉ!?」
質問に対して食い気味で袁紹は声を張り上げた。そして、驚いて目を丸くしている風を他所に、長年考えていた策を話す。
「――看板だ。行商人達に多くの看板を持たせ、漢の勅旨を合図に各地に設置する。
いずれ、字が読める者に伝わり、そこから全体に広がるであろう!!」
「……それでは不完全ですよ」
「む?」
自信満々な袁紹に水をさすような形で言葉を出す。並みの太守であれば激怒するだろうが、この主にはそのような心配は必要ない。臣下になって日は浅いが、彼にはそう思わせる何かがあった。
「……では、代案はあるか?」
そして彼女の予想通り、袁紹は穏やかな声で問いかける。少し目じりが下がり残念そうではあるが、それもまた愛嬌というものだ。
彼のそんな表情に、思わず笑みを浮かべながら風は口を開いた。
「賊達のほとんどは農民……虐げられる事に嫌気がさした人達ですよね?」
「そうだ」
「生きるにも精一杯な彼等に、字を学べる余裕は無いですよー」
「なればこそ、多少の学がある者に読ませるために……」
「そうするには人の多い所まで看板を持って行かせるのが確実ですねー。でも字が読めない彼等はどうするでしょうか?」
「っ!?……官軍の降伏勧告か何かと思い無視するか、最悪――」
「破壊されるでしょうね~」
「……」
袁紹もこれには盲点だった。当然、農民達に字が読める者がいないのは予想出来る。
だからこそ、字が読める者に見せるために大量に設置しようとしていたが、風の言う通り破壊されてしまっては意味が無い。
黄巾に合流する移動の途中に、邪魔な荷物となる看板を持っていくとも思えなかった。
「だから看板は鉄で作るといいですよ~」
「て、鉄?」
「はい、鉄なら破壊は難しいですし。どうすると思いますか~?」
「……なるほど」
高価な鉄製であれば、生活難な彼等は持ち去ろうと考える。あとはその先で字の読める者に会えば……
「字を読める者に会わなくても、鉄を売ろうとすれば内容がわかるでしょうね~。
商人であれば大体の人が字を読めますから」
「っ!?確かに!!」
大金を使う価値があるのでは? と締めくくった風。費用を少しでも抑えるように動いている桂花が怖いが、この案は採用する事になった。
………
……
…
「どうだ桂花、南皮周辺の整地は進んでいるか?」
「はい! 完成まで大分余裕があります」
数十万を受け入れる事になるであろう準備として、彼等が住む場所を確保すべく南皮の周りは円を描くようにして整地されていた。表向きは街道の安全のためである。
数十万の農民達を受け入れるのは、いくら広大な南皮でも無理があった。そのため、彼等が新しく住める場所を作れるように土地を開発しているのである。どれほどの規模になるのか細かい数字まではわからなかったため、約五十万人分の家を建てられる土地を予め用意し。策が始動して南皮に集結した暁には彼等自身の手で家を建てさせる算段だ。
強制労働と銘打って、道具、食事、仮宿なども用意され、工事が終わった暁には給金まで用意してある。この時代においては破格の待遇であった。
後は新しく出来上がった街を城壁で取り囲む、そしてその工事も、家を建て終えた彼等の『仕事』として、生活が安定するまでの間懐を潤わせる――彼女の発案である。
「彼等自身の手で開発させれば予算を削れますし。数年後には元が取れるようになるでしょう」
余談であるが、袁紹が提案した『生活が安定するまでの間免税』は、三ヶ月から一月に削られていた。
苦労してきた難民達に厳しいのではないか? という袁紹に対し桂花は、慈悲深いのと甘やかすのは違います。と一蹴、袁紹自身が日々気をつけていた言葉を投げかけられ、彼は渋々許可を出した。
………
……
…
そして黄巾の乱、大計略が始動し南皮に農民達がやって来た。しかしその人数は風の予想通り少なく、袁紹は頭を抱えそうになったが――
「フフフ、大丈夫ですよお兄さん、風にまかせるです」
「……妙案があるのか?」
「はい~、先ずは兵士の皆さんに彼等を威圧させて下さい」
「いや、不安がっている彼等に――「麗覇様」っ!?」
いつも『お兄さん』と自分を呼んでいる風の真名呼びに驚く、彼女の瞳は袁紹を静かに捉える。
まるで自分を信用してほしいと物語るように――
「……わかった」
その様子に袁紹は折れた。彼女の要求通り兵士達には厳しく当たらせた。
やがて食事の支給が始まると、空腹なはずにも関わらず彼等は静かに列をつくり始める。
「……これが狙いか?」
「いえいえ、これはおまけみたいなものです~」
「……」
彼女の狙いがわからず首を傾げながら農民達に目を向ける。―――すると彼等から 嗚咽が漏れ始めていた。
「――これは」
「フフフ、直前の緊張や不安が大きければ大きいほど、後にやってくる感動も大きくなるですよ」
「……」
「今なら、先ほどお伝えした『要求』がしやすいとは思いませんか~?」
集まりが悪いために風が考えた対策、それはここの農民達に黄巾賊達を集めさせると言うものであった。
この地において保護されるという事実を知れば、わざわざ危険を冒してまで黄巾達を呼びに行くものは少ないかもしれない。それを防ぐために彼女は、彼等の心を感動で満たし袁家に心酔させたのだ。
「……風は太陽を支える為なら、黒い策でも編み出して実行出来るです」
「……」
「……嫌いになりましたか~?」
口調は変わっていないが彼女の肩は小刻みに震え、瞳は不安に揺れている。
「我の為に策を実行した者をどうして嫌いになれる? それに――この策は多くの人名を救える最善の一手だ。黒くなどない」
「……」
「それでも気になるというのなら――その業、我も共に背負おう! もとより、そうさせた我の業でもあるからな、フハハハハハ!!」
風の返事は聞かず。そのまま高台に向かう。最後の彼女の顔を見てはいなかったが、何故か笑顔だと確信していた。
後書き
好感度? なんのこったよ(すっ呆け)
変動……無いです!
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