静御前
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1部分:第一章
第一章
静御前
今も尚言われている。彼女のことは。
静御前のことは我が国の歴史に永遠に残っている。それは当時も同じだった。
鎌倉に彼女が送られた時だ。御家人達はその彼女を見て口々に言った。
「噂通りよの」
「そうじゃな、見事なものじゃ」
「あれだけ美しいおなごは見たことがない」
「わしもじゃ」
まずはだ。御前のその美貌について話されるのだった。
だがそれでもだ。彼等はだ。
同時にだ。こうしたことも言うのだった。
「しかしのう。不憫じゃな」
「全くじゃ。夫である義経様はな」
「今はみちのくに逃れ藤原殿に匿われておる」
「離れ離れじゃ」
「それにじゃ」
それにだった。彼等はだ。ここで声を潜ませた。
そしてだ。今度はひそひそと話すのだった。
「子がおったがじゃ」
「水の中に沈められてしまったわ」
「義経様との子がのう」
「頼朝様も惨いことを為される」
「全くじゃ」
ここは鎌倉だ。その頼朝が鎮座する場所である。だからだ。
滅多なことは言えない。それでだ。
彼等は声を曇らせる。それでひそひそと、誰にも聞かれぬ様にして話すのだった。
「源氏はこうして身内で頃し合ってばかりじゃ」
「頼朝様は前にも義仲様を倒された」
「人質の御子息まで殺されたしのう」
「娘様の許婚だったというのに」
頼朝への批判にだ。自然とそうなっていた。
そのうえでだ。彼等はだ。声をさらに潜ませて言った。
「この様なことでは源氏は何時かじゃ」
「そうじゃ。誰もいなくなってしまうぞ」
「そもそも為義様の御子息は皆死んでおられる」
「全て身内同士の殺し合いの結果じゃ」
「頼朝様も従兄弟殿や弟君を殺されようとはこれでは」
「源氏はもたぬぞ」
危惧にあえなっていた。そしてだ。
彼等のこの危惧は当たった。源氏は確かにその血を絶やしてしまったのだ。
彼等が暗鬱な顔で話す中でだ。御前はだ。
頼朝の前に出て一礼した。場所は頼朝の館だ。
その質素な武士らしい屋敷の中でだ。御前は頼朝に言った。
「御招き頂き有り難うございます」
「うむ」
厳しい顔にだ。口髭と少しばかりの短い顎鬚を生やした気品があるがかなり陰気な印象の男が御前の言葉に応える。その彼の横にいるのはだ。
髪は美しいが田舎抜けしておらず顔立ちも普通の、美しいというよりは何処か強い印象を与える女がいた。この女は北条政子、この男源頼朝の正室だ。
彼等は二人でだ。御前に言うのだった。
「よく来た」
「御疲れ様でした」
頼朝の声は重く冷たい。しかしだ。
政子の声は温かくだ。そのうえでだ。
御前を見る目も優しくだ。同情のものすらあった。その声と目でだ。
御前にだ。こう言ってきたのだ。
「ここまでの道中は大丈夫でしたか」
「はい」
礼儀正しくだ。御前も答えた。
「御護りして下さる方がおられたので」
「和田殿ですね」
「はい、あの方です」
和田義盛だというのだ。幕府に仕える重鎮だ。豪快であり謹厳な人柄で知られている・
その彼の護衛を受けてだ。道中は大丈夫だったというのだ。
そのことを聞いてだ。政子は微笑んで言った。
「それは何よりです」
「有り難うございます」
「ではゆっくりとお過ごし下さい」
政子は微笑み御前にまた告げた。
「この鎌倉は何もありませんが」
「ですがそれは」
「いいのです」
遠慮しようとする御前にだ。政子はまた優しく告げた。
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