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ロード・オブ・白御前

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踏み外した歴史編
  第2話 逃避

「――交渉決裂ってわけかい。実に残念だ、友よ」

 おどけたように見えて、凌馬の手がジャケットのポケットに入ったのを、貴虎は見逃さなかった。

「キルプロセス」

 その一言を口にすると、凌馬の手が彫像のように固まった。

「お前以外のゲネシスドライバーは、お前が持つ制御装置で故障する細工が施されている。――その様子だと、本当だったようだな」
「へえ。キミも意外と耳聡かったんだ」
「耳聡かったのは俺じゃない。角居だ」
「――なるほど」

 タワーからこのガレージに着くまでの間にメールがあった。送信者は裕也。内容は貴虎自身がさっき言ったままだ。

 ヘルヘイム抗体の産物かは確定していないが、角居裕也の聴覚は異常なまでに発達した。彼にとっては、凌馬に見咎められない位置にいながらにして秘密を盗み聞くなど、造作もないことだったのだ。

(この場で変身して凌馬と戦えば、この子たちを巻き込んでしまう。仕掛けるとしたら一瞬。凌馬の手にある注射器さえ壊せれば)

 ――この時の貴虎は、自分がどう動けば凌馬を止められるか、という点しか思考していなかった。
 つまり凌馬のほうから動く、というケースを全く考慮しなかったのだ。

 凌馬がじりじりと後退する。貴虎はじりじりと前に出る。

 先に動いたのは、凌馬だった。

 凌馬はカウンターバーの上にあったカップやコーヒーメーカーを思いきり腕を振って貴虎にぶつけたのだ。
 貴虎は反射的に身を庇う。
 その隙を突いて凌馬は貴虎の横を走り抜け、ちょうど舞の心臓の上の皮膚に、呵責なく注射器を突き刺し、中身を注入した。

「舞に何すんのよ!」
「さあて。毒林檎の呪いは解けるかな?」

 元から荒かった舞の呼吸が、さらに間隔を短くしていく。

「くぅ、う、ああ、ああああああああ!!」

 舞の全身から金色の光が放たれた。




 ――変化は劇的だった。

 髪はプラチナブロンドに。服は白い祭服に。黒かった瞳の片方は赤に。
 今の舞は、美しさを超えて、神々しくさえあった。

「何、これ……あたし、どうなっちゃったの……?」

 舞は呆然と、変貌した自身の体を見下ろしている。

「そいつは“始まりの女”になったんだよ」

 この場にいる誰でもない声に、一斉に視線が向かった。
 花のアーチの横に、ダークスーツのサガラが手摺に腕を預けて立っていた。

「始まりの女が選んだ男こそが、この世界を手にする英雄となる。黄金の果実は種族の神話になぞって与えられるべきだ。そして、始まりの女に果実を渡すのが、この俺の務め。まあ今回はロシュオに横取りされた上に、ロシュオから渡されるっていう、変則パターンだったがな」

 サガラが階段を下りてくる。

「あたし、これからどうなるの?」
「ロシュオが言っただろう? 見届けるんだよ。世界の終わりと始まりを。新しい世界が始まるためには、古い世界は一度滅びなければならない」
「いやよ! あたし、世界の滅びなんて見たくない!」

 舞は大きく(かぶり)を振り、両手で耳を塞いでしゃがみ込んだ。

「お、おい、舞っ。大丈夫かっ」

 ペコが舞の肩を掴み――目を瞠って後ずさった。

「ペコ?」
「痛みが消えた……」

 慌てたように包帯を解いた彼の皮膚には、傷らしい傷は全くと言っていいほどなかった。

「黄金の果実。其は万能の力。ロシュオが言っただろう?」

 愉快げに言うサガラとは反対に、舞は恐ろしいもののように自身の両手を見下ろした。

「……選んだら、どうなるの? あたしが誰かにこの力をあげちゃったら、それで世界は滅びるの?」
「だから、そうだって言ってるだろう。古い世界を滅ぼす以外に、お前たちに生き延びる道はない」
「――だったらあたしは、選ばない」

 舞は自身を蹲るほどきつく抱き込んだ。その舞の体から金色の微粒子が砂のように落ちていく。

「選ばない。世界を滅ぼすくらいなら、この力は誰にもあげない。あたしだけが抱えてく」
「高司く……っ」

 金色の光が閃き、貴虎たちは腕で目元を覆った。
 次に視界が晴れた時、そこに舞の姿はなかった。

「あーあー。まさか始まりの女のほうから役目放棄とは。なかなかお目にかかれない展開になったもんだ」
「なん、だ……? 舞はどこ行っちまったんだ? おい!」
「俺じゃない。彼女は彼女の意思で、自分をこの次元から弾き出したんだ。今の彼女はあらゆる時、あらゆる場所に“偏在”する存在になった。どこにでもいて、どこにもいない」
「訳分かんねえよ!」
「俺も説明しにくいんだよ。俺と同じように、いつでもどこでも何でも見てる、まあ、お前らの言葉で言うとこのカミサマみたいなもんになったってとこか」
「――あんたの言ってること、全然わかんない。でも正直どうでもいい!」

 叫んだのはチャッキーだった。

「舞が帰ってくるために、あたしたちはどうすればいいの!? あたしが知りたいのは……知りたいのは、それだけなの!」

 少女同士の友情は、無垢で純真ゆえに、強い。
 妹と関口巴の行動記録を読むにつけ、貴虎はそれを思い知った。

「なら呼んでやればいい。高司舞が“こっち側”に戻って来ようと思えるくらい、お前が必要なんだと強く訴えてやればいい。そうすればあとは高司舞の心次第だ」
「呼ぶ……」
「今回のレースは大穴だらけだからな。後はどうするか。俺はいつだって見守ってるぜ」

 サガラの姿がホログラム状になり、消えた。 
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