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花姫

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4部分:第四章


第四章

 それで扉のガラスを見る。見ればそこにある自分の顔はきょとんとしたものだった。それからは親父の言葉はわかるものではなかった。
「出ていましたか」
「今は出ていないよ。けれどさっきまで出ていたよ」
「そうだったんですか」
「彼女でもできたのかな」
 親父はふとこう予想した。
「そうかな。まあそういうところかな」
「ええ、まあ」
 ここに至って隠せる博康ではなかった。恐縮したような顔になって親父の言葉に頷いたのだった。
「そうですけれど」
「いいことだよ」
「いいことですか」
「やっぱりね。人間恋をしないとね」
 親父は笑顔になって彼に話してきた。
「駄目なんだよ。相手が誰でもね」
「誰でもですか」
「わしも恋をしてきたよ」
 そして今度は自分のことを話してきた。
「実はね。これでも結構ね」
「親父さんもですか」
「うん。とはいってもうちのとは幼馴染みでね」
 まずここから話す親父だった。
「その縁で結婚してからだったかな」
「結婚してからですか」
「恋っていうのは結婚してからでもできるんだよ」
 親父は楽しそうに笑いながら話す。
「結婚した相手にね。だから」
「恋をされたんですね」
「結婚してからわかったんだよ。女房の可愛さってやつがね」
「そうだったんですか」
「いやあ、それまではあれだったよ」
 話はいよいよのろけになってきていた。親父はただただそののろけ話をする。しかし博康はその話を嫌な顔一つせずその話を聞くのだった。
「ただの口の悪い隣のあまっ子でねえ」
「それが変わってきたんですね」
「そうなんだよ。可愛いところがあるってわかってねえ」
「それまでわからなかったんですね」
「結婚してもっと近くにいるようになってからわかったんだよ」
 そういうことらしい。博康は話は聞いているがそれでも完全に理解はできなかった。むしろわからないことの方がずっと多い話だったがそれでも聞くのだった。
「まあとにかく。恋はいいものだよ」
「そうですか」
「うん、とてもいい」
 とにかくこのことを言う親父だった。
「だから学生さんもね。恋をするといいよ」
「わかりました」
 結論としてはこれだった。とにかく恋はいいということだった。だが親父に言われるまでもなく二人の仲は進み博康は遂に。あるものを少女に手渡したのだった。
「これは」
「指輪です」
 京都の街中の喫茶店に入りそこで向かい合って座りながら話をしていた。そこで彼女にそれを差し出したのである。
「ちょっと。お金を工面しまして」
「お金をですか」
「何、大したことはありません」
 少し微笑んで彼女に告げた。
「仕事をしまして」
「仕事をですか」
「ちょっと。本の代筆をしまして」
 こうした仕事は昔からある。この時代でもあった。彼はそれを請け負ったというのである。
「それで。まとまったお金が入りまして」
「それでですか」
「はい。どうかお受け取り下さい」
 こう言って再度少女に差し出す。
「この指輪。どうか」
「お受けしてもいいのですね?」
 少女は謙遜する顔で彼に問うてきた。じっとその顔を見ながら。
「私がこの指輪を」
「どうぞ」
 また微笑んで彼女に告げる博康だった。
「貴女の為に買ったのですから」
「そうだったのですか。それでも」
「はい?」
「随分。頑張られたのですね」
 彼の顔を見ての言葉であった。
「とても」
「いえ、別に」
「わかります」
 しかし少女はこう言って博康の今の言葉を否定するのだった。
「お顔に出ていますから」
「顔に」
 奇しくも店の親父と同じ言葉だった。しかし今度はその意味合いが違っていた。それは彼にもわかった。
「はい。疲れ切って」
「それは」
「代筆のお仕事でしたね」
 その彼が語った仕事である。
「それがどれだけのお金になるのかわかりませんが」
「そんなには」
「あまり。無理は為されないで下さい」
 気遣う声だった。
 
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