東方虚空伝
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第三章 [ 花 鳥 風 月 ]
五十三話 緋色の宵 後編
京の都に二度目の破壊が降り注ぐ少し前――――
虚空が向かった区画の丁度正反対の区画――――一般人が多く住んでいた場所でも倒壊した建物から炎が上がり夜の闇を紅い輝きが満たしていた。
天空に向け立ち上る黒煙、そして地上では破壊や火災とは別の脅威から逃げ惑う人々で溢れている。
瓦礫の少ない通りを必死に駆けている中年の男性が一人、その男性に手を引かれ引っ張られる様に走る年の近い女性と十二・三歳程の少女。
恐らくは親子であろうと思われる三人が前だけを見据え持てる全力で駆けている。
その三人の後方には体長が三mを優に超える新緑色の体毛を持つ狼に酷似した妖怪が迫っていた。
妖怪はすぐにでも追い付き喰らい付く事が出来るにも関わらずまるで焦らし追い立てる様に一定の距離を保ち、三人はそんな不自然さに気を回せる訳も無く只々必死に足を動かし続ける。
その様子はまるで本来の人と妖怪を表しているかのようだ。
人は妖怪に恐怖を抱き、妖怪は人を恐怖に落とす。
妖怪の方は別に存在の在り方を体現したい訳でもなく、唯三人の必死で逃げる姿に喜悦を感じているだけなのだが。
だがそんな逃走劇にも遂に幕が下りようとしていた。
人間に無尽蔵の体力がある訳も無し、永遠に動く筋力がある訳も無し――――父親に手を引かれていた少女の足がもつれ勢い良く地面に倒れ伏してしまう。
父親と母親はすぐに少女を抱き起すが――――再び走り出そうとした三人に薄暗い影が差した。
見上げた三人の目に映りこんだのは、二本足で立ちふさがる巨狼。
巨狼は居竦み逃げる事も抵抗する事も出来ない三人をまるで嘲笑うかの様にその大きな口を開け、男性の胴回りほどもありそうな腕を振り上げる。
腕の先には刃物と見間違う五本の赤い鉤爪が周囲で燃え盛る炎の光を反射し怪しい輝きを魅せた。
もう駄目だ――――三人の思考は諦めと絶望が広がり現実から逃げる様に目を伏す。
迫る絶望を直視しない事が唯一の抵抗であり、そして最後に残された唯一の自由だからであろう。
――――だが何時まで経っても三人に変化は訪れず、親子は恐る恐る閉じていた目を開いた。
するとそこには――――自分達に死を与えようとしていた巨狼が腕を振りかぶった体勢のままで胸に人の頭ほどの穴を開けていたのだ。
事態についていけない三人の目の前で巨狼はゆっくりと仰向けで倒れ、そして塵となって消えていった。
「あら?何をしているの?生きたいのなら余計な事を思考せず足を動かしなさい」
茫然とする三人の背後から透き通る様な声がかかる。振り返れば薄紫色の衣服に白衣を身に纏った女性が一人。
闇と紅い光しか存在しない空間であるにも関わらず、淡く輝いて見える三つ編みにされた長い銀髪が特徴的なその女性は小さく微笑みながら、
「早く立ちなさい、家族の手を引いて走る――――それが今あなたがするべき事でしょう?」
その言葉に男性は一言礼を言うと家族の手を引き再び走り出した。父親に手を引かれながら少女は遠のく女性に視線を向ける。
「ありがとう女神様」――――そんな少女の感謝の言葉は焼け落ちる家屋の騒音に掻き消されていった。
逃走を再開した三人の脅威は未だ去っておらず、上空から一匹の妖怪が新たな追撃者となって迫ろうとしていた。
人に近い姿をしその背には四翼の翼を持つその妖怪は、先ほどの巨狼と違いすぐにでも獲物を仕留める気でいるのか両手の爪をギラつかせ疾風の如く三人に迫る――――が突如その妖怪の進路上に透明な硝子の小瓶が飛び込んでくる。
妖怪はその小瓶を払う事もせず体当たりで破壊し、小瓶は硝子特有の高い音を立てながら砕け散ると中に入っていた粉末を撒き散らす。
それはほんの一瞬の出来事であり次の瞬間――――途轍もない閃光と空気を震わせるほどの轟音が空間を支配する。例えるならその現象はまるで落雷。
数秒も経たない内に空から黒い物体が地面へと落ちてくる。原型を留めておらず炭の塊の様なそれは先ほどの翼を持った妖怪の成れの果てであり、女性――――永琳はその塊に足を乗せると卵を潰すかのように踏み砕く。
「爆雷紛とでも名付けようかしら?ふふっ我ながら安直だわ♪」
踏み砕いた物体が塵になっていくのを眺めながら彼女はそんな風に独り言つ。
そんな彼女に向かって突如八つの影が襲い掛かった。
人型や虎、鰐のような者から不定形まで多種多様な妖怪が現れ明確な敵意と殺意を持って永琳に牙を向けてくる。
恐らく先ほどの巨狼の狩りを外野から面白半分に眺めていた者達なのであろう。その巨狼ともう一匹を呆気なく殺した永琳を脅威と感じ一斉攻撃に移るのは妥当な判断と言える。
しかし判断が妥当だとしても、それが正しいとは限らないのが世の常――――この場合彼等はこの場からすぐに逃げるべきだった。
八匹の内、四匹が爪や牙で襲い掛かるが永琳は即座に上空へと飛び上がり彼等の攻撃は空を切る。
だが空中に上がった永琳に向け虎型の妖怪がその巨躯を生かし覆い被さるように飛び掛かっていた。回避行動を取る永琳だが虎型の爪が白衣の裾を切り裂き少し体勢を崩す。
虎型の攻撃が掠めたせいで一瞬出来た永琳の隙を突き、地上に居た蛇型の妖怪が口から三発の光弾を打ち出した。
迫る光弾に永琳は慌てる事も無く、まるで弓矢を引く様な動きを取ると彼女の手元には黄金に輝く矢が一本生まれる。
その矢は即座に放たれ金色の軌跡を描きながら三発の光弾を打ち砕き、光弾を吐いた蛇型を射抜くと同時に黄金の輝きを爆発させた。光が治まった後に残っていたのは十m程の窪地のみ。
その威力に妖怪達は驚愕し“動きを止める”という愚行を犯し、永琳はその的と化した妖怪達に向け黄金の矢を三本生成すると躊躇無く撃ち放った。
鰐型は抵抗すら出来ず粉砕され、二匹いた人型はすぐさま空中へと飛び上がり回避しようとするが黄金の矢はまるで意思が有るかのように軌道を変え二匹を纏めて打ち抜いた。
不定形の妖怪は地面に潜り逃げようとしたが、その地面ごと消飛ばされるという結果になる。
僅か数瞬であっさりと形勢逆転してしまった状況に残った三匹は目の前に居る存在に恐怖を抱く。本来なら人を恐怖させるのは妖怪の在り方で在る筈が、妖怪が人に対し恐怖するという不可思議な光景を生んでいる。
居竦んでいた内の一匹、永琳に空中で襲い掛かっていた虎型が突然苦しみだし地上をのた打ち回った。暴れまわる虎型妖怪の胸には五㎝ほどの菱形をした半透明の物体が突き刺さっている。
それは永琳が持ち歩いている投擲式投薬鋲螺で、中に薬剤を入れ対象に投げ付けると先端の螺子状の針が対象に食い込み体内に薬剤を投与する道具。
人にとっては気が遠くなる程の過去に永琳が研究の合間を使って造った自称“医療機器”らしい。
とは言っても実際に医療に使われた事実は無く客観的に見て間違いなく“凶器”だ。
その凶器の餌食になった虎型は酷く苦しみのた打ち回っていたが唐突にその動きを止める、そして――――風船が割れる様に液状になって弾け飛んだ。
周囲に四散した虎型の妖怪であったモノは暫くすると薄らな煙を上げ塵になっていく。その様子を見ていた残りの二匹、人型と蟷螂型妖怪は漸く事態が最悪なものだと悟り逃走を図ろうとしたが何故か身体が全く動かなかった。
「あら?逃げてもらうと困るのよ――――折角だから他の薬も試したいの」
何時の間にか彼等の背後に回っていた永琳が小さな小瓶の中身である粉末をふり掛けながらそう告げる。
「身体が動かないのが不思議かしら?大丈夫よ、コレは唯の痺れ薬だから♪貴方達に使うのは別の薬よ」
そう言うと永琳は白衣の内側から数本の試験管を取り出し微笑んだ――――それはとても冷たい無慈悲な微笑み。
永琳が虚空と別行動を取った理由は輝夜捜索の効率化でも人命救助でも、ましてや自身の『あらゆる薬を作る程度の能力』を使って片手間で造った薬の検証実験でもない。
彼女にしてみれば勝手に居なくなった輝夜の事等どうでもよく、輝夜が不死と知っている為(不老不死にした張本人だから当たり前ではあるが)彼女の身の安全など微塵も気にしていない。
故に今回の捜索活動に対し少々遺憾の意があった。
偶然とはいえ虚空との奇跡と呼んでも差支えない再会に歓喜していた彼女はすぐにでも虚空と月に帰還するつもりだったのだ。
だが虚空の今の立場や虚空自身が輝夜の捜索を望んだ為自身も同行を申し出たのだ。
はっきり言えば永琳にとって輝夜がどうなろうが、大和がどうなろうが、京の都がどうなろうが知った事ではない。
輝夜に関すれば虚空との再会を果たした時点で利用価値は消滅している。大和に関すれば月の一研究員でしかない永琳には関係が無い。京の都に関すれば全くの無関係である。
さすがに目の前で殺されそうになっている人物を見殺しにする様な人でなしではないので道すがら人命救助はしていたが。
輝夜の一件に続き京の都での面倒事、そして何より虚空が自分に何かを隠していると言う事が彼女を不快にさせていた。地上に居た頃、虚空が自分に一度たりとも隠し事などした事が無かったからだ。
故に彼女はその不快な気分を目の前に現れた妖怪達にぶつけている。
端的に言えば永琳が虚空と別行動を取ったのは――――唯何かに八つ当たりをする為であり、その行為を虚空に見られない様にする為なのだ。
身動きの取れない妖怪二匹にゆっくりと永琳が近づいたその時、突如上空から何かが空気を裂くような騒音が響き渡り、永琳が見上げた黒天に無数の赤い輝きが地上目掛けて翔けていた。
「…………本当に面倒事ばかりね、最高に気分が悪いわ」
地上に降り注いだ流星の破壊音の中に、彼女のそんな言葉は飲み込まれていった。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
劫火の海――――その光景を言葉に表すのならまさにそれだ。
元々あった整然とした街並みは今や見る影も無く、只々建物であったモノの残骸を紅蓮の炎が死体に群がる獣の如く嘗め尽くしている。
そんな火炎と瓦礫の――――死の都と化した一角に異様なモノが存在していた。
それは銀色の塊、何重の鋼で組まれた天蓋だった。炎の光を反射しているその鋼は所々拉げ溶解しているが何かを護るように確りと大地に根差している。
そして内側から弾け飛ぶ様に鋼が四散すると、その中から右手に傲慢を持つ虚空とその傍らには地面に膝をついている妹紅の姿が現れる。
傲慢が砕け散ると同時に虚空は胸を押さえ激しく咳き込むと足元に多量の血を吐き出す。
「ゴホッ!ゴホッ!…………上半身を吹き飛ばされなかっただけでも儲けものとはいえ――――流石に痛いな」
血に濡れた口元を袖で拭いながら虚空はそう呟き、懐から百鬼丸の一撃の余波で粉々になった探知機を取り出しため息交じりに、
「……失態だよね、攫われた挙句に捜索手段まで失うなんて」
永琳ならば修理出来るだろうが直ぐには無理であろう。
輝夜の身を案じれば一刻の猶予さえ無いのだ、そんな現状に虚空の心には『この少女を助けるより無理をしてでも百鬼丸に追いすがった方が良かったのでは?』という言葉が浮かんだが、
「……おやおや、いい歳して情けないな僕は」
燃え盛る炎に照らし出される廃墟と化した街並みを、茫然と見つめる妹紅に視線を向けながら自嘲するようにそんな事を呟いていた。
結果がどうあれ選んだのは自分自身だ。気に入らない、納得できない答えを突き付けられたとしてもそれを享受しなければならない。それが“選択する責任”というものだろう。
虚空は気持ちを切り替えこの後の行動を思案する。終わった事に愚痴を言っていても事態は好転などしない、それは経験上よく知っているのだから。
周囲に視線を向けていた虚空は突然何者かに後頭部を殴打される。幸運な事に普通の人よりは頑丈な上に襲撃者が非力なだった事が幸いし深刻な傷にはならなかった。
「……痛いんだけど……僕が何かしたかい?」
殴打された場所を手で抑え振り返りながら、虚空は襲撃者である妹紅にそう問いかける。
彼女は虚空を殴りつけた瓦礫を握りしめ憎悪に近い感情を瞳に宿しながら息を荒げ、
「あなたのせいよッ!全部ッ!全部ッ!全部ッ!返してッ!返しなさいよッ!!!」
そう叫ぶと瓦礫を持った手を振り上げ虚空に向け飛び掛かってきた。余程強く握りこんでいるのか妹紅の手からは血が流れ空中に炎とは違う赤色を振りまいた。
一方の襲われる側の虚空は対処に困っていた、恐らくは錯乱しているのだろうと思ってはいるが――――正直に言えば妹紅を気遣えるほど彼に余裕が無いのだ。
説得するにしても聞く耳を持ってくれるかも怪しい為、どうあしらうか決めかねていた虚空の目の前の空間が縦に裂ける。
するとまるで星空の様な光景が広がり妹紅が驚愕の表情を浮かべながらその空間へと消えていき、何事も無かったかのように空間の裂け目は閉じる。
「……漸く見つけたかと思えば、どういう状況なのか教えてくれる?お父様?」
何時の間にか虚空の傍らに現れていた紫が小首を傾げながら虚空へと質問を投げかけてた。
「あ~~色々としか言えないって言うか……紫の方こそどうしたんだい?……それにその怪我どうしたの?」
虚空は紫の巻軸帯に吊るされた右腕を指しながらそう聞くと、紫は少し困ったような表情を浮かべ、
「言うなれば“名誉の負傷”かしら?こっちも色々あってお父様を探していたのよ。百鬼丸の居所が分かりそうなんだけど――――ちょっと問題があるの、だからすぐに郷に戻ってもらいたいのよ」
紫の言葉は現状に行き詰っていた虚空には最高の朗報だった。本当に世界の幸・不幸の天秤は平行なのだと心の中で思いながら。
「戻るのは構わないんだけど、その前に永琳と合流しないといけな「呼んだかしらお兄様?」
虚空は言葉を遮る形で現れた永琳に視線を向ける。服の所々は多少ボロボロになってはいるが怪我等はないようで胸を撫で下ろした。
「良かった怪我は無いみたいだね」
「えぇ心配してくれてありがとうお兄様」
永琳は虚空に向け笑顔でそう言うが、傍らにいる紫に向ける視線は鋭い刃の様だった。
「それでお兄様?その穢れは何なのかしら?」
「“お兄様”?一体誰なのお父様?」
紫の“お父様”と言う言葉に永琳の視線の鋭さを増す。その様子に、
「え~と……時間が惜しいから移動しながら説明するよ。紫、スキマをお願い」
虚空は少々困り顔で紫にそう頼み、紫は永琳を横目で見ながらスキマを開いた。
神が坐さぬ人の繁栄の象徴であった都は妖怪の手によって灰塵へと変わり、栄光を糧に燃え盛る焔から生まれる黒煙は大戦を告げる狼煙の様に夜空へと立ち上っていた。
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