ONE PIECE《エピソードオブ・アンカー》
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episode12
「ジンベエさん、お頭は!?」
「重症じゃ。すぐアラディンを呼べ! 患者は2人じゃ!」
「2人?」
「アンカーが撃たれた。血が止まらん! 早く!」
ジンベエの腕の中には、胸から血を流しぐったりとするアンカーの姿があった。呼吸は荒く、油汗も酷い。
駆けつけたアラディンはどちらから治療するべきか迷った。どちらも重症で、今すぐにでも輸血を必要としていたのだ。幸いにも、海軍から奪った船には大量のストックがあったため、すぐ輸血の準備に取りかかった。
「入れるなっ!」
大声で訴えたのはタイガーだった。海軍の船にあったということは、その血液のストックは人間の物。「そんな血で生き長らえたくない!」と頑なに拒む姿に、皆、疑問を感じた。
同じ血液型のアンカーも輸血を必要としている今、人間の血に頼るしかない。しかし、タイガーはそれを強く拒絶したのだ。今までに見たことのない鬼のような形相に、全員が息を呑む。
「俺は...俺は! 奴隷だった!!」
最後の旅が長かった理由。誰にも話さなかった過去。
奴隷となって過ごした日々。天竜人という『人間』への憎悪、恐怖。
やっと逃げ出したが、他の奴隷たちを放ってはおけなかった。そして起きたのが『聖地マリージョア襲撃事件』。奇しくも、それによりタイガーは奴隷解放の英雄と呼ばれるようになったのだ。
心の優しい人間がいることも、コアラのような人間がいることも知っている。頭では理解出来ている。それでも、心の中に住み着いた“鬼”がそれの邪魔をする。
心が、体が、人間の血を拒絶するのだ。
「俺はもう......! 人間を...!! 愛せねェ......!!!」
ボロボロと涙を流し、途切れ途切れになりながらも悲痛な叫びを上げる。そして、その視線をアンカーへと向けた。
「こいつも、人間の血なんかで生き残りたくはないだろう。......俺の血を...使え......」
「そんなこと出来るわけないだろう! 分かっているのか!? それは、あんたの“死”を意味するんだぞ!!」
「ははっ......このまま死ぬよりは...いい...」
アンカーのような小さな体に必要な分の血液を失えば、タイガーは確実に死に至る。そうでなくとも死にかけているというのに、タイガーは笑っていた。最期に、仲間を救うことが出来るのが、何よりも嬉しいのだ。
アラディンは涙を流しながら、輸血の準備に移った。
タイガーの血液を、アンカーの体に移すために。
「お頭っ!! あんたが何と言おうと、解放してもらった全ての奴隷たちにとって、あんたは一生の大恩人なんだ!! 偉業を成した“魚人島の英雄”なんだよっ!!!」
血を失い過ぎて朦朧とするタイガーに告げる。ずっと言いたかった。面と向かって「ありがとう」と告げるには年を食い過ぎていて、こんな言い方しか出来ない。
それでも、皆が涙を流し、名前を呼び続けた。タイガーのその息が絶えるまで......。
アンカーがそれを知るのは数日後。意識を取り戻した時だった。
「ニュ~...。ジンベエ親ぶ...船長~。アンカーの奴が......」
「分かっておる。...また、船の底か」
「どうしましょう...」
「放っておけ。混乱しておるんじゃ。今は、そっとしておいてやるのが一番じゃ」
タイガーが死に、アーロンが捕まり、ジンベエはタイヨウの海賊団の船長となった。
意識を取り戻した時にそのことを知ったアンカーは、あまりのことに頭がついて行けず、あの時のように船の底で頭の中の整理に勤しんでいた。
アンカーの頭の中には、ずっと『何故』が付きまとった。
『何故』タイガーは死んだ?
『何故』自分は生きている?
『何故』タイガーは“死”を選んだ?
『何故』自分が生かされた?
分からない。いくら考えても、何も答えは出てこない。
「アンカー!」
「うわっ!? びっくりした...」
「海賊が襲撃して来た。手を貸してくれ。あ、殺すなよ!」
奴隷解放の英雄フィッシャー・タイガーが死んだというニュースは瞬く間に知れ渡り、近海にいる海賊たちの襲撃はしだいに多くなっていった。
中には海賊同士で手を組み、力の差を数で埋めようとする者たちもいた。今回の襲撃もそれである。
「一際でけえ魚人が2人もいなくなったんだ! 俺らにも勝機はある! 野郎共、かかれーーーっ!!」
「ウオォーッ!!!」
海賊たちの主な狙いはジンベエただ1人。
それなりに名を上げ、手配書まで出回り、この間の海軍との争いで更に金額が上がった。そんな奴を倒したという事実と、願望と、名声が欲しいだけだ。
大抵の人間なら、少し力を入れて拳を突き出すだけで事は済む。ただ、それだけで済まないからこそ厄介なのだ。まず、数が多過ぎた。
殺さないように手加減して、大勢の相手をするのは意外に骨が折れる作業なのだ。誰かが、注意を引き付けてくれたら...という考えが浮かんだのとほぼ同時に、敵の海賊たちから「ぎゃあ!」だの「ぐほぁっ」と声が上がり始めた。
「調子に乗るなよ、人間共っ!」
「ア、アンカー!」
「僕が出来るだけ注意を引き付ける。...出来るだけだからね」
「充分じゃわい」
海賊たちから、どよめきの声が上がる。
魚人に協力する人間の姿に驚いているようだった。
その隙を突いて数人を海へ投げ落とす。更に動揺した海賊たちを海へ投げ落とす。さすがに気を引き締めだした海賊たちは、それぞれの武器を、悪魔の実の能力を発動させて襲いかかる。
しかし、悪魔の実の能力はアンカーの武器の前では意味は無い。
「んなっ!? ぬ、抜けられねェ!」
「ああっ? おま、自然系だろーが! 早く抜け出せって!」
「で、出来ねぇンだよ!! てか......ち、力が...」
もがけばもがくほど、大量の海賊たちを絡め取った鎖が更に体に喰い込む。
「ジンベエ!!」
「おおっ! 魚人空手“千枚瓦正拳”!!」
一まとめになった海賊たちがもろに喰らう。自然系の能力者も、血反吐を吐き白目を剥いた。
それからは、ひたすらに海へ投げ落とす行為を繰り返した。いくら泳ぎが達者な人間がいたとしても、魚人には敵わない。
あとは、海に待機した仲間たちがどうにかするだろう。
やがて、周りから海賊たちの船は去って行った。
海に待機していた仲間たちも、しだいに甲板に戻って来る。その全員がアンカーに対して「助かった」「よくやった」と声をかけたり、頭を撫でた。
「......」
「...どうしたんじゃ。どこか痛むのか?」
「いや...そうじゃなくて。皆、優しいなって...」
皆が慕っていたフィッシャー・タイガーの意思とはいえ、彼の死を早めた仲間に対しての態度とは思えない、とアンカーが話すと、ジンベエの拳が彼女の脳天に振り落とされた。
「いったぁ!!」
「フンッ。いつまでも、そんなことをウダウダと...。ええ加減にせんかぃ。わしらは、お前さんを恨んだりせんわい。お頭の...フィッシャー・タイガーの最期の船長命令に従っただけじゃ」
ジンベエは呆れた様子でそう言う。「でも...」と声を漏らすと、それ以上言うなと言わんばかりにギロリと睨みつける。さすがにそれ以上は口を噤んだ。
アンカーが、誰にも聞こえないように「やっぱり、優しいな...」と呟いたことは秘密である。
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