幻想郷縁起・封
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妖魔夜行
ルーミアは、夜の闇を彷徨っていた。
月の光が地上を照らし、妖しい輝きは彼女の力を高める。
--宵闇の妖怪。
それが彼女の属する種族。人の闇を糧に生きる、人食い妖怪。
彼女が生まれて、もう何千年が経っただろう。
彼女は、人が闇を恐れた時、生み出された存在。
人が闇を恐れる限り、彼女が死す事は無い。
だが、それ程までの永い刻を過ごしながら、しかし彼女は幼かった。
その幼さ故に、彼女は過ちを犯す事となる。
人と妖怪は相容れ無い。
妖怪と人は相容れ無い。
当たり前だ。
当たり前の事だ。
--これは、そんな当たり前の事を思い知らされた、孤独な妖怪のお話。
◇◇◇◇◇◇
ルーミアには、親しい人間が居た。
小さな娘だった。人里に住む貧しい一家の一人娘で、
偶然捕食を終えたばかりで腹の膨れていたルーミアの前に現れた時から、その付き合いは始まったのだ。
名を、御風千夏と言う。
千夏は、ルーミアが妖怪である事を知っても、彼女を拒絶しなかった。
ずっと誰とも関わる事がなく、孤独であったルーミアは、それが心の底から嬉しかったのだ。
だから、彼女だけは食べなかった。
幼い子供のように、かくれんぼや鬼ごっこなどもした。
とても、幸せだった。
「ねぇ、千夏ちゃん」
「なあに?ルーミアちゃん」
ふと、ルーミアは疑問に思った。
自分のような妖怪と遊んでいて、千夏は大丈夫なのだろうか。
周りの大人達に、責められてはいないだろうか。
そんな事を、ルーミアは尋ねた。
「--ううん、大丈夫。ルーミアちゃんは人を襲ったりしないって、信じてるもん」
そんな、自分を信じてくれた千夏の言葉に、ルーミアはまた心から幸せな気分になる。
千夏は、間違いなく親友だ。
誰が何と言おうと、千夏だけは守ってみせる。
その夜の事だった。
突如、目の前にその妖怪が現れたのは。
「何の用よ」
「つれないわねぇ、昔からの縁じゃないの」
スキマ妖怪--八雲紫は、胡散臭い笑みを浮かべて笑った。
「妖怪と人間が仲良く、ねぇ。貴女、本気でやってるの?」
「本気って何よ。私があの子と偽りの気持ちで接してるって言うの?」
「そうは言ってないわよ。けど、貴女仮にも古参妖怪でしょう?その末路がどういう物かは知っている筈よ」
「私は、そんな事にはならないわ」
「あら、そう。でも一応昔の馴染みとして、警告しておくわ」
紫は、それまでの不気味な笑みから、厳しい顔つきに変えると、低い声音でルーミアに語り掛けた。
「人間と深く関わるのは止めなさい。妖怪と人間との間の溝は貴女が思う以上に深い、歪みはいつか必ず来る。
必要以上に悲しむ前に、身を引いておくのが最善よ」
「--」
押し黙ってしまう。
正論なのだ。
妖怪は、人間に害を与える存在。害を与えなければ生きられない存在。
それが妖怪。
人間と友好関係を築くなど、無謀だ。かつてそれを実行しようとした人間が居たが、その人間も裏切り者として封印されてしまった。
不可能なのだ。
そんな事は分かっている。
だけど--
「私は、諦めないわよ」
ハッキリと、告げた。
紫は、大きな溜息を吐く。
次いで、『好きになさい。後悔しても知らないわよ』などと言い残し、スキマに消えていった。
今まで無理だったのならば。
実現不可能だったならば。
私が--
----けれど。
『その時』は訪れてしまった。
きっかけは唯の気まぐれだった。
その日、『偶々』遊び足りなくて、『偶々』それを思いつき、『偶々』実行したに過ぎないのだ。
千春が人里へと帰り、ルーミアも住処へ帰ろうとする。
けれど、何か遊び足りない。
--そうだ、こっそり会いに行けば大丈夫かな?
それ自体は、何の問題もなく成功した。
けれど。
問題は、そんな所ではなかった。
『このっ!ガキッ‼︎人間の恥晒しが!」
『妖怪なんぞと仲良くしやがって!俺達が巻き込まれたらどうしてくれる!』
『うっ……が……あ……』
大人の声が、二つ。そして、千春の声。
ルーミアは、すぐに駆け付けた。
大の大人2人が、子供相手に暴行を加えていたのだ。
さらに元々、千春は体が小さい。
抗う事もできず、千春は地面に這い蹲り、ただ蹴られ続けていた。
フツフツと、怒りが沸いてくる。
--何をしている、下衆な人間が。千春から離れろ、その足を退かせ、待っていて千春、今すぐこの人間を殺してあげるから……
ルーミアはすぐに、片方の男の頭を喰らった。
バキリッ、ボキッ、グチャッ、ゴチュッ、ブチュッ、ベキャッ
肩から下に掛けて少しずつ喰らっていく。
肘、手、肩、腹、腰、脚。
順に、骨ごとその肉を喰らっていく。
一噛みする毎に、血がどくどくと溢れ出る。
路地裏の大地を、真っ赤な鮮血が満たした。
それを見た片方は腰を抜かし、逃げようとしても逃げられないでいた。
「ひっ……ひいっ!や、止めっ、助け--」
喰らう。
血の噴水を撒き散らし、肉片一つ残さず、ルーミアはその小汚い男を喰らった。
--これで大丈夫。
そう、千春に伝えようとした。
けれど、言えなかったのだ。
千春の顔に浮かんでいた表情は、解放された安堵でも、助けに来てくれたという喜びでも無い。
--明確な、恐怖。
「ちは……る……?」
「やっ、やだ、来ないで--近づかないで……!」
手を伸ばせば、拒絶された。
近付けば、逃げられる。
--どうしたの?もう怖い人は居ないよ?何を怖がっているの?
そんな事を、一瞬本気で考えた。
でも、その現実は変わらない。
紛れも無い、《妖怪》に対する恐怖。
「あ……ああ……嗚呼ああ……ッ!」
溢れ出す激情。
止められない衝動。
嫌だ。
拒まないで。
受け入れて。
怖い。
寂しい。
待って。
行かないで。
--独りは嫌なの。
--ずっとそばに居て。
嗚咽と共に、闇がルーミアから広がった。
血の海を、ランタンの光を、ルーミアの美しい長髪から跳ね返される月の光も。
総て、全て呑み込まれていく。
--そして。
--誰も居なくなった。
気付けば、先程と同じ場所に居た。
血の海は綺麗さっぱり消え、千春さえ居ない。
「--千春?どこ?」
辺りを見渡す。
夢を見ていたのだろうか。
先程の騒動など無かったかのように、辺りは綺麗だった。
良かった。
なら、千春を探そう。
そう思い、もう一度走り出そうとする。
そこで初めて、手の中の違和感に気が付いた。
何かを握っている。そんな朧げな感触の正体を見るため、それを近くの提灯の光にかざした。
妙に美味そうな匂いが漂う。好物の食べ物を目の前にしている様な。
手の中にあった物は--
千切れた血塗れの足だった。
その血からは、千春の匂いがした。
そこでやっと、自らの口周りが汚れていることに気付く。
拭ってみれば、やはり腕には血が付いていた。
ああ、そうか。
やっと分かった。
--結局、紫の言う通りだった。
結局、自分は。
どうしようもない、この妖怪は。
千春を、喰らってしまったのか。
「理解したかしら?」
「……紫」
「結局、人間と妖怪の共存なんて物は不可能なのよ。貴女のせいではないわ。これまでの歴史が、そうさせてしまうのよ」
「……」
「……今日、貴女は人里の決まりを破ったわ。明日、博麗の巫女が貴女を退治しに来るでしょう。覚悟はしておきなさいな」
紫はスキマに消えた。
孤独の中に、一人取り残される。
「……千春ちゃん」
左手で、ルーミアは自らの腰程までに伸びた長い髪を束ねた。
空いている右手で、束ねた髪を切り落とす。
毛はバサリと落ち、髪は肩に届く程度に短くなった。首を覆っていた髪が無くなった事で、吹くそよ風が心地良い。
ルーミアは切り落とした髪を拾い上げると、その細胞一つ一つを闇へと変換した。
闇は形を変え、一つの物質を再現する。
--彼岸花。
たった一つ、覚えていたその花は、皮肉にも死を表す花だった。
もっとも、そんな事を今のルーミアが知っている筈も、考えている筈も無いが。
地に置いた千切れた足に、掻き集めた土を被せ、石を乗せる。
その前に、彼岸花を供えた。
爪を伸ばし、石に昔何度か見た文字から、千春の字を思い出し、文字を刻み込む。
『御風千春之墓』
ゆっくりと、立ち上がる。
--自分が、間違っていた。
--人と仲良くなんてこと、不可能だった。
--分かっていた筈なのに。
「どうして、こうなっちゃうんだろうなぁ……」
ルーミアは、闇へと溶けた。
寸前に落ちた雫が、血か涙かは、誰にも分からなかった。
「お前が、宵闇の妖怪か?」
紅白の巫女服を着た、長身の女性が、ルーミアを見下ろした。
「……ええ、そうよ」
「貴女は人里の決まりを破り、人を捕食した。間違い無いな?」
「……ええ」
「……後悔しているのか?」
「……ええ。そうね」
「そうか。……ならせめて、今直ぐにでも退治してやろう」
巫女が、お札を取り出した。いや、お札と言うのだろうか。
赤い、布のような物だった。見たところ、直接糸に術式が編み込まれている。
「これで、貴女を封印する。苦しみは無い。暫く休むといい」
結界が広がる。
体が押さえ込まれる。
札が、ルーミアに迫った。
先程の巫女の言葉を思い出す。
--後悔しているのか?
その時、ルーミアは無意識で肯定した。
--今、自分は後悔していたのか。
「……そーなのかー」
意識していなかった自分の気持ちに納得しながら、ルーミアの--『宵闇の妖怪』の意識は閉ざされた。
かくして、
宵闇の力は閉ざされ、記憶も閉ざされ、生きた証を閉ざされ。
夜を行く妖魔は、眠りに就いた。
これは、ルーミアがリボンの封印を受ける事となった事件の話。
--そして。
とても悲しい、妖怪の定めのお話。
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